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異世界転生したら、弟が婚約者になりました  作者: くなぎ八重
第二章 赤き竜とオアシスの街
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63話   不穏な気配②


 翌朝。

 雲ひとつない青空の下、オルドールの大通りにはもう活気が満ちていた。

 荷車を引く農夫、背に籠を負った行商人、道端では焼きたてのパンが早くも並び、香ばしい匂いが風に乗って漂ってくる。屋台の前には朝一番の客が集まり、値切り交渉の声が飛び交っていた。

 宿の客室を出たリヒトは、軽く伸びをしながら食堂へと向かう。

 ほとんど眠れなかった。まぶたは重いはずなのに、心は妙に冴えてしまっている。昨夜のことが頭を離れず、ルナリスの姿がちらついては胸をざわつかせる。休息日がもう一日残っているのは、せめてもの救いだった。

 食堂に入ると、すでにサフィナが厨房に立っていた。宿の主人に代わって、器用に皿を並べ、湯気の立つスープをよそう姿は手際よく、見ているこちらまで感心させられる。主人も「助かります」と何度も頭を下げていた。

 だが、肝心のルナリスの姿がない。

 時間になっても現れず、結局、食卓に着いているのはサフィナとリヒト、そして数人の護衛だけだった。

 

(寝過ごしただけなら、いいんだけど……)


 昨夜の出来事が頭をよぎり、胸騒ぎを覚えたリヒトは席を立った。

 廊下を進み、ルナリスの部屋の前に立つ。

 扉を軽く叩いて呼びかけた。


「ルナリス? 朝だよ。もうみんな――」


 返事はない。

 訝しく思い、再び強めにノックする。だがやはり反応は返ってこない。


(まさか、本当に何かあったのか?)


 胸の鼓動が早鐘を打つ。

 躊躇した末に扉を押し開けると、室内の椅子に腰かけたルナリスの姿が目に入った。

 彼女は俯いたまま、なにやらぶつぶつと呟いている。

 うわごとのような掠れた声。昨夜から感じていたことだが、やはり様子がおかしい。


「あの、ルナリス……?」


 呼びかけると、彼女はびくりと肩を震わせ、弾かれたように顔を上げた。

 目をきょとんと瞬かせ、一瞬後、彼女の頬が見る見るうちに朱に染まっていく。


「っ……!」


 リヒトもぎくりとし、思わず視線を逸らした。

 そのとき、ふとテーブルの上に置かれたものが目に入る。

 白いハンカチに包まれた、黒い石の欠片。

 グランメル領の水源付近で見つけた時から、ルナリスがずっと持っているものだった。

 そして彼女は、つい先ほどまでそれに向き合い、独り言を漏らしていたのだ。


「その欠片、やっぱり良くないものなんじゃ……?」


 リヒトが険しい声を落とすと、ルナリスも顔を伏せ、唇を噛んだ。


「……ごめん。そうかもしれない」


 卓上の欠片は、まるで応えるかのように淡く妖しい光を放っている。

 二人はそれを凝視しながら、背筋に冷たいものを感じた。

 ――もし昨夜の出来事が、この石による影響だったのなら。

 炎蹄馬が暴れた時のように、精神に作用し、意志を揺らがせるような力を持っているのだとしたら。

 同じことがまた起こるかもしれない。誰かを巻き込んだり、傷付けてしまうことだって考えられる。

 昨夜の一件があれだけで済んだのは、リヒトが必死に自制したからに過ぎない。

 もし我慢という糸が切れたら、あのまま一線を越えてしまってもおかしくなかった。

 ノクティリカではどうだか知らないが、少なくともウォルフワーズの王族や貴族にとって、婚前の交わりは控えるべきとされている。

 それ以前に、意識の曖昧な彼女を抱くような真似は、絶対にしたくなかった。

 二人は食堂へ戻り、朝食の席につきながら小声で今後について話し合った。

 どうするべきか。

 黒い欠片の正体はわからない。けれど、このまま放っておけば危険なのは間違いなかった。

 沈黙を破ったのは、サフィナだった。

 事情を把握しきれないながらも、困り果てた二人の様子に、助け船を出したのだ。

 

