第5話 エピソードZERO③
そんなある日、士官学校に正式な通達が届いた。全校候補生が集められた講堂。壇上に立った教官が、書類を読み上げる。
「本日付で、アリア候補生を指導学生に任命する」
ざわっ。
講堂が騒めいた。
指導学生。それは、士官候補生の中から特に優秀な者を選び、一定の指揮権を与える制度だった。通常の学生より一段上の立場となり、教官の補佐や下級候補生の指導を担当する。
「アリア候補生は、今後、同期生ならびに下級生の訓練指導を補佐する」
アリアは壇上へ上がった。
小さな身体。
けれど、その姿勢には一切の迷いがない。
「以上」
教官が下がる。アリアは学生たちを見渡した。そして、静かに口を開く。
「今日から、私が一部の訓練を担当する。よろしく」
それだけだった。教官の一人が補足する。
「なお、アリア候補生には指導学生として、同期生への指導権限が認められている。指示には従うように」
さらに大きなざわめき。これまで同じ立場だった同期生に対して、アリアが指示を出す。それを快く思わない者がいるのは当然だった。
*
訓練初日。
アリアは訓練場に立った。目の前には同期生たち。自分より年上の者も多い。アリアは淡々と言った。
「二列に並んで」
誰も動かない。数秒の沈黙。アリアはもう一度言う。
「並んで」
「……なんでお前の命令を聞かなきゃいけないんだよ」
一人の男子候補生が言った。
「同じ候補生だろ」
アリアはその男子を見る。
「違う」
「は?」
「今は私が指導学生」
声は静かだった。
「教官から指導を任されている」
「だからって――」
アリアの声が一段低くなる。
「もう一度だけ言う。二列に並べ」
男子候補生が睨みつける。しかしアリアは一歩も引かなかった。しばらくして、男子候補生が舌打ちする。
「……分かったよ」
他の候補生たちも並び始める。アリアは全員を確認した。
「よし」
そして訓練が始まった。その日の訓練は厳しかった。
魔法制御。
飛行。
魔導銃の射撃。
模擬戦。
アリアは一人一人の動きを観察し、問題点を指摘していった。
「魔力の流れが乱れてる」
「飛行中に高度を上げすぎ」
「射撃姿勢が崩れてる」
「そのままでは実戦で撃てない」
的確だった。反論する余地がない。教官ですら見落とすような細かな問題を、アリアは一目で見抜いていた。訓練終了後。疲れ切った候補生たちが座り込む中、リリアがアリアのところへやって来た。
「お疲れ様、アリア」
「リリアも」
「大変だったね」
「そうでもない」
「……本当に?」
「うん」
リリアは苦笑する。アリアは相変わらずだった。しかし、以前とは一つだけ違う。アリアはもう、一人ではなかった。リリアが隣にいる。そしてアリアも、それを当たり前のように受け入れている。だが、指導学生となったことで、アリアを取り巻く環境はさらに変わっていく。同期生たちは、彼女を「同じ候補生」ではなく「自分たちを指導する者」として見るようになる。
尊敬する者。
反発する者。
妬む者。
そして、アリアの才能を本気で認める者。
様々な感情が、彼女へ向けられていく。その中でアリアは、少しずつ「人の上に立つ」ということを学んでいくことになる。
まだ十一歳。
それでも彼女は、確実に軍人として成長し始めていた。
*
指導学生に任命されてから、半年が経った。
アリアは相変わらず、訓練では厳しかった。だが、それは決して候補生たちを痛めつけるためではない。実戦で生き残るため。それだけだった。その日も、士官学校の訓練場では模擬戦が行われていた。魔導士同士の空中戦。箒に乗り、魔導銃を構え、互いの動きを読みながら戦う。もちろん、安全のためにいくつもの制限が設けられている。指導学生であるアリアは、教官の補佐として模擬戦の監督をしていた。
「次、第三班」
アリアが告げる。
