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推しVTuberの中の人が「僕をいじめていた元ヤン義妹」なんだが、お互い正体を知らないまま配信をプロデュースしている  作者: 綾瀬 灯


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第3話「爆炎の手元配信と、廊下を踏み鳴らす足音」

時計の針が午後七時五十分を指した。


星降ルナの記念すべき「初・手元配信」の開始まで、残すところあと十分。暗く静まり返った僕の自室には、デスクトップパソコンの冷却ファンが回る微かな駆動音と、ヘッドホンから漏れ聞こえる結愛の──いや、星降ルナの、ひどく不安定な鼻をすする音だけが響いていた。


「……Pさん……ぐすっ……私、本当にダメな妹で……」


つい十数分前、僕の学校指定パーカーに顔を埋めて匂いを嗅ぎ狂っていた現場を本人に目撃され、逆ギレと羞恥の果てに自室へ引きこもった僕の義妹、天野結愛。


彼女は今、ネット回線とボイスチェンジャーという二重のフィルター越しに、プロデューサーである僕に向かって泣き言を吐き続けていた。家では僕に対して「死ね」「視界に入るな」と暴言を吐き捨てる彼女が、画面の向こうでは僕の言葉にすがりついている。この圧倒的な矛盾と、彼女の底知れぬ闇の深さに、僕は脳の処理能力の限界を感じていた。


「……大丈夫だよ、ルナ。君は何も悪くない。深呼吸して。僕がずっと、君のそばにいるからね」


僕はマイクの感度を調整し、ボイスチェンジャーを通した『大人の男の落ち着いた低音』で、可能な限り優しく、そして包み込むようなトーンで語りかけた。ヘッドホンの向こうで、結愛が息を呑む気配がする。


「Pさん……! はい……私、Pさんの声を聞いてたら少し落ち着いてきました。Pさんがそばにいてくれるなら、私、頑張れます」


「その意気だ。今日の配信はルナの新しい魅力を引き出す最高のアピールチャンスになる。準備はいいかい?」


「はいっ! Pさんの自慢のタレントになれるように、精一杯やってみます!」


通話を繋いだまま、僕はメインモニターに表示された配信ソフト(OBS)の画面と、サブモニターに開いたYouTubeの待機所コメント欄に視線を走らせた。


すでに待機所には千人を超えるリスナーが集結し、「ついにルナちゃんの手元が!」「全裸待機」「息してない」といったコメントが猛烈な勢いで滝のように流れている。


午後八時ジャスト──


僕は配信開始のボタンをクリックし、結愛の部屋のカメラ映像を全世界に向けて解き放った。


「こ、こんばんはーっ! 星降ルナです! 今日は初めての手元配信に挑戦してみたいと思いますっ!」


画面に映し出されたのは、ピンク色の間接照明に柔らかく照らされた真っ白なデスク。そして、その中央で緊張気味にモジモジと指を絡ませる、結愛の華奢で真っ白な両手だった。僕の指示通り、名札をはじめとする余計な私物は完全に排除され、そこには洗練された空間だけが広がっている。


コメント欄が爆発した。


[手、綺麗すぎワロタ]


[指ほっそ!]


[爪の形めちゃくちゃ綺麗]


[清楚の具現化]


[もうこれだけでスパチャ投げられる]


凄まじい勢いで流れる賞賛の嵐と、飛び交う色とりどりのスパチャ(投げ銭)。リスナーの反応は僕の予想を遥かに超えていた。結愛の手の美しさは、プロデューサーである僕の目から見ても芸術的なレベルだ。滑らかな肌、細く長い指、丁寧に手入れされた爪。それが恥ずかしそうに動くたび、リスナーたちのボルテージは青天井で跳ね上がっていく。


「ふふっ、ありがとうございます。今日はですね、リスナーのみなさんに向けて、心を込めてお手紙を書いてみようかなって思います。いつも応援してくれるみんなに、私からの感謝の気持ちです」


