72話 赤竜の討伐地⑤
ザヒールは聡明な少年だった。
リヒトの説明をよく理解し、分からないところは素直に問い返す。その瞳がかすかに輝いているのは、これまでの旅路が、彼にとっては胸を躍らせる冒険譚そのものだからだろう。大人びて見える彼の中に年相応の無垢な一面を見て、リヒトとルナリスは目を合わせて微笑んだ。
「そういうことでしたら、ぜひ、ぼくに案内させてください」
ザヒールの言葉は、赤竜最期の地を知っていると告げるに等しい。希望の光が差し込み、一行の誰もが胸を撫でおろした。
「あなたのおじい様は、赤竜の魂鎮めができなかったことを悔やんでいた、と言っていたけれど……もしかして、当時のことをご存じだったの?」
ルナリスの問いに、少年は真剣な面持ちで頷いた。
「はい。祖父は、いつも自慢げに語ってくれました。若きアーデルハルト陛下を赤竜の巣へ導いたのは、自分だったのだと……」
それを語るザヒールの顔にも、どこか誇らしげな色が浮かぶ。なにより、家族のことを他人に話せることが、彼には純粋に嬉しいのだろう。それは同時に、この少年がどれほど孤独の中で育ってきたかを物語っていた。
「じゃあ、ザヒール。これからよろしく頼む。こちらの用件が済んだら、きみを街まで送るよ」
リヒトの言葉に、ザヒールは少し寂しげに笑って頷いた。
「でも、赤の部族って……」
そこへ、ずっと黙って話を聞いていたグレイスが口を開く。ふっくらとした唇に指先をあて、小さく首を傾げる姿は、炎に照らされて妖艶な輝きを帯びていた。その場にいた全員の視線を受けても、彼女は平然と茶を口にし、ふうっと吐息を零す。
「たしか、赤竜に襲われて、ほとんど壊滅したと聞いたけれど……あなたのご両親が、その生き残りだったってこと?」
穏やかな眼差しに射すくめられ、ザヒールは俯いた。照れているのではなく、その威圧感に押されているようだった。
「はい。両親や祖父は、当時神殿にいたため無事でしたが……赤竜が村を襲撃した時のことは、詳しくは語ってはくれませんでした。よほどの惨状だった、とだけ……」
鉄をも溶かす炎を吐くと伝えられる赤き竜。その猛威に晒された村が、無事でいられるはずもない。
ザヒールの両親と祖父は、たまたま難を逃れることができた。そして後にザヒールが生まれるも、流行り病によって両親はあっけなく逝ってしまった。
「それじゃあ、今あるオアシスの街は、生き残った方々が復興させた姿なのね」
沈んだ空気を払うように、ルナリスは努めて明るく声をあげた。
だが、ティオとグレイスは同時に首を横に振る。リヒトも同じことを考えていたらしく、「どういうことだ」と訝しげに眉をひそめた。
「あの街――フェニアは、赤の部族とは無関係の連中が作った街なんだ」
ティオが低い声で答える。
ザルカードは砂漠に築かれた国。オアシスを持つ諸侯や部族は、戦でも商でも常に優位に立つ。そのため、オアシスを巡る内戦は絶え間なく続いてきた。
フェニアがある場所も、かつては赤の部族の土地だった。だが竜の襲撃で村が壊滅したのをいいことに、別の人間がその地を奪い取ったのだ。そして勝手に自らを「赤の部族の生き残り」と名乗り、街を築き上げた。
その街は今、リゾートのような繁栄を見せている。何をするにも高額な金を要求され、水一杯でさえ代価を払わなければならない。それでも人々が集まるのは、美しいオアシスの景観と悲劇からの復活という美談があるからだ。
フェニア。不死鳥の名を戴いたその街は、皮肉にも、本来の持ち主を追い出した者たちの手で、見事な復興を遂げてしまった。
そして本来の赤の部族の生き残りは、街を追われ、古代遺跡の影で身を寄せるように生き延びている。
「そんな……」
ルナリスは言葉を失い、リヒトも悔しげに唇を噛む。だが隣国の内情に容易く介入できないことは分かっていた。その無力感が、胸の奥に苦い棘を残した。
「オアシスの街……フェニア」
ルナリスは、そっとその名を繰り返す。
それは聞き覚えのある響きだった。
アイオライト家も名を連ねる五大鉱脈家。その宝石の取引相手の中に、フェニアの名が刻まれていたから。
