100話 宝石の導き①
リヒトの口から告げられた衝撃的な言葉にも、ルナリスは取り乱さなかった。それどころか、「やっぱり」と腑に落ちる感覚すらあった。
フェニアで我を失ったあの時。
心の底に沈む昏い声が、何度も何度も、彼女を焚きつけるように囁いていた。
あれは、核の欠片に侵食されていた証だったのだ。
こちらの精神が揺らいだ隙を、じっと狙っていたのだろう。暗闇に潜み、息を潜め、獲物が落ちる瞬間を待つ獣のように。
「……ずっと、聞こえてたわ。あの昏い声が」
ルナリスが静かに告げると、リヒトは優しく頬へ手を添えた。
大きく温かなその手は、まるで怯えを撫で消すようだった。
「でも、取り憑かれてるなんて……どうして分かったの?」
問いかけると、リヒトの耳がみるみる赤くなる。視線をそらし、指先でルナリスの胸元を示してきた。
「……胸元に、埋まってた」
「えっ!?」
慌ててドレスの胸元をつまみ、覗き込む。
そこには、双丘の影に挟まれるように、黒い欠片がまるで宿主を得た宝石のように埋まっていた。
「み、見たの?」
「……すこしだけ。で、でもっ……その……傷を確認したのも、これを見つけたのもラセルとベルだから! 大事なところはちゃんと隠してくれてて――!」
リヒトは必死に言い訳するが、焦りすぎて余計なことまで口走っている。
ルナリスは真っ赤になりながらも、それ以上の追及は避けた。
どこまで見られたかなど、気にしている場合ではないのだ。それに、リヒトは将来夫となる男性だ。多少見られたところで……。
(ーーじゃなくて。まさか、私にこんなものが埋まっていたなんて)
脱線した思考を振り払い、ルナリスは咳払いで気持ちを整えた。
リヒトも同じく視線を彷徨わせていたが、ルナリスが口を開くと、すぐにその表情を引き締めた。
「これ……どうにかして取る方法はないのかしら」
「前にザヒールが言ってただろ、核を浄化するって。そうすれば、もしかしたら……」
「ええ。でも、あの時は結局、できなかったわよね」
「その手掛かりが、この神殿にあるんだ。ここはザヒールのお祖父さんたちが、赤竜の襲撃から逃れた場所なんだよ」
「まあ……!」
ルナリスは驚き、聖堂の天井を見上げた。
空気は厳かで、地下遺跡の重苦しい気配が嘘みたいなほど澄み切っている。核の昏い思念すら寄せつけないほどの、強い神聖さが満ちていた。
ふと、微かな旋律が耳に触れる。
柱の向こう側でパチパチと音を立てる焚火に混じって響いてくる、微かな歌声。幾重にも重なった美しい旋律。
それは、聖堂の奥から、ルナリスの耳にだけ届いていた。
「……宝石の歌」
思わず漏れた呟きに、リヒトは目を丸くした。
「聖堂の奥に、きっと何かがあるわ」
「何かって……」
「分からない。でも……悪いものじゃない気がするの。とても優しくて、澄んでる」
ルナリスの力。宝石の声を聴く能力。
リヒトはその不思議さを知っているからこそ、迷わず頷いた。
「なら、行ってみよう。でも――」
リヒトはゆっくりと立ち上がり、ルナリスへ手を差し伸べた。
その表情は穏やかで、労りに満ちている。
「まずは、しっかり休もう。腹ごしらえもして、みんなに……きみが無事だって見せてあげないと」
温かく、頼もしいリヒトの手。ルナリスは小さく笑って、その手を取った。
焚火の輪へ足を踏み入れると、仲間たちの表情が一斉にほどけた。
安堵、喜び、そして優しい眼差し。
「お元気になられたようですね」
アイゼンがザヒールと並んで微笑む。
その隣で控えていたマシューは、大柄な身体を震わせて、目尻を手の甲で拭いながらかすれた声で言った。
「よ……よかった……本当に……!」
「ルナリス様……」
そっと隣に腰を下ろしたラセルは、背筋を張ったまま深く頭を下げた。
神妙な面持ちが、焚火の陰に揺れている。
「お助けできず、申し訳ございません。私は……」
「やめて、ラセル」
思わず、ルナリスはその肩へ手を伸ばした。
次の瞬間、まるで姉に甘えるかのように、ぎゅっと抱きついた。
険しい表情が消え、女騎士は珍しく虚を突かれたように目を見開く。
「私こそ、心配かけてごめんなさい。それに……こうして助けに来てくれた。本当に、ありがとう」
「ご無事でなによりです。ルナリス様……!」
ラセルの声が震えた。
抱き合ったまま小さく笑い合うと、それだけで胸の奥が温かく満ちていく。
ルナリスは続いて、ひとりひとりに感謝の言葉を伝えて回った。
そして、ベルの前で足を止めた。
「なによ。思ったより元気そうじゃない。……心配して損した」
むすっとした声。
けれど、その語尾に宿る震えは、優しさを隠しきれない。
ルナリスはふっと和やかに微笑んだ。
「心配してくれたの?」
「えっ……あっ……!」
ぽろりとこぼれた本心を拾われ、ベルは耳まで真っ赤に染まった。
「ふふっ。ありがとう、ベルさん」
ルナリスの笑みは自然で、飾り気もなくて――ベルの顔から、張りつめていた表情が少しだけ緩んだ。
(もっと早く、あなたとちゃんと向き合えばよかった)
そうすれば、こんな事態を招かずに済んだかもしれない。そう思う一方で、今こうして彼女が命がけで来てくれた事実がただただ嬉しかった。
ルナリスは、リヒトの傍らに控える黒い影にもそっと近づいた。
「ゼファーも、本当にありがとう。あなたがいてくれたおかげで、こうしてまたみんなに会えた」
その言葉に、ゼファーは誇らしげに尾をひと振りした。
それだけで充分だった。
彼は、「ルナリスを守ってくれ」という相棒の願いを、ただひたすらに果たしたのだ。
「俺からも礼を言うよ。ありがとうな、ゼファー」
リヒトがそう言うと、黒狼は当然だとでも言いたげに短く鳴き、その場へ丸くなった。
焚火の赤い光が、仲間たちの顔を温かく照らす。
恐怖の地下遺跡から戻ったばかりとは思えないほど、そこには穏やかな時間が流れていた。




