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第13話 境界線

朝。


夢を見ていた気がする。


けれど、目が覚めた瞬間に形だけが崩れていく。


残るのは感覚だけ。


冷たい指先。


近くで聞こえた声。


そして。


“ワタシの場所を返して”


その言葉だけが、頭の奥に沈んでいた。


氷月はゆっくり身体を起こす。


鏡を見る。


そこには、いつもの自分が映っている。


なのに。


昨日より少しだけ、“自分じゃない感じ”が強い。


「……私」


口に出して確認する。


その瞬間。


鏡の中の自分が、一拍遅れて笑った気がした。


思わず目を逸らす。


もう一度見た時には、いつも通りだった。


学校。


教室に入る。


空気がざわついている。


陽菜がこちらを見るなり、少し安心したように笑った。


「よかった、今日は普通そう」


「……普通ってなに」


「なんか昨日怖かったし」


冗談っぽく言う。


でも、その言葉が胸に引っかかる。


怖かった。


誰が?


私が?


席に座る。


結菜が静かに近づいてくる。


「氷月」


「なに」


「昨日、急に帰ったでしょ」


「……そうだっけ」


言った瞬間、自分で違和感を覚える。


結菜の目が少しだけ細くなる。


「覚えてないの?」


「いや、覚えてる」


反射的に否定する。


最近、そればかりだ。


否定して。


誤魔化して。


確認して。


そうしないと、自分が崩れる気がする。


授業中。


窓の外を見る。


ガラスに、自分の横顔が映っている。


そのはずだった。


でも。


一瞬だけ。


映った“それ”が、こちらを見た。


「っ……」


息が止まる。


次の瞬間には消えている。


「氷月?」


教師の声で現実に戻る。


教室の視線が集まる。


「ぼーっとしてるぞ」


「あ……すみません」


立ち上がる。


その時。


後ろの席から、小さな声が聞こえた。


――お兄ちゃん。


身体が固まる。


振り返る。


誰もいない。


でも、確かに聞こえた。


昼休み。


屋上。


最近ここに来ることが増えた。


静かだから。


一人になれるから。


でも。


「また来た」


声。


雫だった。


フェンスにもたれながら、こちらを見ている。


「……何」


「最近、ここ好きだね」


「別に」


雫は少しだけ黙る。


風が吹く。


長い沈黙。


そのあと、小さく言う。


「氷月ってさ」


「うん」


「本当に、“今の氷月”だけ?」


心臓が止まりそうになる。


「……何それ」


「そのままの意味」


雫の声は静かだった。


責めるわけでもなく。


怖がるわけでもなく。


ただ、“違和感”を見ている声。


「最近、時々」


雫が続ける。


「氷月の中に、別の誰かが混ざってるみたい」


否定したい。


でも。


できない。


「……知らない」


それしか言えない。


雫は小さく頷く。


「うん」


「でも、“知らない”って顔じゃない」


その言葉で、呼吸が浅くなる。


放課後。


誰もいない教室。


夕焼けで赤く染まった窓。


氷月は一人、席に座っていた。


静か。


静かすぎる。


その時。


ガラスに映る自分が、ゆっくり笑った。


今度は見間違いじゃない。


確かに。


“向こう”が先に笑った。


「……緋月」


名前を呼ぶ。


ガラスの中の少女が、嬉しそうに目を細める。


左目は見えない。


でも。


その笑い方だけで分かる。


――やっと呼んでくれた。


「何がしたい」


震える声で聞く。


すると緋月は、ガラス越しにこちらへ手を伸ばす。


――ワタシね。


静かな声。


甘えるみたいな声。


――お兄ちゃんと、一緒にいたいだけだよ。


その瞬間。


頭の奥で、何かが重なる。


事故。


夢。


泣き声。


終わらせた。


終わってない。


ぐちゃぐちゃに混ざる。


「……やめろ」


声が震える。


でも緋月は笑う。


悲しそうに。


嬉しそうに。


壊れたみたいに。


――だって。


ガラスに映る“ワタシ”が、ゆっくり口を開く。


――お兄ちゃん、一人じゃ生きられないでしょ?


その言葉を否定できなかった。

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