103話 宝石の導き④
それは、本当に小さな響きだった。
耳を澄ませ、意識を研ぎ澄ませて、ようやく拾えるほどのくぐもった音。
しかし、その微かな振動は確かにルナリスへ届いていた。
宝石たちが告げる、導きの声が。
「まずは左足、脛のところにある緑の宝石を砕く!」
ゼファーに陽動を任せ、マシューとアイゼンを呼び寄せると、リヒトは素早く作戦を伝えた。
「宝石……あの光ってるところですか」
「承知いたしました」
二人は疑問を挟むことなく頷いた。リヒトが何かを掴んだのなら、その判断に従うべきだと理解している。
「魔石として使われている宝石は、通常よりも脆くなっているそうだ。切っ先で一点だけ、正確に狙え!」
ルナリスは再び意識を集中させた。三人はすでに抜身の刃を手に走り出している。
推察が正しければ、緑の光――ペリドットを砕けば、次の声が導きを示すはず。
「ゼファー、止まれ!」
杖を咥える黒狼の動きを追っていた魔導人形は、ゼファーが急停止すると同時に間合いを詰め、巨拳を振り下ろした。
ゼファーが身を翻した直後、拳は床を叩き割り、部屋全体を震わせる。だが、重く硬い巨躯は、すぐさま体勢を立て直すことができない。
「今だ!」
ペリドットを砕いたのは、アイゼンの刃だった。
切っ先は見事、埋め込まれた宝石の中心に突き刺さり、緑の輝きは粉々に砕け散った。
「次はトパーズ……右足の黄色!」
ルナリスの声に応えたのはマシューだ。
大柄な彼の武器は、突くよりも叩き切る攻撃に特化している大剣だ。右の脛に埋まった黄色の宝石を粉砕したのは、豪快な横薙ぎだった。
両脚の宝石を奪われた魔導人形は、咆哮のような音を響かせながら崩れ折れた。
しかし、まだ終わりではない。
床に沈みながらも、腕をあがくように振り回し、暴風のような拳撃を何度も繰り出す。移動を封じても、近付くのは容易ではなかった。
「次は?」
その声はルナリスのすぐ隣から聞こえた。
ベルが愛用の槍を手に、息を整えながら立っている。
「ガーネット。左腕の赤い宝石!」
「ま、ちょっとはいいとこ見せないとね」
軽く笑みを浮かべ、ベルはふたつ結びの髪を揺らして駆け出す。
暴れ狂う拳を軽やかな足さばきで躱すと、巨体の隙間へ滑り込み、槍の穂先でガーネットを貫いた。
「リヒト! 右腕の紫──アイオライト!」
言い終わる前に、紫の光が砕け散った。
リヒトはすでに魔導人形の肩までよじ登っていたのだ。
上方から振り下ろした一撃が、美しい菫青石に亀裂を走らせると、欠片はそのまま粒子となって消え失せた。
「最後は頭か」
四肢の宝石を砕かれた巨体は、もはやただの岩塊に近い。
「最後は……額の黒曜石。砕いて! リヒト!」
ルナリスの叫びに応えるように、リヒトは雄叫びを上げ、剣先を黒く輝く宝石へ突き立てた。
黒曜石へ網の目のような亀裂が広がり、次の瞬間、砕け散った。
同時に、石の巨人は支えを失ったように崩れ落ち、ガラガラと大きな音を響かせながら瓦礫と化した。
魔導人形を撃破したリヒトたちは、階下の聖堂へと戻った。
ザヒールの手には黒瑪瑙の杖がしっかりと握られている。その先端が、仲間たちの見守る中、静かにルナリスへと向けられた。
「ほ、本当に大丈夫でしょうか……」
少年の弱気な声とは対照的に、ルナリスの顔には一片の迷いもなかった。
「大丈夫よ。それに、もしその杖で私の中の瘴気を払えるのなら、赤竜の魂鎮めだってきっとできるはずよ」
黒瑪瑙は魔を祓う宝石。
この神殿を満たす清浄な空気は、おそらくこの杖の力によるものだ。これがあれば、赤竜の巣に渦巻く瘴気を払うことも不可能ではない。
まずは、杖が本当に瘴気を消せるのか確かめる必要があった。その役目を名乗り出たのは、胸に核の欠片を抱えたルナリス自身だった。
「やってみよう、ザヒール」
ベルが小さな背中を軽く叩いて励ます。
ザヒールは仲間たちの顔を一人ひとり見回し、決意をこめて頷いた。
杖がルナリスへと翳される。
「――アルヴァス・シェンヌ、クリアエル・リスラ」
謳うように流れ出たのは、不思議な響きをもつ古代語。その詠唱に呼応して、黒瑪瑙が淡く輝き始める。
「ドルメン、エッサル・ヴェイルン……!」
呪文が紡がれるごとに光は強まり、遂には白い光がルナリスの身を包み込んだ。
そして一瞬、眩いばかりの閃光が走る。
「ど、どうでしょうか……」
「……消えたわ」
ルナリスは胸元にそっと手を添える。胸元に埋まっていた核の欠片は、霧散するように跡形もなく消えていた。
少年へと向けられた菫青色の瞳には、喜びの色が宿っている。
「凄いわ、ザヒール!」
思わず抱きついたルナリスに、ザヒールは顔を真っ赤にして固まったが、
「本当にありがとう!」
感謝の言葉を聞いた途端、照れたように笑みをこぼした。
「いつまでもくっ付いてるんじゃないわよ。婚約者が妬いちゃうでしょ」
「えっ!? いや、別に、俺は――」
「まぁまぁ。とにかく、良かったじゃありませんか」
賑やかな声が聖堂に響き渡る。
「でも……よろしいのですか?」
唯一、冷静な声をあげたのはラセルだった。
「この杖が神殿を清浄に保っていたのだとしたら、今後、この場所は……」
それは、ルナリスも考えていたことだった。
地下遺跡には、まだ多くの魔物が潜んでいる。
もし杖の力が魔物を封じていたのだとしたら、杖を持ち去ったあとの神殿がどうなるかは、容易に想像がつく。
「ザヒール。きみは……どうしたい?」
リヒトは少年に視線を合わせて問いかけた。
ザヒールは、赤の部族に伝わる祈祷師の末裔。魂鎮めが祈祷師のみに扱える奇術ならば、この杖は、彼こそが持つべきものでもある。
少年は迷いなく答えた。
「ぼくは……やっぱり皆さんの助けになりたいです」
その声音には、幼さよりも強い決意が宿っていた。
「ウォルフワーズの瘴気を消す間、この杖を借りていきます」
まっすぐにリヒトを見返す瞳には、揺るぎがない。
「でも……祖父たちの命を救ってくれたこの場所が、魔物でいっぱいになるのは寂しいです。だから、瘴気を消す旅が終わったら……この杖は必ず、ぼくがここへ返しに来ます!」
「そうか」
リヒトの表情は静かに緩んだ。
ザヒールは、この旅を通して確かに強くなった。仲間たちは、少年の成長を眩しそうに見つめていた。
こののち、ザヒールは誓いを果たすために再び旅へ出ることになる。
少年は彼自身の物語を新たに紡ぐことになるのだが──それは、もう少し未来の話である。




