第31話 「戦いの後で」①
王国軍が大勝利を収めた。東部戦線における連邦軍の主力部隊は壊滅的な損害を受け、各地で撤退を開始している。敵司令部も破壊された。王国軍の前線は大きく押し上げられ、戦場の主導権は完全に王国側へと移っていた。
しかしミレーヌ連邦は、それでも戦争を続けていた。国境の向こうでは、残存部隊の再編が進められている。戦争を終わらせるための外交交渉が始まる気配もない。むしろ、連邦は王国軍に奪われた戦線を取り戻すため、新たな攻勢を準備していた。そして王国側も、それに備えなければならなかった。
王都。王国軍総司令部。
その一室には、王国軍の各軍種を代表する将校たちが集まっていた。東部戦線での勝利を受け、次なる作戦を決めるための重要な会議だった。
「現在、東部戦線南部方面では我が軍が大きく前進しております」
地図を指しながら、陸軍の将校が説明する。
「しかし、敵は完全に崩壊したわけではありません。残存部隊が複数の地点に集結しているとの報告があります」
「海上からの動きは?」
海軍将校が問う。
「現時点では大規模な艦隊行動は確認されていません」
「空軍の偵察結果は?」
「敵航空戦力の一部が後方へ退いたものと思われます。ただし、再編成される可能性は高いでしょう」
次々と報告が続いていく。その中で、魔導軍作戦参謀であるフランも席についていた。いつものように冷静な表情。手元の資料を確認しながら、各部隊からの報告を聞いている。
「魔導軍としてはどう見る?」
議長から尋ねられる。フランは顔を上げた。
「東部戦線では魔導部隊が大きな成果を上げています。しかし、今回の戦闘で複数の部隊がかなりの魔力を消耗しました」
「再攻勢には時間が必要か」
「はい」
フランは地図を見ながら答える。
「特に前線で活動した部隊については、魔力の回復と再編成を優先すべきです」
「なるほど」
その時だった。会議室の扉が開いた。
「失礼します!」
一人の伝令兵が入ってくる。
「会議中だぞ。何事だ?」
議長が尋ねる。
「フラン中将に、第10魔導中隊中隊長副官、リリア大尉から軍用通信です」
「私に?」
フランが眉をひそめる。
「はい」
伝令兵がフランの前まで歩いてくる。そして敬礼した。伝令兵は一瞬言葉を選ぶように間を置いた。
「アリア少佐が、戦闘終了後に倒れました」
「‥‥‥!」
フランの目が見開かれる。
「容体は?」
「軍医による診察の結果、重度の急性魔力欠乏症とのことです」
その瞬間。フランは椅子から立ち上がった。
「場所は?」
「戦線南部のレール駐屯地です」
「今すぐ向かう」
周囲の将校たちがざわめく。
「フラン参謀?」
「会議は?」
フランは振り返る。
「ヴァイスに任せます」
そう言うと、すぐに会議室の外へ向かう。
「しかし、この会議は王国軍全体の――」
「分かっています」
フランは足を止めずに答えた。
「だからこそ、私の代わりを立てます」
そして扉の前で振り返る。
「ヴァイス!」
「はい!」
フランの副官が立ち上がる。
「ここから先はあなたに任せる」
「承知しました」
「魔導軍に関する議題が出た場合は、私の判断として必要な範囲で回答して」
「分かりました」
ヴァイスは敬礼する。
「お気をつけて」
フランは頷いた。そして会議室を飛び出した。普段のフランなら、移動には軍用車両を使う。しかし今日は違った。駐屯地までは距離がある。それでも、一刻も早くアリアのもとへ向かいたかった。
「‥‥‥まったく」
軍施設の屋上。フランは一人、箒に跨る。
「どうしてあなたは‥‥‥」
魔力を込める。次の瞬間、フランの身体が空へ浮かび上がった。そして駐屯地へ向けて、一気に飛び出していく。風が頬を打ち、王都の街並みが遠ざかっていく。フランは速度を上げる。魔導軍の作戦参謀という立場にある彼女が、単独で長距離を飛行することなど滅多にない。まして、これほど急いで飛ぶことなど。しかし今のフランにそんなことを気にしている余裕はなかった。
「‥‥‥アリア」
四年前。小さな村で出会った少女。家族を失い、幼馴染を失い、それでも生きていた少女。その少女を、自分の家族として迎えた。やがてアリアは軍人になることを望み、士官学校へ進んだ。そして今では、わずか十二歳で少佐となり、一個中隊を率いている。
誰よりも強い。
誰よりも冷静で。
誰よりも戦場を理解している。
そして誰よりも戦争を嫌っている。
誰よりも人が死ぬことを恐れている。
だからこそフランは知っていた。あの子は、自分の限界を超えてしまう。
「‥‥‥あなたは昔から、そうだった」
フランは速度を緩めない。
「自分のことなんて、後回しにして‥‥‥」
やがて目的地の駐屯地が見えてきた。フランは高度を下げる。駐屯地の兵士たちが、空から近づいてくる人物に気づいた。
「魔導士だ!」
「‥‥‥あれは?」
「フラン中将閣下だ!」
フランはそのまま着陸する。箒から降りると、駐屯地の兵士に尋ねた。
「アリアはどこ?」
「医務室です!」
「案内して!」
「は、はい!」
フランは歩き出す。その足取りは、いつもの作戦参謀とは思えないほど速かった。そして医務室の前に到着する。扉の前には、リリアがいた。
「‥‥‥フラン中将」
「リリア」
フランはリリアの顔を見る。
「アリアは?」
「中です」
リリアは扉を見る。
「軍医によれば、重度の急性魔力欠乏症だそうです」
「そう‥‥‥」
フランは一度、目を閉じる。
「戦闘中、かなり魔力を使ったのね」
「はい」
リリアが答える。
「それだけではありません」
「‥‥‥?」
「アリア少佐は、敵の中央に一人で突撃しました」
フランの表情が変わる。
「一人で?」
「はい」
リリアは選抜小隊の隊員から聞いた戦闘中の出来事を説明する。敵指揮官への突撃。その後の包囲。大量の魔力を消費しての離脱。そして、そのまま戦闘を続けたこと。フランは黙って聞いていた。
「‥‥‥そう」
やがて小さく呟く。
「やっぱり‥‥‥」
「フラン中将?」
「何でもない」
フランは医務室の扉を見る。その向こうには、今も眠っているアリアがいる。
「少し、顔を見てくる」
「はい」
フランが扉に手をかける。しかし、その直前、リリアが小さく口を開いた。
「フラン中将」
「何?」
「‥‥‥アリア少佐を、叱ってください」
フランが振り返る。
「私には、もう何を言えばいいのか分かりません」
リリアは俯く。
「戦場ではあんなに強いのに‥‥‥自分のことになると、どうしてあんなに無茶をするのか」
フランは少しだけ微笑んだ。
「それは、私にも分からないわ」
そして。
「でも――」
扉を見る。
「私が言うべきことは、ちゃんと言う」
フランは医務室へ入っていった。その表情には作戦参謀としての冷静さではなく、一人の家族を心配する者の顔が浮かんでいた。




