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異世界転生したら、弟が婚約者になりました  作者: くなぎ八重
第二章 赤き竜とオアシスの街
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69話   赤竜の討伐地②


 ペンデュラムは、すぐに効果をあらわした。

 ルナリスの掌から下がる糸、その先端に括りつけられた黒い欠片が、かすかな震えと共にゆらりと揺れ、一定の方向を指し示している。風の流れに逆らうかのように、糸は執拗にその方角へと傾いた。

 導かれるままに、一行は裂け目の斜面へと足を踏み入れる。

 岩と岩の隙間を縫うような細い坂道を、ひたすら下へと降りていく。崖壁は陽光を反射して赤銅色に輝き、照り返しに額の汗が絶え間なく滲んだ。

 ときには獣の遠吠えがこだまし、ときには影から躍り出た魔物を返り討ちにしながら、警戒を緩めることなく歩みを進めた。


「……ゴブリンの生息域に入る前に、野営をしたほうがいいかと」

 

 先頭を進んでいたラセルが立ち止まり、振り返る。

 その提案を受け、この日はまだ陽が残るうちに天幕を張った。

 昼間は容赦なく照りつけていた太陽も、沈みゆくと共に大地の熱を奪い、気温は思いのほか涼しくなる。湿り気を含まない乾いた風が、火照った身体に心地良い。

 篝火の周りに座り、塩気のきいた干し肉を噛み、粗野なパンを口に運ぶ。夜空は驚くほど澄み、瞬く星々は手を伸ばせば掬えるほどの近さに思えた。一行は交代で見張りを立てながら、長い夜を過ごした。

 そして翌日。

 いよいよ裂け目の下層へと足を踏み入れたルナリスたちは、目の前に広がる光景に息を呑んだ。

 赤褐色の大地を縫うように、西の山脈から続く川が流れ込み、その両岸には奇妙な形をした植物が群生している。先端が瓶のように膨らんだ草、鋭い棘を幾重にも重ねた低木、空へ向かって伸びる肉厚の茎。どれも見慣れぬ姿ばかりだ。

 乾いた荒地の上層から一変した、豊かな自然形態に、思わず感嘆の息が漏れる。

 

「……こんな場所があるなんて」

「上から見ただけじゃ分からなかったな。まるで別世界だ」


 未知の世界の入り口に立ったルナリスたちに、期待と不安が同時に広がっていく。

 意外なことに、誰よりも胸を躍らせているのはオズだった。

 彼は忙しなく周囲を見渡し、目を輝かせながら声をあげる。


「これは……珪化木……! あっちには灼熱アロエに、赤岩キノコまで……! こ、ここは素材の宝庫だ!」


 普段の彼からは想像できないほどの興奮ぶりに、隣のサフィナは呆れ顔でため息をついた。

 

「……オズさん、落ち着いてください」

「荷物を増やせないから、素材は採れないぞ」

 

 マシューが釘を刺すように言うと、オズはぶんぶんと首を振った。


「わ、分かってます! 触るだけ……いや、見るだけでも!」


 息を荒くする彼に、リヒトは苦笑しながら声をかける。

 

「はぐれるなよ」


 グランメル領からずっと、何かと世話になった恩義もあり、本当ならオズのために時間を割いてやりたいところだ。だが、生憎とそんな余裕はない。

 あとで冒険者ギルドにでも掛け合い、採取の依頼を出してやろう。リヒトはそう心に留めながら、歩みを進める。

 やがて、ルナリスの手から下がるペンデュラムの揺れが次第に弱まり、とうとうぴくりとも動かなくなった。


「やっぱり、即席じゃだめですね……」

「いや、ある程度の方角は分かったんだ。十分さ」

 

