2
「明日小テストまじ?」
「ねー私のアイス食べたの誰?」
「だから前にも言ったじゃんちゃんと‼︎」
「ねえそれやめてって言ったよね?」
「まじで死ねよ」
「うわっ! バイト先にスマホ忘れてきたわ!」
「最悪なんですけど〜」
「あいつの授業つまんねえし」
「しね! しね!」
「うるさいそれ」
「またダメだった」
「休日出勤確定〜」
「絶望絶望絶望絶望絶望絶望絶望」
「ぼく行きたくない」
「締め切り勘違いしてた〜!」
「やだ! 絶対イヤだから!」
「お前ほんとさぁ……」
「明日もですかぁ⁉︎」
「うわブッサ」
「はいはいブロックブロック」
「はあ〜〜〜〜…………ぶっ壊れろマジで」
「隕石落ちろ!」
「職場ぶっ飛ばねえかな」
「学校爆発しねえかな」
「死んでくれねえかな〜!」
「破壊」
「壊れろ」
「消えろ」
「殺す」
「死ね」
「元気でな、萌音」
————————————夢?
●
「…………お引越し?」
いつも遊んでいる公園で、いつもは聞かない言葉がちーちゃんの口から出てきた。
あたしの体にかかる重力がなくなったように、現実味のないふわふわとした感覚に襲われる。
「……うん」
「ふーん……どのへん?」
「東京……だって、お父さんが」
「と、東京っ?」
その時のあたしはせいぜい離れても学区が変わる程度の話なんだろうなと考えていたから、ちーちゃんが大都会の名前を口にしたのにはすっごく驚いた。もう仰天って感じ。
今日も見せてあげようと思って握りしめていたスケッチブックを落としそうになる。
「東京って言ったら……遠いとこだよね」
「たぶん……」
「デズニー……あるよね」
「……たぶん?」
「マンガとか、アニメの聖地もいっぱいあるね」
「……うん」
まだお父さんがいた頃に家族みんなで旅行に行ったことがあるらしいけど、あたしは覚えてない。物心ついてからのあたしには、北海道から出た記憶はなかった。
だから東京といえばフィクションの舞台によく使われている、なんか実在するらしい別世界みたいな認識だった。
あたしもちーちゃんもスマホとかまだ買ってもらってなかったから、物理的に離れちゃったら連絡もとれなくなっちゃう。
別世界にちーちゃんが行っちゃうんだ。たぶんもう会えないんだ。
あたしの絵を見て喜んでくれるちーちゃん。
あたしの作品を楽しみにしてくれるちーちゃん。
ぜんぶ遠くに行っちゃう。
「来週には……あっちに行くの。ぎりぎりまで言えなくて……ごめん」
謝らなくていい。だって謝られてもしょうがないじゃん。
あたしがイヤだって言えばちーちゃんパパとちーちゃんママが引っ越しを中止してくれるなら、いくらでも駄々をこねるよ。でも大人の事情はあたしがどれだけ泣いたって覆らないときがあることをあたしは知ってるから、なにも言わなかった。
詳しいことはもう覚えてないけど、お父さんがいなくなっちゃったとき、ぐしゃぐしゃに泣き叫ぶあたしを見る周りの人たちの視線だけは強く記憶に焼きついてる。思い出すだけでも肌がヒリヒリするくらい。
みんなの前で泣くのは恥ずかしいことだってわかってるから、泣かない。あたしは大人に合わせられるから泣かない。これからはお母さんと二人だから、あたしが恥ずかしくなったらお母さんまで恥ずかしくなっちゃうかもしれないから、泣かない。
「お誕生日にもらった、ギガデラス……ずっと大事にするから。……萌音ちゃんだと思って、大事にするから……!」
「うん。……あたしも忘れないよ」
そうそう、そんなやりとりもあった気がする。
思い返すとあの日のことは悲しすぎてよく覚えてない。
でもなんだかんだちーちゃんがいなくなってからも、あたしは描くのをやめなかったなー。見せる相手もいないのによくやったと思う。
そのあと中学に上がって趣味の合うみこっちと仲良くなれたのも大きいかも。漫画を描く習慣ができたのは間違いなくみこっちに会ってからだし。
まあ、今はまたすっかり独りになっちゃったけど。
そういえばしばらく新人賞の作品を描くのに忙しくてイラストアカウント更新してないなー。フォロワーさん減っちゃう前になにか上げないと。
それにしてもタバコくさい。
……タバコ、くさい?
「……………………ん」
かなりぐっすりめに眠ってたみたい。やっぱり怪獣とかでっかいロボとか夢だったのかな?
電源の入ってないこたつの控えめな暖かさが妙に心地いい。ウチのはもう押し入れにしまってた気がするけど、お母さんがまた出してくれたのかな。
いや、でもお母さん昨日は帰れないってメッセきてたはず。そもそも家に戻った記憶ないし。
……ていうかやっぱりタバコくさい。小さい頃お父さんの近くに寄るとたまに同じ臭いがして、そういう時はちょっとヤだったような気がする。あんまり覚えてないけど。
うん、だんだん意識がはっきりしてきたけど、考えれば考えるほどおかしい。
おそるおそる目を開けると、やっぱり見覚えのない照明と天井があたしの視界に入ってきた。
「どこ……?」
「起きたか?」
「はい…………ってうぇええ⁉︎」
隣で片膝を立てて座っていたお姉さんの存在に驚いて小さく跳び上がる。
その拍子にこたつの下で思いきり膝をぶつけて、卓上の灰皿ががしゃりと音を立てた。臭いの原因はこれか。
「ったぁ~……!」
痛いということは夢じゃない。ワンルームの窓からは爽やかな日差しが差し込んできている。
横でスマホをいじってる赤シャツのお姉さんは昨夜は革ジャンのお姉さんだった人に間違いない。
「なんだ、元気じゃん」
あたしを一瞥しながら何気なくこぼす。
次々と降ってくる疑問を頭の隅に追いやりながら、あたしは順番に状況を尋ねることにした。
「あの、ここは……?」
「アタシんち。女子高生、パピオンのなかでぶっ倒れたあと全然起きなくてさ。放置するわけにもいかないしここまで運んだの」
「ありがとう……ございます?」
「どういたしまして」
スマホから目を離さないまましれっとした態度で返してくるお姉さん。
ふと目を下にやるとあたしは制服姿のままである。
あたしは家に帰ったらどれだけ眠たくても真っ先に着替える。見知らぬ場所で制服のまま目覚めたことを考慮すると、昨夜の出来事は本当に夢ではないらしい。
……いや、だからなに⁉︎ このあとどうしろっての⁉︎
ていうか女の人とはいえ、知らない大人の家に運び込まれて一夜明かすとか普通に考えてけっこうヤバい状況——————————。
『パオン』
「ん? わああっ⁉︎」
「いちいち騒ぐな、キンキンするだろ」
今度は突然SFに出てきそうな犬型ペットロボみたいなのが視界にカットインしてきて思わずお姉さんがいるほうに倒れ込んでしまう。
「なっ、なにぃ……?」
「あ……萌音ちゃん、おはよう」
「ちーちゃん……?」
犬ロボが出てきた廊下のほうを見ると、あたしと同様に昨夜と同じパーカーショートパンツの恰好のちーちゃんが部屋に入ってくるところだった。お手洗いにでも行ってたのかな。
相変わらずちーちゃんは一足先にこの妙な状況を受け入れているようで、どこかいそいそとした様子であたしの左に腰を下ろしてこたつに脚を潜り込ませる。つま先同士がすこし触れ合った。
犬型ロボはその後ろで静かにお座り。おりこうさんか。
「…………あの」
「部屋寒い? なんならストーブつけるけど」
「あっ……あたしはまだ大丈夫、です」
「わたしも……」
「そ」
穏やかな沈黙がしばらく続いて、いよいよあたしまでなんか落ち着いてきた。こたつの力ってすごい。
でもこのままというわけにもいかないので、意を決してまたお姉さんに顔を向ける。
「……あの」
「アタシは佐々木幸。幸せって書いてフォーチュン。聞かれる前に答えるけど、純日本人で本名ね」
「ふぉ、フォーチュン?」
「そんでアタシらが昨日ぶっ倒したのは……まあ見たまんまだけど『界獣』。世界の獣って書く」
「はい?」
冗談みたいな名前の人から冗談みたいな話が飛び出してきた。
かい……じゅう。界獣。
お姉さんがあまりに大真面目な表情で語るものだから、あたしも真面目に受け取るしかなかった。急に驚かされるのは苦手だから、ドッキリなら穏やかにネタばらしして欲しいところ。
「えっと……お姉さんは、その、何者?なんですか……?」
「さっき聞き逃してた? アタシ佐々木幸」
「あ、ええっと……フォーチュンさん……は、どうしてそんな、いろいろ知ってるんですか?」
「昨日みたいなことを前からやってるからね。そこのパピオンと一緒に」
『パオン』
ちーちゃんの背後でお座りしていた犬ロボが応えるように鳴いた。
セレブに踏み込んだミーハーな人が買うようなお高いペットロボにしか見えないけど、よくよく見ると昨夜あたしたちが乗った巨大ロボにそっくりだ。
サイズは柴犬くらいになってて、顔もかわいくなってるけど。
……ていうか「前から」?
