第100話 説得。
その言葉を聞いた七瀬先輩はビクンと体を震わせ、明らかな動揺を見せたが、それでも口を開くことはなく、ただ俯いたままでいた。
だからこそ俺は、その沈黙の奥にある本音を引き出す為に、自分から踏み込むことを決める。
「七瀬先輩。俺は――先輩は一ノ瀬会長のことを、本当は嫌っていないんじゃないかと思っています。自分も東雲家の関係者なので、七瀬家と一ノ瀬家の現在の関係は理解しています。
ですが、昔は二人で遊ぶほど仲が良かったと聞きました。それでも家同士の関係が悪化したことで、その繋がりは壊れてしまった。七瀬先輩も家を無視するわけにはいかず、仕方なく‥‥今のような対応を取るしかなかった。」
それでも先輩は何も答えない。だが、その沈黙こそが何よりの答えだと感じながら、俺は言葉を止めなかった。
「先輩の本心は、本当にそれなんですか?自分は違うと思っています。本当は昔のように一緒に遊びたいと思っていて、相手を苦しめるような、貶めるようなことはしたくない――それが、本当の気持ちなんじゃないですか?」
俺の言葉が重なるごとに、七瀬先輩の表情はみるみるうちに歪んでいき、その苦しさを隠しきれなくなっていく。その変化こそが、先輩の内に抱えている感情を何よりも雄弁に物語っていた。
「七瀬先輩。ここにいるのは自分と先輩だけです。一ノ瀬会長も、家の人間も誰もいない。この場で本心を打ち明けても、それを聞くのは自分だけです。
だから、もう仮面を被る必要はありません。ありのままの自分で話してください。先輩の本心は――どこにありますか?」
その言葉を受けて、ようやく七瀬先輩は重い口を開く。
「‥‥わ、私は――」
震える声で言葉を紡ぎながら、先輩は自分の内側を吐き出すように続けた。
「私だって、昔のようになりたいと‥‥思ってる。でも、それは出来ない。もう私たちはただの子供じゃなくて、家名が背負わされているのよ。それを無視することなんて出来ないの。」
その言葉は悲痛な叫びそのものであり、胸の奥に押し込めていた感情が、ようやく溢れ出した瞬間だった。
だが、それでも――ここで引くわけにはいかない。
「それでもです。やりようはいくらでもあったはずです。こんなやり方では誰も笑えません。七瀬先輩が本当に取るべきだった行動は、人を貶めることではなく、正々堂々と真正面からぶつかることだったんじゃないですか?
そうして勝つことで、自分自身の立場も、家も納得させることが出来たはずです。」
「それは‥‥そうかもしれない。でも‥‥あの人に、正面から勝てるわけがないのよ。家だって、私が勝つなんて微塵も思っていないわ。」
その弱々しい言葉に、俺ははっきりと首を振る。
「それは違います。誰よりも勝てないと思っているのは、家じゃなくて七瀬先輩自身です。自分で“勝てるわけがない”と決めつけている時点で、その勝負にはもう負けている。
自分が勝てると信じなければ、勝てる勝負ですら勝てません。」
「‥‥‥‥」
納得できていないのは表情を見れば分かる。それでも構わず、俺はさらに踏み込んだ。
「言うのは簡単だ――そう思っていますよね。なら、それが本当だと証明してみませんか?」
「‥‥証明?」
「はい。体育祭の最後に、各団の代表によるリレーがありますよね。二人でアンカーを走って、真正面からぶつかるんです。その上で、“思い”が勝敗を分けるということを証明してみませんか?自分も全力で手伝います。」
「‥‥本当に、それだけで変わると君は思っているの?思い一つで勝敗が分かれると。」
「はい。そう思っています。」
迷いなく言い切ると、七瀬先輩はしばらく黙り込み、そして――
「‥‥分かった。最後にやりましょう。」
静かに、だが確かな決意を込めて、そう言い切った。




