第9話 「中隊長と副官」②
その日の午後。二人は王都郊外の軍施設内に設けられた選抜会場へ向かった。広い訓練場には、王国各地から志願してきた魔導士たちが並んでいた。年齢も様々だった。若い魔導士もいれば、すでに何年も軍務を経験している者もいる。全員、第10魔導中隊への配属を希望、あるいは上層部から推薦された者たちだった。ざわめきが広がる。
「新設中隊の中隊長って、あの子か?」
「十二歳の少佐だろ?」
「本当に子供じゃないか……」
「実力は本物らしいぞ」
アリアは気にする様子もなく、全員の前へ進んだ。隣にはリリアが立っている。
「総員、傾注!」
アリアの一言で、ざわめきが止まった。
「これより、第10魔導中隊の隊員選抜を行う」
全員がアリアを見る。
「この中隊は、前線での即応任務を主な任務とする」
アリアは淡々と説明していく。
「魔導士としての能力だけでは選ばない。一人で強くても意味がない」
アリアは隊員たちを見渡した。
「中隊は、一人で戦う場所ではない」
その言葉に、リリアが少しだけ目を細める。かつてのアリアなら、こんな言葉を口にしただろうか。士官学校時代、他人にほとんど興味を持たなかった少女。今では、部隊全体を考えている。
「選抜試験を開始する」
最初の試験は魔導飛行。候補者たちが次々と箒に乗り、空へ上がっていく。アリアは地上から一人ずつ観察する。
「三番、速度を落としすぎ」
「七番、旋回時に身体が流れている」
「十二番、魔力の消費が多い」
隣でリリアが記録していく。
「はい」
「十八番は残す」
「了解」
「二十二番も」
「分かった」
選抜は順調に進んでいった。
次は射撃。魔導銃へ魔力を込め、遠方に設置された標的を狙う。候補者たちが次々に射撃する。アリアは命中率だけではなく、射撃までの時間や魔力制御まで細かく確認していた。
「……次」
そして実戦を想定した模擬戦。ここでは、単純な戦闘能力以上に、周囲との連携が重視された。ある候補者が敵役を一人で追いかけ始める。アリアは即座に首を振った。
「不合格」
「えっ?」
候補者が驚く。
「どうしてですか!」
「周囲を見ていない」
「でも、敵を倒しました!」
「その間に味方が攻撃された」
アリアは冷静に答えた。
「戦場では一人で勝つことより、全員が生きて帰ることの方が重要」
候補者は何も言えなかった。リリアは記録を続けながら、アリアを見た。やはり変わっていない。戦場で部下を失わないこと。それを何よりも優先している。
選抜は夕方まで続いた。最後に残った候補者たちが整列する。アリアが結果を読み上げる。
「以上の30名の者を、第10魔導中隊の隊員候補とする」
何人かが安堵の表情を浮かべる。
「ただし、正式配属ではない」
空気が引き締まる。
「これから三か月間、教育を行う」
「その間に適性がないと判断した場合、別部隊へ異動させる」
アリアは全員を見る。
「異論は?」
誰も答えない。
「なら、明日から訓練を始める」
「はい!」
候補者たちが一斉に返事をする。解散後、アリアとリリアは選抜会場を後にした。
「疲れた?」
リリアが尋ねる。
「少し」
「珍しいね」
「人数が多かったから」
「でも、いい人たちが集まりそうだね」
「まだ分からない」
「慎重だなあ」
リリアは笑う。アリアも小さく息を吐いた。
「……三か月しかない」
「うん」
「だから、急がないと」
「大丈夫」
リリアはアリアの隣を歩きながら言った。
「二人でやれば、きっと間に合うよ」
「……うん」
アリアは短く答えた。
その夜、二人の部屋には、選抜された候補者たちの資料が積み上げられていた。アリアは机に向かい、一人一人の経歴を確認していく。リリアはその隣で記録を整理している。窓の外には、王都の夜景。静かな夜だった。しかし、明日から始まるのは、ただの訓練ではない。 第10魔導中隊という、新しい部隊を作るための三か月。十二歳とは思えないほど真剣な表情で、候補者の経歴や成績を読み込んでいる。一方のリリアは、ベッドに腰掛けながら今日の記録を整理していた。
