第3章
何とか早めに上がりました。
とまあ、そんなこんなで旅に出たわけだが、すでにその旅は難航していた。
ハルの父親の消息が分からないのだ。連絡を取ろうにも、ハルが言うには定期連絡が向こうからかかって来るだけで、こちらからコンタクトを取るのは難しいとのこと。
そして、その頼みの綱である定期連絡が来るのもまだ先ということなので、もはや手詰まりだった。
そこで五人は、情報収集という名目で観光をやろうということにした。そして彼らは軽トラックを国の中心にある広間に駐車して、司、ハル、御剣の三人と、キョースケ、響の二人とで二手に分かれると、集合時間などを決めて、散策に出た。
「『フェアトラオエン』、ね」
黒く艶のある短い髪に人懐っこそうな灰青色の瞳をした少女、司は関所で役人から渡された、国全体の要所や観光名地、食事処や宿の名前などが書かれた地図が載ったパンフレットに目を通しながらひとり呟く。
「あのぅ、この国の名前がどうかしたんですか?」
司の隣を歩いていた、くりくりとした萌黄色の瞳とを持つ、くせっ毛のある栗色をした短めの髪の少女、ハルが訊ねてくる。
「ああいや、たしかこれって大昔にあった国の言葉にあった気がして」
司がそこまで答えると、二人の三歩後ろを歩いていた黒玉を思わせる細い目に、その瞳と相対するように艶やかな、長めに伸ばされた漆黒の髪を後ろ手にまとめている長身の青年が頷く。
「確かにそうだな。ドイツという名前の国の言葉で、〝信頼〟を意味する言葉だよ」
その言葉に、司は後ろへ振り向いてポン、と手を叩く。
「そうそう。少し前に学校で習ったから少し憶えてる。確かそうだった」
ウンウンと頷く司にハルは疑問を投げかける。
「学校でそんなにも古い言葉を習うんですか?」
「まあねー。古いと言っても、国や都市によっては未だに使われているからね。一応は習うんだよ。ドイツ以外にもいくつかの国の言葉も」
得意げに答える司に、御剣が付け加えるように呟く。
「正確には、常用言語の中に織り交ぜて使う、というのが正しいな。大昔、自分の先祖の母国で使われていた言葉、その名残り……まあ、方言みたいなものだろう」
成る程、と御剣の言葉に耳を傾けていたハルは合点がいったように一人ごちる。彼女は、これまでの旅で出会った人たちにの中には、いわゆるこの世界においての共通言語以外の言葉を使う人たちがいた。彼らはつまり、千年以上も前に存在した故郷の言葉を使っていたのだろう。
「では、なぜ昔の言葉で信頼の意味を冠したものを国の名前にしたのでしょう?」
ふと疑問に思いつぶやく。
「うーん、それは多分、この国のあり方そのものだと思うよ」
ハルは、あり方そのもの? と司の言葉をオウム返しする。
「うん。この小国はさ、ボクたちがいた『降峰』や、そのほかの隣接する国や都市との交易で生計を立てているようなものなんだよ」
と、司は頷く。
ここ『フェアトラオエン』は、地下資源がなく、レアアースやその他の国を建てるために必要なものが全く以てなかった。しかしこの国は、土地自体が豊かである。その為、農業が盛んであった。野菜や穀物はその土地でよく実り、そんな栄養が豊富な餌を食べて、家畜は肥え太るり、精肉となって市場に出回る。さらに、品種改良が進みより一層おいしさが増したものが出来上がる。そうして作られていった農作物や肉類は、近隣諸国に大変人気が出るl。
この小国はそういったものを武器に、外国と貿易を行って国を発展させていったのだ。隣国との信頼関係が築き上げた証。そういう意味での名前なのだろう。
「へえ。物知りなんですね、司さんて」
ハルは、司の説明を聞き終えると、感嘆の声を漏らす。
「うん。まあ『降峰』もこの国とは懇意にさせてもらっているからね。こんな感じの歴史は学校で習うんだよ」
「そうなんですか。学校っていろんなものを習うんですね」
再度感心したように言うハル。
