第50話 「総司令部の作戦」①
―――それから一週間。
第51統合大隊は、南部の駐屯地で休養を続けていた。首都攻略作戦から帰還して以来初めて、隊員たちはまとまった休養を取っている。魔導部隊は箒や魔導銃の整備。陸軍部隊は装備の点検。 そして、次の作戦に備えた訓練。そんなことをしながら、隊員たちの頭の中には同じ疑問が浮かんでいた。次の作戦がいつ来るのか。
*
それは朝、突然やって来た。
「第51統合大隊、アリア大隊長はいらっしゃいますか?」
伝令兵が執務室へ駆け込んでくる。アリアは書類から顔を上げた。
「何?」
「総司令部から作戦命令が届いています」
「分かった」
アリアは立ち上がる。
「リリア少佐とルード少佐を呼んで」
「了解!」
ほどなくして。リリアとルードが執務室へ入ってきた。
「アリア大佐、何でしょうか?」
「総司令部から作戦命令が来た」
「‥‥‥またですか?」
リリアが少し嫌そうな顔をする。アリアは机の上に作戦命令書を置いた。
「読んで」
リリアとルードが並んで書類を見る。しばらくして。
「‥‥‥何ですか、これ」
リリアの表情が険しくなる。
「連邦軍の防衛網へ、第51統合大隊単独で突入?」
「そう」
アリアが答える。
「そして、可能な限り大きな損害を敵に与える」
ルードも眉をひそめる。
「撤退条件は?」
「特に指定されていない」
「支援部隊は?」
「なし」
「砲兵支援は?」
「予定なし」
「航空支援は?」
「ない」
ルードの顔が険しくなる。
「‥‥‥つまり」
リリアが言う。
「私たちだけで敵の防衛線に突っ込めということですか?」
「そうなるね」
アリアは淡々としている。
「これ‥‥‥」
リリアが作戦命令書を握る。
「嫌がらせじゃありませんか?」
「私もそう思います」
ルードも怒りを隠さない。
「首都攻略作戦の責任を問われた直後に、こんな作戦を出してくるとは‥‥‥」
「しかも、大隊単独で最大限の損害を与えろ、ですか」
リリアが机を叩く。
「隊員たちは首都攻略でも戦って、その後も休養したばかりなんですよ!」
「分かってる」
アリアは静かに答える。
「だったら、どうしてこんな命令を‥‥‥!」
リリアの声が響く。
「私たちを使い潰すつもりなんでしょうか!」
ルードも拳を握る。
「私も、この命令には納得できません。総司令部には抗議を―――」
しかしアリアが二人を制した。
「リリア少佐」
「‥‥‥はい」
「ルード少佐」
「はい」
「我々は職業軍人だ」
二人がアリアを見る。アリアは作戦命令書を手に取る。
「給料が出る以上、命令には従って、給料分の仕事はしなきゃなるまい」
「‥‥‥」
リリアが呆然とする。
「アリア大佐‥‥‥」
「何?」
「それ、本気で言ってます?」
「もちろん
アリアは真顔だった。しかし、次の瞬間。
「それに」
アリアの目が鋭くなる。
「私は、あの忌々しい共産主義者どもには、鉄槌を与えるべきだと思っている」
リリアとルードが黙る。アリアは窓の外を見る。その視線の先には、遠く続く東部戦線がある。
「戦争を始めたのは向こうだ。そして、未だに降伏するつもりもない。なら、こちらも遠慮する必要はない」
アリアは作戦命令書を机へ置いた。
「命令ならば、遂行する」
リリアはしばらくアリアを見つめる。
「‥‥‥分かりました」
ルードも頷く。
「私も従います」
「よし」
アリアは立ち上がる。
「第51統合大隊の隊員たちに伝えておいてくれ」
「了解!」
三人は執務室を出ていく。その背後には、総司令部から届いた一枚の作戦命令書。
そこに記された任務は決して、普通の作戦とは呼べないものだった。
*
その夜。
第51統合大隊の駐屯地は、昼間とは打って変わって静まり返っていた。大半の隊員は、それぞれの宿舎で休んでいる。だが大隊長執務室には、まだ明かりがついていた。アリアは一人、机に向かっていた。目の前には、昼間に届いた作戦命令書。何度読み返しても、内容は変わらない。第51統合大隊単独で敵防衛網へ突入。支援なしで可能な限りの損害を与える。明確な撤退基準もない。
「……」
アリアは作戦命令書を閉じた。そして、窓の外を見る。暗い夜。遠くには前線の明かりがわずかに見える。しばらく黙っていた。
コンコン。
「アリア大佐。リリア少佐です」
リリアの声。
「入って」
扉が開く。そこにいたリリアは、片手にポットを持っていた。もう片方の手には、二つのカップ。
「何、それ」
