第56話 「包囲網」②
―――包囲戦開始から、一週間。
第51統合大隊の前線拠点は、すでに見る影もないほど荒れていた。当初は急造ながらも整っていた防御陣地。今では至るところに補修の跡があり、塹壕や遮蔽物も何度も作り直されている。連邦軍の攻撃は、途切れることがなかった。
昼も、夜も。砲撃が止んだと思えば歩兵が押し寄せ、歩兵を撃退すれば航空機が飛来する。それでも、第51統合大隊は耐え続けた。
「敵、後退!」
「よし!」
陸軍兵士たちが声を上げる。
「次の攻撃までに陣地を補修しろ!」
「了解!」
魔導部隊も交代しながら空を警戒している。しかし物資は、確実に減っていた。
「アリア大佐。弾薬残量、あと二日ほどしか持ちません。食料も同じです。医薬品はさらに少ないそうです」
報告を聞いたアリアは、黙って地図を見つめていた。もう少し。本当に、もう少しで限界だった。
「‥‥‥」
アリアが立ち上がる。
「リリア」
「はい?」
「私が第1魔導小隊を率いて、一度後方へ戻る」
「‥‥‥え?」
「弾薬と食料、医薬品を取りに行く」
リリアの表情が変わった。
「待ってください」
「何?」
「危険すぎます」
「分かってる」
「包囲されているんですよ?」
「分かってる」
「敵の防衛線を抜けて、一度前線まで戻るって‥‥‥」
「このままここにいる方が危険だ」
アリアは静かに答えた。
「このままでは全滅だよ」
リリアは言葉を失う。
「弾薬が尽きる。食料も尽きる。負傷者も治療できなくなる。そうなれば、本当に戦えなくなる」
アリアは地図を見る。
「だから、補給を取りに行く」
「でも‥‥‥」
「私が行く」
リリアがアリアを見る。
「どうして大佐自身が?」
「成功率が一番高いから」
アリアは淡々と言った。
「それに、第1魔導小隊なら速い」
「‥‥‥」
「私は空から抜ける」
アリアは少し考える。
「敵の包囲を突破するなら、高度を取った方がいい」
「高度?」
「うん」
アリアは自分の箒を見る。
「この箒に、私の魔力をさらに流せば、もっと高く飛べるかもしれない」
リリアが驚く。
「そんなこと、やったことありませんよね?」
「ない」
「危険では?」
「だから試してみる」
「今ここで!?」
「うん」
アリアは箒を手に取った。
「第1魔導小隊に準備させて」
「‥‥‥分かりました」
それからしばらくして前線拠点から少し離れた場所。アリアは一人、箒に乗った。周囲には第1魔導小隊の隊員たち。
「行くよ」
「はい!」
アリアは魔力を箒へ流し込む。普段よりもさらに多く。
「‥‥‥っ」
箒が大きく震えた。身体がふわりと浮き上がる。
「上がった!」
「もっと!」
アリアは魔力をさらに増やす。
高度が上がる。
五百メートル。
八百メートル。
千メートル。
そして―――。
「‥‥‥一五〇〇!」
隊員の一人が叫んだ。アリアは高度一五〇〇メートルへ到達していた。地上が遠い。敵陣地も小さく見える。
「‥‥‥できた」
アリアは驚いたように呟く。
「これなら」
下から飛んでくる敵航空機や銃撃の影響を受けにくい。さらに高いところから、一気に敵陣を抜けることもできる。
「リリア」
通信機を開く。
「聞こえる?」
『はい!』
「高高度飛行、成功した」
『本当に!?』
「うん」
『一五〇〇メートル‥‥‥』
リリアの声には驚きが混じっている。
「これなら、敵の警戒線を越えられる」
『でも、無理は―――』
「分かってる」
『‥‥‥本当に?』
「‥‥‥たぶん」
『もう』
通信の向こうから、リリアのため息が聞こえる。
「ともかく」
アリアは前を見る。
「今夜、出る」
『了解』
「私の魔力をそれぞれの箒に流せば、第1魔導小隊を連れていくことも可能だろう」
『分かりました』
*
その夜。
前線拠点の司令所。アリアは一人、暗号通信機の前に座っていた。通信相手は―――。
王都のフラン。
「‥‥‥フラン」
『アリア?』
「今、内密で通信している」
『分かったわ』
「頼みがある」
『何?』
アリアは少しだけ沈黙した。
「前線基地に、できる限り物資を集めてほしい」
『物資?』
「食料に弾薬に医薬品。できる限り多く」
フランの声が低くなる。
『‥‥‥そこまで不足しているの?』
「このままでは持たない」
『総司令部には?』
「すでに要請した」
『‥‥‥断られたのね』
「うん」
アリアは短く答える。
「だから、自分たちで取りに行く」
『まさか‥‥‥』
「今夜、第1魔導小隊と前線まで戻る」
『危険すぎるわ』
「分かってる」
『アリア』
フランの声が強くなる。
『絶対に無理はしないで』
「‥‥‥」
『あなたは一個大隊を預かっているのよ』
「分かってる」
『なら―――』
「だから行く」
アリアの声は静かだった。
「私が戻らないと、みんなが死ぬ」
通信の向こうで、フランが黙る。
「だから、お願い」
「物資を集めて」
『‥‥‥分かった』
フランが答える。
『私の権限で、可能な限り集める』
「ありがとう」
『アリア』
「何?」
『必ず戻ってきて』
「‥‥‥うん」
通信が切れる。アリアは暗い表情で通信機をしばらく見つめていた。やがてふっと息を吐くと外へ出た。そこには、第1魔導小隊の隊員たちが待っていた。
「準備は?」
「完了しています」
「よし」
アリアは空を見上げた。夜空には、無数の星。その下には敵軍。そして、その向こうには王国軍東部方面軍の前線基地。
「行くよ」
「はい!」
第1魔導小隊の魔導士たちが箒へ乗る。アリアもその先頭に立つ。
「今夜の任務は、物資の確保」
「そして―――」
アリアは一五〇〇メートル上空を見上げる。
「みんなのところへ帰る」
「了解!」
やがて。夜空へ、一つ。また一つ。
魔導士たちの姿が舞い上がっていった。




