第30話 「過去の束縛」③
戦場を覆っていた砲撃音が、少しずつ遠ざかっていく。連邦軍の防衛線は完全に崩壊していた。司令部を失い、後方の大隊も壊滅。さらに、王国軍の主力部隊が前線を押し上げたことで、連邦軍は各地で撤退を始めていた。
「敵が退いていきます!」
「追撃部隊を出せ!」
「了解!」
王国軍は一気に攻勢へ転じる。これまで苦戦していた戦線が、まるで堰を切ったように前へ進み始めた。その上空を、王国軍航空機と魔導士たちが飛んでいる。地上では歩兵隊と砲兵隊が進撃する。そして、その中には第10魔導中隊の姿もあった。
「進め!」
リリアが叫ぶ。
「敵が退いている! ただし、勝ったと思って気を抜くな!」
「了解!」
中隊員たちは互いに声を掛け合いながら進んでいく。やがて通信機から、全部隊へ向けた通信が入った。
『前線へ出撃中の各部隊へ通達』
全員が手を止める。
『敵主力部隊の戦線は崩壊。各地の敵部隊は撤退を開始している』
そして。
『これより王国軍は、残敵掃討戦へ移行する。残敵掃討戦に歩兵部隊、砲兵部隊、航空機部隊で行う。魔導部隊は所属駐屯地へ帰投せよ』
一瞬。
誰も声を出さなかった。その言葉の意味を理解するまで、ほんの少し時間がかかった。
しかし――。
「‥‥‥勝った?」
誰かが呟いた。隣の隊員が笑う。
「勝ったんだ‥‥‥!」
「勝ったぞ!」
「俺たち、勝ったんだ!」
歓声が上がった。
「うおおおおおっ!」
中隊員たちが声を上げる。リリアも思わず息を吐いた。
「‥‥‥終わった」
その瞬間、張り詰めていたものが切れた。アリアたちはまだ帰ってきていない。それでも、作戦は成功した。そして王国軍は勝利した。
「全員、帰還する!」
リリアが叫ぶ。
「第10魔導中隊、駐屯地へ戻るぞ!」
「了解!」
中隊員たちは互いに笑い合いながら、駐屯地へ向かった。しかしリリアだけは、空を見上げていた。
「‥‥‥アリア少佐」
その姿はまだ見えない。
「早く帰ってきてください」
リリアを先頭に第10魔導中隊は駐屯地へ戻った。
*
第10魔導中隊の帰還から約1時間後。選抜小隊も、ようやく駐屯地へ帰還していた。
「おかえりなさい!」
「無事だったか!」
「よかった‥‥‥!」
残っていた隊員たちが駆け寄ってくる。互いの顔を見て、無事を確認する。
「腕、大丈夫か?」
「かすり傷だ」
「お前こそ、顔が真っ黒だぞ」
「お互い様だよ」
笑い声が広がる。戦場へ向かう前とは違う。全員が、戦友として互いの存在を確かめていた。
「‥‥‥戻ってこられた」
誰かが呟く。
「全員、生きてる」
「本当によかった‥‥‥」
リリアもその様子を見て、胸を撫で下ろした。そして少し離れた場所にいるアリアを見る。
「アリア少佐」
「‥‥‥」
アリアは立っていた。しかし明らかに様子がおかしい。
「アリア少佐?」
「‥‥‥何でもない」
そう答えた声は、いつもより弱かった。顔色も悪い。唇には血の気がない。
「少佐、顔色が‥‥‥」
「問題ない」
アリアはそう言って歩き出す。
「全員を集めろ」
「え?」
「訓示をする」
「ですが‥‥‥」
「いいから」
アリアは中隊員たちの前へ向かった。リリアは心配そうにその背中を見る。戦闘中。アリアは異常なほどの魔力を使っていた。敵の中央から脱出する時にも、大量の魔力を消費している。その後も戦い続けた。それなのに、休むことなくここまで戻ってきた。
「総員!」
リリアが声を上げる。
「傾注!」
中隊員たちが一斉に整列する。アリアが前へ出る。いつものように堂々と。
「‥‥‥諸君」
声が少し震えている。
「今回の作戦は――」
アリアが一度、息を吸う。
「我々の‥‥‥」
そこで言葉が止まった。
「‥‥‥」
アリアの視界が揺れる。目の前に並んでいる隊員たちの姿が、ぼやけていく。
「アリア少佐?」
リリアが気づく。
「‥‥‥私は‥‥‥」
アリアが額を押さえる。
「少佐!」
次の瞬間、身体から力が抜けた。
「アリア少佐!」
リリアが駆け寄る。倒れかけたアリアの身体を、リリアが慌てて支える。
「誰か! 軍医を!」
「軍医を呼べ!」
中隊員たちが一斉に動き出す。
「アリア少佐!」
リリアが呼びかける。アリアは返事をしない。
「少佐、しっかりしてください!」
軍医が駆けつける。
「こちらへ!」
数人の兵士がアリアを担架へ乗せる。リリアも後を追った。アリアが医務室へ運び込まれる。軍医が魔力状態を確認する。測定器の数値を見た瞬間、軍医の顔色が変わった。
「‥‥‥これは」
「どうしたんですか?」
リリアが尋ねる。
「魔力残量が極端に低下しています」
「‥‥‥!」
「かなり無理をしたようですね」
軍医はアリアの状態を確認しながら続ける。
「重度の急性魔力欠乏症です」
「重度‥‥‥?」
「はい」
リリアの顔が青ざめる。
「命に関わるんですか?」
「現時点では、すぐに危険という状態ではありません」
軍医は答える。
「ですが、ここまで魔力を消耗した状態で戦闘を続け、さらに長時間放置していたのは非常に危険です」
「‥‥‥」
リリアはベッドの上のアリアを見る。いつもなら、誰よりも堂々としている少女。自分たちを厳しく指導し、どんな戦場でも先頭に立っていた少女。そのアリアが今は静かに目を閉じている。
「‥‥‥馬鹿」
リリアの目に涙が浮かぶ。
「無理をしないって‥‥‥言ってくれたじゃないですか」
もちろんアリアはそんな約束をしていない。むしろ、以前ははっきりと言っていた。
『それは約束できない』
その言葉を思い出す。リリアは唇を噛む。
「‥‥‥本当に、無茶ばかりして」
医務室の外では、中隊員たちが静かに待っていた。勝利した。全員が生きて帰ってきた。
けれど、第10魔導中隊にとって本当の意味で戦いが終わったわけではなかった。ベッドの上で眠るアリアを見つめながら、リリアは静かに決意する。
「今度は‥‥‥私があなたを守ります」
その言葉は、眠っているアリアには届かなかった。




