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推しVTuberの中の人が「僕をいじめていた元ヤン義妹」なんだが、お互い正体を知らないまま配信をプロデュースしている  作者: 綾瀬 灯


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第1話「絶対にバレてはいけないデスゲーム(ただし裏ではデレデレ)」

(……嘘だろ。冗談だろ……っ!?)


自室のゲーミングチェアに深く腰掛けたまま、僕は頭を抱え、全身から吹き出す大量の嫌な汗を拭うことすら忘れていた。密閉された部屋の空気が、突如として粘度を持ったように息苦しい。


目の前のデュアルモニターの右画面。そこに映し出されているのは、現在ネット上で飛ぶ鳥を落とす勢いの新人VTuber・星降ルナの生配信画面だ。


桜色の髪に星屑を散りばめたような甘い瞳。どこかポンコツで庇いたくなる愛くるしい仕草を振りまく二次元のアバター。そして、その画面の向こうから、僕の高品質なヘッドホンを通して鼓膜を打ったのは、間違いなく我が家の一階リビングから響いた「実の母親の大声」だった。


「結愛ー! あんた、洗面所にヘアアイロンつけっぱなしで放置してるわよ! 火事になったらどうすんの!」


配信画面の中で、星降ルナのアバターがピクッ! と不自然に硬直する。トラッキングソフトが彼女の身体的フリーズを正確に読み取った結果だ。


数秒の前触れもない、真空のような沈黙──


やがて、左画面に表示させていたYouTubeのコメント欄が、一瞬にして爆発的な速度でスクロールを始めた。


『え、今の親フラ?』


『結愛ちゃんって本名!?www』


『お母さん声デカくて草』


『結愛ァ! ヘアアイロン消せぇ!』


『放送事故きたあああぁぁ!!』


濁流のように流れるコメントを背景に、スピーカーから「あわわわわ!」と完全に裏返った声が聞こえてくる。


「い、今の、外を歩いてる近所の声が大きいおばあちゃんですっ! マイクが拾っちゃって……ごめんなさいっ! 一旦タンマですっ!」


強引すぎる言い訳と共に、配信画面が急遽『準備中』の味気ない静止画に切り替わった。


直後、デスクに放り出していた僕のスマホが、狂ったようなバイブレーションを上げ始める。チャットアプリ『Discord』の通知画面に、秒単位でメッセージが雪崩れ込んできた。


『Pさんっ! Pさん助けてくださいぃぃぃ』


『放送事故です! 本名バッチリ乗っちゃいました! お母さんのバカ!』


『どうしようどうしよう、リスナーさんにバレちゃいましたか!? 私もう終わりです、引退ですぅぅぅ泣』


画面の向こうで半狂乱になっている少女。そう、彼女こそが、僕――天野陸あまのりくが裏でマーケティングと企画、ブランディングの全てをプロデュースしている推しVTuber・星降ルナだ。


そして、たった今確定してしまった悪夢のような現実……


星降ルナの中の人は、僕の部屋の斜め向かい、わずか数メートル先の部屋に住んでいる僕の義妹、天野結愛だった。


「……まじかよ……嘘だろ……っ」


僕は両手で顔を覆い、絶望のあまり天を仰いだ。


結愛──


親の再婚によって半年前から一緒に暮らすことになった、一つ下の義妹。中学時代は地元でも有名な元ヤンで、当時の僕(隣の中学だった)をパシリとして容赦なくこき使っていた恐怖の象徴。家の中では常に冷徹な三白眼で僕を睨みつけ、「近寄んな」「うざい」「視界に入らないで」と毒を吐き捨ててくる、絶対零度の冷酷少女。


あの、僕を道端のゴミ虫のように見下している結愛が、毎夜、Discordの通話で『Pさぁん、今日も声聴かせてください……』と甘え切った声を出し、僕の作った台本を健気に読み上げ、僕の指示通りに愛想を振りまいていた……だと?


(待て、落ち着け天野陸! 脳細胞をフル回転させろ。プロデューサーとしての仕事をしろ!)


