77話 ふたつの道行き④
リヒトたちが洞窟を抜け出したころ、ルナリスの一行は断崖の上層まで戻っていた。
ここまでの道のりは徒歩だった。切り立った崖を捜索するには馬は不向きで、エルドラを出たのち宿場町へ立ち寄り、馬丁に預けていたのだ。
しばらく歩き続けた彼女たちだったが、やがて幸運にも宿場町へ向かう農夫の馬車と出会い、荷の合間に乗せてもらえることになった。農夫はエルドラへ種の買い付けに行く途中だという。
荒野と小麦畑の境に築かれた宿場町。道沿いには宿屋や食堂、冒険者向けの武具店が軒を連ね、旅人の往来で賑わっている。
ラセルたちはここで紋章の付いていない革鎧に着替え、ルナリスも装いを改めた。南方の気候に適した薄手の旅装束。さらさらとした白布に、差し色の青が映えるワンピースは、涼やかな印象を与える。
サフィナもまた赤と白を基調とした同じ意匠のワンピースに身を包んでいた。元気で溌剌とした彼女には、この鮮やかな色合いがよく似合っている。
通行手形の発行を済ませた一行は、その夜を宿場町で過ごすことにした。
ここまで一行を守ってきた黒狼のゼファーは、街には入らず近くの林に身を潜めている。明日の出発前には、また姿を現してくれるだろう。
久々に湯を借りて旅の疲れを落としたルナリスは、自室のベッドへと身を投げ出す。粗末な安宿の寝台は硬く、お世辞にも寝心地が良いとは言えなかったが、野宿に比べれば十分に贅沢だった。
ふと、思考はリヒトへと向かう。
今頃、彼はどのあたりにいるのだろう。
十分に休めているだろうか。
無茶をしてはいないだろうか。
そっと片手を持ち上げ、指先に視線を落とす。別れの直前、リヒトが口づけを落とした場所。触れられた熱を、まだ確かに覚えている。
本当は、彼のそばにいたかった。だが、足手まといにはなりたくない。
せめて最後に別れたあの時、もうすこしだけ彼に触れられたなら――。
そんなことを考えて、ルナリスは枕に顔を埋める。頬が熱を帯び、心臓が苦しいほどに跳ねた。
離れているからこそ、その存在の大きさを強く感じてしまう。こんな気持ちは、生まれてはじめてだった。
「……会いたいな」
夜気に溶けるような呟きは、切なげな吐息を含んでいた。
朝になり、ルナリスたちはフェニアを目指し宿場町を後にした。
街を出るとすぐにゼファーが合流し、安全を確認しながら一行の付近を走っていた。
先頭の馬にはマシューが跨り、ラセルとアイゼンの馬が幌馬車を曳いている。馬車は宿場町で借りたものだ。中には水の樽と荷が積まれ、ルナリスとサフィナが揺られながら座っていた。
がたがたと樽が揺れるのを押さえながら、サフィナがぽつりと呟く。
「……オズさん、ちゃんと付いていけてるかなぁ」
弱気な魔術師の青年を心配しているのだろう。サフィナは向かいに座る主へと視線を移す。
「フェニアに着いても、すぐ合流できるわけじゃないんですよね?」
「そうね。しばらくは他人のふりをして、別行動をとることになってるわ」
これはリヒトの提案だった。
フェニアという街の成り立ちを考えれば、どうにも胡散臭い。いざというとき、互いに不意を突いて助け合えるように、ふたつの隊はしばし別れて行動することになっていた。
「用心に越したことはないですから」
前を行くラセルが言葉を補う。
「ふぅん……色々お考えなんですね」
サフィナは小さく息を吐き、すぐに「何事もありませんように」と祈るように呟いた。
ルナリスはくすりと笑い、やさしく声をかける。
「オズなら大丈夫よ。きっと」
するとサフィナは抗議するように唇を尖らせ、頬をわずかに染めた。
「べ、別にオズさんだけを心配してるわけでは……! ルナリス様だって、殿下がご心配でしょう?」
「そりゃあ、心配だけど……でも、冒険者の仲間が付いてるから」
矛先を向けられ、ルナリスは思わず視線を泳がせる。
「……あのベルって子、絶対殿下に気がありますよ」
「サフィナ……!」
咎めるように名を呼んでも、サフィナは頬をぷうっと膨らませる。
「ルナリス様がおられるのに、殿下にあんなにベタベタして。殿下も殿下です。もっと毅然とお断りになればいいのに」
不敬とも取られかねない言葉だったが、前を行く騎士たちはくすくすと笑い合っている。
「殿下は“人たらし”として有名ですからな」
マシューが肩を揺らし、「おまけに、性別を問わず好かれすぎて、ご自身では逆に気付かれない」とアイゼンも苦笑する。
「おまえたち、好き勝手なことを吹き込むんじゃない」
ラセルが深くため息を吐いた。
そんなやり取りを耳にして、ルナリスは胸の内で小さく唸った。
(……私だって、ベルの態度が気にならないわけじゃないけど)
リヒトの腕にしなやかに絡みつき、愛らしい笑みを浮かべていたベルの姿を思い出す。気にしないようにしていたはずなのに、一度思い返すと、胸の奥にモヤモヤとしたものが広がってしまう。
気持ちを振り払おうと、ルナリスは遠くを見やった。自然と、顔が北に向く。
ふいに、ぬるい風が砂埃を運びながらやって来て、馬車の幌を揺らす。耳の奥で、ざわざわとした音が鳴る。
「……かえりたい」
うわ言のように、言葉が漏れた。
「えっ?」
サフィナがぎょっとして首を傾げる。
「今、なんて仰いました?」
ルナリスが振り返ると、大きな瞳を心配そうに向ける侍女と目が合った。それが不思議で、「どうしたの?」と逆に問い返してしまう。
「い、いえ……お気分でも悪いのかと。大丈夫ならいいんですけど……」
そんなやり取りの間にも、一行は国境の砦を通り過ぎていた。
ここから先はザルカード王国。広大な砂漠が広がる異国の地だ。
熱砂に続く街道を、ルナリスたちはひたすら進んでゆく。この先に、どれほどの困難が待ち受けているのかも知らぬまま――。