「……疲れた」
リリアが小さく伸びをする。
「そう?」
「アリアは疲れないの?」
「疲れてるよ」
「そうは見えないけど」
「慣れてるから」
「そっか」
しばらく静かな時間が流れる。やがてリリアが立ち上がった。
「アリア」
「何?」
「何か飲む?」
「コーヒー」
即答だった。
「……コーヒー?」
「うん」
「じゃあ、カフェオレを頼みましょうか」
「ブラックで」
「……ブラックですか?」
リリアが思わず聞き返す。
「うん」
「ミルクも砂糖も?」
「いらない」
「苦くない?」
「苦くない」
「……そうなんだ」
リリアは部屋に備え付けられている呼び出し用のベルへ手を伸ばした。この軍施設には士官向けの簡易的な給仕サービスがあり、夜間でも飲み物程度なら頼むことができる。ベルを鳴らそうとしたところで、アリアが言った。
「リリア」
「はい?」
「私はブラック以外はコーヒーと認めないのだよ」
妙に真剣な顔だった。
「……」
リリアは数秒、アリアを見つめる。
「アリア」
「何?」
「コーヒーに対してだけ、ものすごくこだわりますよね」
「当然」
「当然なんだ……」
「コーヒーはブラックが一番おいしい」
アリアは真顔で言い切った。
「ミルクを入れたらカフェオレ」
「はい」
「砂糖を入れたら砂糖入りコーヒー」
「……」
「どちらもコーヒーではあるけど、私が認める『コーヒー』ではない」
「ものすごい理屈だね」
「理屈じゃない。信念」
リリアは思わず笑った。
「ふふっ」
「何?」
「いや……」
リリアはアリアを見る。普段のアリアは、ほとんど感情を表に出さない。戦場では冷静。 訓練では厳格。部下には威厳をもって接する。そんな彼女が、コーヒーの話になると妙に熱くなる。
「アリアって、コーヒーが本当に好きなんですね」
「好き」
即答。
「どのくらい?」
「かなり」
「かなりって?」
アリアは少し考えた。
「一日に三杯は飲みたい」
「三杯……」
「忙しい日は四杯」
「飲みすぎじゃない?」
「問題ない」
「本当に?」
「問題ない」
また即答だった。リリアは苦笑する。
「じゃあ、ブラックコーヒーをお願いしてきます」
「お願い」
「はいはい」
リリアがベルを鳴らす。ほどなくして、施設のメイドが部屋へやって来た。
「ご注文をお伺いいたします」
「ブラックコーヒーを二つお願いします」
リリアが答える。
「かしこまりました」
メイドが一礼して部屋を出ていく。アリアは満足そうに頷いた。
「楽しみ」
「そんなに?」
「うん」
「戦場で敵を倒した時より嬉しそう」
「それとこれとは別」
「そうですか」
しばらくして、コーヒーが運ばれてきた。黒い液体から、香ばしい匂いが立ち上る。アリアはカップを手に取る。
「……おいしい」
その表情が、ほんの少しだけ緩んだ。リリアはそれを見逃さなかった。
「やっぱり好きなんだ」
「うん」
「そんなにおいしい?」
「うん」
「じゃあ、私も飲んでみようかな」
「いいと思う」
リリアも一口飲む。
「……苦い」
「それがいい」
「私は砂糖入れたいかも」
アリアが少しだけ眉を寄せる。
「……それはコーヒーじゃない」
「また始まった」
「重要なことだよ」
リリアは笑った。
「はいはい。アリアにとってはね」
「そう」
二人は静かにコーヒーを飲みながら、明日の予定を確認する。明日からは本格的な訓練が始まる。新しく集められた隊員たちを、一つの部隊にまとめなければならない。その重責を背負うアリア。そして、その隣で支えるリリア。そんな二人の新しい日々は、まだ始まったばかりだった。




