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推しVTuberの中の人が「僕をいじめていた元ヤン義妹」なんだが、お互い正体を知らないまま配信をプロデュースしている  作者: 綾瀬 灯


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第2話「消えた名札と、義妹の秘密の匂い」

(落ち着け……焦るな天野陸。ここで一瞬でも思考を放棄すれば、待っているのは完全なる社会的な死だ……!)


暗い自室の中、液晶モニターの青白い光だけが僕の顔を照らしている。画面中央で静止したままのテスト動画のキャプチャ画像。その右上端──デスクライトの微かな反射光を浴びて無防備に鎮座する、縦数センチの長方形プラスチック板。


そこにはっきりと刻まれた『2年B組 天野陸』という白抜き文字を睨みつけながら、僕は冷や汗でビショビショになった両手をジーンズの膝に押し当て、強く擦りつけた。


恐怖で喉の奥がカラカラに干上がっている。極限のプレッシャーの中、脳内では最悪の結末を約束された二つの選択肢が、巨大な天秤となって激しく揺れ動いていた。


【選択肢A】

「名札が映ってるよ」と正直に指摘する→結愛の思考:「え? なんでPさんが天野陸の名札だって判別できたの? 画角の端で文字が小さくて潰れてるのに? ……まさか、この名札の持ち主本人だから……!?」→結果:即詰み(正体発覚による物理的・社会的な抹殺)。


【選択肢B】

「問題ないよ、完璧!」とそのまま配信させる→本番の生配信中、目ざといリスナーが画像を拡大解析して、天野陸の名前と学校名を特定。あっという間にネット上で住所や学校が割れ、結愛のVTuber生命が完全に終了→結果:即詰み(配信炎上&結愛の人生崩壊)。


右に行けば絞首台、左に行けば断頭台。どちらを選んでも、僕の平穏な日常はここで凄惨なバッドエンドを迎える。ならば残された道はただ一つ。この絶望的な盤面をひっくり返す【選択肢C】を、プロデューサーとしての機転で自ら切り拓くしかない。


僕の正体を微塵も悟らせず、かつ、結愛自身に自発的に名札を画面外へ撤去させる、そんな都合の良い魔法が果たして存在するのか?


(……頭を使え。プロデューサーとしての視点と思考を利用するんだ。理由を名札にするからボロが出る。配信全体のクオリティアップという名目にすり替えろ!)


深く長く息を吸い込み、跳ね上がる心拍数を無理やり落ち着かせる。僕は震える指先をキーボードに乗せると、Pとしての冷静で頼れる大人カリスマのペルソナを完璧に被り、返信の文章を紡ぎ出した。一文字でも打ち間違えれば即死する、時限爆弾の解体作業のような打鍵だった。


『ルナ、テスト動画ありがとう。声のトーンも手元の動きも凄く自然で素晴らしいよ。ただ、より完璧な初配信にするために、プロの視点からひとつだけアドバイスさせてほしい』


画面上に「入力中……」のインジケーターが点灯した。壁一枚隔てた隣の部屋で、結愛が固唾をのんでモニターを見つめている気配が伝わってくる。


『右上端のデスクの隅に、少し光を反射する小さなプラスチックの物体が映り込んでいるね』


よし、まずは事実だけを客観的に提示する。名札という特定の固有名詞は死んでも口にしない。


『リスナーというのは、配信者が思っている以上に画面の隅にある余計なものに視線を奪われやすいんだ。手元配信で最も重要なのは、ルナの綺麗な指先と作業だけにリスナーの集中を没頭させること。だから、画面内にあるビジュアルノイズは一切排除したい』


送信──間髪入れずに、決定打となる指示を打ち込む。


『デスクの上にあるものは、作業に使う最小限のアイテム以外、すべてカメラのフレーム外……できれば引き出しの中か、別の場所に完全に片付けてもらえるかい? ルナの美しい手元だけを、世界中に自慢したいんだ』


「……これで、どうだ……っ!」


エンターキーを叩き(ターンッ!)、僕はモニターを祈るように見つめた。額から冷たい汗が一筋、頬を伝い落ちる。


ルナの美しい手元だけを世界中に自慢したいという、乙女心と承認欲求を同時に満たす強烈な褒め言葉のコーティング。これなら、名札を見つけられたと警戒されることなく、デスクの上の私物を一掃させられるはずだ。


永遠にも感じられる数秒間……やがて、Discordのチャット欄に怒涛の勢いでメッセージが返ってきた。


『あ、あわわわわっ! すみませんPさんっ!』


『私、舞い上がっちゃってデスクの上ちゃんと片付けてませんでしたっ!』


『右上のやつですよね!? すぐに片付けます! Pさんに、手元が美しいなんて言われちゃって……私、恥ずかしくて顔から火が出そうです……っ///』


(よっしゃぁぁぁぁぁっ!!!)