界獣ってのと戦うの、昨日じゃ初めてじゃないってこと? あり得なくない?
あんな大きいの二体がドッグファイト(犬だけに)してたら世界的大ニュースになってるって。
「納得してない顔だな」
「だって……まあ」
「んま、見たほうが早いか」
そう言ってお姉さん……もといフォーチュンさんは卓上にあったリモコンをとって体を捻ると奥に設置されてあるテレビの電源をつけた。
『————見てくださいこの大きさ! これでお値段は』
『このズラァ〜っと並んだ魚介類がですね、こちらすべて』
『今日おじゃましたのは“ホープさっぽろ”』
なんの番組が目当てなのか、矢継ぎ早にチャンネルを切り替えていくフォーチュンさんをあたしは傍らでただ眺める。
もう三回ほどリモコンを操作すると、視線だけチラッとあたしのほうに飛ばしてきた。
「ね?」
「……?」
「昨日のこと、どこにも取り上げられてないでしょ? ほら」
「え…………あっ」
念を押すようにフォーチュンさんはもう片方の手にあったスマホの画面を見せつけてくる。
開いていたページは某ニュースサイト。「怪獣」とか「巨大ロボ」とかそれらしい単語で検索をかけてるけど、昨日の夜に起きた出来事を取り上げている記事はひとつもなかった。
「んなバカな……」
あたしのスマホでも調べてみるけど、結果は同じ。
改めてテレビでやってるニュース番組を確認しても生鮮市場とかの情報しか映らない。
「昨日のことは……夢じゃない、んですよね?」
「現実だよ。でもそれを覚えているのは素質のある人間だけ」
「素質……?」
フォーチュンさんがあたしの背後を顎で示す。
ふと振り返ると、いつの間にか本当の犬みたいにちーちゃんの胸元に収まっているロボット犬が視界に入った。
「お前らは選ばれたんだよ、パピオンの“使い手”に」
「………………」
「いや、いまは“乗り手”か?」
やばい、また脳みそ置いていかれてる。
どこから質問していいのかわからなくなってきて、あたしはしばらくの間フォーチュンさんの話を黙って聞いてた。
「そこの中学生にはもう話したけど、界獣は人間の破壊衝動を餌に成長する別次元の生命体。ヤツらは大昔からアタシたちのいるこの世界を侵食し、壊し、自分たちのものにしようと活動してきた。……でもこの世界もやられてばかりじゃない」
床に転がっていた銘柄のちがうビールの空き缶をふたつテーブルに並べながらフォーチュンさんが続ける。
「アタシたちのいるこの地球は抗体を生み出して、界獣に抵抗する動きを見せたんだってさ。免疫機能、地球の白血球……みたいな? わかる? 理科でやってるよね?」
「まあ……」
小中学生の範囲だと思うけど。
片方のビール缶をつまみ上げてもう片方を弾き飛ばしたあと、その指先であたしの後ろを指す。
「目には目を、界獣には界獣を。地球が生み出した免疫機能もまた、界獣の姿をとってヤツらと戦うようになった……それが『パピオン』。中学生が抱いてるそいつね」
『パオン』
言葉が通じてるのかな……?
「その通り」とでも言うように犬型ロボ————パピオンがちーちゃんに撫でられながら鳴く。
パピオン……名前が同じってことは、やっぱり昨日あたしたちを食べたでっかいのと同じ子なんだ。
「正常にパピオンを認識できたり、戦いが終わったあとも界獣のことを覚えてたりする人間は素質アリってことで、パピオンを操る“使い手”になれる。時代を経て人から人へこの役割は継承されてきた。アタシも先代からパピオンを受け継いで、昨日みたいなことを続けてきたってわけ。パピオンの姿が変わったのも、操る使い手の特性が反映されたからだと思う。……でもまさかあんな、ロボみたいになるなんてね。ハハッ、前より戦いやすくなって助かった」
そう言われましても。
本当かどうかはさておき、ひとまず説明されたことだけは強引に呑み込んでみる。
「え、えと…………とりあえず界獣ってのがいて、フォーチュンさんと……パピオンが世界を守ってきたってことは、なんとなくわかりました。でもその、ほかの人たちが昨日のことを覚えてない理屈がいまいちピンときてないんですけど……」
「おお、いいとこ気がつくじゃん」
テレビの電源を消したフォーチュンさんが体を伸ばしながら言った。
「さっきも言ったとおり、界獣は世界を侵食する獣。ヤツらがもたらした破壊行為は放っておくと“確定”して現実に反映される。そうなる前にパピオンで界獣を倒して、それをなかったことにする。世界をリセットするんだよ」
「……昨日のヤツをあたしたちが倒したから、界獣は最初から『いないこと』になって……壊されたビルとかも元に戻ってる……ってこと?」
「そそ、だいたいそんな感じ。んで、ここまで話せばアタシの言いたいことはわかるだろ?」
妙に力の抜けた態度のままフォーチュンさんが息をつく。
この人の説明、よく考えたら理屈になってないよね? いきなりリセットがどうのとか言われても困るし。
創作するのは好きだけど、それは創作だから楽しめるんだ。現実にそういう話を当てはめられると、ちょっと戸惑っちゃう。
「この子の、名前……」
不意に反対側から弾んだ声が聞こえる。
「え?」
「大きくなったこの子の名前……『ギガントパピオン』とか、どうかな? かっこいい名前は……あったほうがいいと思う」
「ちーちゃん……」
なんかひとりだけ先を行ってる……。
「いいじゃん、ギガントパピオン。新しいよ」
「えへ……」
「いや、そんな話はいま……」
妙に波長が合っているふたりに戸惑うあたしを置き去りにして、まとめ上げるようにフォーチュンさんが言った。
「てなわけでさ……アタシと中学生と女子高生、それとギガントパピオン。これから一緒に界獣と戦って、この世界を守っていこう」
「イヤ、ですけど」
横でちーちゃんがワクワクした顔を浮かべているのを感じながら、あたしは間髪入れずに返答する。
フォーチュンさんの笑顔と一緒に場の空気が凍る。やっぱ北海道の春はまだ寒い。
「イヤ……か」
「イヤ……ですね」
「……やりたくない?」
「まあ……はい。だってあたし、ほら、学校……もあるし」
誘いを跳ね除けた理由付けを咄嗟に口走るけど、ちーちゃんの前だと皮肉っぽく聞こえちゃうかもしれないと思ってハッと口をつぐんだ。
「そっちの中学生はノリノリみたいだけどなぁ」
最後におっきなあくびをして、フォーチュンさんはそのまま喋るのをやめる。どうやら話はひと段落ついたみたい。
界獣…………パピオン…………使い手…………。
いや、やっぱ無理があるでしょ。どんなSFかって。
——————————でも、そう思い切れたらどれだけよかったか。
実際あたしは界獣を見ちゃったし、パピオンに乗っちゃったし、ちーちゃんっていう証人もいるからあたしが幻覚みたとかでもない。すんなりとは受け入れられないけど、いずれ受け入れなきゃならないんだろうなぁという雰囲気はひしひしと感じる。
……いや流されるな、流されるな萌音。
やっぱいろいろ唐突だしおかしいって!
