第68話 「アリアとリリア」③
翌朝。
朝日が、宿舎の窓から差し込んでいた。
「‥‥‥ん‥‥‥」
リリアは布団の中で寝返りを打つ。昨夜は、久しぶりに昔のことを思い出したせいか、なかなか眠れなかった。それでも、ようやく眠りについたと思ったのだが―――。
「リリア中佐、起きろ」
「‥‥‥ん?」
聞き覚えのある声。
それも、絶対に忘れるはずのない声だった。
「リリア中佐。起きろ」
「‥‥‥‥‥‥」
リリアはまだ半分眠ったまま、目を開ける。ぼんやりとした視界。
そして。
「‥‥‥え?」
目の前に、一人の女性が立っていた。短く整えられた髪。鋭さを残しながらも、どこか柔らかくなった瞳。
「‥‥‥アリア‥‥‥?」
その女性は、かつての第10魔導中隊長で第51統合大隊大隊長。そして、六年前に突然姿を消した少女だった。
「おはよう、リリア」
「‥‥‥‥‥‥」
リリアの頭が、完全に覚醒する。
「―――えええええっ!?」
飛び起きる。その勢いで布団が床へ落ちた。
「アリア!?」
「そうだよ」
「本当に!?」
「朝から大声を出すな」
懐かしい。本当に懐かしい声だった。
「‥‥‥あれ?」
リリアはアリアの肩を見る。
そこには中将の階級章。
「‥‥‥え?」
リリアの顔が青ざめる。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
ベッドから飛び上がり、姿勢を正して立つ。そして反射的に敬礼をした。
「し、失礼いたしました!」
声が裏返る。
「アリア中将閣下!」
アリアは一瞬きょとんとした。
「はははっ」
声を上げて笑う。
「何をしているんだ、リリア」
「え、だって‥‥‥!」
「貴官と私の仲だ。礼儀はいらんよ」
「ですが、中将閣下に対して‥‥‥」
「だから、いらないと言っている」
アリアは笑いながら手を振る。
その笑い方。
その声。
かつて第51統合大隊の隊員たちを困らせていた、あの笑い方と同じだった。リリアはまだ信じられないような顔でアリアを見る。
「‥‥‥本当にアリアなんですか?」
「何度聞くんだ」
「だって‥‥‥」
リリアはじっとアリアの顔を見る。
「顔を見れば分かるだろ」
アリアは肩をすくめる。
「まあ、成長はしたけどな」
「‥‥‥確かに」
リリアは改めてアリアを見る。六年前の少女とは違う。身長も伸びている。大人びた顔立ちになっている。軍服の着こなしも、完全に一人前の将校だ。それに―――。
「確かに、胸が大きくなりましたね」
「‥‥‥」
アリアの笑顔が消える。
「リリア」
「はい?」
「少し黙ろうか」
「え?」
次の瞬間。
「痛っ!」
アリアの拳が、リリアの頭に軽く落ちた。
「目を覚ませ」
「す、すみません!」
「朝から何を言っているんだ、貴官は」
「いや、その‥‥‥本当に成長したんだなと‥‥‥」
「そこじゃない」
アリアは呆れたように息を吐く。だがその表情は、どこか楽しそうだった。
「‥‥‥変わってませんね」
「何が?」
「アリアです」
「そうかな」
「はい」
リリアは笑う。
「六年経っても、やっぱりアリアです」
「当たり前だろ」
アリアはそう言って、リリアの部屋を見渡す。
机の上。
写真立て。
そして、その隣に置かれた小さな雪のガラス細工。
「‥‥‥」
アリアの目が止まる。
「まだ持っていたのか」
「もちろんです」
リリアは笑った。
「大切なものですから」
アリアは一瞬だけ何か言いたそうな顔をした。しかし、すぐに視線を逸らす。
「そうか」
「はい」
少しだけ、静かな時間が流れる。やがてリリアは気づいた。
「‥‥‥すみません」
「何?」
「私、寝間着のままでした」
「今さら?」
「今さらです!」
リリアは慌てて着替え始めた。
「アリアは部屋の外で待っていてください!」
「分かった」
アリアは笑いながら部屋を出る。
しばらくして。
「お待たせしました」
軍服へ着替えたリリアが出てくる。
「では、コーヒーを淹れます」
「ブラックで」
「分かっています」
リリアは小さく笑った。ポットを手に取り、コーヒーを淹れる。香ばしい香りが部屋に広がる。アリアは、その香りを嗅いで微笑んだ。
「‥‥‥懐かしいな」
「何がです?」
「こうして二人でコーヒーを飲むのが」
「そうですね」
リリアが二つのカップを机へ置く。
「どうぞ」
「ありがとう」
二人は向かい合って座る。
六年ぶりの再会。
それなのに不思議なほど、昔と同じ時間が流れていた。
*
淹れたばかりのブラックコーヒーから、白い湯気が立ち上っている。リリアはカップを両手で包みながら、向かいに座るアリアを見つめていた。六年ぶりに再会した。しかも、ただ戻ってきたわけではない。肩には中将の階級章。かつての少女は、今や王国軍の中将になっている。