心の中で、猛烈な雄叫びと共にガッツポーズを叩きつける。通った! 誘導が完璧に成功した!彼女は「名札が見つかったから」ではなく、「大好きなPに褒められて、配信クオリティを高めるため」に、自発的かつ意気揚々とデスクを清掃するモードに入ったのだ!


「ふぅ……ふぅ……助かった……命拾いした……」


僕はゲーミングチェアに深く身体を沈め、天井を仰いだ。全身の筋肉から急速に緊張が抜け、心臓の鼓動がゆっくりと平常時へ戻っていく。危機は去った。これで第二回のテスト動画を待つだけで──


その時だった。


『ドタバタドタバタッ!』


防音材など皆無の古い木造住宅。壁を隔てた斜め向かいの結愛の部屋から、慌ただしく物を取り散らかすような派手な足音が響いてきた。


「あーもうっ! なんでこんな所に置いといたのよ私のアホ! Pさんに見られたらどうすんのよバカバカ!」


自室に漏れ聞こえてくる、結愛の焦りきった生声。だが、バタバタという足音はピタリと止まり、続いて聞こえてきたのは、衣類が擦れるようなかすかな音と、意表を突く結愛の小さな呟きだった。


「……Pさんに見られたら、これ誰の?って聞かれちゃうもんね。……ふふ、でも陸のやつ、自分の名札が私の机の上にあるなんて、一生かかっても思ってもみないだろうなぁ……」


(……え?)


僕は自分の耳を疑った。


僕の名前。結愛の口から出た「陸」という響き。普段、家のリビングでは「おい」「ウザいの」「視界に入るなキモい」としか呼ばれない僕の本名が、どこか愛おしむような、小さく甘いトーンで漏れ聞こえてきたのだ。


「……ほんと、使えないパシリのくせに……なんでこんな……」


カチャンと金属製の鍵が回る音が聞こえた。


「……よし、引き出しの奥の宝物箱にしまっとこ。陸には絶対内緒だけど」


(た、宝物箱ぉぉぉぉぉ!?!?)


脳内で盛大な爆発音が吹き荒れた。


宝物箱!? なぜ!? なぜ僕を親の仇のように嫌悪しているはずの元ヤン義妹が、僕の学校の名札を宝物箱に大事そうに保管しているんだ!?嫌がらせで捨てるわけでも、ハサミで切り刻むわけでもなく、わざわざ鍵付きのケースに仕舞い込んだだと!?


(意味が分からない……意味が分からないぞ天野結愛……! お前は一体何を考えているんだ!?)


恐怖と困惑、そして脳の処理速度を完全に超過する圧倒的な謎に、僕の思考回路は完全にショートしかけていた。


──チャットツールが再び軽やかな通知音を鳴らす。


『Pさん、お待たせしました! デスクの上、完全にピカピカに片付けました!』


『今度こそ完璧なテスト動画です! 確認してくださいっ!』


送られてきた第二弾の動画ファイル。僕は半ばパニック状態のまま、震える手で再生ボタンを押した。


画面の中の白いデスクの上からは、僕の名札を含め、一切の無駄な小物が綺麗に消え去っていた。残っているのはピンクのマグカップと、手元を優しく照らす間接照明、そしてカメラの前で「どうでしょうか……?」と恥ずかしそうに指を組み替える結愛の華奢で白い手。


画角、照明、ノイズのなさ。どれをとっても文句の付けようがない、完璧な手元動画だった。


『ルナ、完璧だ! 素晴らしいよ! これなら絶対にリスナーも大満足だし、プライバシーの保護も万全だ』


『本当ですか!? 良かったぁ! Pさんに褒めてもらえるのが一番嬉しいです!』


『じゃあ、明日の夜20時から「手元配信・第一弾」として予約枠を立てよう。告知のツイート文章も僕が作っておくからね』


『はいっ! Pさん、私頑張ります! Pさんの自慢のタレントになれるように、精一杯可愛く手元動かしますね!』


会話はスムーズに終了し、結愛とのチャットは一区切りついた。だが、僕の部屋を包む空気は、最初よりも遥かに重く、不気味なものへと変貌していた。


「……なんで名札を、宝物箱に……」


暗い部屋の中、モニターのバックライトに照らされた自分の顔が真っ黒なガラス窓に映っている。家では死んだような冷たい目をして僕を蔑み、ネットでは従順なタレントとしてP(僕)に甘え、そして部屋の陰では、僕の私物を宝物のように隠し持っている義妹。