「じ、じゃああたしたち……そろそろお暇しますね。助けていただいて、ありがとうございました。ちーちゃん行こ!」
「おあっ? も、萌音ちゃん……っ?」
脇を抱えてちーちゃんを立たせたあと、あたしはそのまま逃げるように部屋を出ようとする。
「あー、ちょっと待て。これ」
「……?」
ちーちゃんの手を引くあたしに歩み寄ってきたフォーチュンさんが一枚の紙切れを差し出してくる。
「アタシのライン。今日一日はバイトないから、いつでも連絡してきていいよ」
「えぇ〜……っと……」
「言っておくけど、パピオンに素質を見出される人間はそうポンポン出てくるもんじゃないから。でも誤魔化しなしでいくと命かけるのは確かだし、よく考えなね」
渋るあたしの胸元に「ん」と紙を突きつけてくる。
さっきイヤですって言ったはずなんだけど……。
へたに断って怖いことされたらどうしようと思って、結局最後には受け取ってしまった。
「札幌にいたんだね、あたしたち」
フォーチュンさんの家を出てスマホのマップを確認してみると、昨夜界獣と戦った場所からそんなに離れてない座標が出てきた。
ちーちゃんを連れてそのまま早歩きで狸小路商店街あたりまで移動する。
時刻は午前十時を回ろうとしているところだ。今日が土曜でよかった、平日なら遅刻どころの騒ぎじゃない。
お母さんも昨日は家に帰ってきてないはずだし、あたしが家にいないことを変に思われることもない。ラッキーが重なるけど、お母さんは昼頃に空き時間ができて一時的に帰ってきてくれることもあるから油断は禁物。あたしも急いで戻らないと。
札幌から月山市へは電車で二十分くらいで、その前にいまいる場所から札幌駅まで歩くのに追加で二十分くらいかかるから……ぎりぎり一時間かからないくらいで帰れるかな? 節約のためにできるだけ地下鉄は使いたくないし。
「あ……萌音ちゃん」
「大丈夫だったちーちゃん? ケガとかない? あの人に変なことされなかった?」
「あっ、うん……大丈夫」
「よかった」
はぐれないようにちーちゃんの手をしっかり握って商店街を歩く。
休日だから人通りは結構多め。東京で暮らしてたちーちゃんにとってはなんてことない景色かもしれないけど。
それにしても話に聞いてたとおり、周りの人たちは昨日の界獣騒ぎなんて知らぬ顔で歩いている。本当にあたしたちしか覚えてないみたい。
「ねえ、萌音ちゃん」
「うん?」
手を繋いでいたちーちゃんが立ち止まったのを感じ、あたしも足を止めて振り返った。
再会したときと同じような困り顔で、ちーちゃんは一生懸命に張った声で言う。
「萌音ちゃんは……やらないの?」
「え?」
「一緒に……戦わないの?」
上目遣いであたしを見つめるちーちゃんの瞳は、やっぱりどこまでも澄んでいた。
————————『かっこよく死にたい!』
昨日の夜、ちーちゃんがパピオンのなかで笑いながら口にした言葉が頭の隅にこびりついて離れない。
昔からちーちゃんは巨大ロボとか怪獣とか大好きだったけど、単に憧れのシチュエーションを前に舞い上がっちゃってるって雰囲気ではなさそう。
ご両親を「もういない」って言ってたことも気になる。
こわくて深いところには踏み込めないけど、とにかくちーちゃんは今後もパピオンに乗る気満々みたい。
加えてフォーチュンさんの説明も……とりあえず噛み砕けたと思う。でもそのうえで、あたしたちが戦わなくちゃならない理由なんて、やっぱりないでしょ?
まだはっきりしない部分もある。界獣と戦ってあたしたちが負けたらどうなるの? 戦いの最中に死んじゃったら? これってべつに時給とか発生しないよね? お金ももらえないのに命かけて戦わなくちゃいけないの?
昨日みたいに苦しい思いをして、次の日起きたら周りの人はあたしたちが必死に戦ったことなんてなにも覚えてないんでしょ? 誰も喜んでくれないし、褒めてくれないんでしょ?
「わたしは……かっこいい萌音ちゃんが一緒だと…………嬉しい。わたしもかっこよくなれる、気がするから……」
……心強いって言ってくれてるのかな?
でもあたしはぐっと息を呑んで、ちーちゃんから目を逸らしながら答えた。
「……ごめん……あたしは、ちょっと付き合えないや」
「え……」
「ちーちゃんもよしなよ、こんな危ないこと。死んじゃったら、全部おしまいなんだし」
そうだ、おしまいなんだ。ひとりぼっちで、周りの世界と繋がらないまま死んじゃうなんて、考えただけで体が震えてくる。
落としていた視線を戻すと、抜け殻みたいになったちーちゃんが瞳をうろうろさせていた。
ちょっとだけ突き放すみたいな言い方になっちゃったけど、こういうことははっきり言わなきゃ。
「…………わたし、は」
「え?」
懸命に息を吸って吐きながら、ちーちゃんは抱えている感情を精一杯乗せるように言葉を紡ぐ。
いつの間にかちーちゃんの顔にはなんの感情も宿っていなくて、あたしは直感的にさっき投げかけた言葉をなかったことにしたくなった。
「わたしは…………いまの自分なんか、どうでもいいから」
こころなしか怒っているような声。でもあたしに対してじゃない。
「……ちーちゃん?」
あたしの手を優しく解いて俯いたまま動かなくなったちーちゃんに近づこうとしたそのとき、制服のポケットにしまってたあたしのスマホが鳴った。
「————う……! やばい、お母さんだ!」
画面に表示された名前をみて顔がひきつる。もしや先に家に帰ってきてしまったのかな。
でもよく考えてみると誤魔化しようはある。昼に近いいまの時間帯なら朝早くに札幌に出かけてたと説明すればそんなに違和感はないはず。
ウチは前から放任主義なところがあったから、詳しく突っ込まれることもないだろうし。
いっそのこと、このままどこかでお買い物してもいいかもしれない。画材とかちょっと見たいし。
「もしもし?」
なんでもない、普段通りの声色を装って電話に出た直後、あたしはお母さんが札幌の病院に入院したことを知らされた。
「——————お母さん……!」
病院の廊下をできる限りの早足で進み、とある大部屋の扉を開ける。
ベッドが四つ設置されている部屋。その奥、窓際のシートにギプスと包帯で右足が固定されたお母さんが横たわっていた。
「……萌音! なに来てくれたの⁉︎ ていうか早いわね」
家にいるときと同じ、うるさいくらいの笑顔で出迎えてくれる。
「たまたま札幌に遊び来てたの! それより骨折って⁉︎」
まいったと言うように肩をすくめたお母さんが自分の右足を一瞥。
「それが変な話なんだけどね、気づかないうちにやっちゃってたみたいなのよ」
「気づかないうち……?」
「オフィスで立ち上がろうとしたら、ほんと突然右足がうまく動かなくなったの。やたら痛いな〜って思ったら骨折よ骨折! お医者さんの見立てだと疲労骨折なんじゃないか〜って」
「……そう、なんだ」
「なんか割れ方が変わってたみたいだけどね。いやぁ働きすぎたかね〜。とりあえず担当紙面はぎりぎり出来てたからいいけど」
呑気に語るお母さんの話を聞いて、無視できない違和感がよぎった。
お母さんの仕事は新聞社の編集。スポーツマンでもあるまいし、足を疲労骨折だなんてあり得る……?
「割れ方が変わってるっていうのは?」
「ん? あー折れた箇所の話? なんかねー硬いものに思いきりぶつけたような砕け方してるっぽいんだよね、石とか。でもまあそんな覚えないしほんとに突然だったから、お医者さんもなんだろね〜って反応だった」
お母さんは昔からなんでも楽しそうに語る。
楽しそうに語れる話題しかあたしに聞かせないようにしてくれてるって気づいたのは、中学に上がってからだったかな。
「……石」
ついさっき、ほぼ初対面のお姉さんから聞いた話と重なる。
なにか、無理やり辻褄が合わせられているような。
石のようなものに思いきりぶつけたような怪我が、突然足に?
そのへんに転がってる石を蹴飛ばしても骨折なんて大事にはならないはず。そもそも札幌の整備された道に石ころなんて全然落ちてないし。
石じゃないとしたらなに?
蹴飛ばしたんじゃなくて、向こうから飛んできた?