「‥‥‥」
リリアはしばらく迷っていた。しかし、どうしても気になっていたことがある。
「アリア」
「何?」
「今まで、どこにいたんですか?」
アリアはコーヒーを一口飲んだ。
「話すと長いぞ」
「それでも聞きたいです」
「そうか」
アリアはカップを机へ置く。
「私が異動した先は、王国軍作戦局の諜報課だった」
「諜報課‥‥‥」
「そう」
リリアは驚いた。アリアが去った直後。行き先を尋ねても教えてもらえなかった。それがまさか、軍の中でも特に機密性の高い部署だったとは思わなかった。
「異動した直後から、激務が待っていたよ」
「そんなに?」
「かなりな」
アリアは苦笑する。
「旧ミレーヌ連邦領で反王国運動が起きれば、その取り締まりに駆り出された」
「‥‥‥」
「反王国組織の動きを追ったり、情報網を作ったり」
「そして、時には国外へも行った」
「国外?」
「某国での諜報活動とか」
リリアは目を丸くする。
「えっ‥‥‥」
「表向きは軍事顧問だったこともある」
「‥‥‥」
「実際には、現地の情勢を調べたり、王国にとって必要な情報を集めたり」
あまりにも想像していなかった仕事内容だった。
六年前。
リリアが知っていたアリアは、中隊長として前線を駆け回る少女だった。しかし、その後の六年間。アリアは表舞台から姿を消し、軍の情報を扱う仕事をしていた。
「だから、あれから全然会えなかったんですね」
「そういうこと」
「連絡も?」
「諜報課だからね」
アリアは肩をすくめる。
「私自身の行き先を詳しく話すこともできなかった」
「なるほど‥‥‥」
リリアは頷く。それなら、あの日。アリアが「貴官にそれを聞く権限はない」と言った理由も分かる気がした。
「‥‥‥大変だったんですね」
「まあね」
「今も?」
「いや」
アリアは静かに首を横に振る。
「今は違う」
「では、どうしてここに?」
リリアが尋ねる。アリアは少しだけ笑った。
「私も、ちょうど異動になったんだ」
「異動?」
「諜報課から」
「どこへ?」
アリアはカップを置いた。
「西部方面軍司令官」
「‥‥‥」
リリアの目が点になる。
「西部方面軍‥‥‥司令官?」
「そう」
「アリアが?」
「私が」
「‥‥‥」
リリアはしばらく言葉を失った。
中将。そして方面軍司令官。もう、かつての第10魔導中隊長という枠には収まらない。
「それで、どうしてここに?」
リリアは首を傾げる。
「西部方面軍の司令官なら、司令部へ直接行くんじゃ‥‥‥」
「それもそうだ」
アリアは少し笑った。
「でも、その前に寄る場所があった」
「‥‥‥?」
アリアは静かにリリアを見る。
「ここだよ」
「ここ?」
「第10魔導中隊」
リリアが目を見開く。
「どうして‥‥‥」
「決まっているだろう」
アリアは立ち上がる。そして、かつての中隊長の時と変わらない、少し不敵な笑みを浮かべた。
「貴官には、副官として再び私の部下になってもらう」
「‥‥‥え?」
リリアは固まった。
「副官‥‥‥?」
「ああ」
「私が?」
「他に誰がいる?」
「でも私は第10魔導中隊の中隊長で‥‥‥」
「それは今日で終わりだ」
「‥‥‥!」
リリアの頭が追いつかない。
「ま、待ってください。つまり‥‥‥」
「君を西部方面軍司令官の副官に任命する」
「‥‥‥」
「総司令部から、すでに辞令も出ている」
アリアは懐から書類を取り出す。それを机の上に置く。リリアは震える手で書類を見る。
「‥‥‥本当に」
「ああ」
「また、私がアリアの副官に‥‥‥」
アリアは頷いた。
「六年前と同じだ」
「‥‥‥でも」
リリアは目を潤ませながら笑う。
「今度は、アリアの階級が上すぎます」
「そうだな」
「私、ちゃんとついていけますか?」
「君ならできる」
即答だった。
「昔もそうだった」
「‥‥‥」
「私がどこへ行っても、君ならついてくるだろう?」
リリアはしばらく黙る。
「‥‥‥はい」
小さく頷いた。
「もちろんです」
アリアは満足そうに笑う。
「そうか」
「でも」
「何?」
「今度こそ、急にいなくなる時はちゃんと教えてくださいね」
「それは善処する」
「もう!」
リリアが笑う。
六年前。何も言わずに去っていった少女。それが今再び、自分の目の前にいる。
「さて」
アリアは立ち上がる。
「西部方面軍司令部へ向かうぞ」
「はい!」
リリアも立ち上がる。そして二人は並んで部屋を出た。六年前と同じように。
けれど、今度は違う。
かつては小隊長と副官だった。今は方面軍司令官と、その副官。
それでも二人の間にあるものだけは六年前から、何も変わっていなかった。