結愛がデスクの引き出しから、便箋と一本の万年筆を取り出した。その万年筆のキャップを外す仕草、インク瓶にペン先を浸す所作、そのすべてが計算されたかのように可憐で、リスナーの視線を釘付けにしていく。カリカリという小気味よいペン先の音がマイクに乗り、最高級のASMRとなって配信を彩る。


僕は、この完璧な立ち上がりに強く拳を握りしめた。大成功だ。名札バレの危機を乗り越え、僕が演出したこの手元配信は、星降ルナというVTuberの価値を一段も二段も押し上げる神回になる。


しかし、その安堵は長くは続かなかった。


便箋に向かっていた結愛の手がふと止まり、彼女は何かを思い出したように、小さく息を吐いた。


「……あのね、みんな。実は私、今日の配信の前にすごく嫌なことがあって、落ち込んでたんです」


(……おい、結愛? 何を言い出すんだ?)


僕はマウスを握る手に力を込めた。台本にはない唐突な身の上話。リスナーたちも心配のコメントを寄せ始める。


「私の近くに、すごくウザくて、デリカシーがなくて、本当に最低な人がいるんです。今日もその人に、私のすごく恥ずかしい秘密を見られちゃって……。もう消えてしまいたいって思うくらい、ボロボロに泣いちゃって……」


(それは僕のことだな。僕のことだよね!? パーカー抱きしめて匂い嗅いでたのを見られたことだよね!?)


僕はモニターの前で頭を抱えた。まさか、自分へのヘイトを世界規模の生配信でぶつけられる日が来るとは思わなかった。だが、結愛のトーンは怒りではなく、どこか熱を帯びた、ひどく甘いものへと変化していく。


「でもね……そんな時に、私の世界で一番大好きな人が、優しい声で慰めてくれたんです。僕がずっとそばにいるからって。……ふふっ、私、その言葉だけで全部どうでもよくなるくらい幸せになっちゃって。私って本当に単純ですよね」


コメント欄が、先ほどとは全く違う意味で大炎上を起こした。


[え?]


[男の影!?]


[ルナちゃん彼氏いるの!?]


[いや待て、これ絶対Pのことだろ]


[Pかよ! 匂わせかよ!]


[Pなら許す]


[許さねえ! P爆発しろ!]


リスナーの嫉妬と興奮が入り混じった弾幕が画面を覆い尽くす。僕は冷や汗を流しながら、結愛の思わせぶりな言動に肝を冷やしていた。VTuberにとって異性の影は劇薬だ。今回は相手が公式プロデューサーである「P」だとすぐにリスナーが察したため、ギリギリでエンタメとして成立しているが、一歩間違えれば大惨事になる。


「あ、彼氏とかじゃないですよ! 私のプロデューサーさんです! 私、Pさんのこと本当に心から尊敬してて……あ、そうだ。みんなに、私のとっておきの宝物を見せてあげますね」


結愛がデスクの奥から、小さな木箱を取り出してきた。カチャリと鍵を開け、中から慎重に取り出されたもの。それを見た瞬間、僕は心臓を鷲掴みにされたような衝撃に襲われ、息を呑んだ。


カメラの前に差し出されたのは、全体が黒ずみ、所々塗装が剥げた、不格好な木彫りの熊のキーホルダーだった。


「これ、私が中学生の時にある人からもらったお守りなんです。すごく不格好で、安物なんですけど……私、これがないと夜も眠れないくらい大切にしてて。今日みたいな大切な日には、いつもこの宝物箱から出してお祈りしてるんです」


画面の向こうのリスナーたちは『可愛い』『年季入ってるな』『木彫りの熊ワロタ』と無邪気にコメントを打っている。


だが、僕だけは知っていた。そのキーホルダーの正体を……。


あれは今から五年前。親同士の再婚で、結愛が僕の義妹になったばかりの夏祭りの夜。人見知りでずっと俯いていた彼女をなんとか笑顔にしようと、僕が射的屋で全財産をつぎ込んでようやく落とし、「これからよろしくね、ゆあ」と笑ってプレゼントした、あの時の景品だ。


(嘘だろ……。あいつ、あんなゴミみたいなキーホルダーを、五年もずっと大切に……鍵付きの宝物箱に入れて保管してたのか……?)