矛盾だらけの彼女の行動。その裏にある真実に近づくことは、即ち「正体バレ」という死の危険に直面することと同義だった。


──翌日、金曜日の夕方。


学校が終わった僕は、近所のスーパーで今夜の夕食の食材(豚肉と玉ねぎとカレールー)を買い込み、いつも通りの重い足取りで帰路についていた。


今夜20時からは、いよいよ星降ルナの「初・手元配信」が控えている。プロデューサーとしての準備は万全だ。タイムスケジュール、コメント欄の自動モデレート、もしものトラブル対応用マニュアル。すべてPC内に構築してある。だが、家へ向かう足取りは少しも軽くならなかった。


(玄関を開けたら、またあの不機嫌な結愛がいるんだよな……)


ガラガラと引き戸を開け、無言で玄関をくぐる。靴箱には、結愛の履いている指定スニーカーが乱雑に脱ぎ捨てられていた。すでに帰宅しているらしい。


僕は足音を殺しながら廊下を歩き、キッチンへ向かった。母親は今日もパートの夜勤シフトで不在。家の中は不気味なほど静まり返っている。買い物袋から食材を取り出し、カレーの仕込みにとりかかろうとしたその時だった──


トントン、トントン……


結愛の部屋がある二階から、何かを規則的に叩くような小さな音が聞こえてきた。


(配信の準備でもしてるのかな……?)


気になって忍び足で階段を上り、二階の廊下へ向かう。


結愛の部屋の前を通ろうとしたその時、彼女の部屋のドアがほんの数センチだけ隙間が開いていることに気付いた。換気のためか、単なる閉め忘れか……。


中を覗くつもりなんて全くなかった。覗いたら最後、見つかれば即座に「盗撮魔!」「死ね!」と怒鳴られて蹴り飛ばされるのが関の山だ。僕はさっさと自分の部屋に入ろうと、ドアノブに手をかけたその時だった。


「……んっ……ふぅ……」


ドアの隙間から漏れ出てきた、ひどく切ない、どこか熱を帯びた艶っぽい吐息に、僕の身体は雷に打たれたように硬直した。


「……やっぱり……陸の匂いがする……」


(…………は?)


全身の血が凍りついた。


意思に反して、ほんの少しだけ隙間から視線を滑らせると、そこには信じられない光景が広がっていた。


自分のベッドの上に小さく丸まり、僕が昨夜、洗濯かごに入れておいたはずの学校指定のグレーのパーカーに顔を深く埋め、深く息を吸い込んで吸引している結愛の姿があったのだ。


彼女は僕のパーカーを両手で愛おしそうに胸に抱きしめ、うっとりと瞳を閉じ、その白い頬を林檎のように真っ赤に染めている。


「……なんで家だとあんなにウザいのに……服だけはこんなに落ち着くのよ……馬鹿陸……」


絞り出すような、切なさと愛おしさに満ち満ちた呟き。


(な……ななななななにやってんだあいつはぁぁぁぁぁぁーーーーっ!?!?!?)


脳内の全警報装置が同時に大爆破を起こした。


僕のパーカー!?わざわざ洗面所の洗濯かごから盗んできたのか!?それを抱きしめて……匂いを嗅いで……「落ち着く」だと!?


家では「死ね」「失せろ」「視界に入るな」と暴言の限りを尽くしているあの元ヤン義妹が、裏では僕の匂いに依存している……!?


(待て待て待て! 意味が分からない! 脈絡がなさすぎる! ネットでは『Pさん大好き』で、リアルでは『陸大嫌い! でも服の匂いは好き』って、どういう情緒してんだあいつは!? 二重人格どころか三重人格じゃないか!)