「そうだよ。いろんなものを学ぶ場所だから学校だもん」
などとよくわからないことを自信ありげに言い放つ司。彼女の言葉を真に受けて、成る程と手を叩くハル。
わいわいと二人で楽しくガールズトーク(?)を繰り広げているさまを後ろから見守るように眺めている御剣は、今の自分は傍から見れば二人の娘を連れて観光に来ている父親、といったところだろうか。などとたわいもないことを考え、そして苦笑する。
ふと、司が何かを見つけて動きを止める。
「? どうしたんですか、司さん」
突然立ち止まった司にハルは問いかける。
「……」
話しかけられた司は、答える事無くある一点を凝視する。ハルと御剣の二人は疑問に思い、彼女が見ているものを後を追うようにして見る。
開け放たれたままの、緑に塗装された木製のドア。その傍らには『開店中』と書かれた小さな黒板が、これまた小さなイーゼルのような物に立てられていた。ドアの周りはガラス張りになっていて、中の様子がよく分かる作りになっていた。そして中には大きさや形が様々なパンが棚やテーブルの上にある籠の中で所狭しと並んでいた。
果たして、司の視線の先はパン屋であった。いや、正確にはそこに商品として並べられている、フランスパンのような細長いパンを丸々一本使っているサンドウィッチだった。具はベーコン、トマト、レタスと定番の具材が入っており、マスタードなどの調味料類は使われていなかった。どうやら、素の味で勝負をしたいようだ。
ふらり、といきなり、立ち止まっていた司が幽鬼のような足取りでパン屋の方へと歩み寄る。
「つ、司さん?」
「……」
ハルが心配して声をかけるが、それが司の耳に届いた様子はなく、彼女はふらふらとパン屋の前まで歩を進めると、ガラス越しにサンドウィッチを凝視する。
「…………」
サンドウィッチに穴でも開くのではないかというほどの勢いで凝視する司。
「あの、食べたいんですか、このパン?」
ハルは、とてつもなく物欲しそうにそれを眺めている司にもう一度声をかける。
「そりゃあ食べたいよ」
こちらに目を向ける事無くうわごとのように司が答えた。それほどにこのサンドウィッチに魅了されているのだろうか。
「そんなにいいものなのか? 私にはよく分からんが」
遅れてやってきた御剣が問いかけると、司は勢いよく二人の方に顔を向けると、もの凄い剣幕で答える。
「当たり前だよ! だって『フェアトラオエン』のサンドウィッチだよっ? さっきも説明したけど、この国の野菜やお肉はすっっっごく美味しいんだよ! 『降峰』でも結構高いレストランとかが扱ってるくらいなんだよ! それが現地で、しかもこんなに安い値段で売られていて、しかもサンドウィッチなんだよっ? そりゃあ欲しくなるに決まってるでしょ!」
熱弁だった。
先ほどまでの雰囲気とは打って変わった、あまりにも熱のこもった司の訴えに、ハルは圧倒される。そして、
「ゴクリ」
ちょっと食べてみたくなった。
「……そんなに欲しいのなら、買って食べればいいだろう。金ならあるんだから」
御剣が呆れた風に司に向かって言う。
「そりゃあ買いたいのは、やまやまなんだけどさ」
勢いをなくして、しおしおと意気消沈する司。
「でも、これ一本を全部食べきれそうにない……」
どうやらそれが理由で買うまで踏み出せなかったようだ。確かに、一人で食べるには量が多いだろう。せめてこの半分までなら、と司は悔しそうに歯噛みする。
そんな姿をみて、御剣は軽く溜め息をつく。
「なら、これを一切れ買って、私たち三人で分ければいいだろう。まあ、そしたら今度は足りなくなるだろうけどね。だから、他にもいくつかパンを買えば良いだろう」
御剣の提案に、司とハルは信じられないモノでも見るような目で御剣に視線を送る。
「「それだぁー!」」
店の前だというのも忘れて、二人は息ぴったりにそう叫んだ。
三人は、長いサンドウィッチを一つと、いくつかのパンを買って、先ほど軽トラックを止めた広場へと戻り、遅めの昼食をとることにした。