冷や汗が背筋を伝い落ちる中、脳内で最悪のシミュレーションが超高速で展開される。


もし、結愛に正体がバレたら?


「は? あんたがPだったの? マジキモいんだけど。死ねば?」


……いや、そんな冷言で済めば御の字だ。


彼女にとって『P』は、底辺だった自分を見出し、チャンネル登録者数5万人まで引き上げてくれた絶対的な神であり、精神的支柱だ。その正体が、家で奴隷のように扱っている不甲斐ない義兄だったと知ったらどうなる?


彼女のプライドはズタズタになり、重度の人間不信に陥り、最悪の場合はVTuber引退……そして、人生の支えを奪われた腹いせに、物理的に僕を社会から抹殺しにかかってくるに違いない。あの元ヤンなら包丁を持ち出してきてもおかしくない。


(絶対にバレちゃだめだ……! これがバレたら、俺の人生は物理的にも社会的にも確実に終わる……!!)


「ハッ……そうだ、まずは配信を鎮火させなきゃ……!」


僕は震える手を強引に制し、キーボードを叩く。Pとしての専用アカウントから、パニックになっている結愛ルナへ即座に指示を飛ばした。


『ルナ、深呼吸して。大丈夫、まだ詰んでない』


『Pさんっ……! でも本名が……!』


『結愛っていう名前が聞こえたのは確かだけど、リスナーはまだ半信半疑のはず。近所のおばあちゃんは無理があるから、こう押し通そう。「近所の小学生が外で喧嘩してた」か、「友達が遊びに来てて、別部屋で親に怒られてた」のどちらかに』


『うぅ……二つ目の「友達が来てた」にしますっ……!』


『よし、コメント欄のモデレート(削除・規制)は俺が裏で全部やるから。「結愛」「本名」「親フラ」という単語をNGワードに設定したから、放送を再開したら、ちょっと恥ずかしそうに笑いながら「友達のお母さんが怒鳴り込んできて焦っちゃった〜」とギャグっぽく流そう。ルナの演技力なら絶対にできる。俺が保証する』


『……はいっ! Pさんがそう言ってくれるなら、私、頑張ります……! Pさん、本当に頼りになります大好き……!』


画面上に躍り出る『大好き』の文字。普段の結愛からは宇宙の果てほど遠いそのフレーズに、胃がキリキリと痛み出す。


僕は速やかに配信の管理ツールを操作し、荒れかけたコメント欄を高速で清掃していった。


数分後、配信が再開される。


「あ、あのね皆さんっ、ごめんなさい! さっきのは、遊びに来てた友達のお母さんが、友達の忘れ物を届けに来て怒ってた声でした! 結愛ちゃんっていうのは友達の名前です! びっくりさせてごめんね〜!」


アバターの星降ルナが、頭を下げながらキュートにペロッと舌を出す。絶妙な照れ隠しの声色と、アバターの愛らしい動きにコメント欄は『なんだ友達か!』『焦ったわーww』『ルナちゃんかわよ』といった書き込みが溢れ、見事に騒動は沈静化した。


「ふぅぁぁぁぁ……っ……!」


配信が無事に終了した瞬間、僕はデスクの上に突っ伏した。心臓が肋骨を突き破りそうなほど脈打っている。


たった一つのミスで人生が崩壊する、綱渡りのような緊張感。これが……これがプロデュースの現場なのか? いや違う、これは完全な情報戦デスゲームだ。


スマホが軽やかな通知音を鳴らす。


『Pさん! 今日も本当にありがとうございましたっ! Pさんがいなかったら、私パニックで配信切って泣いて逃げ出すところでした……』


『Pさんって、どうしてそんなに頼りになって、優しくて、カッコいいんですか……? 私、Pさんに出会えて本当に幸せです』


『あ、あのね……もしよかったら、少しだけ通話で声聴かせてもらえませんか……? 緊張が解けなくて、一人だと眠れそうになくて……』


画面に表示された怒涛のデレメッセージとボイスチャットの接続要求──


「通話……っ!?」


冷や汗が再びドバッと吹き出した。ボイスチェンジャーを通しているとはいえ、今この家の中で声を出すのは危険すぎる。僕の部屋と結愛の部屋は、廊下を挟んで目と鼻の先。深夜の静まり返った家の中では、壁一枚など防音材の役目すら果たさない。