「はい!」
候補生たちが箒に乗り込む。アリアも空へ上がった。模擬戦の安全確認を行うためだった。 一定高度以上は禁止。相手の身体へ直接攻撃することは禁止。魔力弾も威力を制限する。 あくまで訓練。それが、この模擬戦の大前提だった。開始の合図とともに候補生たちが一斉に飛び出す。魔力弾が飛び交う。アリアは空中を移動しながら、各員の動きを観察していた。
「右の二人、距離を取りすぎ」
「後ろを見ろ」
「今の攻撃は危険すぎる」
次々と指示を飛ばす。
その時だった。一人の候補生が、突然アリアへ向きを変えた。
「……?」
アリアが気づく。魔導銃が、こちらを向いている。
「おい!」
地上の教官が叫んだ。
「アリア候補生は攻撃対象ではない!」
しかし候補生は引き金を引いた。魔力弾が飛ぶ。アリアの身体が横へ流れた。
一発。
二発。
三発。
すべてかわす。
「なっ……」
候補生が驚く。さらに撃つ。アリアは箒を急旋回させ、魔力弾を次々とかわしていく。まるで、最初から弾道が見えているかのようだった。そして、アリアが止まった。相手を見つめる。表情はない。
「……」
静かな空気が流れた。
「アリア!」
リリアが叫ぶ。
「戻って!」
しかしアリアは動かなかった。ゆっくりと、相手へ向かって箒を進める。
「お前」
その声は、いつもより低かった。
「今、私を攻撃したな」
「……模擬戦だろ」
「違う」
アリアは答える。
「私は攻撃対象ではない」
相手は黙った。
「それでも撃った」
「……」
アリアの目が細くなる。そして、ほんの一瞬だけ。口元が笑った。
「なら――」
不敵な笑み。
「攻撃される覚悟があるということだな」
空気が凍った。
「アリア!」
リリアが再び叫ぶ。しかし、アリアはすでに動いていた。箒が加速する。
「速――!」
相手が魔導銃を構える。だが遅い。アリアは相手の射線から外れ、そのまま側面へ回り込む。
魔導銃を構えた。そして、魔力弾を放つ。
「ぐっ!」
相手の身体が大きく弾かれ、地面へ落下する。周囲が騒然となった。
「止めろ!」
教官が叫ぶ。アリアは即座に射撃を止めた。地上へ降りる。倒れた候補生のもとへ教官たちが駆け寄る。
「医務室へ運べ!」
「はい!」
幸い、命に関わるような負傷ではなかった。しかし、腕を骨折していた。模擬戦としては、明らかに度を越している。訓練場に沈黙が落ちた。アリアは何も言わず、その場に立っていた。リリアが駆け寄ってくる。
「アリア……」
「……」
「どうして、あそこまでやったの?」
アリアは答えなかった。しばらくして、ぽつりと言う。
「攻撃されたから」
「でも、模擬戦だよ」
「分かってる」
「なら――」
「分かってる」
アリアはもう一度言った。リリアは何も言えなくなった。アリアは戦闘能力において誰よりも優れている。攻撃をかわすこともできる。相手を制圧することもできる。それでも自分が傷つくことは、怖かった。誰かが傷つくことも。だからこそ、あの瞬間だけは自分を守るために攻撃した。その後、アリアには厳しい指導が入った。
「どれだけ相手に非があったとしても、訓練中にあそこまで攻撃する必要はない」
教官からも、と叱責された。
アリアは黙って聞いていた。
「……はい」
反論しなかった。自分がやりすぎたことは理解していた。そして、その日の夜。寮の廊下。リリアと二人で歩いていた時だった。
「アリア」
「何?」
「今日のこと、まだ気にしてる?」
「……少し」
「そっか」
「私、怒ってた」
アリアが言う。
「うん」
「自分でも驚いた」
「怒ることだってあるよ」
「……そうなのかな」
「そうだよ」
リリアは笑う。
「アリアだって普通の人間なんだから」
「……普通」
アリアはその言葉を繰り返した。そして、ほんの少しだけ笑った。
「そうかもね」




