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異世界転生したら、弟が婚約者になりました  作者: くなぎ八重
第二章 赤き竜とオアシスの街
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75話   ふたつの道行き②


 洞窟の入口から、ようやく一行が這い出してきた。

 真っ先に姿を現したのはグレイスだ。軽やかな身のこなしで縄梯子を登り切ると、砂漠の強烈な日差しを遮るように手をかざし、やって来たベルと共に遠くの地平を眺めている。

 後に続くのはザヒールとオズ。梯子を上る二人の手を、リヒトが引き上げて助ける。最後に顔を出したティオは、風に混じって運ばれる砂に顔を顰めた。緑を愛するエルフにとって、砂漠はあまり居心地のいい土地ではないのだろう。

 照り返しがきつい。目を細めながら、リヒトは肩口で汗をぬぐった。


「僕の住まいは、南の方にある崩れた遺跡です。夕刻までには着きますよ」

 

 ザヒールがそう告げると、ベルが大げさに唇を尖らせる。オズは深い息を吐いて、その場にくずおれた。

 

「えぇ〜……。洞窟をやっと抜けたと思ったのに、今度は砂漠を歩くの?」


 太陽はまだ高く、空を照らす光は容赦ない。げんなりとした様子のベルに、グレイスが横目を向けた。

 

「今回の依頼って、達成できなくても違約金は取られないのよね?」

「そうだね。この依頼は特例ってことで」

 

 ティオが頷くと、ベルは途端に顔を明るくし、にやりと笑う。

 

「もう諦めて帰っちゃう?」


 軽口に、グレイスが肩をすくめる。

 ギルドの依頼を受け、失敗または破棄した場合、本来なら違約金が発生してしまう。ただ、今回に限ってはそうではなかった。難易度の高さを考慮した特別措置であり、だからこそ諦めることもできる。無駄になるのは、それまでの労力と時間だけ。

 仲間のやり取りを聞きながら、リヒトは腰に下げた革袋を手に取った。ぬるい水を一口含む。美味くはないが、喉を通るだけで生き返るような心地がした。

 彼は、仲間が本気で諦めて帰るなど、露ほども考えていなかった。

 口ではああ言いながらも、誰もが冒険者としての矜持を持っている。あの広大な渓谷を、自分たちよりも長く歩き回っていたのだ。折れるつもりなら、とっくにそうしているはずだった。


「もう少しだ。頑張ろう」

 

 リヒトが声をかけると、座り込んでいたベルが「ね〜、引っ張ってぇ」と手を伸ばしてきた。駄々っ子めいた仕草に、思わず苦笑する。

 

「仕方ないな」

 

 その手を握り、力を込めて引き起こしてやる。二つに結った髪が揺れ、ベルは「ありがと」と愛らしい笑みを見せた。

 リヒトにとって、ベルは妹のような存在だ。仲間たちは皆、リヒトの身分を知りながらも態度を変えなかった。彼の気持ちを尊重し、あえて口を噤んでいてくれたのだ。リヒトには、それが何よりありがたかった。もっとも、父王にまで知られていたとは、夢にも思わなかったが。

 ベルの頭についた砂を払ってやると、ティオが肩を揺らして苦笑した。

 

「……ああいう優しさって、残酷だよね」

「ほんと。しかも本人は無自覚なんだから、余計に質が悪いのよ」

 

 グレイスも同意するように頷く。

 リヒトは幼い頃から「女性には優しくあれ」と叩き込まれてきた。自然にそう振る舞うことが、もはや癖になっている。そしてそんな態度は時に、余計な誤解を生む。

 実際、これまでに想いを寄せられることはあった。リヒト自身は気づきもしないが。

 華やかすぎる兄二人のおかげで、自分に近づく女性は彼らへの繋ぎに違いない、と誤解してきたせいでもある。王子という立場では、自由な恋愛も難しい。

 そして今は、ルナリスがいる。

 彼女以外の誰かに好意を向けられるなど、リヒトは想像もしていなかった。

 その鈍感さが、玉に(きず)であることを、彼はまだ知らない。

 ベルを立ち上がらせたあと、リヒトは続いてオズにも手を差し伸べた。

 

「ほら、オズも」

 

 ぐいと引き起こし、肩や髪についた砂を払ってやる。

 その瞬間、オズの顔がほんのり赤くなった。胸を押さえ、小さく息を呑む。

 