飛んでくる、硬くて石みたいな……。地震とか津波、台風なんかで物が飛んできたら危ないよね。
「——————瓦礫……?」
「萌音、どうかしたの?」
タイミングが不自然なほど重なってる。
包帯まみれのお母さんの右足を見つめながら、いつの間にかあたしは深く考え込んでいた。
昨日の夜……大きいもの二つがあれだけ派手に街中を暴れたら、ビルみたいな建物も欠けたり壊れたりするよね。当然すくなからずその破片が飛び散ってるはず。
もし……もしも、
昨日の戦いにお母さんが巻き込まれていて、そのときの怪我がいまの現実に反映されちゃってるとしたら……。
いや、でも、界獣を倒せばぜんぶ元通りになるって、フォーチュンさんも言ってたし。よくないことが連続で起きたから、きっと勝手に結び付けちゃってるだけだ。
「……ううん。とにかく、あたしのことは心配しないでいいから、ゆっくり休んでね。必要なものがあれば買ってくるから、いつでも連絡して」
「相変わらず頼りになるねぇ〜あんた! ま、今後なにかあったらお願いね」
そう思い込もうとしてもなかなか晴れてくれない気持ちのまま、あたしは病室を後にした。
「おばさん……大丈夫だった?」
病院の駐車場を出てすぐのところで、ちーちゃんはひっそりと佇んであたしを待ってくれていた。
たぶん浮かない顔をしてるあたしを気遣ってくれてるんだ。控えめな態度は相変わらずだけど、心なしか普通にしてるときよりも声色が優しく聞こえた。
「骨折だって。全治三ヶ月」
「そっ……か」
なにかを話すタイミングを探るように、ちーちゃんがあたしの横顔に視線をちくちくさせてくるのがわかる。
しばらく無言で歩いて大通公園までやってきたあたしたちは、テレビ塔が近くに見えるベンチに並んで座った。
通路の脇に植えられているライラックが綺麗な薄紫を咲かせている。
桜とはまたちがう春模様に囲まれながら、あたしは切り出した。
「ねえちーちゃん。……界獣倒したら、壊れたものは元に戻るって、そういう話だったよね?」
「……うん」
ちーちゃんが話したかったことも同じ話題だったのか、あたしが言葉を繋げるよりも先にちーちゃんが言った。
「でも例外があるって……フォーチュンさんが言ってた」
「え?」
思いがけない発言だった。
「例外……?」
「うん。……界獣がもたらす影響の浸食具合は、時間経過と比例して深くなっていく。倒すのに時間をかけちゃうと……その分戦いで起きた変化は、反映されちゃうって」
「えっ、えっ? でもあたしにはそんなこと……」
「ごめん、フツーに言い忘れてたわ」
「うわっ⁉︎」
ベンチの後ろからあたしとちーちゃんの間に誰かが割り込んできた。
よく見てみるとそこにあった横顔は昨夜の革ジャン姿に戻ったフォーチュンさん。
「急に出てこないでくださいよ……」
「やっぱりちょっと気になってね」
「ていうか、なんでここに?」
「一度覚えた匂いをパピオンは忘れない。慣れたら居場所くらいは辿れるのよ」
『パオン』
「ええっ⁉︎」
続いてその真下、中途半端にスペースが空いていたベンチからパピオンが生えてきた。
ちーちゃんは部屋にいたときと同じ、特に驚いていない様子で「お手」や「なでなで」をして戯れ始める。
「ちょっ……この子外に連れてきていいんですかっ?」
「普通の人間には見えないって言ったろ」
『パオン』
「……あの、一応言っておきますけど、あなたはたから見たら完全に不審者……」
仰け反りながら話すあたしの目の前にフォーチュンさんが立てた人差し指を突き出す。
ぎょっとするあたしを横目に、フォーチュンさんはそれを自分の唇に当てた。
「ちゃんと聞いときなって。親御さん、怪我したんでしょ?」
……さっきまでの会話、本当に聞かれてたみたい。
「まだ界獣と関係あるって決まったわけじゃ……」
そのまま黙り込んだあたしに構わず、フォーチュンさんはぼんやりと正面の広場を眺めながら口をひらく。
「いま中学生が説明したとおり、界獣は存在するだけで世界を浸食する。完全に影響を残さずに戦いを終わらせるための猶予は……せいぜい三分ってところか」
「三分……? 三分で倒せなきゃ、戦いの影響がちょっとは残っちゃうってことですか⁉︎」
「ああ」
……お母さんが怪我をした、みたいに?
動揺するあたしを一瞥して、フォーチュンさんはこなれた調子で続けた。
「そういうときに残る影響は様々だ。戦闘中に破損したビルが原因不明の事故で爆発したことになっていたり、巻き込まれて怪我をした人間が別の理由で負傷したことになっていたり……。ほら、いつの間にか指に切り傷できてることとかあるだろ? ああいう感じの現象が、世界規模で起こる」
「そ、そんなの……ビルみたいな大きいものはともかく、小さなケガなんて界獣との戦いが原因かどうか判別できないじゃないですか」
骨折はぜんぜん小さくないけど……。
「そうだよ。でも不自然な点がすこしでもあるなら、だいたいは界獣のせいと思ったほうがいいかもね」
なに、それ。
わけがわからなすぎて怖い。わからないってこんなに怖いんだ。
「でも逆に言えば……最終的に界獣さえ倒せば、戦闘中にビルがぶっ飛ぼうが人が死のうがぜんぶ元通りになる可能性はあるってことだ。だから気楽にしな」
「いや気楽でいられるわけないじゃないですか……」
すこし間を置いてから、あたしは意を決して聞いた。
「……負けたら」
「ん?」
「あたしたちが負けたら……どうなるんですか?」
「負けたら? あー、そりゃお前……たぶん終わりだよ」
下の方でおすわりしてるパピオンの頭に触れながらフォーチュンさんは淡々と言った。
「パピオンが死ねば界獣の浸食は『暫定』から『確定』に変わるし、そうなれば戦闘中に起きた出来事はもう取り返しがつかない。壊れた建物は壊れたままだし、死んだ人間は死んだまま、世界に辻褄が合わせられる。まあ、アタシが実際に体験したわけじゃないけどね」
こわかった答えを突きつけられて、あたしはしばらく何も言えなかった。
やっぱり想像してた通り責任重大な役割じゃん。
世界中に生きてる人たちの運命を背負って、巨大ロボで戦えって……。
「お姉さん……フォーチュンさんは、どれくらい前から……こんなこと続けてるんですか?」
「んー……高校生んときから。“使い手”の先輩からいろいろ教えてもらって引き継いだ。まあその人死んじゃったんだけど」
「あ……ごめんなさい」
「べつにー? 今さら引きずることでもないし」
軽薄に見えたフォーチュンさんの言動に重みが加わっていく。
やっぱり界獣との戦いで死んじゃうこともあるんだ。意外、というわけでもないけど。
……それなのにどうしてこの人はこんなに平気な感じでいられるんだろう。
「お、なんか奥に店でてんじゃん。ビールあるかな〜ビール」
そう言ってフォーチュンさんはベンチから離れるとテレビ塔とは反対側に小走りで去って行った。世界を守ってる人とは思えない軽快、いや軽薄なステップで。
奥の広場をよく見ると夏祭りみたいにいくつか出店が並んでいて、大通公園の人気がそこへ吸い込まれていってるみたいだった。
たしか春はライラックまつり……だっけ。札幌、特にこのあたりでは季節ごとにこういうイベントがよく催されてる。
去年の冬にやってたミュンヘンクリスマス市はみこっちと一緒に回ったなあ。今年はちーちゃんとも行けるかな?
——————いや、そんなことより、
「ちーちゃん、昨日の夜……『かっこよく死にたい』って、言ってたよね?」
仮にこの先もフォーチュンさん————界獣やパピオンにも関わるのなら、避けては通れないこと。
頭のチャンネルを日常から非日常に切り替えて、あたしはちーちゃんに聞こうか迷っていた疑問について踏み込んでみた。
ちーちゃんはすこし迷うように視線を泳がせてから、小さく「うん」とだけつぶやく。
「それって……こんな話をすぐに受け入れたことと関係してるの?」
「……お父さんと、お母さん」
ちーちゃんから返ってきたのは、またしてもあたしが想像もしていなかったものだった。
「ふたりは…………界獣との戦いに巻き込まれて、死んじゃったの」
パピオンを抱えながらそう発したちーちゃんの横顔を見つめて、あたしは言葉を失った。
「………………え?」
顔色ひとつ変えないまま、ちーちゃんはパピオンと戯れている。
「一年くらい前に……向こうでも昨日みたいなことが起きたの」
「っていうと……」
「界獣が現れて、パピオンに倒された。……いまと同じで、次の日には何もかもなかったことになっていたけど、お父さんとお母さんだけは、帰ってこなかった」
東京でも界獣が……? フォーチュンさんの家は札幌にあるし、わざわざ向こうまで飛んで行ったってこと……?
パピオンを撫でる手を止めて、視線を落としたままちーちゃんが続けた。
「そのときはフォーチュンさんたちのことも知らなかったから、よくわからないままだったけど……さっき萌音ちゃんが眠ってるときに、聞いたの。界獣との戦いで巻き込まれて『死亡』が確定した人たちは、行方不明ってことになるって」
「行方、不明…………」
さっきフォーチュンさんが言っていたことを思い返す。
三分以内に界獣を倒せなかった場合、その影響は修正しきれずに漏れ出て世界に反映されちゃうって話。
ちーちゃんのお母さんとお父さんが巻き込まれた戦いは長引いてしまったんだ。
だからふたりが死んだことがリセットされずに、都合よく世界に「確定」されてしまった。
「捜索願は出したけど……ダメだった。それでおじいちゃんがこっちに戻ってきなさいって」
「それで北海道に……」
ちーちゃんの話を聞いて、どこか納得しちゃってる自分がいた。
昨日の夜、月山の町で界獣やパピオンを見たとき、ちーちゃんは驚かなかった。初めて見たわけじゃなかったからだ。
「——————ちーちゃんが戦いたいと思っているのは、つまり、えっと……」
お父さんとお母さんの後を追おうとしてるから?
