第15話 境目のない時間
朝。
アラームの音で目が覚める。
止めようとして手を伸ばす。
その瞬間、違和感が走った。
「……あれ」
制服を着ている。
昨日の記憶はある。
結菜と帰った。
夕焼け。
声。
長い髪。
そこまでは覚えている。
でも。
“帰宅してから寝るまで”の記憶だけが、綺麗に抜け落ちていた。
氷月はゆっくりベッドから降りる。
机の上に、見覚えのない紙袋が置いてあった。
昨日、こんなもの持っていたか?
近づく。
中を見る。
コンビニのお菓子と、小さな苺ミルク。
その瞬間。
頭の奥に、知らない感覚が流れ込む。
――これ、好きだったよね。
声。
緋月の声。
「っ……!」
紙袋を落とす。
息が浅くなる。
なんで。
なんで“私が知らない好み”を、私が知っているんだ。
学校。
教室に入る。
陽菜がこちらを見るなり、少し安心したように笑った。
「氷月、今日は普通だ」
「……今日は?」
「昨日ちょっと変だったし」
笑いながら言う。
でも、その隣。
結菜は笑っていなかった。
「氷月」
「なに」
「昨日、帰ったあと何してた?」
心臓が跳ねる。
「……普通に帰ったけど」
結菜が少しだけ黙る。
「ほんとに?」
「え……」
その反応に、自分でも不安になる。
結菜は言いづらそうに視線を逸らした。
「昨日、メッセージ来たから」
スマホを見せられる。
そこには、昨夜のメッセージ。
『今日はありがとう』
『久しぶりに楽しかった』
『また話したいな』
氷月は固まる。
送った覚えがない。
でも。
その文面に、妙な違和感があった。
“私”の喋り方じゃない。
もっと柔らかい。
もっと甘い。
まるで。
「……誰」
小さく呟く。
結菜が不安そうにこちらを見る。
「氷月?」
その時。
後ろから雫の声がした。
「やっぱり、増えてる」
振り返る。
雫は静かにこちらを見ていた。
「昨日の氷月」
少し間を置く。
「氷月じゃなかった」
空気が止まる。
「……意味わかんない」
「うん」
雫は頷く。
でも目を逸らさない。
「でも、“違った”」
否定できない。
なぜなら。
自分にも分からないから。
昼休み。
保健室。
静かな部屋。
氷月は一人、椅子に座っていた。
頭が痛い。
考えるほど、境界が曖昧になる。
私。
ワタシ。
どっちだ。
その時。
「……お兄ちゃん」
声。
すぐ隣。
振り向く。
誰もいない。
でも、ベッドのカーテンが少し揺れている。
「緋月」
名前を呼ぶ。
すると、くすりと笑う声が返ってくる。
――ねぇ。
優しい声。
甘えるような声。
――昨日、楽しかったね。
背筋が冷える。
「……昨日?」
――うん。
静かな笑い声。
――結菜さん、優しいね。
その瞬間、全身の血が冷たくなる。
昨日。
記憶がない時間。
誰が結菜と話していた?
「……お前」
声が震える。
「何した」
少し沈黙。
そのあと、緋月は寂しそうに言った。
――何もしてないよ。
――ただ、“ワタシ”として過ごしただけ。
呼吸が止まる。
頭の奥が軋む。
“ワタシとして過ごした”
その意味を、理解してしまう。
「返せ」
思わず零れる。
「私の時間だ」
すると。
耳元で、緋月が小さく笑った。
悲しそうに。
嬉しそうに。
壊れたみたいに。
――でも、お兄ちゃん。
声が近い。
すぐ後ろ。
――そこ、本当に“お兄ちゃんの場所”なの?




