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第24話 沈んでいた日

朝。


目が覚めた瞬間、部屋が少しだけ違って見えた。


昨日と同じはずの天井。


同じカーテン。


同じ静けさ。


それなのに。


どこか“誰かの記憶の中”みたいな空気がする。


氷月はゆっくり起き上がる。


ベッドの端を見る。


そこには、もう誰もいない。


昨夜の緋月。


確かに、そこにいたはずなのに。


「……夢」


そう言おうとして、言葉が止まる。


夢にしては、感触が残りすぎていた。


指先。


声。


温度。


全部がまだ、皮膚の内側に残っている。


学校。


教室。


陽菜がいつも通り騒いでいる。


結菜は静かにこちらを見る。


雫は、相変わらず何かを観察している目。


でも今日は少し違った。


雫が、先に口を開く。


「昨日」


氷月は反射的に身構える。


「……なに」


雫はしばらく言葉を選ぶように黙ってから、言った。


「誰かと話してた?」


空気が止まる。


「……誰と」


「分からない」


雫は正直に言う。


「でも、氷月じゃない声がした」


その言葉で、胸が締まる。


まただ。


また“ズレ”が見られている。


氷月は視線を落とす。


「気のせいだよ」


そう言うしかない。


でも雫は頷かなかった。


否定もしない。


ただ、見ている。


昼休み。


結菜と屋上。


風が強い。


「氷月」


「なに」


結菜は少し迷ってから言う。


「最近、本当に大丈夫?」


その質問に、氷月はすぐに答えられなかった。


大丈夫。


その言葉の意味が、もう分からない。


「……分からない」


正直に言う。


結菜は少しだけ目を細める。


でも責めない。


「じゃあさ」


静かに続ける。


「“分からないまま”でもいいから、ここにいて」


その言葉が刺さる。


逃げ場がなくなる感じがした。


夕方。


帰り道。


空が赤い。


あの日と同じ色。


氷月は足を止める。


その瞬間。


頭の奥で、何かが“ほどけた”。


冷たい水。


暗い夜。


伸ばした手。


泣き声。


そして。


――離したんじゃない。


――離れたんだよ。


声。


誰のものか分からない。


でも、確かに“記憶の中の声”だった。


視界が揺れる。


気づけば、川の近くに立っていた。


水の音。


静かな流れ。


氷月はその場に立ち尽くす。


そして。


ゆっくり、思い出す。


あの日。


緋月は落ちた。


自分は手を伸ばした。


でも届かなかった。


違う。


“届かなかった”のではなく。


――掴めなかった。


その違いが、今ようやく意味を持つ。


「……私が」


声が震える。


「離した」


言葉にした瞬間、世界が静かになる。


その時だった。


背後から声。


「違うよ」


振り返る。


そこに、緋月が立っていた。


初めて見るくらい、はっきりとした姿で。


でも。


その顔は怒っていなかった。


悲しそうだった。


ただ、それだけだった。


「お兄ちゃん」


緋月は小さく笑う。


「違う」


氷月は動けない。


「ワタシ、落ちたの」


風が止まる。


「お兄ちゃんが悪いんじゃない」


緋月は一歩近づく。


「でもね」


少しだけ目を伏せる。


「お兄ちゃんが、ずっと自分を責めてるのは分かってた」


氷月は息を止める。


「だから」


緋月は静かに言う。


「ワタシ、ずっとそばにいた」


その言葉で。


すべての“侵食”の意味が変わる。


怖いものじゃなかった。


罰でもなかった。


ただ。


離れたくなかっただけだった。


緋月はそっと手を伸ばす。


「ねぇ」


「もう一回だけ、ちゃんと見て」


その声は、初めて“願い”だった。

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