僕は必死の思いでフリック入力を行う。


『ごめんねルナ、今日はもう遅いし、僕も明日の準備があるんだ。ルナも今日はゆっくり休んで、温かいもの飲んで寝るんだよ』


『そっか……残念です。でも、Pさんが言うならそうします! Pさんもゆっくり休んでくださいね。おやすみなさい、世界で一番大好きなPさん♥』


最後のハートマークを見つめながら、僕は画面を閉じた。


壁一枚隔てた向こう側にいる、あの凶悪な義妹。彼女が部屋のベッドの上でスマホを握りしめ、僕(P)からのメッセージに目を輝かせている姿を想像すると、背徳感と恐怖で頭がおかしくなりそうだった。


翌朝──


午前7時30分。鉛のように重い足取りで自室のドアを開ける。階段を一段降りるごとに、まるで処刑台へ向かう罪人のような気分だった。


リビングに入ると、そこにはすでに朝食のテーブルについている結愛の姿があった。学校の制服を着崩し、黒髪のロングヘアを少しボサボサにしたまま、不機嫌そうにトーストを齧っている。


鋭い三白眼が、扉を開けた僕を正確に捉えた。


「……チッ」


あからさまな舌打ち。氷点下50度の視線が僕を貫き、周囲の温度が急激に下がった錯覚すら覚える。


「……おはよう、結愛」


僕が気まずそうに声をかけると、結愛は目を合わせようともせず、低くドスを効かせた声で言い放った。


「ウザ……朝からツラ見せんなよ。視界に入るだけで食欲失せるんだけど。ていうか息すんな」


「……ごめん」


昨日、ネットの裏で『Pさん大好きです』『Pさんがいないと生きていけません』と泣きついていた少女と同一人物とは、脳の処理限界を超えて信じがたい。


これがリアルなのだ。これが、僕に対する天野結愛の「正当な評価」なのだ。


(落ち着け……平静を装うんだ。俺は敏腕プロデューサーだぞ……)


僕は結愛から物理的に最も遠い対角線上の席に腰を下ろし、自分の分のトーストにジャムを塗り始めた。リビングには、テレビのニュース番組が伝える無機質な声だけが虚しく響いている。母親はすでにパートの早朝シフトで出かけており、家の中には僕と結愛の二人きりだ。


その時だった──


結愛がチラリと手元のスマホに目をやり、何やら難しい顔をしてフリック操作を始める。


直後、僕の制服のズボンのポケットの中で、スマホが「ブッ」と一瞬だけ小さく振動した。


(っ……!?)


背筋に激痛のような緊張が走る。通知音は切ってある。マナーモードのバイブ音だ。だが、この張り詰めた静かなリビングでは、かすかな振動音すら命取りになりかねない。


僕は生きた心地がしないまま、チラリと結愛の様子をうかがった。結愛はスマホ画面を睨みつけたまま、不機嫌そうに眉間にしわを寄せている。


僕は、ゆっくりとテーブルの下でスマホを取り出し、画面を最低輝度に落として通知を確認した。


『Discord:星降ルナ』


『Pさん、おはようございます! 朝から家にいるウザい義兄の顔を見て、一気にテンション下がりました……。Pさんの声を聞いて癒されたいですぅ』


(俺のことじゃねーか!!!)


