第105話 祭りのあとで。
二人を屋上に残してきた俺は、何事もなかったかのように校門へと足を向けたが、その一歩一歩は思っている以上に重かった。向かう先は自分の家ではなく、咲の家だ。
無事に体育祭を乗り越えたこと、そして見事優勝を果たしたことを祝してBBQをやることになっている。
本来ならこういう打ち上げはクラス全体でやるものなのかもしれないが、俺も雪も咲も大勢で騒ぐのは得意ではなく、結局は身内だけでひっそりとやることになった。
だが――正直に言えば、気持ちはまったく乗っていなかった。
頭の中に浮かぶのは、どうしてもあの二人のことばかりで、もう自分に出来ることはないと理解しているはずなのに、心のどこかがそれを認めきれずにいる。
もっと別のやり方があったんじゃないのか。もっと上手くやれたんじゃないのか。そんな後悔にも似た考えが、歩くたびに胸の奥からじわじわと浮かび上がってきて、振り払おうとしても消えてくれない。
自分の選択一つで、二人の家の関係がさらに悪化する可能性だってあった。七瀬先輩が最後まで本音を言えなかった場合や、会長が真実を受け入れず拒絶する可能性だって、いくらでも考えられた。
もしあの場が失敗していたら――もう和解なんて不可能だっただろう。今回の件が親に伝われば、ただの不仲では済まず、完全に取り返しのつかない関係に発展していたかもしれない。
だからこそ思ってしまう。
本当に、あれが最善だったのかと。
だが、どれだけ考えたところで答えが出るわけでもなく、既に全ては終わってしまっている。今さら「ああすればよかった」「こうすればよかった」と悔やんだところで、何一つ変わらない。
俺に出来ることは、ただ一つだけだ。
――二人が、もう一度笑い合える関係に戻ることを願うこと。
それだけだ。
◇
そんなことを考えているうちに時間は過ぎ、気づけば俺は咲の家の前に立っていた。
「お待ちしておりました。悠真様。」
玄関の扉が開くと同時に、メイドの山本さんがいつも通り丁寧に出迎えてくる。
「はい。出迎えありがとうございます、山本さん。あの、前も言ったんですけど様はやめてください。俺は様を付けて呼ばれるほどの人じゃないです。」
「あぁ‥‥そうでしたね。これはこれは失礼しました。では改めて、お待ちしておりました、悠真さん。咲様と雪様の元へご案内いたします。」
「はい、お願いします。」
正直なところ、その丁寧すぎる話し方自体もどうにかしてほしいのだが、今は“様”が取れただけでも十分だと自分に言い聞かせる。
――いつかは、もう少し気楽に話せるようになりたい。
そんなことをぼんやり考えながら山本さんの後をついていくと、庭からは既に賑やかな声と香ばしい匂いが漂ってきた。
「いや、もう始めてるんじゃん。こっち、さっきまで仕事だったって言うのに、普通は待つもんじゃないのか?」
思わず呆れた声が漏れる。
「いや~~そのね。私も待った方がいいとは思ったんだけど、あまりの食材に我慢が出来なくてね。それに咲ちゃんが良いって言うからさぁ~~。」
「ちょっと私だけのせいにするのは違うでしょ。雪だってノリノリで仕方ないよね~~って言ってたでしょ。」
いつも通りの、どうでもいいことで言い合いを始める二人。
その光景を見た瞬間、胸の中に溜まっていた重たいものが、ふっと抜けた気がした。
「はぁ‥‥」
思わずこぼれたため息には、呆れと同時に、どこか安心したような感情が混じっている。
さっきまであれだけ考え込んでいた自分が、少し馬鹿らしく思えてきた。
もういい。
今は――この時間を楽しめばいい。
二人の関係を決めるのは、結局のところ本人たちだ。俺がどれだけ願ったところで、他人の意思を変えることなんて出来ない。
そう思った瞬間、胸の奥に引っかかっていたものがすっと消えていくのを感じた。
――大丈夫だ。
きっと、あの二人なら。
そうして、ようやく俺の中で何かが吹っ切れた。
こうして体育祭は幕を下ろし、慌ただしかった日々から解放された俺たちは、またいつも通りの日常へと戻っていく。