「コーヒーです。フラン中将に頼んでこっそり用意してもらいました」
「まったく、戦時中にコーヒーとは。今じゃ、あのただ黒いだけの代用コーヒーしかないというのに?」
そう言いながらもアリアの目線はコーヒーの入ったポットに釘づけだった。ごくりと生唾を飲んだアリアはリリアに尋ねた。
「……ブラックか?」
「もちろん」
リリアは少し笑った。
「アリア大佐が認めるコーヒーですよ」
「ならいい」
リリアがカップへコーヒーを注ぐ。香ばしい香りが部屋に広がる。そして、一つをアリアへ渡した。
「どうぞ」
「ありがとう」
アリアが一口飲む。
「……おいしい」
「それはよかった」
リリアは少し迷ったあと、口を開く。
「アリア大佐」
「何?」
「……いえ」
一瞬言葉を止める。
「アリア」
呼び方を変えた。
「少し、星を見ませんか」
アリアがリリアを見る。
「星?」
「はい」
「急に?」
「なんとなくです」
リリアは笑う。
「今日は、少し外の空気を吸った方がいいと思って」
「……そう」
アリアはしばらく考えた。
「分かった」
二人は箒を持って執務室を出た。駐屯地の広間に出ると、箒で飛び上がり、屋根へ登る。夜風が二人の頬を撫でた。
「……寒い」
「今年の冬は寒さが厳しいですからね」
二人は屋根の上に腰を下ろした。頭上には、満天の星。王都から遠く離れた南部の駐屯地。夜空は驚くほど澄んでいた。しばらく二人とも、何も言わなかった。リリアがコーヒーを飲む。アリアも飲む。ただ、それだけ。遠くから聞こえるのは、夜間警備の兵士たちの足音くらいだった。
「……」
アリアが空を見上げた。無数の星が瞬いている。
「きれいですね」
リリアが呟く。
「うん」
「たまには、こういうのもいいでしょう?」
「そうだね」
再び沈黙。カップから立ち上る湯気が、夜空へ消えていく。しばらくしてアリアがポツリと言った。
「……固いな」
「え?」
リリアが振り向く。
「何がですか?」
アリアは自分の胸元へ視線を落とした。
「私だよ」
「……」
リリアは何も言わなかった。アリアは膝を抱えるように座り、星空を見上げる。
「最近、自分でも分かるんだ」
「何が?」
「考え方が固くなってる」
「……」
「敵が憎い」
アリアは静かに言った。
「連邦を許せない」
リリアは黙って聞く。
「昔は、ただ怖かった。戦争が怖かった。死ぬのが怖かった。仲間が死ぬのが怖かった」
アリアの声は穏やかだった。
「今も怖い。でも」
カップを握る手に、少しだけ力が入る。
「同じくらい、あいつらを許せないと思う」
四年前の村。家族を失った自分。エレナを失った自分。そして、今まで何度も戦場で見てきたもの。それらが、アリアの中に積み重なっている。
「首都を取っても終わらなかった。何度勝っても、連邦は戦い続ける。こっちが仲間を失っても」
「……」
「まだ続ける」
アリアは目を閉じた。
「だから、もう終わらせたい」
リリアがアリアを見る。
「終わらせたい?」
「ああ」
「だから、今日の命令にも……」
「従う」
「どんな命令でも?」
「……全部じゃない」
少しだけ笑う。
「でも、今回の命令ならやる。今の大隊にはそれをやってのけるだけの実力がある」
リリアはアリアの横顔を見る。昼間のアリアとは少し違う。大隊長としてではなく、作戦を立てる指揮官としてでもない。一人の少女として胸の奥に溜まったものを、ほんの少しだけ吐き出している。
「アリア」
「何?」
「……無理しないでくださいね」
「それ、前にも聞いた」
「何度でも言います」
「そう」
アリアは星空を見る。
「約束はできない」
「……もう」
リリアが苦笑する。
「でも」
アリアが続ける。
「今回は、ちゃんと帰るつもりだよ」
「……本当ですか?」
「ああ」
リリアは少しだけ安心したように笑う。
「なら、よかった」
二人は再び黙った。夜空には、変わらず星が輝いている。だが、その静かな時間の中で。アリアの胸の奥にあるものは、消えてはいなかった。エレナを奪った戦争への憎しみ。連邦への怒り。そして自分たちを戦場へ送り続ける現実への苛立ち。それらは、少しずつ絡まり合っていた。
「……固いな」
アリアがもう一度呟く。今度は、リリアも何も聞かなかった。ただ隣に座って同じ夜空を見上げていた。やがてアリアがカップを置く。
「戻ろう」
「はい」
二人は立ち上がった。
星空の下、第51統合大隊の二人の指揮官は、静かに屋根を後にした。
翌朝から、また、戦いが始まる。




