74話 ふたつの道行き①
一行は、二手に分かれることになった。
ひとつはザヒールの案内で洞窟を抜け、密かにザルカード王国へ越境するリヒトと冒険者ギルド組。
もうひとつは国境手前の宿場町へと戻り、通行手形を入手して国境から入る騎士組である。
リヒトが彼らを宿場町へ戻らせたのには理由があった。装備を一新させるためだ。国紋の刻まれた革鎧を纏ったままウォルフワーズの騎士がぞろぞろと入国すれば、余計な疑念を招く。
「そういう殿下は密入国ですが」
マシューが肩をすくめて苦笑すると、リヒトはわざとらしくため息をついた。
「どのみち、俺はこうでもしないとザルカードには入れないからな」
そう言って、彼は鞄から一枚の仮面を取り出した。
狼を模した木彫りの仮面。白と黒の文様が彫り込まれ、目元を覆い隠すそれは、彼が冒険者として行動するときの象徴だった。
仲間内では「怖い顔だ」と不評の代物だが、リヒト自身は気に入っている。
不測の事態に陥った時のために、意思疎通ができる簡単な合図も取り決めた。オアシスの街に辿り着いても、すぐに合流できるとは限らない。
騎士組にはルナリスとサフィナが同行する。
オズは欠片の小箱に魔力を流し込む役割を担うため、リヒトたちと共に行動することになった。
本当はルナリスもリヒトの隣にいたかった。だが、彼らは険しい洞窟を抜けねばならないうえ、戦えないザヒールを守らなければならない。そこへさらにルナリスとサフィナまで加われば、負担が大きすぎる――冒険者仲間からそう言われ、ルナリスは身を引かざるを得なかった。
自分が足手まといになることは自覚している。けれど、それだけが理由ではなかった。
リヒトは、できるだけ彼女と欠片を引き離しておきたかったのだ。ほんの少し前まで、ルナリスは何かに怯えるように身をすくませていたから。
「ごめん。そばで守ってやれなくて」
別れ際、リヒトが低くつぶやく。
「分かってる。私なら大丈夫だから」
ルナリスは微笑んだ。そして未だに浮かない表情を浮かべている彼を見て、囁くように声をかけた。
「その仮面……昔、あなたが好きだった“マンガ”の主人公みたい」
リヒトが異世界にいたころ、夢中で読み耽っていた物語。その主人公が、よく似た仮面を身につけていたのだ。
「……分かった?」
照れ笑いを浮かべるリヒト。異世界の文化に心躍らせた日々が、一瞬で蘇る。ふたりの間に、前世からの絆が確かに息づいていると感じられた。
リヒトはそっと彼女の手を取り、指先に口づけを落とす。
「行ってくる」
「気を付けてね、リヒト」
「ああ……!」
力強く頷いて、彼は隣に控える黒狼へと手を伸ばした。
「俺の代わりに、彼女を守ってくれ」
ゼファーの毛並みを撫でながらそう告げ、リヒトはザヒールを伴って歩き出す。
「私たちも参りましょう」名残惜しげにリヒトの背を見送っていたルナリスに、ラセルが声をかける。
「ええ」
ルナリスは短く答えると、サフィナと共に歩みを返した。上層へ戻り、宿場町を目指すために。
それから二日後。
ルナリスと別れたリヒトたちは、起伏の激しい洞窟をひたすら登っていた。
険しい岩壁には縄梯子が掛けられ、野営の痕跡が点々と残されている。ここを何度も行き来した者の足跡だった。
案内するザヒールは、一度も迷うことなく分かれ道を進んでいく。魔物との遭遇がほとんどないのも、彼が生息域や活動時間を熟知しているからに違いなかった。
(渓谷へ通っていた、というのは本当だったのか)
子供の足で、よくぞここまで。リヒトは思わず心を打たれた。
幼い身体で、幾度も命の危険をかいくぐりながら渓谷へ辿り着いたのだ。祖父の願いを叶えるために。
その執念の奥にある寂しさや悲しみを思うと、胸が締めつけられる。
あの少年は、自分と同じだ。抱えきれないほどの喪失感を、必死に堪えてきた。リヒトには、その痛みが痛いほどよく分かる。
やがて一行は洞窟の中腹に差しかかり、広い空間へと出た。崩れ落ちた天井の隙間から陽が差し、岩肌の亀裂を伝って清水が流れ落ちている。小さな滝となったそれは、足元に澄んだ池をつくっていた。ザヒールの説明によると、水はオアシスへと通じる地下水脈から流れ出しているらしい。
閉ざされた洞窟の陰鬱さとは打って変わり、そこは別世界のように美しかった。
池のほとりに立ったティオが、水面をじっと見つめる。風もないのに、長い金の髪が揺れた。彼が友とする、目に見えぬ精霊の仕業だろう。
耳を澄ませるようにしてから、ティオは静かに言った。
「ここは……一角獣の住処だったようだね」
「一角獣?」リヒトは反射的に問い返す。
「一本の角を持つ、白い馬の聖獣さ。ただ……もう気配はないけれど」
ティオの声に翳りが混じった。
一角獣は清浄な気を好むといわれている。ここを捨てたのは、迫る瘴気を避けるためか。それとも――。
「馬の聖獣、か……」
リヒトの脳裏に、炎蹄馬の姿が浮かぶ。
あの獣は、自分に似た姿を持つ彼らを助けようと、この地を訪れたのかもしれない。けれど、赤竜の核に取り憑かれたがゆえに、あの結末を迎えたのだとしたら。
あくまで単なる想像だ。考えたところで答えは出ない。
ただひとつはっきりとしているのは、鎮められず残った赤竜の核が瘴気となり、この地を蝕み続けているということ。そしてその瘴気が、ルナリスを脅かしているということだ。
虚ろに揺れた紫の瞳を思い出し、リヒトは唇を噛んだ。
そばにいて守れないのが、どうしようもなく悔しい。焦りが胸を灼く。
「……休憩は終わりだ」
立ち上がったリヒトは、さらに上へと続く洞窟の道を見据えた。
一刻も早くここから抜け出したい。ザヒールの住まいに辿り着き、少しでも状況を進展させなければならない。
もどかしさを振り払うように、足を踏み出した。




