61話 想いの在処、絆の形⑤
再編された使節団に、いよいよ出発の日がやってきた。
領主邸の庭では、護衛たちが物資を荷馬車へ積み込み、点呼をとる声が飛び交っている。鎧の金具が触れ合う音や馬のいななきが、慌ただしい朝を彩っていた。
そんなざわめきの中で、ルナリスは背後から声をかけられた。
「ルナリスちゃん。出発前に悪いんだけど、ちょっとだけ、時間をくれる?」
振り向けば、軽やかな足取りで近づいてくるライラの姿があった。彼女の視線は、ルナリスの首元に下がるアイオライトのペンダントに注がれている。
「やっぱり……」
小さく呟くと、ライラは思案顔のままルナリスの腕をとり、そのまま屋敷の中へと連れて行った。
彼女は、出会った時と同じ軽装鎧に身を包んでいた。正装のドレス姿も美しかったが、軽やかな鎧姿のほうが、伸びやかな魅力をさらに引き出している気がする。
どうやら、使節団の出発に合わせて、彼女も王都へ帰るらしい。
「そろそろ戻らないと、陛下やリアネが寂しがるからね」
そう言って笑う彼女の声は、風のように軽やかだ。
ラセルから聞いた話によると、この自由な女性は普段からふらりと出歩き、数日後には土産を手に戻ってくるのだという。その土産は決まって王妃リアネへと捧げられ、同じ夫を持ちながら、まるで姉妹のような関係を築いているらしい。
(放浪癖は息子に受け継がれたのね)
ルナリスはリヒトの横顔を思い浮かべ、ふと笑みをこぼした。
ライラが案内したのは、屋敷のとある一室だった。
そこは、すでに亡き彼女の母――ティルマが暮らしていた部屋。重厚な家具の奥、壁に飾られた一枚の絵画の前で、ライラは足を止める。
「見せたいものがあるの」
精巧な木彫りが施された額縁に収められたのは、ふたりの若い女性の肖像画。柔らかに描かれた表情のうち、片方には見覚えがある気がする。
そしてなにより、彼女たちの首元にかかるペンダントに、ルナリスは目を奪われた。
それは、彼女がいま胸に下げているものと、よく似たアイオライトの輝きだった。
「私の母と、その友人を描いたものよ」
ライラが静かに言葉を添える。
「隣にいる女性の名前は分からない。でも母は、ノクティリカにいる友人だと話していたわ」
ルナリスははっとした。
既視感の正体に気付いたのだ。
――ステラ。
きっと自分の祖母のことだ。
母から贈られたこのペンダントも、もとは祖母のものだと聞いている。
そのことを口にすると、ライラは驚き、やがてゆっくりと頷いた。
「祖母は、このペンダントを“友情の証”だと言っていたわ。友とお揃いで作ったものだって」
ライラは懐かしむように微笑む。
「そっか……あなたが、この方のペンダントを受け継いだのね。そして祖母のものは、リヒトに。……なんだか、すごい運命的じゃない?」
リヒトが、前世の“理沙”に贈ってくれたペンダント。
それが、ただの装飾品ではなく、家族の絆と友情の証から受け継がれたものだなんて――。
「理沙に」贈られたという事実は、やはり複雑だ。
けれどそれ以上に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「あのね……リヒトに結婚の話が持ち上がった時、その候補のひとりとしてあなたを推薦したのが、母なの」
「……え?」
告げられた事実に、ルナリスは目を見開いた。
婚約破棄という過去を持ちながら、なぜ自分が隣国の王子の相手に選ばれたのか、ずっと不思議に思っていた。まさか、そんな理由があったなんて。
「母は、そのあとすぐに亡くなってしまったけれど……きっと、あなたに会ったら、とても喜んだと思うわ」
懐かしむようなライラの横顔はとても穏やかで、しかし、どこか寂しげにも見えた。
「……私も、お会いしてみたかったです」
自然に湧き上がった言葉をそっと返すと、ライラは翡翠色の瞳を優しく細め、小さく頷いた。
もしかすると、本当にこのペンダントが、時代や世界を越えて、自分とリヒトを繋いでくれたのかもしれない。
絵画を見つめながら、ルナリスはふと、そんな想いに包まれていた。
太陽の光が領主邸の壁を照らし、使節団一行の旅立ちを祝福するように輝いていた。夏の乾いた風が、風見鶏ならぬ風見馬をくるくると回らせ、グランメルの旗を靡かせる。
門前にはカイルをはじめとする領主家の人々が並び、一行を見送っている。
リヒトはというと、馬の手綱を握る前に母ライラに腕を掴まれ、しっかりとお小言を賜っていた。
「いいこと? あんまり無茶ばかりして、大切な女の子を悲しませちゃだめよ」
母の真剣な眼差しに、さすがのリヒトも苦笑を浮かべ、視線を逸らす。
「わかってるよ、母さん……」
その横で、ルナリスが小さく噴き出したのを、彼は聞き逃さなかった。
一方、侍女のサフィナは、館の前で大きな包みを手渡されていた。差し出したのは、魔術師のオズである。
「これ、ぼくの発明品なんだ。旅の役に立つと思って……。灯りにも、火起こしにも、それから護身にもね」
勢い込む彼に、サフィナは困ったように眉を下げた。包みの重さにたじろぎながらも、丁寧に頭を下げる。
「……ありがとうございます。でも、こんな大量に――」
「そ、それから……」サフィナが言い切る前に、オズは言葉を重ねる。
「この旅が終わったら……ぼ、ぼくの助手にならないか?」
あまりに唐突な申し出に、サフィナは目を丸くする。
沈黙は心の揺れを表しているようにも見えて、ルナリスは胸がわずかに疼いた。
サフィナには、サフィナの未来がある。いつかはこの手を離れ、別の道を選ぶ時が来るのだろうか、と。
少し寂しさを覚えつつも、ルナリスは成り行きを見守る。
だが、
「申し訳ありません。私は、ずっとルナリス様にお仕えしたいのです」
そう言って、サフィナは毅然と首を振った。
きっぱりとした答えに、オズはがっくりと肩を落とす。その拍子に、片眼鏡がさらにずれて、今にも落ちそうになっていた。
ルナリスは、最後に領主カイルの前へと進み出て、深く一礼した。
「色々と、ご助力いただきありがとうございました」
今日までに交わされた数々の協議が、彼女の胸に重く、そして確かに積み重なっている。候補に挙がった水源は、後日、正式な調査の場で検討されるはずだ。
課題はまだ山積みではある。それでも、第一の目的であった水源確保の目処が立ち、ルナリスは胸を撫でおろしていた。
カイルは口元に愉快そうな笑みを浮かべる。
「次に会うのは協議の席か……それとも、結婚式が先になるかな?」
不意のからかいに、ルナリスは顔を赤くし、リヒトもむっとしたように口を噤む。見送る人々の間から、穏やかな笑いが広がった。
やがて、出発の号令が響いた。馬上の一行は手を振り、見送る人々の声を背に受けながら、ゆるやかに歩み出す。
ルナリスは馬車には乗らず、自ら馬に跨っていた。
サフィナやラセルには渋い顔をされたが、せめてグランメル領を抜けるまではと我儘を通したのだ。
美しく、そして数多の思い出を刻んだこの大地を、もう一度駆け抜けたかったから。
旅は新たな地――南部エルトノア領へ。
胸の奥で、期待と緊張がないまぜになった鼓動が高鳴る。ルナリスは馬のたてがみに指を添え、吹き抜ける風の心地良さに目をつむった。




