第104話 交わる本音。
悠真が屋上から去り、その場に残されたのは、かつて旧友として共に時間を過ごしていた結と栞の二人だけだった。
静まり返った空間の中で、結は視線を落としたまま動けずにいた。自分がしてしまったことの重大さは、誰に言われるまでもなく理解している。だがその全ては、家同士の関係が崩れたことから始まったものであり、この場で全てを打ち明けて頭を下げるという行為が、七瀬家の人間としてどれほどの意味を持つのかも、痛いほど分かっていた。
それでも――。
悠真に漏らした本心は嘘ではない。昔のように、何のしがらみもなく笑い合っていたあの頃に戻りたいと、今でも強く願っている。だが互いに背負っているものを考えれば、それがどれほど叶い難い願いなのかも理解しているし、この一歩を踏み出せば全てが崩れてしまうかもしれないという恐れも拭いきれない。
けれど、この場を逃してしまえば――もう二度と、あの頃に戻る機会は訪れない。
自分の過ちを知りながら、それでも最後に本音をぶつけ合う場を用意してくれた悠真。その想いを無視して、なお家を優先しようとするのなら、それは次期当主として以前に、一人の人間としてあまりにも情けない。
自分がどれだけ醜く、弱い人間だったのかを思い知った結は、これ以上最低な自分であり続けない為に、全てをさらけ出す覚悟を決めた。そして同時に、悠真が教えてくれた“信じる気持ち”を、この場でぶつけると決意する。
喉の奥が焼けるように熱く、言葉がうまく出てこない。それでも――結は、最初の一言を絞り出した。
「ごめん、栞。栞の鞄の中にバフポーションを入れたのは私。その行為の裏には色々な事情はあったけど、言い訳はしない。本当にごめん。」
そう言い切ると同時に、深く、深く頭を下げる。
七瀬家の次期当主が、対立関係にある一ノ瀬家の次期当主に頭を下げる――それがどれほど重い行為なのか、結自身が誰よりも分かっている。それでも頭を上げることは出来なかった。
その肩に、そっと手が置かれる。
「‥‥頭を上げてくれ。全て、分かっていた。結がしたことだと私は知っていた。」
「‥‥え?」
思わず顔を上げる。返ってきた言葉は、想像もしていなかったものだった。
自分のしたことを、栞は最初から知っていた。
ならば――なぜ。
どうして、その事実を口にしなかったのか。どうして、自分を追い詰めることをしなかったのか。その理由が分からず、結の胸に疑問だけが残る。
「じゃあ、どうして何も言わなかったの?私がやったって分かっていたなら、その事実を言えば‥‥自分の身の潔白は証明できたのに、何で?」
その問いに、栞は少しだけ視線を伏せてから、静かに口を開いた。
「そんなの‥‥決まってるでしょ?私がそれを言えば‥‥結と私の家の関係は、二度と修復できないものになるからよ。今が、一ノ瀬家を継げれば‥‥私達の仲も‥‥昔のようになるからよ。」
その言葉は、遠回しでも何でもない、まっすぐな本音だった。
結と同じように、栞もまた――昔に戻りたいと願っていた。その事実を突きつけられた瞬間、結の視界が滲んで‥‥どうしようもなく、涙が溢れてきた。
これまで押し殺してきた感情が、堰を切ったように溢れ出す。
栞も、同じだった。ずっと、同じことを思っていた。それだけで、胸の奥に積もっていたものが一気に崩れ落ちる。
「‥‥私も栞と同じ。ずっと、昔のように‥‥戻りたいと思ってた。本当に‥‥ごめん。」
震える声で、それでも逃げずに本心をぶつける。
「いや、良いんだ。全ては互いの親が始めたことだ。私達には関係ない。」
その言葉に、ようやく結の中で何かがほどけた。
「‥‥あぁ、ありがとう。」
かつて当たり前だった距離へと、ゆっくりと歩み寄る。
そして二人は、昔のように――何のしがらみもない友達として、強く抱きしめ合った。




