第33話 「戦いの後で」③
フランの執務室。先ほどまで張り詰めていた空気が、少しだけ和らいでいた。アリアは椅子に座り、リリアはその隣に立っている。フランは机の上に置かれていた書類を一枚取り上げた。
「‥‥‥もう一つ、あなたに話しておきたいことがあるの」
「何?」
「王国魔導軍作戦局から、あなたを転属させてはどうかという話が出ているわ」
アリアが顔を上げる。
「作戦局?」
「そう」
フランは書類を見ながら説明する。
「今回の東部戦線での功績、それにあなたのこれまでの戦歴。作戦立案能力も高く評価されている」
「‥‥‥」
「だから、前線の中隊長ではなく、王都の作戦局で勤務してもらいたいそうよ」
リリアも驚いたようにアリアを見る。
「それって‥‥‥」
「そう。前線から離れるということ」
フランは頷く。
「もちろん、作戦局だからといって何もしないわけではない。むしろ王国軍全体の作戦を考える重要な部署よ」
「‥‥‥」
「あなたの才能を、より安全な場所で活かしたいという考えもあるでしょうね」
アリアはしばらく黙っていた。
「断る」
「‥‥‥早いわね」
「私は第10魔導中隊の中隊長だ」
アリアは静かに言う。
「中隊の連中を置いて、私だけ安全な場所にいるわけにはいかないよ」
「でも、あなたはまだ十二歳なのよ」
「年齢は関係ない」
「関係あるわ」
フランは少し厳しい口調になる。
「あなたがどれだけ強くても、前線にいる以上、また今回のようなことが起こる可能性はある」
「分かっている」
「なら――」
「それでもだ」
アリアはフランを見る。
「私だけが後ろに下がるわけにはいかない」
その言葉に、リリアも黙って頷いた。アリアは続ける。
「第10魔導中隊には、私を信じてついてきてくれている人間がいる」
「‥‥‥」
「私はあいつらに、生きて帰れと言っている」
アリアの声は静かだった。
「それなのに、私だけが安全な場所へ行くのは筋が通らない」
フランは何も言わなかった。やがて、小さく息を吐く。
「‥‥‥そう言うと思っていたわ」
「なら、話は終わり?」
「まだ正式な命令ではないから、あなたの意思は伝えておく」
「ありがとう」
「ただし」
フランはアリアを指差す。
「次に同じような無茶をしたら、本当に転属させるからね」
「‥‥‥善処する」
「約束しなさい」
「‥‥‥努力する」
「もう」
フランは呆れたように笑った。
「本当に頑固なんだから」
その後、二人は駐屯地へ戻ることになった。王都から南部の駐屯地までは距離がある。今回は軍用列車が使われることになった。列車がゆっくりと動き始める。窓の外を、王都の街並みが流れていく。アリアは窓際の席に座っていた。向かいにはリリア。
「‥‥‥」
しばらく二人とも何も話さなかった。激戦の後、勝利したとはいえ、二人とも疲れていた。 列車が一定のリズムで線路を走る。
ガタン、ゴトン。
ガタン、ゴトン。
やがて王都の景色が遠ざかり、車窓には田園風景が広がっていった。リリアは本を開いていた。しかし、ほとんど内容は頭に入っていない。向かいに座るアリアが、ずっと窓の外を見ているからだ。
「‥‥‥アリア少佐」
「何?」
「本当に、作戦局への転属を断ってよかったんですか?」
「いい」
「‥‥‥そうですか」
リリアは少し考える。
「私は、アリア少佐が中隊に戻ってくると聞いて安心しました」
「そう」
「はい」
それだけ言って、リリアは再び本に目を戻す。しばらくして。
「‥‥‥リリア」
「はい?」
「この前の戦場で」
アリアが窓の外を見たまま言った。
「一人の男を見つけた」
リリアは本を閉じた。
「男?」
「連邦軍の兵士だ」
「‥‥‥」
アリアの声が少し低くなる。
「私が小さい頃、村にいた」
「‥‥‥村?」
「四年前」
リリアは黙って聞く。
「私が八歳だった頃の話だ」
アリアは窓の外を見る。流れていく景色。青い空。遠くの山々。今の穏やかな景色からは想像もできないほど遠い過去。
「エレナを殺した男がいたんだ」
リリアの表情が変わる。
「‥‥‥」
アリアは続ける。
「今回の戦場で、その男を見つけた」
「‥‥‥それで」
「私が突っ込んだ」
淡々とした言葉だった。
「敵の中央に」
「‥‥‥」
「分かっていたんだ。やってはいけないことだって」
アリアの手が、膝の上でわずかに握られる。
「中隊長として、あんな行動をしてはいけない」
「はい」
「でも、あの男を見た瞬間‥‥‥」
アリアは言葉を止めた。
「昔のことを思い出した」
リリアは何も言わない。アリアが自分から過去について話すことなど、ほとんどなかった。
「エレナは、私をかばった」
その声は小さい。
「私の前に立っていた」
「‥‥‥」
「私は何もできなかった」
アリアは目を伏せる。
「ただ、見ていただけだった」
列車がトンネルへ入る。一瞬、車内が暗くなる。窓ガラスに、アリア自身の顔が映った。
「だから、ずっと覚えていた」
暗闇の中で、アリアの声だけが響く。
「あの男の顔を」
リリアは静かに尋ねる。
「‥‥‥その男が、今回いたんですね」
「うん」
「そして‥‥‥アリア少佐は、その人を」
「殺した」
短い言葉だった。トンネルを抜ける。再び光が差し込む。アリアは目を細めた。
「‥‥‥自分でも、どうしてあんなに怒ったのか分からない」
「無理もありません」
「そうかな」
「はい」
リリアはまっすぐアリアを見る。
「大切な人を奪った相手が、目の前にいたんですよね」
「‥‥‥」
「だったら、怒るのは当然だと思います」
アリアはしばらく黙っていた。そして小さく呟く。
「‥‥‥でも、私は中隊長だ」
「はい」
「感情で動いてはいけない」
リリアは少しだけ微笑んだ。
「今度は私が力ずくでも止めてあげますよ」
「‥‥‥」
アリアは窓の外を見る。列車は東へ向かって走っている。
駐屯地へ。第10魔導中隊のもとへ。自分を待っている仲間たちのもとへ。アリアは静かに目を閉じた。エレナの記憶が、あの日の記憶が消えることはない。きっと、これからも過去は彼女の心に残り続ける。それでも今のアリアには、共に戦う仲間がいる。
「‥‥‥リリア」
「はい?」
「ありがとう」
「‥‥‥いえ」
リリアは穏やかに答えた。
「いつでも頼ってください。私はアリア少佐の副官ですから」
「‥‥‥そう」
アリアはほんの少しだけ笑った。列車は走り続ける。二人を待つ、第10魔導中隊の駐屯地へ向かって。