 リヒトが穏やかに答えると、オズは肩を落としながらも、ほっとしたように小さく頷いた。

 探索の目印は途絶えたが、彼らの足取りに迷いはなかった。


 川を遡るように進んでいた一行の前で、突如ラセルが足を止めた。

 続いてリヒトが鋭く視線を巡らせる。多数の足音、金属の擦れる不穏な響きが、確かに近付いてきていた。

 次の瞬間、茂みが大きく揺れ、一人の少年が飛び出してくる。


「子供!?」

「いえ、それだけではないようです……!」


 すぐに、少年の後を追うように、がさついた緑の肌をした小鬼――ゴブリンの群れが姿を現した。


「お二人は下がって!」

 

 アイゼンとマシューが前に出て、戦えないルナリスとサフィナ、そして少年を庇うように後退させる。

 オズも慌てて護身用の魔道具を構えた。彼の手から飛び出したのは、以前サフィナが誤作動させた、あの「たのしい妖精さん」。だが今や羽は刃のように鋭く変じ、回転しながらゴブリンたちへと飛びかかっていった。立ち昇る血煙の中を舞う姿は、もはや悪魔にしか見えない。


「ひ、ひえぇっ!」

 

 サフィナが悲鳴をあげる。

 

「な、ななな、なんてものを私に持たせたんですかぁ!?」

「サフィナ、よそ見しちゃダメ!」

 

 ルナリスは侍女の手をしっかり握り、必死に駆ける。すると、視界の端を黒い影が横切った。

 颯爽と現れたのは、リヒトの相棒である、黒狼のゼファーだった。鋭い眼光を光らせ、まるで自らの体でルナリスたちを守るかのように、並走してくる。


「ゼファー! 彼女たちを守ってくれ!」


 その声に応え、ゼファーは慎重な足取りでルナリスとサフィナの前を先導する。神出鬼没の狼は、ずっとリヒトのあとを付いてきていたが、しばらくぶりに姿を現すと頼もしい存在感を示した。

 一方、リヒトたちは剣を抜き、群がるゴブリンを斬り伏せていた。次々と地面に転がる小鬼の死体。だが数が多く、じりじりと包囲されていく。


「リヒト!」

 

 ルナリスが叫んだ、その時――。

 川の上方から、矢と短剣が次々と飛来した。鋭い軌跡を描きながらゴブリンの胸を、喉を、正確に貫いていく。思わぬ加勢に狼狽した群れは、次第に数を減らし、やがて慌てて森の奥へと退散していった。

 戦いが終わり、周囲には静寂が戻った。荒い息遣いが収まり、耳に届くのは川のせせらぎばかり。

 赤黒く濁った水の中で、倒れたゴブリンの亡骸だけが流れに晒され、時折、枝葉がそれに絡みついては流されていく。

 リヒトは剣を鞘に収め、川沿いの小高い崖を見上げる。

 そこには数名の冒険者たちの姿があった。気さくに手を振ってくる彼らを見て、ルナリスも思い出す。リヒトがかつて行動を共にしていた冒険者仲間たちだ。

 その中には、リヒトへ特別な想いを抱いているであろう少女の姿もある。

 胸の奥が少しざわついた。だが、ルナリスは小さく息を吐いて気を取り直す。

 今は目の前の少年が先だ。

 

「あなた、大丈夫? 怪我はしていない?」

 

 ルナリスは膝をつき、震える少年に声をかける。

 黒髪を首のあたりで切り揃え、褐色の肌に南方の民族衣装を身に纏っている。まだ幼さを残す顔立ち。年のころは十二、三ほどだろうか。

 少年は恐怖と安堵が綯い交ぜになったかのような表情を浮かべ呆然としていたが、ようやく小さく首を縦に振った。

 その様子を見て、ルナリスはほっと息を吐く。

 ひとまず、危機は去った。

 リヒトのもとへ駆け寄ろうとしたが、すでに彼の周囲は、崖から軽やかに下りてきた冒険者仲間たちに取り囲まれていた。

 その光景を見つめながら、ルナリスは言葉を飲み込む。


「……さ、行きましょう」

 

 そう言って、彼女は少年の背を軽く押した。




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