僕の学校の名札が入れられていた宝物箱。そこには、僕が五年前にあげたキーホルダーも一緒に眠っていたのだ。


結愛は、家では僕のことをゴミのように扱い、毎日のように暴言を吐き続けている。しかしその裏で、僕の服の匂いを嗅ぎ狂い、僕があげたキーホルダーをお守りとして生涯大切に扱い、さらには僕の学校の名札まで収集している。


ただのツンデレじゃない。これは極限までこじらせた『狂気的な執着』だ。


背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。彼女の心の底にある、僕という存在への異常なまでの感情の重さに、僕はプロデューサーとしてではなく、一人の兄として恐怖すら覚え始めていた。


このままではマズい。彼女の精神は、どこか致命的な部分で歪んでしまっている。長編のミステリー小説の深淵を覗き込んでしまったような、後戻りできない感覚。僕の正体がバレた時、彼女のこの巨大な感情は一体どちらに振り切れるのか。そんな底知れぬ恐怖に僕が思考を奪われていた、まさにその瞬間だった。


『カサ……カサカサッ……』


僕のヘッドホンに、結愛の部屋から微かな異音が響いた。マイクが拾ったのではない。壁一枚隔てたリアルな空間から聞こえてきた、何か硬いものが這い回るような音。


画面の中の結愛もそれに気づいたのか、手元の動きを止め、ビクッと肩を震わせた。カメラの画角の端、白いデスクの左隅に、黒く巨大な影がゆっくりと侵入してくるのが見えた。大人の掌ほどもある、長い脚を持った異形の生物、アシダカグモだ。古い木造住宅には時折出没する、無害だが視覚的な破壊力は最強クラスの巨大蜘蛛。それがよりにもよって、配信中のカメラの真正面に姿を現したのだ。


「え……?」


結愛の手が完全に硬直する。リスナーたちも異変に気づき、コメント欄が『うわああああ』『クモ! 左!』『でかいでかいでかい!』と阿鼻叫喚に染まり始めた。


クモが結愛の美しい手元に向かって、カサカサッと数センチ前進した。


「ッッッッ!!!!! いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」


鼓膜が破れそうなほどの、結愛の絶叫。マイクを通した配信の音声と、壁を隔てた隣の部屋からの生声が、ステレオで僕の耳を激しく殴りつけた。ガタンッ!という大きな音と共に、結愛が椅子から転げ落ちる音が響く。


(マズい!!)


僕は反射的にメインモニターのOBSに手を伸ばし、結愛のマイク入力をミュートに叩き込んだ。配信の音声は即座に無音になったが、隣の部屋からは「誰か助けて! 嫌ぁぁぁぁ!!」というパニック状態の泣き叫ぶ声が響き続けている。


このまま放置すれば、結愛はパニックのあまりカメラを倒したり、顔を映してしまったりして、配信事故どころか顔バレのリスクに直面する。助けに行かなければならない。だが、僕が兄として部屋に飛び込めば、その声や物音は確実に配信に乗ってしまう……はずだったが、すでに僕は管理者権限でマイクをミュートにしている。


(今しかない!)