そんなこと、直接聞けるわけない。
そもそもお父さんとお母さんが亡くなったのも本当に界獣が原因かなんてわからない……なんて言葉も気休めにもならない。
ちーちゃんママのこともちーちゃんパパのことも詳しく知ってるわけじゃないけど、ちーちゃんひとりを置いて突然どこかへ行っちゃうような人たちだったとは思えない。
それに状況だけ見たら、どう考えても界獣が絡んでるし。
「萌音ちゃん」
ちーちゃんは口を開きかけたあたしが考えてたことを察したみたいで、視線だけこっちにくれながら答えた。
「わたし、小学校の頃…………勉強も運動も、人付き合いも苦手で……だからあんまり、学校に行くのも好きじゃなかった。生きていてもかっこよくない、いてもいなくてもいい人なんだって、思っちゃうから」
「そんなこと……」
「だからひとりで公園にいたわたしに、萌音ちゃんが声をかけてくれたとき……嬉しかった。わたしはなにも持っていないのに……得意なことがあって、かっこいい萌音ちゃんと繋がれたことが、すごく嬉しかったの」
言われて唐突に思い出す。
そうだ。砂場で両手に持った怪獣とロボットの人形をぶつけ合って遊んでいるちーちゃんが目に留まって、なんとなく一緒に遊ぼうって誘ったのが付き合いの始まりだった。
それにしてもちーちゃんの物言いは大袈裟すぎる。
公園で歳が近い子に声をかけるなんて珍しいことでもないし、お絵かきのことを言ってるんだろうけど……かっこいいって褒められるほどの特技じゃないってことは、あたしがいちばん理解してる。
どうしてだろう。ちーちゃんにかっこいいって言われるのは、嬉しいことのはずなのに。
こんなあたしの……誰にでも見せられるような善意で救われた気持ちにさせてしまったことが、すこし重たく感じた。
「————わたし、萌音ちゃんみたいになりたい。萌音ちゃんみたいに自分を貫ける人に。何もないわたしがそうなるためにはもう、ぼろぼろになるまでパピオンと一緒に戦うしかないと思う、から」
照れくさそうに話すちーちゃんから、あたしは目を離した。
自分を貫いてる、なんてかっこいい言い方ができる人なのかな、あたし。そんなふうに自分を俯瞰したことがないから、わかんないや。
ぼろぼろになるまで戦うって、テレビでやってるヒーロー番組みたいに?
かっこいいのかもしれないけど、実際それってどれくらいの人に褒められるの?
「……今日はもう、帰ろっか」
「……え」
気がつけばあたしは、ちーちゃんの手をとってベンチを後にしようとしていた。
「も、萌音ちゃん、フォーチュンさんは……」
「ほっとこ。なんかどっか行っちゃったし……」
ふらふらと出店のほうに向かって行ったきり戻ってこないフォーチュンさんの姿が周囲にないことを確認してから、あたしはちーちゃんの手を引いて大通公園を出た。
あたしがパピオンに乗り気じゃないことを察してくれてるのか、そこから先ちーちゃんは静かになった。
話しかけるなオーラ出しちゃってたかな。気をつかわせちゃったかな。
ちょっぴり心苦しいけど、いまはもうなにも考えられない。
逃げるように札幌駅まで一直線に歩いて、あたしはちーちゃんと一緒に電車に揺られて月山市に帰った。
「あの、よかったらウチ寄ってく?」
あたしとお母さんが住んでる分譲マンションは月山駅のすぐ近く、歩いて五分くらいのところにある。
見るからにわくわくしてたちーちゃんに水を差してしまったので、せめて家にお招きしようと思った。
マンションの入り口前で立ち止まったあたしからの突然の誘いに大きな目をぱちくりさせたあと、ちーちゃんは嬉しそうにパッと笑って「うん」と大きく頷いてくれる。
「おじゃまします」
「どうぞどうぞ〜。ほんと久しぶりだよね、ちーちゃんがウチくるの」
玄関が狭い。子どもの頃はなにも思わなかったけど、中学生と高校生になったあたしたちが一緒に立つとさすがにスペースが足りなかった。
「とりあえず手洗いうがいして、そのあとお風呂入ろ」
「うん。…………えっ」
「昨日から服そのままでしょ? 着替えも貸すからさ、ほらいこ」
同じ服を着続けてると体ごと心もきゅっと窮屈になっていく感じがするから、あたしは帰ると決まってすぐお風呂に入ってリラックスできるルームウェアに着替える。
ありえない話を散々聞かされてパンク寸前の頭も、湯船に浸かってふわふわのフリースに包まれればスッキリするというものだ。
それであわよくば、あたしの頭からもちーちゃんの頭からも、昨夜のことは綺麗さっぱり消えてくれればいいのに、と…………無意識に願わずにはいられない。
「流すよー。目つぶって〜」
「ん……」
最初は戸惑ってたちーちゃんだけど、いざお風呂場へ連れ込んだらおとなしく体を洗わせてくれた。小学生の頃でも裸の付き合いはしたことなかったから、改めて距離が縮まってる感じがしてすこし嬉しい。
色白だけど、ちゃんと血が通ってて健康的で綺麗な肌だ。
学校には行けてないって言ってたけど、たぶん家に引きこもってるとかじゃなくて、外出自体は頻繁にしているのだと思う。
学校帰りのあたしと会ったときみたいに、普段から散歩とかしてるのかな?
「ふぃいい〜〜〜〜〜〜〜〜! ごくらく! 狭かったら言ってね」
「だいじょうぶ……」
ウチのバスタブはひとりだと足が伸ばせるくらいのサイズはあるけど、ふたりだと流石にすこし譲り合いが必要だった。
お互いに膝を曲げた状態で向かい合って、手のひらで掛け湯をしたりと心を落ち着かせる時間が十秒くらいあった。
「タオルのクラゲつくろうよクラゲ」
「あ……それ、わたしもよくやる」
「あたし小学校ぶりかも。限界までおっきくしてみよう……あれ?思ったより膨らまんな……」
「最初にちゃんと広げて、こう……ゆっくり持ち上げると、いいのが出来る」
「ほんとだ、すっご〜……ちーちゃんプロかよ」
「へへ……」
本当にどうでもいいことに時間を費やしたあとでお風呂から上がる。
「ちーちゃん、部屋着なに色がいい? ピンクと水色と……紫もあるよ」
「あ……水色、すきかも」
「オッケー。じゃああたしピンクにしよ」
外はまだまだ明るいけど、それからあたしたちはお揃いのルームウェアに着替えて、お互いの髪を乾かしてからあたしの部屋で寝そべりモードになった。
ちょっとサイズが合わなくて袖が余ってるちーちゃんが可愛い。
ちーちゃんはカーペットで横になってて、あたしは中途半端にベッドに上半身を預けて思わずうとうとする。なんか動物園のパンダみたい。
「……これって」
同じくぼんやりしてたちーちゃんが何かに興味を示して、壁際にある小さめの本棚に四つん這いで近づいた。
そこに敷き詰められてたのは大量のスケッチブック。あたしが小さい頃から描き溜めてた夢の結晶といったところだろうか。
「好きに見ていいよ。最近のやつは……このへんかな」
好きにとは言いつつも昔の拙い絵を見られるのは顔から火が出そうだったから、あたしはしれっと最近描いたばかりの練習絵が描かれた一冊を取り出して、カーペットの上でそれを開いた。
まず視界に入ったのは頭が狼の獣人剣士キャラだ。
「最近構想してた漫画のキャラクター案だね。毛の作画コストすごいの、この子」
「おおおおお……!」
ちーちゃんの感動したときの反応が昔と変わってなくてちょっと笑ってしまう。
宝石みたいな目であたしの絵に夢中になってくれる姿は、本当にあの頃と変わってなかった。
「すごい、かっこいい……! 萌音ちゃんすごい!」
「えへーへへ」
ストレートに褒めてくれるのも昔とおんなじ。
キラキラした瞳からはお世辞とかウソの気配がまったくしなくて、褒められたあたしも照れる以外の選択肢がなくなっちゃうこの感じも久しぶりだ。
嬉しいはずなのに「すごい」「かっこいい」がひたすらに繰り返される空間に全身が熱くなってきて、なんだかここから駆け出したくなる。
あたしはいいとこでカバンから現在進行形で使用中のスケブを取り出すと、ちーちゃんの横顔に向けて提案した。
「ねえねえちーちゃん、もしよければなんだけど、ちょっと絵のモデルになってくれない?」
「え?」
「うん、絵」
再会したちーちゃんは端的に言ってとても綺麗になっていた。
まだ中学生でメイクの類なんかもまるっきりしてないはずなのに、思わず「顔がいい」だなんてありきたりな感想が飛び出てしまいそうになるほど。お風呂上がりのちょっとしっとりしてる今の感じなんか、もう国とか傾けちゃいそう。
実は川で話したときから密かにデッサンさせて欲しいと思ってたのである。
「モデル……わ、わたしが?」
笑顔のまま固まっていたちーちゃんがみるみる世界の終わりみたいな表情に変わっていく。
「ね、おねがい! 一枚だけでいいから! ぜ〜ったいかわいく描くから!」
「かわいく……」
「おねがいっ! おねがいおねがいおねが〜〜〜〜い!」
「……かっ……かっこよく、描いてくれるなら……」
「描く描く! かっこかわゆく描くよ!」
