66話 手がかりを求めて②
予定されていたすべての視察を終えた夜、ルナリスとリヒトはエレナを訪ねた。
グランメル領での出来事――炎蹄馬についてや、瘴気による畑の被害を打ち明けるためだ。
エレナは驚きの表情を見せたものの、話を聞き終えると合点がいったかのように頷いた。そして、エルトノア領でも同様に、いくつかの畑が瘴気によって穢されていることを語る。
「申し訳ありません。この地の問題に、お二人を煩わせたくなくて……」
黙っていたことを詫びるエレナだが、ルナリスたちは咎めることはなかった。基本的に、領地の問題はそこを統治する者に委ねられる。エレナは解決のため手を尽くしているそうで、今はその報告を待っているとのことだった。
それに、これで炎蹄馬の足取りを掴む手がかりが得られた。やはりあの魔獣は、南よりやってきたのだ。
「手がかりになるかは分かりませんが……“さすらいの冒険者”という物語に、似たような記述があります」
その言葉に、ルナリスも頷いた。同じことを、ライラから聞かされていたから。
一方、リヒトは少し苦い表情を浮かべている。父王の冒険譚だと知っているが、彼をモデルにした箇所がどうにも鼻につくらしい。
幼い頃は、主人公が見せる大人の余裕に憧れたものだった。しかし今では、脚色の過剰さが気になって仕方ない。歯の浮くようなセリフを恥ずかしげもなく言う場面など、もうまともに読めそうもない。
それから、とエレナは続けた。
「ここよりさらに南にある“赤の部族”には、祈祷師と呼ばれる者がいたそうです。ただ、昔の記録に残っているだけで、今でも存在しているかは定かではありません。彼らがなにを行っていたのかも、伝えられていないのです……」
「赤の部族……ということは、ザルカード王国の領内か」
リヒトはさらに難しい表情を浮かべる。赤の部族は、南の境界で接する隣国、熱砂の国ザルカードに存在する。
祈祷師という存在は、確かに気にかかる。しかし、王族が無許可に越境することは許されない。
リヒトは考えを巡らせた。
「さすらいの冒険者」に描かれた古竜の屠られた地であれば、エルトノア領内である。ならば、まずはそこを目指してみるのもよいだろうと提案した。
「そうね……今は、手掛かりがそこしかないわけだし」
「それじゃあ、少数精鋭の調査隊を組もうか。結局、いつもの面子になりそうだけど……」
「構わないわ。みんな、頼りになる方たちだもの」
「私も、なにかお手伝いできれば良かったのですが――」
エレナは同行できないことを詫びる。執務の他、収穫祭の準備も進めなければならないのだ。
こちらとしても、忙しい領主の手をこれ以上借りるわけにはいかない。「気になさらないで」と伝えると、エレナは小さく頭を下げた。
領主邸からの帰路、ルナリスとリヒトは幌だけが張られた小型の馬車に揺られていた。
夜風に髪を靡かせながら、乾いた土の匂いが鼻をかすかにくすぐる。
馬車の中は静寂に包まれ、言葉はほとんどなかった。リヒトは隣に座るルナリスを、ちらりと盗み見る。胸の奥がざわついているのを自覚しながら。
このところ、彼女を見るとどうにも落ち着かなくなるのだ。
昼の太陽の下ならまだしも、夜の静けさのなかで二人きりになると、オルドールの宿屋での出来事が頭をよぎる。白い肌の柔らかさ、彼女の香り、触れた感触。それらが、まだ肌の奥で燻っている。
せっかく想いが通じ合えたというのに――いや、通じ合えたからこそ、彼女の存在を以前より強く意識してしまう。
ルナリスの美しさは誰もが認めるところだが、リヒトはそれ以上に、彼女の存在そのものに圧倒されていた。前世の記憶や自分の心の整理で意識を奪われていた以前とは違い、今は純粋に、目の前のルナリスのすべてが気になって仕方がない。
長い睫毛に縁取られた大きな瞳、アイオライトの光を宿す瞳。高く通った鼻筋。赤く色づく唇の柔らかさは、知ってしまった今、リヒトの理性を揺さぶる。何度、それを奪いたいと思ったことか。
浅ましい考えを知られてはならないと自制する一方で、彼女もそれを望んでいるのではないかという予感が、静かに芽生えていた。
無意識に視線が交わる瞬間、ルナリスの瞳が切なげに揺れ、心の奥底まで届くような熱を感じることがある。
まさに、今のように――。
「――リヒト」
気が付けば、ルナリスもこちらを見つめ返していた。名前を呼ばれて思わず微笑むと、彼女は甘えるようにすり寄ってくる。
ふと、またあの欠片に操られているのではないか、という考えがよぎる。だがルナリスの瞳からは、あの時のような妖しさは感じられない。あるいは、自分が異変に鈍感なだけなのだろうか。
再び目があって、リヒトの息が止まる。言葉はなくとも、熱を帯びた視線が、求めるものを雄弁に語っていた。
細い肩を抱き寄せ、そっと距離を詰める。
そして、吐息が触れそうになったその瞬間、馬車は動きを止めた。別荘に到着したのだ。
「ごほん……!」
御者の咳払いで、二人はようやく我に返る。
慌てて戻した視線の先では、出迎えに現れたサフィナが頬を染め、目を輝かせて立っていた。