翌日からは、ザヒールと冒険者の一行も加わり、旅路は一層賑やかなものとなった。
黒狼の背に跨ったザヒールは高揚を隠せず、きらきらと瞳を輝かせている。並の狼よりはるかに大きなゼファーにとって、子供一人を乗せて歩くことなど造作もない。
少年は、すでに何度かこの地を訪れているようで、案内に迷いがなかった。
「一人でこんな場所をうろつくなんて。あまり、危ないことはするなよ」
リヒトが苦笑まじりに言うと、少年は「ごめんなさい」と頭を下げながらも、「でも、この辺りの魔物の習性はだいたい覚えていますから」と胸を張った。
「そんなこと言って、昨日ゴブリンに追いかけられたばかりじゃない」
ベルが呆れたように肩をすくめる。今日も当然のようにリヒトの隣を占め、遠慮なくくっついている。自国の第三王子に、しかも婚約者の目の前でそんな態度をとるなど、よほど肝が据わっているのだろう。あるいは、明確な宣戦布告なのかもしれない。
ルナリスは平静を装いながらも、前を行く二人を視線で追い続けた。
そんな複雑な気持ちに気付くことなく、リヒトはザヒールとの会話を弾ませている。
「ザヒールは記憶力がいいんだな」
少年は照れたように笑い、それから少し真剣な顔つきになった。
「でも、昨日はいつもと様子が違ったんです。ゴブリンだって、あの時間は巣穴に籠もっているはずなのに……まるで、この場所全体がざわついているみたいで」
器の一部が戻ってきたからかもしれない、と言いながら、ザヒールはちらりと背後のルナリスを見やった。
「ぼ、僕もあの背中に乗りたい……」
ルナリスの後ろでは、オズが死にかけたような声で呟く。
「しっかりしろ、オズ。ほら、荷物をこっちに寄こせ、持ってやる」
人のいいマシューに、サフィナが慌てて口を挟んだ。
「あっ、ダメですよ。そうやって甘やかしたら」
そうは言いつつも、マシューに荷物を預けるオズを本気で止めるようなことはしない。最後尾には、「仕方ないな」と笑うラセルとアイゼンの姿。賑やかな声に囲まれ、旅路は不思議と和やかさを帯びていた。
そんな中、音もなく歩み寄ったティオがルナリスの耳元で囁いた。
「いいの?」
その言葉の意味を悟りながらも、ルナリスはとぼけるように首を傾げる。意識していると思われたくなかったのだ。
ティオは意地悪そうに笑った。
「心配じゃないわけ? 大切な婚約者、取られちゃうかもよ」
「大丈夫。リヒトを信じてるから」
顔色ひとつ変えずに答えると、ティオは意外そうに目を丸くした。
「へぇ。もっと淡白な関係かと思ってたけど……」
「それはどういう意味?」
「いや、安心しただけ。ちゃんと愛情はあるんだなって」
「あ、あなたねぇ……!」
ティオから発せられた言葉に、かぁっと熱くなり、思わず声を荒げてしまった。リヒトが一瞬振り返ったが、ベルに呼ばれてすぐに視線を戻す。
エルフは肩を竦めると、端正な顔に薄く笑みを浮かべた。金糸のような滑らかな髪のひと房が、さらりと肩に落ちた。
「だって王族の婚姻なんて、政略結婚がほとんどだろ? 友人としては、本当の関係を知っておきたかっただけさ」
彼の瞳には探るような色も宿っていたが、ルナリスは気付かない。
「私とリヒトだって、国と家が決めた婚姻よ」
ウォルフワーズ国が縁談を結んだのは、「ルナリス」という個人ではない。格式ある家の娘であれば、誰が選ばれていてもおかしくはなかった。
だが、彼が前世での弟だと知る前から始まった縁も、過去の絆があったからこそ深まったのだ。ルナリスはそう考えている。
もし前世の記憶がなく、自分がただの令嬢であったなら、リヒトはいまも理沙を想い続けていただろう。
(……私はどうかしら。記憶を持たなかったら、それでも彼を好きになったのかしら)
そんな思いが過るが、すぐに打ち消す。たらればを考えればきりがない。だから、今の想いだけを正直に伝えた。
「安心して。私も、彼を愛してるから」
「私も、か」
ルナリスの答えを反芻すると、ティオは満足げに呟いた。どうやら、ひとりで勝手に納得してくれたようだ。
「ごめんよ、変なことを聞いて」
そう言い残すと、若いエルフは軽やかな足取りでグレイスの隣へと戻っていった。