気づけばちーちゃんの答えを聞き終わる前に、あたしは学習机に転がってた鉛筆を手にとって白紙のページを開いた。
「あ、気にせずそのまま見てていいから!」
つい鼻息が荒くなっちゃうあたしとは逆に、ちーちゃんは遠慮がちに肩を縮める。
困り顔で目をうろうろさせたあとで最初に開いたスケブに視線を落ち着かせたのを見て、あたしは手を動かし始めた。
思ったとおり筆がノるノる。
最後に現実の人を描いたのは……一年くらい前かな? みこっちにモデル頼んだ気がする。あのときは向こうが途中で飽きちゃってちゃんと描けなかったけど。
それにしても顔がいい人間ってこんなに筆が進むものだって知らなかった。今度から定期的にお願いしようかな————————
「あ……」
「ん、どした?」
「ギガデラス」
ちーちゃんの瞳が吸い寄せられるように一点を見つめている。
ふとスケブを見てみると、さっきとは別のページが開かれていた。
そこに描かれていたのは小さい頃にあたしがちーちゃんにプレゼントしたお人形と同じ見た目のロボットキャラ。
「あー、それ? なんとなくちーちゃんとセットで印象に残っててさ、たまにロボット系の練習がてら描いたりするんだよね。無双なんちゃら神ギガ……デラス?」
「無双守護鉄神ギガデラス」
「そうそうそれ。もうなにも見ないで描けちゃうよ〜」
お、また瞳がキラキラし始めた。シャッターチャンスだ。
急ぎめに鉛筆を走らせながら、あたしは雑談を続ける。
「ちーちゃんはこのロボットのどこが好き?」
「……純粋でやさしいところ、とか……」
「え、それってロボだよね?」
「ロボットだけど生きてる……っていうか、宇宙からきた機械生命体で……仲良くなった主人公を乗せて、一緒に地球を守るために、怪獣とかほかのマニューバと戦うことになったりする、っていう」
「マニューバって?」
「あっ……名前、機械生命体の」
「アベンジャーズの敵みたいな? ていうか、コイツって宇宙人だったんだ? ぜんぜん知らなかった……」
「うん。地球のことに疎い、けど……一生懸命みんなのことを知ろうとしたり、必死でみんなを守ろうとするところが、かっこいいの」
いい笑顔になってきたちーちゃんに沿って線を引く。
なんだか楽しそうに好きな作品の話をしてるちーちゃんがずっと見ていたくなって、話題を引き出すあたしも饒舌になっていった。
————————うん、こういうのでいいよ。
ロボットの話題のなかでちらりとパピオンやフォーチュンさんのことが浮かんで、あたしは思った。
命をかけるとか、かっこよく死にたいとか、そんなこと簡単に言っちゃダメなんだよ。
だって、そんなのあまりにも寂しいじゃん。
たとえ本人が望んだことだとしても、無関係な人たちも含めた大勢を助けて、代わりに自分だけいなくなるなんて、そんなのはダメだ。
その人がひとりぼっちになるだけじゃない、
その人を大切に思う別の誰かも、ひとりぼっちにすることになって…………。
……なんでこんなこと考えてるんだっけ。
「ねえ、ちーちゃん」
「うん?」
——————あたし、ちーちゃんには死んでほしくないよ。
あたしが描いたギガデラスを愛おしそうに指先でなぞるちーちゃんに対して、あたしは素朴なお祈りをしようとする。
でも口に出せなかった。
あたしがちーちゃんを大切に思っている気持ちは、純度百パーセントで健全だなんて胸を張って言えない。それがわかってたから、声に出せなかった。
ちーちゃんがいなくなったら、あたしの絵を心の底から褒めてくれる人がいなくなっちゃうから。だから、ちーちゃんにはいなくなって欲しくない。小学生のときから変わってないんだ、あたしは。
最初にちーちゃんの話を聞いたときは、なにそれって思ったけど……同じなのかもしれない。あたしも生きるうえでの意味を求めてる。
ちーちゃんが「かっこいい」に生きる理由を見出すように、あたしは自分の絵に理由を見出してるんだ。
「……萌音ちゃん?」
怪訝な声を聞いて、ハッと目を凝らす。
呼びかけの続きを待ってるちーちゃんと視線がかち合うけど、結局あたしは自分のエゴを伝える準備もできていなかった。
「……お、おなか空かない? なんか作るからちょっと待っ——————————」
逃げるようにその場から立ち上がろうとしたあたしを、スマホの着信音が引き留めた。
でもあたしのスマホからじゃない。
ちーちゃんはあたふたした様子でぐるりと周りを見渡すと、背後のカーペットに放置していた自分のスマホを手にとった。
「もしもし。……フォーチュンさん?」
非日常の象徴みたいな名前がちーちゃんの口から聞こえて、あたしは石にされたみたいに固まる。
通話越しにそうしろと伝えられたのか、ちーちゃんはおもむろに耳からスマホを離すとスピーカー機能をオンにしてあたしとの間にそれを置いた。
『あー、もしもし? ふたりとも揃ってんのかな? ったく、急にいなくなりやがって』
大通公園で別れてそれっきりにするつもりだったお姉さん————フォーチュンさんの声が聞こえてくる。
「ちーちゃん、連絡先交換してたの……」
「う、うん。萌音ちゃんが寝てる間に……」
『お、いるな? 常識人の女子高生』
「なんの用ですか?」
『そう警戒するなって。一度は一緒に世界を救った仲だろ?』
「あのときはあたしも必死で……!」
『パピオンが界獣を感知した、数分後には旭川のほうに出現する』
「……は? 旭川?」
『準備ができてるヤツだけ来い、“使い手”たち』
その言葉を聞いて、ちーちゃんは勢いよく背筋を伸ばして立ち上がる。
「ち、ちーちゃん⁉︎ ————ちょっとあなた……フォーチュンさん! なんなんですか急に⁉︎」
『あんま待たせんなよー』
最後の一言と同時に通話が途切れ、代わりにジェット機でも飛んできたのかと思うくらい激しいエンジン音が家の前で止まった。
まさかと思ってあたしは部屋を飛び出してリビングを通り、ベランダのカーテンと窓を全開にする。
当然のように、そこには大きくなったパピオンの眼光があった。
あたしとちーちゃんを飲み込んだときのメカメカしい見た目のまま、「ここから入れ」と言わんばかりにどでかい大口を開けて待ってる。
こんなにマンションに近づいてほかの人に見られたら———︎———ああいや、普通の人には見えないんだっけ。
「え〜…………? ちょっと、待ってよほんとに……」
「ッ!」
「ちーちゃん⁉︎」
あたしが足踏みしている間に、真横を駆け抜けたちーちゃんがベランダから飛び降りた。正確にはパピオンの口に向かって跳躍したんだけど。
『来るならさっさとしろ、女子高生』
開いた口の奥、トンネルみたいに広い喉へするりと飲み込まれていくちーちゃんを見送ることしかできないあたしに対して、パピオンの中からフォーチュンさんが問いかけてくる。
「……ああ、もうっ!」
行く以外の選択肢はなかった。
だってちーちゃんひとりで向かわせられないし……。
「わぁぁぁああああああああああああああああああああ————————っだぁ⁉︎」
何度もでんぐり返しさせられたあと、盛大に尻餅をつく。乗り込むたびに放り投げられるのかな、これ。
周りは昨日見たのと同じ真っ白な空間。
ちーちゃんと一緒にフォーチュンさんが佇んでて、涙目でおしりをさするあたしの顔を覗き込んで「よ」なんて能天気な会釈をしてくる。
「いや〜よく来たな、えらいぞ。……部屋着おそろいじゃん? 仲いいな」
「界獣を感知って……どういうことですか⁉︎」
「二日連続は珍しいんだけどな。パピオンには界獣の出現場所をおおまかに事前察知する機能が備わってるんだよ」
「それにしたってなんで旭川……?」
「界獣はパピオンとその使い手を優先的に狙ってくるからな。座標はある程度近くになる。たまに例外もあるが……」
『パオン』
パピオンの鳴き声がコックピット内に直接響いて、フォーチュンさんが弾かれるように投影されたモニター側へ向いた。
「おしゃべりはそこまで、だとさ」
「うわっ⁉︎」
フォーチュンさんの一声と連動するみたいにパピオンが動き出す。
大きな背中についてる大きな噴射口を勢いよく吹かして、デカメカ犬は黄昏時の空に飛び立った。
「あの、言っておきますけど、あたしはまだ戦うって決めたわけじゃありませんからね」
「そう」
そっけなく返してきたフォーチュンさんに対して精一杯抗議の意を宿した目で睨み返しつつ、ふとその横に立ってるちーちゃんの横顔に視線を移す。
ちーちゃんの口元はこころなしか嬉しそうに綻んでいる気がした。
この場で覚悟が決まり切ってない人間はやっぱりあたしだけみたい。逆にあたしがおかしいのか、これ?
百歩譲って共感できるかさておき、ちーちゃんの迷いのなさはひとまず把握した。でもさりげない先輩風をふかしてくるこの革ジャンお姉さんはなんなの?
今朝はこわくてちゃんと話を聞けなかったけど。
どうして界獣と戦ってるの? どうしてこんなにあたしたちに構うの?
フォーチュンさんはなんのために、パピオンと一緒に命を張ってるの?