「あのぉ……なにかお困りなら、オズさんからいただいた魔道具を見てみましょうか? 役に立つものがあるかもしれませんよ」


 その言葉に、ルナリスとリヒトは同時に顔を上げる。


「それだ!」


 迷いのない声が重なった。


 テーブルに並べられた包みの中には、オズから託された魔道具がいくつも収められていた。

 「姿隠しの天幕」や「お知らせ君」など、一見すると役に立ちそうなものもある。

 しかしその一方で、「毒沼生成水」や「イタズラ羽ペン」といった、どう使えばいいのか首をひねるものまで混じっていた。


「……ないわね」

「……ないね」


 ルナリスとリヒトが顔を見合わせ、同時にがっくりと項垂れる。

 そのとき、

 

「えっと……これ、なんでしょう?」


 と首をかしげたサフィナが、細工を施された木製の人形を無造作につまみ上げた。

 カチリ。指先が小さな突起に触れた途端、人形の目が妖しく光り、薄気味悪い羽を生やして宙を舞い始める。


「きゃっ!? な、なんですかこれ!」


 人形は「たのしい妖精さん」という札をぶら下げながら、部屋中をけたたましく飛び回った。

 宿の壁や家具にぶつかりながら高笑いするその姿は、愉快というより悪夢めいている。


「いや~っ! 動きが気持ち悪いです!」


 叫びながら必死に手を伸ばし、椅子によじ登り、やっとのことで羽根人形を押さえ込んだサフィナは、ぐったりと膝に抱きながら小さく呟く。


「……なんでこんなものを作ろうと思ったんでしょう、あのひと」


 呆れ顔で見守る二人。

 ルナリスは額に手を当て、溜め息をひとつ。


「呪いとか、そういうものを抑える魔道具はないのかしら」


 ぽつりと漏らした言葉に、サフィナが飛び上がった。


「の、呪いって……! ルナリス様、呪いをもらったんですか!?」


 慌てる彼女に、ルナリスは例の黒い欠片を見せる。

 昨夜から続く異変の原因――そう説明はするが、もちろんリヒトに迫った件は伏せておいた。


「そんなものを持ち歩くからですよぉ……」

「ほら、言われた」


 リヒトが笑うと、ルナリスは子供のように頬をふくらませて視線を逸らした。

 やがてサフィナが真面目な顔に戻り、提案する。


「それなら……オズさんをこちらに連れてきてしまえばいいのでは?」

「えっ……」

 

 ルナリスは一瞬ためらった。

 グランメルでは散々振り回してしまった。ほとんどはライラによってとはいえ、これ以上負担をかけていいものか――。

 だが、リヒトは迷わず頷いた。


「そうしよう。どのみち、頼れそうな者が他にいないし」


 その一言に背を押され、ルナリスも決心する。

 オズへの早馬は、アイゼンに任された。他にも、数人の騎士が付き添う。何事も無ければ三、四日の内にグランフィルドへ着くだろう。


「本隊は予定通り、明日にはこの街を発つ。合流するのは道中か、領都のエルドラになるだろう」

「承知いたしました」

「みんな、気を付けてね」

  

 街の入口で彼を見送る傍ら、リヒトは指笛を吹く。

 耳に馴染んだ鋭い音に応え、黒狼ゼファーが颯爽と姿を現した。

 大きな身体をしなやかに揺らし、黄金の瞳でリヒトを見上げる。


「アイゼンを守ってやってくれ」


 その言葉に、ゼファーは低く鳴いて応える。

 次の瞬間、地を蹴るように駆け出し、馬に跨ったアイゼンの後を風のように追っていった。




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