65話 手がかりを求めて①
エルドラでの初めての夜は、領主邸に招かれ、盛大な晩餐でもてなされた。
白亜の石造りの館は、柔らかな女性の感性を映す家具に彩られ、廊下の至るところには花や絵画が飾られている。客人の目を楽しませようという心遣いが、隅々にまで行き届いていた。
しかし、ルナリスを何より驚かせたのは、食卓に並んだ料理の数々であった。
今までの旅でも各地で心尽くしの歓迎を受けてきた。比べてはならない、と自戒しながらも、目前に広がる光景には息を呑まずにいられない。
サラダには赤々としたトマトだけでなく、黄金に実った珍しい品種までが盛り込まれ、宝石のように皿を照らす。スープには大ぶりの具材がごろごろと沈み、ひと口で満ち足りてしまいそうなほどの滋味を漂わせていた。
香ばしい麦の香りを立ち上らせるのは、焼きたてのパン。それも、目移りしそうなほどの種類が並んでいる。サフィナが見たら歓声を上げるに違いない、とルナリスは心の中で微笑んだ。
そして運ばれてきたのは、脂のよく乗った羊肉のロースト。滴る肉汁に食欲をそそられるばかりか、皿を縁取る付け合わせには、これまでの旅路では目にしたことのない鮮やかな野菜の数々。
(さすが、豊穣の地ね)
舌鼓を打ちながら、ルナリスは素直な感嘆を覚えていた。
丸一日の休息を挟んだ翌日。
ルナリスとリヒトの姿は、黄金色の小麦畑にあった。ちょうど刈り取りの最盛期で、陽光を浴びた穂がざわめくたび、金の波が大地を走るように揺れ動く。鎌を手にした農夫たちが額に汗を浮かべながら黙々と働く姿は、この国の豊かさそのものを映していた。
畑のあちこちでは、農夫の妻や子どもたちも手を動かしている。背丈ほどの束を抱えて小走りする少年、落ちこぼれた穂を拾い集める少女。幼子でさえ、母の腰布につかまりながら笑い声を上げ、家族総出の収穫の賑わいが広がっていた。
荷車には山と積まれた小麦の束が次々と載せられ、車輪の軋む音と共に街の方へと運ばれていく。汗を拭った男が「今日も豊作だ」と笑う声に、周囲の仲間たちも笑い声で応じた。その明るさに触れ、ルナリスは思わず頬を緩める。
案内役のエレナは、胸を張るように畑を示した。
「この地の誇りを、ぜひ目に焼き付けていただきたいのです」
ルナリスはしゃがみ込み、刈り取りを終えた一角の土をすくってみた。掌に載せた土はしっとりと黒く、細かな粒が指の間からこぼれ落ちる。
「……驚くほど肥えているのね」
思わず零した声に、傍らで働いていた農夫の一人が笑みを返した。
「刈り取りが済んだ後は、畑を休ませつつ豆を植えるんです。豆は土を養いますからな」
「次の実りを考えているのですね」
「ええ。先祖からの知恵でして。小麦ばかりを植え続ければ、いくら豊かな土地でも痩せてしまいます」
素朴な言葉に、ルナリスは深く頷いた。
――ノクティリカでも同じようにできれば。
だが、すぐに思い直す。
あの祖国の地形と気候では、豊穣をこの目にすることは望めない。代わりにノクティリカには、鉱脈から生まれる宝石という「輝く実り」がある。宝石は確かに美しく、価値あるものだ。だが、こうして大地いっぱいに広がる実りを目にしてしまうと、その輝きがどこか虚しくも思えてしまう。
それでも、ノクティリカは宝石があるからこそ他国と渡り合い、その財をもって民を養っているのもまた事実。
どちらが優れていると単純に言えるものではない。けれど、今この瞬間だけは、風に揺れる黄金の波に圧倒され、言葉を失っていた。
そんな彼女の横で、エレナは変わらぬ落ち着きで言った。
「ウォルフワーズでは、自然の実りがあまりに当たり前すぎて……農法に目を向ける者は少ないのです」
それを聞いたリヒトは「耳が痛いな」と苦笑する。
けれどエレナは怯まず、真っすぐに言い切った。
「次の“三侯三部会議”では、農業予算の増額を提案しますからね」
三侯三部会議。その名の通り、三諸侯と三部族の代表が、王家と共に国の行く末を議する場。
ルナリスがこれまで訪ねたベルク族、グランメル家やエルトノア家の他に、北東のフェンライク家、中央高地のシリル族、そして東部のタウネ族。彼らの声が揃い、国を動かすのだ。