「……あの」
「見えたぞ」
「はやっ⁉︎」
時間にして三十分も経ってないんじゃなかろうか。
あたしが頭のなかで折り合いをつける準備をしている間に、パピオンは戦場に突入していた。
あたしが外の景色を確認したいと無意識に思うのとほぼ同時にサイドモニター的なものが真横に投影されて、眼下に広がる旭川の風景が見える。
背の高い建物が並んでいる、札幌にも劣らない規模の都会の街。ちゃんと来たことはなかったけど、こんなに大きなところだったんだ。
そんな空から見える情景のなかに、異様な存在感を漂わせている物体がゆったりと移動していた。
「……あれですか?」
「あれだな」
ビルの間を這う巨大な岩石、というのが第一印象。でもよく観察すると手足も、頭っぽい部分もある。背中には小さい火山みたいな突起が生えてて、そこからモクモクと灰色の煙を出していた。
ごつごつした文字通りの岩肌に覆われた四つ足は、前脚のほうが大きく発達してるみたい。
「速攻で片をつけるぞ!」
「はいっ!」
「えっ、は、はぃ——————おわああああああああああああああああ⁉︎⁉︎」
昨夜と同じ、長らく乗っていなかった絶叫マシンの急降下が全身の浮遊感を誘って咄嗟にしゃがみ込む。
もうほんと、頼むからできるだけ早く決着をつけてほしい。もうあたしの頭にはそれしかなかった。
犬形態のまま地表に向かって突撃したパピオンが一瞬で岩の界獣に肉薄して体当たりをしかける。
盛大に転ばせられると思ってたけど、予想以上に相手が頑丈だった。
跳ね返された衝撃がコックピットにも伝わってきて、あたしたちは三人揃って後ろに倒れそうになる。
「んのやろ……ッ!」
フォーチュンさんが前のめりになるのと同時に、取っ組み合いをしかけたパピオンが界獣の肩に噛みついた。
う、なんか嫌な感触があたしたちにまで伝わってくる。炊けてない米粒に気づかないまま思いっきり噛んじゃったときみたいな、不安になる歯ごたえが。
「かっっっっっった! ビクともしませんけどコイツ!」
「クソッ!」
「ちーちゃんの前で汚い言葉やめてください!」
「昨日のアレだ! 人型になるやつ! アレになって武器で焼き切るよ!」
「で、でもどうやって変形するんですか⁉︎」
「アタシが知るわけないでしょ! お前らがやったんだから!」
「いやいやいやいや! あたしらだって知りませんって必死だったんだから!」
「……! くる!」
ちーちゃんが目を凝らした先を見ると、界獣が首元まで裂けるくらいに大きく口を開けている姿があった。
そのままものすごい速度で溶岩みたいな火球を出してきて、パピオンの顎にそれが直撃してしまう。
「きゃあああああっ⁉︎」
「ぐっ……!」
容赦なく三半規管を責め立ててくる揺れ。
「回避!」
パニックになりかけてた頭のなかにフォーチュンさんの声が響く。
その瞬間、あたしとちーちゃんとフォーチュンさん、三人が思うパピオンの行動が一致したのを感じた。
これまでとは比べものにならないくらいの速さでパピオンの四肢が動いて、正面から発射され続けてる火球を横っ飛びで避ける。
そのまま一箇所に留まってあたしたちへ火球を吐き出し続けている界獣の周辺を走りまわって逃げに徹しながら、反撃の糸口が見えない状況に歯噛みした。
「……どうして、できないんだろう」
落ち着いてたちーちゃんの表情からも焦りがにじんでくる。
パピオンがメカメカしい見た目になっているのは昨日と同じだけど、今回はいつまで経っても二足歩行の獣人形態に変形する気配がなかった。
犬のかたちじゃ武器は使えないみたい。
ビームの剣がびゅーって伸びて、あっという間に界獣を両断するあの切れ味が必要なのに。
——————昨日となにがちがう? なにが足りてない?
「あっ」
「えっ」
「やばっ……⁉︎」
界獣のまわりを駆けながら隙をうかがっていたそのとき、まさかの前足がつまずいて頭からパピオンを転倒させてしまう。
「ったぁ〜……!」
「動きがガタついてる……」
「どうしたどうしたお前ら! 昨日はあんなに動けてたろ! もっと息を合わせろ!」
「いき……」
またしても打ったおしりを撫でて乱れた呼吸を整えながら改めて可能性を探る。
さっき一瞬だけすごい速さで攻撃を避けられたとき、あたしたちは同じことを考えてた。「界獣の攻撃を避けなきゃ」って、言語化するよりも先に思考を総動員させてパピオンの巨体を操作していた。
いまいる場所……勝手にコックピットって呼んでたけど、座席とか操縦桿もないし、戦うときは考えるだけでパピオンは動いてくれる。
……思考で操作するから、パピオンの強さも操ってる人の精神状態で変わる?
いや、そもそも昨日あたしたちが見た獣人形態のパピオンって、よく考えたらあたしが描いたキャラクターに似てない?
フォーチュンさんは“使い手”の特性によってパピオンの姿も変わるって言ってた気がするし————————もしかして、獣人形態はあたしがパピオンに影響を与えた結果生まれた姿?
なんとなくちーちゃんの力だと思い込んでたけど、武器を携えたあの形態になれないのはあたしのせい?
「女子高生! ぼーっとするな!」
「あ——————————」
体勢を立て直そうと足をバタバタさせているうちに、界獣のほうから仕掛けてきた。
最初の意趣返しみたいなタックルがパピオンの脇腹に刺さって、ビルを巻き込みながら何度目かの横転を繰り返す。
「いまのパピオンじゃ地道に噛み砕くしかないけど……んなのんびり戦ってる時間はない。なんとしても変形を成功させる! 一度できたなら、できないわけないんだからな!」
「は、はいっ」
あたしはその場にへたり込んだまま、隣で立ち上がるフォーチュンさんとちーちゃんをぼんやりと眺めた。
もしかして……いやもしかしなくても、結構やばい状況なのかな?
ふたりはとっくに戦う覚悟を決めてる。後ろ向きなのはあたしだけ。あたしが戦いたくないせいでふたりが危なくなってる。
「ふたり」……? 本当にふたりだけ? ちがう、パピオンが負けたらその影響は世界に残っちゃうって説明された。
負ければ失うのはちーちゃんたちだけじゃない。この街は壊れたままだし、今後同じように界獣と戦ってくれる存在なんて現れないかもしれない。
悲しいことが起き続けちゃうんだ。
お母さんがケガしたときみたいに。
それを防ぐことができるのは、
「またくるぞ!」
体勢を立て直そうとするパピオンに界獣が正面から突進してくる。
咄嗟の回避が間に合わずに、また四つ足同士の取っ組み合いになった。
岩の界獣が大顎を展開してエネルギーチャージを始める。さっきの火球よりも数段上、今度は一撃であたしたちを消し炭にするつもりみたいだった。
「離脱を————————!」
うろたえるフォーチュンさんの必死な表情が視界に入る。
————瞬間、何かが見えない回路を通じてあたしの中に流れ込むような感覚があった。
きっとこの人も、あたしとちーちゃんみたいな初心者がいなければもっと上手く立ち回れてたんだと思う。
最初から独りで戦えば、もうすこしなんとかなったかもしれないのに。知らないけど。
とにかくこの人は多少強引にでもあたしとちーちゃんを戦いに参加するよう、しつこく勧誘してきた。
大遅刻しちゃったけど気づく。この人、ずっと寂しそうな顔をしてたんだ。
家で話していたときも、大通公園にいたときも、いまこの瞬間も、この人は独りが嫌だって顔をしてる。
あたしにも覚えがあるから分かる。
この人はきっと何かにしがみついていて、それを離したくないからパピオンと一緒に戦ってるんだ。
「…………なんで」
それでも、何度考えたってわからない。わからないよ。わからないことだらけ。
ちーちゃんが自分から危ない目に遭ってまで「生きる意味」にこだわるのも、
会ったばかりのフォーチュンさんが、あたしたちに背中を預ける理由も、
自分の命って、そんな簡単に天秤にかけられるものじゃないでしょ?
だってひとつしかないんだよ?
あたしはひとつしかない自分の命をふたりみたいには扱えない。扱えるはずがない。だって自分が大事で大事で仕方がないから。
…………でも、
…………………………でも!
「ッ!」
あたしが立ち上がると同時に、パピオンの背中のジェットが炎の柱を伸ばす。
急発進させたせいでバランスを崩して一回転しちゃったけど、あたしたちを掴んでいた界獣を突き飛ばして上に逃げることができた。
「萌音ちゃん!」
「女子高生⁉︎」
「あたし…………だって!」
危ない目に遭うのは嫌だけど、それと同じくらい大切な人がいなくなるのも嫌だから。
戦わなきゃ街が、お母さんが、ちーちゃんが、世界が壊れるっていうのなら、いくらでも戦ってやる。
戦って、戦って、戦って、守り抜いてやる。「かっこよく死にたい」なんて、そんなのはあたしが許さない。これは生きるための戦いだ。
独りぼっちになるなんて、嫌だから——————————!