「う~ん。美味しい……」
三つに分けられたサンドウィッチを頬張りながら、司は恍惚とした笑みを浮かべて蕩けに蕩けきった声を発する。
「確かに、これは凄いな。このトマトとレタスの瑞々しさもさながらのこと、トマトから出る余計な水分を抜いてあるからパンがふやけることなく、パンの食感をちゃんと保っている。さらに余計な味付けをしていない分、一緒にハサンであるベーコンの塩気が、それらの旨さをより引き出している。つまり、端的に言うと……とても美味い」
相槌を打つと、御剣は感極まったかのように長々とサンドウィッチの美味しさを語りだす。そして、長ったるく語ったくせに最後の感想は質素だった。
「ん~~! これはすごく美味しいですね。司さんがすごく興奮した意味も分かりますよ」
もっきゅもっきゅと、おかしな擬音を立てながら食べているハルも、どうやらご満悦のようだ。
「これは、もう一本買ってキョースケさん達のお土産にすればよかったですね」
「え、いいよそんな事しなくても。キョースケが食べたって美味しいなんて言わないだろうし、買うだけもったいないって」
ハルがそう言うと、司が、先ほどの余韻に浸りながら答える。
「それは流石にキョースケさんに酷いですよ、司さん」
「むっ」
咎めるように言ったハルの言葉に、司はムッとする。
「いや、司の言う通りだろうな」
そんな二人の間を、御剣が割って入る。
「なっ! ――御剣さんまでそんな事を言うんですかっ」
予想外の人物に援護射撃を放たれ、ハルは動揺する。
「事実だよ、ハル。キョースケは、私たちと違って食事に娯楽性を見出していないんだ。なんであれ、食べられるものなら食べるだけ。美味い不味いに関心を抱かないんだ。正確には違うが、味覚障害のそれと大差ない」
御剣は、ここにはいない一人の少年を憐れみながら言った。
「……」
それを聞いたハルは、気まずそうに視線を落とす。その姿を見て、司も毒気を抜かれてしまう。申し訳ない気持ちになったのか、顔をしかめてそっぽを向いた。そんな二人の少女を見て、御剣はもう一度溜め息をついた。
「それはそれとして、さっさと食事を済まそう。そしたら、もう一度あの店に行って二人にこのパンを買ってやろう。キョースケが味に無頓着だとしても、食べ物をもらって喜ばないという訳ではないんだからね」
御剣がそれを提案すると、ハルは驚いたように顔を上げる。
「……は、はい! そうですねっ。そうしましょう!」
嬉しそうに笑みを浮かべて、力強く頷いた。
そうと決まれば話は早い。早く目の前にあるパンを全て平らげ、あの至高のサンドウィッチを買いに行こう。ハルは勢いよくパンを頬張り始めた。
「むぐっ!」
ハルは突然手を止めて、苦しそうに胸の辺りを拳を作って叩く。どうやらパンが喉に詰まったらしい。
「むぐぐぅー! む、ぐぐぐぐぐ……」
「おいおい――」
「ああもう、別にそんなに急いで食べなくても良いだろう。ほら、水あるから飲んで」
気道が潰されて息ができなくなり、苦しそうにもがくハルをみて嘆息をしながら水をやろうとする御剣よりも先に、司が立ち上がり、ハルに自分の持っている水筒のふたを開け、中身の水を飲ませる。
水筒の飲み口を目の前に差し出され、ハルはそれに口を付けて音を立てながら水を嚥下する。
「――ぷはっ! げほっげほげほっ」
「まったく……がっつき過ぎだよ。ほら、よーしよし」
息ができるようになり、思い切り空気を吸おうとして咽るハルの背中をさすりながら、司はあやすように呟く。
「ふぁい……」
なんとか呼吸を整えたハルは、恥かしそうに顔を赤く染めながら答えた。
その光景を見て、御剣はもう一度、嘆息を漏らす。しかしその表情は、呆れたような微笑を浮かべていた。
いやあ、暇を作れば何とか短期で上がるもんですねぇ。我ながら感心です。次回もさっさと書き上げたいと思っています。それでは。




