70話 赤竜の討伐地③
「助けていただき、ありがとうございます」
おかっぱ頭を揺らしながら、少年は小さく頭を下げて礼を述べた。彼の名はザヒール。砂漠のオアシスにある街からやって来たらしい。
「一人で、こんなところまで?」
大人でも苦労する僻地だ。リヒトが驚きを含めて尋ねると、ザヒールはバツが悪そうに肩をすくめ、少し目を逸らした。
ウォルフワーズとザルカードの間には、国境を守る関所がある。裂け目に架かる大きな橋を境に、対岸にはそれぞれの砦が建っている。その橋の中心を国境線としているが、下層に降りてしまえば、その線引きは曖昧だ。川も国境の目印となっているものの、枝分かれしたり地下に潜ったりと複雑に入り組んでいる。
さらに地形の難しさと魔物の生息域となっていることを考えれば、下層を通って越境する人間は、まずいないに等しい。
「通行手形は持っているんですけど、近道の洞窟があって……」
目の前に並ぶ戦士がウォルフワーズの騎士だと知るや、ザヒールは手形を差し出しながら、釈明するように言った。本来なら決して許されない行為だが、リヒトは少し考えた後、穏やかに言葉を零した。
「……今回だけだぞ」
「よろしいのですか?」
横で問うラセルに、リヒトは微かに頷く。
「もしかしたら、俺たちもその洞窟の世話になるかもしれないしな」
「まさか、よからぬことをお考えなのでは……」
深いため息をつくラセル。
この王子の行動力には、いつも驚かされる。婚約者であるルナリスも同じだ。
こうと決めたら、躊躇せず突き進む。強引なところもあるが、それが不思議と頼もしく感じられる。ラセルは夫のアイゼンから「生真面目すぎる」とよく言われていたが、この旅を通じて、自分も彼らの影響を受けていることを、密かに自覚していた。
一行の輪の中には、リヒトの冒険者仲間たちもいた。エルフの青年ティオ、元傭兵の女性グレイス、そして槍使いのイザベラことベルである。
リヒトはこれまで素性を隠していたが、もはや隠し通すのも難しいと判断し、自分がウォルフワーズ国の第三王子であることを打ち明けた。すると三人はわざとらしく目を見開き、驚いたそぶりを見せる。
しかし、間もなくクスクスと笑いだし、口をそろえて「知ってたよ」と答えた。
「なんで!?」
思わずリヒトは尋ねる。
「なんでもなにも、つめが甘いのよ」と、からかうような声でベルがすり寄る。
「ボクは王太子殿下の結婚式のときにね。パレードに参加していただろう、キミ」
エルフだから遠目が利くんだ、とティオが付け足す。「私は昔の職業柄、ちょっとね」とグレイスも微笑んだ。
「ちなみに、陛下もご存じですよ」
ラセルが淡々と告げると、リヒトはとうとう頭を抱えた。傍らに控えていた相棒の狼が、呆れたように鼻を鳴らす。
「あなたは自分が思っている以上に、民に好かれているのよ、王子様」
ベルが愛らしい笑みを浮かべると、その場の空気が和み、周囲も自然と笑い出す。
「まいったな……」
困惑した表情で、リヒトは頭をかいた。
そんな中、ルナリスはどこか取り残されたような気持ちになっていた。
侍女のサフィナは、オズに向かって小言を漏らしている。危険極まりない「楽しい妖精さん」に対する文句だ。
ふと、所在なさげにしている少年に目を移す。黒い瞳がルナリスと鉢合わせると、互いに少し戸惑ったような視線を交わした。
穏やかに談笑する輪の中で、ルナリスは意を決したように口を開く。
「そろそろいいかしら?」
そんなつもりはないのに、思わず喉が強張ってしまった。
その声に応じて、ティオがにこやかに言った。
「“お姉さん”も、お久しぶりだね~」
以前、リヒトに対し当てつけで答えた「姉」という言葉を、ティオは覚えていたらしい。端正な顔に浮かぶ笑みは、こちらをからかっているようにも見える。
「いや、違うんだ」
リヒトは彼らに向かって首を横に振ると、ルナリスの隣に歩み寄り、そっと手を握った。
「ルナリスは、俺の婚約者なんだ」
照れくさそうでありながら、はっきりと告げる声。大きな手の温もりに、ルナリスの心は少しずつ解けていく。
その様子を眺めていたグレイスは、ふとベルの横顔を盗み見た。ベルは微笑みながら、「へぇ、そうなんだ」と小さく呟く。鈍感なリヒトは気付いていないが、その響きの中に、ルナリスはどこか敵意めいたものを感じ取った。
「以前はお見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ございません。改めて、ルナリス・アイオライトと申します。私も、殿下のご友人である皆さまと、良い関係を築きたいですわ」
寸分の隙もない所作で挨拶を終えると、ルナリスは視線を僅かに下げた。目の先には、ザヒールが立っている。
「それよりも……」
ルナリスは小さな肩に手を置き、安心させるように声をかけた。
「今は、この子を安全なところへ連れていきましょう」
「そうだね。それに、血の匂いで他の魔物が集まってくるかもしれない」
リヒトの言葉に頷き、一行は安全な場所を求めて、川上へと歩き出した。