「……な、なんだろう……今、ちょっと……キュンって……」


 すかさずティオが額を押さえ、深々とため息をついた。

 

「だめだ、こりゃ」

「救いようがないわね」


 グレイスが肩をすくめる。二人からの呆れたような視線を受けて、リヒトは首を捻るのだった。


 熱砂に足を取られながら、一行はひたすら歩を進めた。

 慣れない土地の強行軍、強烈な日差しと乾いた空気が容赦なく体力を削いでいく。

 砂虫(サンドワーム)との戦いも難儀した。巨大なミミズのような魔物は、人ひとりを容易に呑み込む口を広げ、酸性の粘液を撒き散らしては砂中を自在に駆け回る。砂漠こそが奴らの領域だ。突如顔を出した魔物に、女性陣は阿鼻叫喚の悲鳴を上げ、撃退後に残った切り刻まれた肉塊を見ては、さすがのリヒトも顔をしかめた。

 大活躍したオズの魔道具も、粘液にまみれて転がり、もはや使い物にならない。

 戦闘の疲労を抱えたまま進む中で、何よりも神経を尖らせたのは足元だった。

 この砂漠の下には、いたるところに古代文明の遺跡が埋まっている。それが崩落すれば、まるで巨大なアリジゴクのように砂を飲み込み、足場ごと人を呑み込んでしまう。

 ザヒールは先頭に立ち、足で砂の硬さを確かめながら、一行の進路を慎重に見極めていた。

 戦いを経て、いくつかの砂丘を越え、太陽が地平に沈もうとする頃、ようやく目的地に辿り着いた。

 それは砂漠の岩山に抱かれるようにして佇む、崩れかけた古代の遺跡だった。風化した石壁は所々が崩れ、砂が吹き込んで積もっている。

 崩落した天井は地下へと繋がっており、下りられるように木の梯子が掛けられている。

 内部には粗末な布が敷かれただけの石の寝台と、所狭しと積まれた本や古びた巻物、陶器の壺が並んでいた。


「……ここが、ぼくの家です」

 

 粗末な家を恥じるように、ザヒールが小さく告げた。

 リヒトは崩れかけた石造りの空間を見回す。

 広さを考えると、ここは遺跡の通路にあたる部分なのだろう。だが奥へと続いていたはずの道は、完全に崩れた石で塞がれ、今は行き止まりになっていた。

 崩落した天井の穴から差し込む光だけが、この場所を照らしている。外界と繋がるその穴には扉も戸板もないため、風や砂が好き放題に吹き込んでいた。張られた日除けの布は頼りなくはためき、時折、砂粒がぱらぱらと降り注いで床に薄い層を作る。


(こんな場所に、ひとりで……)


 少年が一人で暮らしてきた場所だと思うと、胸の奥に重たい感情が沈んでいった。

 

「すいません。なにもおもてなしできずに……」


 ザヒールが消え入りそうな声で言った。


「でも、まだ水は残ってますから。よかったらどうぞ」


 彼が指差した水瓶には、蓋がきちんと閉められている。

 こんな砂漠の中では、水は命にも等しい。だが、少年の精一杯の心づくしを無下にもできず、リヒトたちは感謝して一口ずつ頂戴することにした。

「水はどこで汲んでるんだ?」ティオが問いかける。

 

「少し行った場所に、小さなオアシスがあるんです」

「もっと近くに住めばよかったのに」


 グレイスが首をかしげると、少年は小さな頭を横に振り、静かに答えた。


「それでは、すぐに見つかってしまいますから……」


 その声音には、年齢に似つかわしくない諦観が滲んでいた。

 フェニアを復興した一族が「赤の部族」を名乗っている以上、本当の生き残りなど邪魔な存在だ。見つかれば、どんな仕打ちをされるか分からない。彼の祖父や両親も、ずっと居場所を転々として暮らしてきたのだ。細々と、身を隠しながら。

 

「頑張って生きてきたんだね。偉いぞ」

 

 ベルが優しい声音でそう言い、がしがしとザヒールの頭を撫でた。

 少年は一瞬だけ目を丸くし、すぐに視線を逸らす。

 そして、赤くなった顔をごまかすように、そそくさと砂まみれの書物が積まれた部屋の隅へと歩いていった。

 小さな体に、どれほどの苦労を背負ってきたのだろう。

 それでも気丈に振舞う健気な少年の姿に、一行の誰しもが胸を打たれた。




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