ウォルフワーズは王を頂点とする王政国家でありながら、地方の声を取り入れる合議制の側面も持つ。その実感を、ルナリスは目の前の大地と人々の働きから強く感じ取っていた。
一行は、小麦粉を挽くための麦挽き小屋へ向かうことになった。
移動手段に選ばれたのは、街と畑を結ぶ運河を行き来する渡し船だ。刈り取られた小麦を荷車ごと運ぶために作られた幅広の船で、ゆったりとした流れに任せて進む。
木の板張りの船底に腰を下ろし、ルナリスは水面を覗き込んだ。黄金色の畑を吹き抜けた風が、今は水面に涼やかな波紋を描いている。両岸には、船を見送る子どもたちの笑い声が遠くに響いていた。
ふと、隣に座るリヒトが覗き込むように視線を寄せる。
「なにか考え込んでる?」
ルナリスは少し迷った末、小さく息をついた。
「……さっきの畑を見て、どうしても祖国のことを考えてしまって」
リヒトは黙って耳を傾ける。
「ノクティリカでは、ああした実りは望めないわ。地形も気候も、あまりに違いすぎる」
「俺は話に聞いた事しかないけど……ノクティリカって、本当に作物が育たない土地なんだな」
「岩山に築かれた国だもの。そもそも、土自体が少ないのよ。あっても、岩石が混じっている痩せた土だしね」
二人の会話を聞いていたエレナも、そっと口を開いた。
「でも、まったく平地がない、というわけではないのでしょう?」
「あることにはあるけれど、岩山を越えた先の、ほんの僅かな土地よ。作物を育ててはいるけれど、やっぱり土が枯れていて、うまくいってないようだけれど……」
「土、ですか……」エレナは腕を組み、真剣な面持ちになる。
「腐葉土や堆肥をまいたりなどは? ほかにも、土壌改良になる植物を植えたり――」
他国のことにもかかわらず、真摯に改善策を考えてくれる姿に、ルナリスの胸がじんわりと温まった。
彼女は頷きながら、膝の上に置いた携帯用のペンを走らせ、エレナの言葉を記していく。
「土地の改良は一朝一夕ではいきません。私の知識がお役に立てるのなら嬉しいですが……」
エレナが小さく肩をすくめたとき、ルナリスは穏やかな笑みを浮かべて首を振った。
「とても勉強になるわ。……ありがとう、エレナさん」
渡し船はゆるやかな流れに乗り、やがて街の外れに近い一角へと辿り着いた。
そこには巨大な水車が据えられ、轟々と水をはね散らしながら力強く回っている。陽を受けてきらめく水しぶきは虹を散らし、近づくだけで肌に細かな飛沫がかかった。
「これが……」
ルナリスは思わず声を漏らす。水の流れをそのまま力に変えるという仕組みは、ノクティリカではまず目にできぬものだった。
水車を備えた粉挽き小屋は、水路に沿って何軒も立ち並んでいた。小屋といっても、粗末なものではない。石造りのがっしりとした作りで、平民区にある民家よりも大きいように見える。
中に入ると、回転する歯車や軸の音が響き渡り、床板まで微かに揺れている。大きな石臼が規則正しく回転し、籠に入れられた小麦の粒がゆっくりと流し込まれていく。その瞬間、石の隙間から白い粉がふわりと舞い上がった。
「すごい量の小麦粉……それに香りも、ノクティリカのものとは比べ物にならないくらい豊か」
エレナに促されて、ルナリスは粉を手のひらに受け取った。さらさらとした手触りと、かすかに甘い穀物の香りが広がる。鼻先をくすぐる柔らかさに、思わずくしゃみが漏れてリヒトを苦笑させた。
「街の人々は、この粉で日々の糧を得ているんです」
エレナが誇らしげに語る。
「粉を挽く工程がなければ、せっかくの実りも活かせません。ですから、この小屋は収穫期になると昼夜を問わず稼働しているんですよ」
窓辺には、粉を詰めた麻袋がいくつも積まれている。袋に刻まれた印は、どの農家から運ばれたものかを示す目印だ。荷を担ぐ若者たちの動きはきびきびとしており、次々と荷車に積み込んでは街の市場へと運んでいく。
「ここまで来て初めて、実りが糧になるのを実感しますね」
ルナリスの呟きに、リヒトもうなずいた。
「収穫の喜びと、食卓を支える力……か。それが多くの人の手によって齎されていることを、俺たちはもっと感謝しないとな」
「そう言って頂けて、光栄です」
粉の香りに包まれながら、ルナリスは改めて胸の奥に刻む。
自国ノクティリカにはない、この大地ならではの豊かさを。