目の前で無言でトーストを噛みちぎっている元ヤン義妹が、テーブルの下で僕の悪口を僕(P)に送ってきている。


シュールすぎる! シュールすぎて胃液が逆流しそうだ。


僕は結愛に微塵も悟られないよう、テーブルの下で息を潜め、高速でフリック入力を開始した。


『おはよう、ルナ。朝から大変だったね。でも、ご家族の人も悪気があるわけじゃないと思うよ。今日も一日、学校頑張ろうね。僕はずっとルナの味方だよ』


送信ボタンをタップする。


次の瞬間、目の前に座る結愛のスマホが微かに震えた。結愛が、警戒するような目でスマホの画面に目を落とす。


すると──


「……っ」


さっきまで般若のように険しかった結愛の表情から、スッと険が抜け落ちた。鋭かった三白眼が柔らかく、とろけるように緩み、口元が「ヘヘッ」と嬉しさを隠しきれないように小さく綻ぶ。ほんのりと朱に染まった頬。彼女は宝物でも愛でるかのようにスマホを両手で包み込み、小さく甘い息を吐き出した。


(……かわっ!? いや、騙されるな俺! あいつは悪魔だ! 猛毒を持ったスコーピオンだ!!)


家では一度も見せたことのない、あまりにも破壊力のある「恋する乙女」の表情。その致命的なギャップに胸が大きく跳ね上がりそうになるのを、僕は必死で理性という檻の中に閉じ込める。


結愛はハッと我に返ると、慌てて冷酷な面持ちを作り直し、僕をギロリと睨みつけた。


「……おい」


「ひ、はいっ!?」


「何ニヤニヤしてんだよキモいな。眼球えぐるぞ」


「ニヤニヤなんてしてないよ!?」


「うるさい、黙れ。先に学校行くから。半径50メートル以内に近づいたら社会的に抹殺するからな」


結愛は乱暴に立ち上がると、スクールバッグをひったくるように持ち、バタン!と家が揺れるほどの音を立てて玄関から出て行った。


「……命がいくつあっても足りん」


僕はテーブルに突っ伏し、今日だけで10年分は老けたような深い、深い溜め息をついた。


放課後──


僕はそそくさと帰宅し、自分の部屋に籠もってPCのデータと格闘していた。


星降ルナの現在のチャンネル登録者数は約58,000人。デビューからわずか3ヶ月でここまで伸びたのは、僕が綿密に構築した「徹底的なブルーオーシャン戦略」と「彼女自身の隠された魅力」が奇跡的な噛み合いを見せた結果だ。


結愛は家では最悪の元ヤンだが、声質は誰もが耳を傾けたくなる天性の美声いわゆるカワボを持っている。さらに、不器用ながらもリスナーのコメントに一生懸命応えようとする真面目さがある。


僕が提供する「配信のネタ」「トークの展開案」「切り抜き動画用のタイムスタンプ管理」を完璧にこなし、僕の要求する120%のパフォーマンスを出してくれる、最高の才能タレントなのだ。


そして今、僕たち(Pとルナ)の前には、大きな壁が立ちはだかっていた。


「登録者数、10万人……」


大手VTuber事務所『ライブリンク』が開催する、個人勢VTuberを対象とした大規模な案件オーディション。その参加条件が「チャンネル登録者数10万人以上」なのだ。


10万人を突破すれば、事務所からの公式サポート、3Dモデルの制作、そしてメジャーな企業案件の獲得など、VTuberとしての道が一気に開ける。結愛自身も「絶対に10万人いって、Pさんに恩返ししたい!」と意気込んでいる大目標だった。


だが、ここ数週間、現在の伸び代は少し頭打ちになりつつある。5万人の壁を破り、10万人の大台へ到達するためには、何か強烈な爆発力のある、劇薬のような新企画が必要だった。


画面上のDiscordアイコンが点滅する。


『Pさん、今日の打ち合わせよろしくお願いします!』


『お疲れ様、ルナ。今日も暑かったね。体調は大丈夫?』


『Pさんに会えた(チャットできた)ので、元気100倍です! Pさんパワー充電完了しましたっ!』


相変わらずの甘々モードだ。朝、家で「眼球えぐるぞ」と言ってきた人物と同一なのか、未だに脳の言語野がバグを起こしそうになる。


『さて、ルナ。10万人達成に向けた新企画の件だけど、一つ提案があるんだ』


『提案……? どんな企画ですか!? Pさんの企画なら、私なんだってやります! 激辛ペヤングでもバンジージャンプでも!』


僕はキーボードを叩く手に、少しだけ力を込めた。


『リアル手元配信、だよ』


『……手元配信、ですか?』


『そう。カメラでルナの「手元」だけを映しながら、料理や工作、あるいはゲームのコントローラー操作を見せる配信をやるんだ。ルナの可愛らしい手元と、生活感が伝わる映像は、新規リスナーのハートを必ず掴む。今のルナに必要なのは、アバターの壁を越えた「圧倒的な親近感と実在感」なんだ』


