第28話 「過去の束縛」①
敵大隊の進撃を阻止しながら、ファントム小隊は戦いを続けていた。連邦軍の指揮系統は崩壊している。司令部を失ったことで、各部隊はまともに連携できなくなっていた。それでも、目の前の大隊だけは必死に態勢を立て直そうとしている。その中心にいるのが、あの男だった。
「左翼、下がるな!」
男が叫ぶ。
「敵魔導士を近づけるな! 前線へ向かうぞ!」
兵士たちが男の命令に従って動き始める。アリアは上空から、その様子を見ていた。
「‥‥‥」
また、胸の奥がざわつく。あの声。あの姿。間違いない。
四年前。自分の目の前でエレナを奪った男。あの日から、一度も忘れたことはなかった。忘れようとしても、忘れられなかった。夢に出てくることもあった。目を閉じれば、あの日の村が浮かぶ。
炎に包まれた村の家々。
倒れていく人々。
泣き叫ぶ声。
そして――。
『逃げて、アリア!』
エレナの声。その記憶が、突然鮮明になった。
「‥‥‥やめろ」
アリアは小さく呟く。自分に言い聞かせるように。
「今は戦場だ」
握っていた魔導銃を強く握り直す。
「私は指揮官だ」
後ろには九人の隊員がいる。彼らを生きて帰す。それが今の自分の役目。だから、感情に任せてはいけない。そう分かっていた。分かっていたはずだった。
「‥‥‥!」
敵指揮官がこちらを見上げる。時間にしてわずかに一瞬。二人の視線が交わった。男はアリアのことなど覚えていないのか、すぐに別の兵士へ指示を飛ばした。
「右側の魔導士を撃て!」
その瞬間。アリアの中で、何かが切れた。
「――――っ!」
声にならない息が漏れる。エレナの顔が浮かぶ。幼かった自分をかばってくれた、大切な幼馴染。最後まで自分の前に立っていた少女。
「エレナ‥‥‥」
アリアの手が震える。次の瞬間。
「――――うわあああああああっ!」
アリアが叫んだ。ファントム小隊の隊員たちが振り返る。
「アリア少佐!?」
カイルが叫ぶ。しかしもう遅かった。アリアは箒を急加速させていた。敵大隊の中央へ向かって一直線に。
「少佐!」
「戻ってください!」
「アリア少佐!」
隊員たちの声が通信機から響く。それでも、アリアは止まらなかった。敵兵たちが突然現れた魔導士に気づく。
「魔導士だ!」
「上空から来るぞ!」
「迎撃――」
アリアは急降下する。魔導銃を構える。
「そこをどけぇぇぇえ!」
魔力を込めた銃撃が、敵兵の前方へ次々と放たれる。連邦軍の隊列が崩れる。それでもアリアは止まらない。視線の先にいるのは、ただ一人。あの男だけだった。
「お前‥‥‥!」
男がアリアを見る。
「何者だ!」
アリアは答えない。もう周囲の声はほとんど聞こえていなかった。目の前にいる男と四年前の記憶だけが、頭の中を支配している。
「エレナを‥‥‥」
アリアの声が震える。
「お前は‥‥‥!」
男が銃を構える。アリアも構えた。
「――――っ!」
両者がほぼ同時に攻撃する。アリアは攻撃をかわしながら、さらに距離を詰める。
「アリア少佐! 離れてください!」
通信機から隊員の声が響く。
「敵の中央です!」
「聞こえていないのか‥‥‥!」
アリアは聞いていなかった。いや聞こえていた。それでも、止まれなかった。
「――――死ねぇぇぇえぇええ!」
絶叫とともにアリアが魔導銃を連射する。そのすべてが分裂魔法を使っていた。男が避けようとする。しかし、間に合わない。アリアの攻撃が次々と男を捉えた。
「ぐっ‥‥‥!」
男の体から力が抜け、口から血を吐き出して倒れる。周囲の兵士たちが一斉に動揺する。
「指揮官がやられた!」
「大隊長!」
「何をしている! 魔導士を止めろ!」
しかし、すでに指揮系統は混乱している。アリアはさらに銃を向ける。そして男は二度と立ち上がらなかった。アリアは荒い呼吸を繰り返していた。
「‥‥‥」
魔導銃を下ろす。男が倒れている。それを見てもアリアの中に達成感はなかった。ただ、胸の奥に長年溜まっていた何かが、一気に崩れ落ちたような感覚だけが残っている。
「‥‥‥エレナ」
「‥‥‥少佐!」
通信機から叫び声が響いた。
「聞こえますか!」
アリアは我に返る。
「‥‥‥何?」
「敵の中央に入り込んでいます!」
「‥‥‥」
アリアが周囲を見る。そこで初めて気づいた。自分がどこにいるのか。
前。
後ろ。
左右。
すべてが連邦軍兵士だった。自分の後ろには、ファントム小隊の仲間たちはいない。いつの間にか、完全に孤立していた。
「‥‥‥」
アリアの顔から血の気が引く。敵兵たちが一斉にこちらを見る。
「魔導士が一人だ!」
「囲め!」
「逃がすな!」
怒号が飛び交う。アリアは箒を握る。だが、さきほどの突撃で着地してしまったため、すぐに飛び上がることができない。敵の中央で、しかも単独で、そして周囲には、数え切れないほどの敵兵。
「‥‥‥しまった」
アリアが初めて呟いた。自分でも分かっていた。完全に冷静さを失っていた。指揮官として絶対にしてはいけない行動だった。しかし四年前の記憶が、アリアを戦場へ引き戻した。そして今アリアは、自分自身の感情によって敵の中央へ飛び込んでしまった。
「‥‥‥アリア少佐!」
通信機から、仲間たちの声が響き続ける。
「応答してください!」
「少佐!」
アリアは魔導銃を握り直す。周囲の敵兵たちがじりじりと距離を詰めてくる。アリアはゆっくりと顔を上げた。
「‥‥‥まだ、終わっていない」
敵の中央でたった一人。アリアは再び魔導銃を構えた。