「あたしだって…………必死になる理由くらい、ある!」
ここにいるみんな、誰もどこへも行かせない。あたしが独りになりたくないから。
そのためにも目の前の敵を倒さなくちゃ。
昨日はじめて戦ったときみたいに武器が要る。
あたし独りじゃ振るえない、強い武器が。
「あたしやるから! だからふたりも合わせて!」
「萌音ちゃん……!」
「ようやくギアが入ったか」
情けない言い分かもしれないけど、これであたしも後ろ向きじゃなくなった。
昨日と同じイメージをつくる。あのときは戸惑いも大きかったけど、全員が界獣を倒そうと同じ方向を向いていた。
きっとパピオンにとってはそれがいちばん大切なことだったんだ。
ちーちゃんが好きだったロボットを思い出して、あたしの理想も相乗させる。
……そうだ、ちーちゃんは大きくなったパピオンに新しい名前をつけていた。あたしのなかの空想をかたちにするために、その名前も借りよう。
これはあたしのため、そして……あたしを取り巻く大切な人を守るための「変形」……!
「自己中変形! ギガントパピオーーーーーーーーーーーーーーーーン‼︎」
心から叫んだあたしの声に応えるように、パピオンもといギガントパピオンは犬の形状からパーツの分離・合体を繰り返して別のかたちへと早変わりしていく。
盾と一体化した大きなブレードを右腕に携えた、白い獣人の姿。
ふたつの脚でしっかりと地面を踏み締めた巨大な戦士の瞳には、あたしと、ちーちゃんと、フォーチュンさん、三人の闘志が確かに燃えていた。
「やった! ちーちゃん、あたしたち出来たよ!」
「うんっ……!」
「なんだよ自己中変形って……」
「こういう掛け声って大事じゃないですか? ね、ちーちゃん?」
「うん、いいと思う……!」
「まあなんでもいいか。いくぞふたりとも!」
界獣の口から発射された火球に対して、あたしたちはギガパピの剣からビーム状のブレードを伸ばして対抗。
光の刃を振り回して火球を切り落としながら、あたしたちは一瞬で距離を詰めていった。
「そぉ…………らっ!」
すれちがいざまに界獣の脇腹を切りつける。踏み込みが甘かったのか、傷は浅い。
でもそこで動きを止めることなく、あたしたちは次の行動に移る。
三人の頭のなかがクラウド上で統合されてるみたいな、そんな不思議な感覚のなかでシームレスにギガパピへと指示を伝達させられた。
「なんだ……⁉︎」
反撃されて怒ったのか、界獣は爆発させた感情をそのままぶつけるように背中の火山から追加の火球を射出してきた。
まるで火の雨。
不規則に散りばめられて降ってくる攻撃に、あたしたちはギガパピの盾を上に構えて傘がわりにしてやり過ごそうとする。
「本気出してきたな、アイツ!」
「これじゃあ身動きとれませんよ!」
「こういうときは……!」
そう言ってちーちゃんが前に出た瞬間、またギガパピの全身が折れ曲がって犬の姿への変形を始めた。
低くなった姿勢のまま、降り注ぐ火球の間をくぐって大地を駆け回る。
そうか、こういう広範囲の攻撃に対してはワンコ形態のほうが適してるんだ。
「さすがちーちゃん!」
「打ち上げろ中学生!」
「はいっ!」
翻弄しつつ距離を縮めたギガパピの尻尾をムチみたいに振って界獣のおなかを捉える。
ギガパピが四つの足でしっかりと体勢を維持しながら振り抜かれた大きな尻尾が、野球ボールみたいに界獣を真上へと吹っ飛ばした。
夕焼け空に昇っていく岩の塊を見失わないよう目を凝らして、あたしたちはトドメの準備をする。
「もう一回さっきの!」
「変、形……!」
あたしたちも上に思いっきり跳んで、対空したまま変形。
さらに背中のブースターで加速して、先に打ち上がった界獣にマウントをとる位置で止まると右腕についてる剣から特大のビーム刃を噴出させた。
「そりゃあああああああああああああああっ!」
急降下。
そんでめった斬り。
あれだけ硬くてびくともしなかった界獣の岩肌がジャガイモの皮みたいにスパスパ切れていく。
懲りずに火球で抵抗しようと大口をこっちに向けてくる界獣に対して、あたしたちは構えたブレードをそこへぶち込んで全力でビーム刃を拡張させて塞いでやった。
体内で膨張したビームが界獣のあちこちから溢れて、割れた水風船みたいに爆発。
背中のブースターを緩やかに作動させて、ギガパピをゆっくりと地上に下ろした。
「……勝ったの?」
上がった息を整え始めてから、周りが静かになったことに気づく。
「ああ。アタシたちの勝ち」
「おおっ」
「おあっ」
左右に立ってたあたしとちーちゃんの肩を拳で小突いてフォーチュンさんが笑う。
「やるじゃん」
体が火照っているのは、戦いのなかでヒートアップしたせいだと思う。
それでも褒められたのがなんとなく嬉しくて、気づけばあたしはちーちゃんと並んで笑ってた。
モニター越しに見えた夕焼けが、いつもより綺麗に見えた。
「祝勝会やるのはいいけどさ、なんでアタシんち?」
ギガパピに乗ったまま猛スピードで帰ると、すっかり夕飯時。
場所は札幌のフォーチュンさんの家。
電源の入ってないこたつに三人で足を入れながら、あたしたちは石狩鍋を囲んで和みながら勝利の味を噛みしめていた。(ちなみに味付けに関わる部分はあたしが担当した!)
不思議そうに鮭を口へ運んでいるフォーチュンさんに、あたしは鍋から自分の器へ豆腐をよそいながら返した。
「お店だと終わったら解散になっちゃうじゃないですか。なんか今日はできるだけ長く三人でいたいと思って」
「急に距離縮めてくるじゃん。どういう心境の変化?」
「戦うって決めたからには、みんなともっと仲良くなりたいと思って。あ、ちーちゃん鮭たべる? しらたきは?」
「ん、たべる……」
「そうか。まあ、やる気出してくれるのはありがたいよ。……美味いな、これ」
「料理得意なんですよーあたし。一人暮らしだと、こういう家庭料理って久しぶりだったんじゃないですか?」
「まあね」
小さくつぶやいたフォーチュンさんが器の上に箸を置いてグラスに手を伸ばす。
未成年のあたしたちに気を遣ってくれているのか、フォーチュンさんは買い出しのときに飲みたそうに眺めていたビールの代わりに買ったカルピスを一口飲んだ。
「パピオンもこれからよろしくね」
『パオン』
すぐそばでぐでーっとしてるパピオンが元気に返事をした。
人の食べ物は食べられないみたいで、さっきから鍋をつついてるあたしたちの横でこうやってくつろいでる。本当のワンコみたい。
「てか中学生はこんな時間までここにいて大丈夫なのか?」
「あ……さっき連絡したから、大丈夫、です」
「その『中学生』とか『女子高生』っていうのもやめませんか? ちゃんと名前で呼び合いましょうよ」
「ええ? 名前なんだっけ」
「あたし、燕雀寺萌音です」
「不破千優……です」
「ふうん」
なかなか目が合わないフォーチュンさんの横顔を見つめながらあたしもずず、と器にある汁を飲む。誰かと鍋を囲むなんて久しぶりだけど、けっこう美味しくできたと思う。
「ま、気が向いたらね」
「えー? なんですかそれ?」
じっくり煮えた鍋を食べてるっていうのに、フォーチュンさんは煮え切らない態度で応じてくる。あんまりぐいぐいこられるの嫌なのかな?
でもなんだろう、自分で壁を張ってたときに感じていたモヤモヤが嘘みたい。
久しぶりに再開した幼馴染と、会ったばかりのなんの仕事をしてるのかもわからないお姉さん、それと巨大化する謎の生物パピオン。
ぜったい普通じゃない状況なんだけど、いまはこの空間が何よりほっとできた。
あたしは独りじゃないって、そう思えるから。
「そういえばですけど……フォーチュンさんは、どうしてあたしたちをあんなに熱心に“使い手”に勧誘したんですか?」
「んあ?」
「素質がある人間って、ほかにもいないわけじゃないんですよね? さすがに世界であたしたちだけってことは……」
「それはもう言ったろ、そうポンポン出てくるもんじゃないからだ。素質アリの人間がなにかのきっかけで素質を失くすケースもあるし、とにかく時間がなかった。ふたり同時に現れるのは稀だしな」
「数合わせがそんなに重要なんですか?」
「保険は多いほうがいいだろ」
「保険?」
あたし力作のお汁が入った器を傾けてそれを味わってから、フォーチュンさんは言い放った。
「仮にひとり死んでも、ほかの誰かが生き残ればパピオンは動かせるからな」