パニックのあまり足がもつれ、僕は廊下の床板をギシッと大きく鳴らしてしまった。


「っ!?」


部屋の中の結愛が、弾かれたように跳ね起きる。目にも止まらぬ速さで僕のパーカーをベッドの隙間に押し込み、猛スピードでドアに駆け寄ってきた。


ババァンッ!と、蝶番が壊れそうな勢いでドアが開く。そこに立っていたのは、顔を熟したトマトのように真っ赤にし、三白眼を吊り上げ、全身から狂気的な殺気を放つ鬼のような結愛だった。


「……あんた……今……見た……?」


殺し屋のトーンだ! 声を低く抑えているが、手にサバイバルナイフを持っていたら迷わず心臓を刺してくる目だ! シャンプーの甘い香りと、圧倒的な暴力の気配が混ざり合って鼻腔を突く。


「み、見てない! 何も見てないよ!! 今帰ってきたところで、自分の部屋に入ろうとしただけで──」


「嘘つけぇぇぇぇぇぇ!!!」


結愛が僕の制服の胸ぐらを両手で掴み上げ、壁に叩きつけんばかりの勢いで詰め寄ってくる。至近距離で合わさる視線。その瞳は怒りと、そして隠しきれない極度の恥ずかしさで激しく揺れ動いていた。


「見ただろ!? 絶対見たよね!? あんた、いつからそこにいたのよ!?」


「本当になにも見……あ、いや、何かグレーの布を抱きしめてたような気は……」


「死ね死ね死ね死ね死ね!!! 忘れろ! 今の映像を脳みそから完全にデリートしろ! 消さないと本気で殺す! 埋める! 庭に深さ十メートル掘ってコンクリ詰めで埋めるからね!!!」


「わかった! 消す! 今すぐ記憶フォーマットするから、放して結愛っ!」


結愛は僕の胸ぐらを脳震盪を起こすほどの力で揺さぶった後、真っ赤な顔のまま僕を力任せに突き飛ばした。


「……最悪……マジで最悪……視界に入るなっていったでしょバカ陸! 今日は晩ご飯いらないから話しかけんな!」


バァァァン! カギガチャッ!!


絶叫と共にドアが固く閉ざされ、重厚な施錠の音が廊下に響き渡った。静まり返る廊下で、僕は壁に背をもたれさせ、崩れ落ちるように座り込んだ。


「……なんなんだよ……一体……」


心臓のバクバクが止まらない。結愛のあの反応──あれはただの嫌悪感ではない。自分の「秘密の異常行動」を見られたことに対する、極限の羞恥とパニックだ。


あいつは、家では僕を毛嫌いしているフリをしながら、裏では僕の私物を集め、僕の服の匂いを嗅ぎ、そしてネットでは『P』にガチ恋している?


(ツンデレ……? いや、ツンデレの領域を越えて、完全に病みかけてないか……!?)


時計の針は19時15分を回っていた。あと45分で、星降ルナの人生を賭けた「手元配信」が始まる。


重い足取りで自室に戻り、デスクに座る僕のスマホから、再び『Discord』の通知音がなった。


『Pさん……ぐすっ……』


『やっぱりリアルは地獄です……。私をいじめてるウザい義兄に、絶対に見られたくない所を見られちゃって……もう立ち直れません……』


『Pさんお願いです、私の味方だって言ってください……Pさんの優しい声を聞かないと、今日の配信、泣いちゃって声が出ないかもしれません……っ』


画面に表示された、今にも消えてしまいそうな結愛ルナからの、悲痛な助けを求めるメッセージ。


目の前の廊下の向こうで、僕のパーカーを抱きしめて泣きそうになっている義妹。画面の向こうで、僕(P)に泣きついている推しVTuber。


「……やるしかないんだな。俺が」


僕は深い深い溜め息をひとつ吐き出すと、デスクの端にあるボイスチェンジャーの電源を入れた。マイクの感度を調整し、ヘッドホンを耳に当て、画面上の通話開始ボタンをクリックする。


プロデューサーとして、そしてすべての元凶である「義兄」として……僕は二重の罪悪感と底知れぬ混乱を胸に抱きながら、ボイスチェンジャーを通した甘く低いPの声で、震える彼女が待つスピーカーへと語りかけた。


「……大丈夫だよ、ルナ。僕がずっと君のそばにいるからね」

P(陸)の優しい言葉に救われ、なんとか始まった「初・手元配信」。しかし、画面に映し出された結愛の手元と、そこから漏れ出る「思わせぶりな言動」にコメント欄は大爆発!さらに、配信中に結愛の部屋から予期せぬトラブルが発生し、リアルとネットの境目が完全に崩壊の危機に!?次回、第3話「爆炎の手元配信と、廊下を踏み鳴らす足音」をどうぞお楽しみに!

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