僕はゲーミングチェアを蹴り飛ばすように立ち上がり、部屋の隅にあった丸めた雑誌を掴むと、猛ダッシュで廊下へ飛び出した。


バンッ!と結愛の部屋のドアを蹴り開ける。


「結愛! 動くなよ!」


部屋の隅で膝を抱えて涙と鼻水で顔をグシャグシャにしている結愛。その視線の先、純白のデスクの上で勝ち誇ったように鎮座する巨大なクモ。僕は一切の躊躇なくデスクに踏み込み、手にした雑誌の角でクモを的確に叩き落とした。ビターン! という鈍い音と共に床に落ちたそれを、用意してあったティッシュで素早く包み込み、窓を開けて外の暗闇へと放り投げる。


一連の動作、わずか五秒。


僕は荒い息を吐きながら、部屋の隅でへたり込んでいる結愛を見下ろした。彼女はいつもなら「勝手に入ってこないでよ!」と怒鳴り散らすはずだが、今は恐怖と安堵で震え上がり、大きな瞳に涙をいっぱいに溜めて、すがるような目で僕を見上げている。


「……りく……っ、あ、ありがと……っ」


ひっく、ひっくとしゃくり上げながら、彼女は蚊の鳴くような声で僕に礼を言った。

その無防備で弱り切った姿と、先ほどまで画面越しに見ていた「僕への狂気的な愛情」が脳内で交錯し、僕の心臓は別の意味で早鐘を打った。


僕は何も言わず、ただ顎で「モニターを見ろ」としゃくった。


結愛がハッとして画面を見る。そこには、クモの姿が消え、無音のまま平穏を取り戻した手元カメラの映像と、『ルナちゃん無事!?』『マイク切れてる!』と心配するリスナーのコメントが流れていた。


僕は自分の口元に人差し指を当て、「喋るなよ」とゼスチャーで伝えると、そのまま踵を返して無言で彼女の部屋を後にした。


自室に戻り、すぐさまパソコンの前に座り直す。息を整え、額の汗を拭いながら、僕はOBSのミュートボタンを解除した。数秒のタイムラグを経て、ヘッドホンから結愛の震える声が世界に向けて発信される。


「み、みんな、ごめんなさい……っ! 画面切れちゃって……」


コメント欄が一斉に『おかえり!』『大丈夫か!?』と安堵の言葉で埋め尽くされる。


「あの、すっごく大きい虫が出ちゃって……私、パニックになっちゃったんですけど……。そしたら、うちの……家族が、すぐに部屋に入ってきて、追い払ってくれたんです……」


結愛はそこで言葉を切ると、少しだけ恥ずかしそうに、しかしどこか誇らしげな声色で付け加えた。


「いつもはすっごく意地悪でウザい人なんですけど……今日はちょっとだけ、本当にかっこよく見えちゃいました」


(……っ!!)


僕の顔が一気に熱を持った。


コメント欄は『お兄ちゃんナイス!』『義兄ニキ有能すぎるだろ』『なんだよただのツンデレかよ!』と、予期せぬ家族エピソードに大盛り上がりを見せている。


画面の中では、まだ少し震えの残る結愛の手が、大切そうにあの「木彫りの熊のキーホルダー」を撫でていた。


僕を嫌悪しながら依存し、僕を罵りながら愛している義妹。


彼女の抱える歪で巨大な感情の正体を、僕はまだ何一つ理解できていない。だが、この奇妙で危険な二重生活プロデュースは、もう後戻りできない地点まで進んでしまったことだけは確かだった。


「……まったく、世話の焼けるタレントだ」


僕はボイスチェンジャーのマイクを切り、誰にも聞こえない自分の本当の声で小さくそう呟いた。モニターの光に照らされた僕の口元は、自分でも気づかないうちに、ほんの少しだけ弧を描いていた。

波乱の手元配信から一夜明け、ルナの登録者数は爆増! しかし、配信での「有能な義兄」エピソードが思いもよらぬ波紋を呼び、学校で僕の周囲に不穏な空気が漂い始める。さらに、結愛が「P」に対してついにリアルでの面会を要求してきて……!? 次回、第4話「交差する二つの顔と、放課後の密会」をどうぞお楽しみに!

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