第19話 「さらなる作戦」①
夜。
南部国境の駐屯地は、昼間の戦闘が嘘のように静まり返っていた。しかし、宿舎の一室だけは明かりがついたままだった。アリアの部屋の前にリリアは立っていた。
「……アリア少佐」
コンコン。
扉を二度、軽く叩く。
「私です。リリアです」
返事はない。
「アリア少佐?」
もう一度叩くが、やはり何も聞こえてこない。リリアは扉の前で立ち尽くした。昼間のアリアの姿が頭から離れない。敵の増援を目にした瞬間、突然様子が変わった。そして、普段のアリアからは想像できないほどの魔力を放ち、一人で敵航空部隊を撃滅した。その後は訓示もせず、食事も取らずに部屋へ戻ってしまった。
「……アリア少佐」
リリアはもう一度声をかける。
「入ってもいいですか?」
返事はなかった。リリアは扉の前で拳を握る。
「……心配なんです」
それでも、返事はない。しばらくして、リリアは小さく息を吐いた。その時だった。
「君」
「……え?」
背後から声がした。リリアは思わず振り返る。
「ちゅっ、中将閣下! 失礼いたしました!」
リリアの背後に立っていたのは中将の階級章を付けた女だった。リリアは慌てて敬礼をする。
「固くならなくて良いわ。私は王国魔導軍作戦参謀、フラン・スー・エルディア中将だ」
「小官は、王国魔導軍第10魔導中隊、中隊長副官、リリア。ヴェルフェリア大尉であります! あの失礼ですが、スー・エルディアと言いますと、アリア少佐のお母様でしょうか」
「えぇ、そうよ。義理の、だけどね。それよりどうしたの? こんな時間に」
「アリア少佐が……」
リリアは扉を見る。
「部屋から出てこないんです」
「アリアが?」
「はい。今日の戦闘が終わってから、ずっとです」
フランの表情が変わった。
「……そう」
「フラン中将、何かご存じなんですか?」
フランはしばらく答えなかった。そして、静かにアリアの部屋の扉を見る。
「……ええ」
「何を……?」
「アリアが、なぜ戦争を嫌っているのか」
リリアは息を呑んだ。
「嫌っている……?」
「ミレーヌ連邦の事よ。正確には戦場を恐れているの」
フランの言葉に、リリアは驚いた。今日、あれほど圧倒的な力を見せたアリアが。
「アリア少佐が……戦場を?」
「ええ」
フランは静かに頷いた。
「アリアは、もともと感情を表に出す子ではなかったわ」
「……」
「でも、八歳の時に戦争ですべてを失った」
リリアの顔が強張る。
「家族を……ですか?」
「家族だけじゃない」
フランは目を伏せた。
「アリアには、エレナという幼馴染がいた。その子はアリアが唯一、心を開いていた子だった」
フランはゆっくりと話し始める。
「国境近くのソールヤード村で暮らしていた二人は、とても仲が良かったそうよ」
「でも……戦闘が起きた」
「ええ」
フランの声が低くなる。
「戦闘の後、私は村へ入った」
「そこで……アリア少佐を?」
「そう」
フランは頷く。
「アリアは、エレナの亡骸を抱えて泣いていた」
「……」
リリアは言葉を失った。
「両親も亡くなっていた。親族も確認できなかった」
「だから……フラン中将が」
「私が引き取った」
フランは静かに答える。
「養子にしたの」
リリアはアリアの扉を見る。その向こうに、今もアリアがいる。
「……そんなことが」
「アリアは、しばらくほとんど話さなかった」
「……」
「食事をしても、学校へ行っても、必要なことしか言わない。笑うこともほとんどなかった」
フランは少しだけ微笑む。
「でもなら、なぜ10歳で士官学校に?」
「士官学校に入りたいって、あの子が初めて自分から望んだことだった」
リリアは静かに聞いていた。
「強くなりたい、もう、大切な人を失いたくないから、と」
リリアの胸が締め付けられる。
「……アリア少佐は」
「今でも、その思いを抱えている」
フランはアリアの扉を見つめた。
「だから、あの子は部下を死なせることを極端に嫌う」
「……」
「今日、負傷者が出たでしょう?」
「はい」
「それが原因だと思う」
リリアは今日の戦場を思い出した。
負傷した隊員。
乱れた隊形。
そして、敵の増援。
アリアは自分の判断が遅れたことを気にしているのかもしれない。
「でも……アリア少佐は私たちを守ってくれました」
「ええ」
「敵の増援も、一人で……」
「それが問題なの」
フランの声が少しだけ厳しくなる。
「あの子は、自分が傷つくことよりも、誰かを失うことを恐れている」
「……」
「だから、誰かが傷つくと、自分一人で全部背負おうとする」
リリアは拳を握った。それは、今までのアリアを見ていれば思い当たることだった。
厳しい訓練を課す。
隊員の動きを細かく確認する。
戦場では誰よりも先に動く。
そして、誰かが危険になると、自分がその前に出る。
「……だから、あの時」
リリアは呟いた。
「私が止めても、アリア少佐は止まらなかったんですね」
「ええ」
「エレナさんのことを思い出して……」
フランは答えなかった。ただ、静かに頷いた。リリアはもう一度、扉を見る。
「……アリア少佐」
今度は少し大きな声で呼びかける。
「私はここにいます」
返事はない。
「隊員たちもいます」
やはり返事はない。
「だから……一人で全部背負わないでください」
しばらく沈黙が続く。
やがて―――。
「……リリア」
小さな声が聞こえた。
「!」
リリアが目を見開く。フランも静かに扉を見る。
「……はい」
リリアはすぐに返事をした。
「そこにいる?」
「はい」
「……そう」
それだけだった。しかし、リリアにはそれで十分だった。少なくともアリアは、扉の向こうで一人ではなかった。フランはそんな二人を見つめ、静かに微笑んだ。
「リリア大尉」
「はい?」
「アリアをお願い」
「……はい」
リリアは力強く頷いた。
「私が、そばにいます」
その言葉に、扉の向こうから小さな声が返ってきた。
「……ありがとう」
それは、戦場から戻ってきたアリアが初めて見せた、ほんの少しの弱さだった。




