60話 想いの在処、絆の形④
静けさが部屋を満たしていた。
先ほどまでの言葉の余韻が、まだ胸の奥にあたたかく残っている。
やがて、ルナリスが小さく身じろぎし、すすり上げる音を洩らした。
回していた腕をほどくと、リヒトがそっと手を伸ばし、彼女の涙を指先で拭う。そのまま頬へ添えられたぬくもりに、ルナリスはまっすぐな視線を返した。
触れ合う吐息。自然に近づいていく唇。
「……そういえば」
――けれど、寸前で。
ルナリスはふと気づいたように、リヒトの口元を手で押しとどめた。
「ん?」
「この世界で初めて会った時、どうしてすぐ、私が理沙の生まれ変わりだって気付いたの?」
問いかけに、リヒトは目を瞬かせ、長い溜め息をもらしながら項垂れた。
「……多分、スキルの力かな」
「“行きて還りし者”の?」
「うん。確証はないけど」
リヒトの視線は遠い記憶を追うように揺れていた。
あの賑やかな迎賓市での出会い、ルナリスが初めて呼びかけてくれた瞬間。
何かに導かれるようにして、彼は真実を知った。そしてそれ以来、スキルの力は感じられないらしい。
「スキル……」
ルナリスは、その言葉に引っかかりを覚える。
自分にも、人にはない力がある。
「スキルかどうかは分からないけれど、私にも、変わった力があるの」
打ち明けた彼女の言葉に、リヒトが身を乗り出す。
それは、石の声を聞き取る力。
幼い頃からずっと、彼女だけに聞こえる謎めいた歌声。宝石の在り処を示し、ときにその質までも教えてくれる旋律。
ルナリスは幼少の記憶を辿る。
「どうして、宝石のお歌がみんなには聞こえないの?」と母に尋ねたことがあった。
母は驚き、けれどすぐに「それを他の人に言ってはだめよ」と優しく諫めた。以来、その力は胸の奥に秘めてきた。
「もしかしたら……これも、スキルなのかしら」
呟きに、リヒトは頷く。
「じゃあ、今度鑑定してもらおうか」
「そんなこと、できるの?」
「冒険者ギルドには、“スキル鑑定士”がいるんだ。ただ、数が少なくて……いつでも会えるわけじゃないけど」
思いがけない提案。しかし、ルナリスは頷くことをしなかった。
今は、使節団の旅を遅らせるわけにはいかない。
「……機会があったら、お願いするわ」
その時。
コン、コンと、遠慮がちに扉が叩かれた。
「そろそろ宴が終わります。どうか、お姿を……」
ふたりを呼びに来た侍従の声が響く。
主賓であるカイルと共に、ふたりもまた招待客を見送る役目を果たさねばならなかった。
ルナリスは立ち上がり扉へ向かうが、その腕をリヒトが後ろからそっと引き止める。
「リヒト……?」
振り返った瞬間。
柔らかな唇が重なる。
驚きで目を見開いたのも束の間、熱に呑み込まれるように瞼が落ちた。
触れるだけでは終わらない。追い打ちをかけるように、さらに深く。
舌先が触れそうなほど繋がって、切なさが押し寄せる。
息を奪われ、身体の奥がじんと痺れた。
背へと回された腕に抱き寄せられると、彼の匂いや体温が強く感じられた。大きくて熱い掌は、やがて背を滑り、腰を撫でる。
――このまま、もっと。
頭の奥で、危うい願いが芽生える。
やがて唇が離れた。呼吸はまだ重なっている。
触れればすぐに再び溺れてしまう、甘い毒にも似た口づけだった。
コン、コン。
再びノックの音が響き、弾かれたようにルナリスは身を離そうとしたが、リヒトはなおも名残惜しげにその頬を撫で、耳元に唇を寄せた。
「……行きたくない」
囁きは熱を帯び、彼女の心臓を跳ねさせる。
これ以上あの瞳に見つめられると、本当に絡め取られてしまう。
「……ダメよ」
蚊の鳴くような声で呟くと、リヒトは小さく笑みを浮かべ、彼女の細い手を取った。その仕草はあくまで紳士的で、何事も無かったかのように、ルナリスを扉へとエスコートする。
指先は、どこか名残惜しげだった。
触れられた場所が、とても熱い。唇はまだ甘く痺れている。
部屋を出たふたりの顔は、どちらも赤く染まり――それ以上を望んでしまう予感を、互いに否応なく胸に抱いていた。




