―第5話 「境界のひずみ」―
朝。
目が覚めた瞬間、少しだけ違和感があった。
理由は分からない。
ただ、どこかが“昨日と同じ場所じゃない”気がした。
⸻
「氷月」
結菜の声で、意識が現実に戻る。
「おはよう」
言った瞬間、自分の声にほんの少しだけ引っかかりを覚えた。
私。
そのはずだ。
教室に入ると、いつも通り視線が集まる。
それも、もう慣れてきていた。
「ねぇ氷月」
桜庭陽菜が机に身を乗り出す。
「昨日さ、誰かと話してなかった?」
「誰と?」
自然に返したつもりだった。
でも少しだけ間が空いた気がした。
「女の子。髪長い人」
「……話してないよ」
そう言った瞬間。
ほんの一瞬だけ、言葉が遅れた気がした。
結菜が隣で眉をひそめる。
「陽菜、それ本当?」
「うん、見たもん」
沈黙。
空気が一度だけ薄くなる。
柊雫が廊下の方からこちらを見ていた。
何かを確かめるような目。
昼休み。
一人になると、教室の音が遠くなる。
その静けさの中で。
――ねぇ。
声がした。
左側。
誰もいない。
でも確かに“そこ”にいる気がした。
「……誰?」
口が勝手に動く。
その瞬間、視界が一瞬だけ揺れた。
夢じゃない。
でも現実とも違う。
放課後。
窓際に立つと、夕方の光が斜めに差し込んでいた。
ガラスに、自分が映る。
そのはずだった。
そこに“もう一人”いた。
長い髪。
少し小さな影。
口が、動く。
――ねぇ。
「……」
声が出ない。
――見えてるでしょ。
私のはずの視線が、ほんの少しだけズレる。
「誰」
そう言った瞬間。
――お兄ちゃん。
心臓が、一瞬だけ止まる。
その呼び方に、なぜか懐かしさが混ざっていた。
「……違う」
そう言ったはずなのに。
喉の奥で、別の言葉が引っかかる。
私じゃない。
――ワタシ。
一瞬、思考が止まる。
その言葉が、自分の中から出てきた気がした。
窓の中の影が、少しだけ笑う。
そして次の瞬間。
扉が開く。
「氷月?」
結菜の声。
振り返る。
窓にはもう何も映っていない。
「どうしたの?」
「……なんでもない」
そう言ったとき、自分の声が少しだけ遠かった。
結菜は少しだけ心配そうに見る。
陽菜はいつも通り笑っている。
雫はいない。
でも確かに。
“さっきまで何かがいた”。
そして私は気づく。
今の私は、昨日の私と同じじゃない。
ほんの少しだけ。