実写の手元配信──


これはVTuberにおいて強力なコンテンツだ。アバターの裏にある「実在感」を醸し出し、ファンのエンゲージメントを爆発的に高めることができる。


しかし、画面越しに返ってきたのは、少し怯えたようなメッセージだった。


『実写……ですか……。あ、あの、大丈夫でしょうか……? 私、部屋の様子とか、手元とか映して……Pさんに……じゃなくて、リスナーさんにバレたりしませんか……?』


(っ……! 鋭いな……)


結愛も馬鹿ではない。昨日の親フラ事件のこともあり、プライベートな情報がネットに出ることに過敏になっているのだ。プロデューサーとしては、彼女の不安を取り除くのが最優先事項だ。


『安心して、ルナ。カメラの画角、背景の遮光、映り込む可能性のある小物のチェックは全て僕が事前にマニュアル化する。君が危険に晒されるような企画は絶対に提案しない。泥を被るのは裏方である僕の仕事だ』


『……っ!』


『僕を信じてくれるかい?』


数秒の沈黙の後。画面の向こうから、弾けるようなメッセージが届いた。


『信じます! Pさんを信じないわけないじゃないですか! Pさんが守ってくれるなら、私、手元配信やってみます!』


『ありがとう、ルナ。じゃあ、まずはカメラのテスト撮影をしよう。配信はせず、僕だけにテスト映像を送ってほしい。背景に危険なものが映り込んでいないか、僕の目で隅々までチェックするから』


『わかりました! 今すぐ準備して、Pさんに動画送りますね! 待っててください!』


「よし……これで企画は進められる……」


僕は胸を撫で下ろし、コーヒーを一口すすった。だが、その時の僕は完全に失念していたのだ。手元配信のテスト映像が意味することを……


10分後──


Discordに、結愛から一本のショート動画が送られてきた。


『Pさん! テスト動画撮影しました! こんな感じで大丈夫でしょうか……?』


「どれどれ……」


僕はプロデューサーとしての鋭い目つきに戻り、動画ファイルをダウンロードして再生ボタンをクリックした。


画面に映し出されたのは、白いデスク。その上に置かれた、可愛らしいピンクのマグカップ。そして、カメラの前で緊張したように指をモジモジさせている、華奢で白魚のような「女の子の手」だった。


『えーと……Pさん、聞こえますか……? ルナです……。手元、こんな感じでどうですか……?』


動画の中から聞こえる、少し恥ずかしそうな結愛の声。僕は目を皿のようにして、背景の壁紙、照明の反射、マグカップへの映り込みなど、特定材料になり得る要素をチェックしていく。うん、完璧だ。これなら問題ない。


そう思って、動画を閉じようとしたその瞬間──


僕の視線は、結愛の手元からわずかに外れた、デスクの右上の隅に釘付けになった。


画角をギリギリ外れきれていない、デスクの端っこ。そこに置かれていたのは……僕が先週、廊下に落としてしまい、結愛が拾って「ゴミ落としてんじゃねーよ!」と怒鳴り散らした後、なぜかそのまま彼女が自分の部屋に持ち帰ったはずの、僕の学校のネームプレートだった。


「………………は?」


時が止まった。いや、心臓が止まった。


画面の中で、ピンクのネイルを塗った結愛の指先が愛らしく動く。そのすぐ数センチ隣に、ハッキリと、恐ろしいほど鮮明に読める文字で刻まれた『2年B組 天野陸』の文字──


(あ……あ……あ……っ!!!)


全身の血の気が、一瞬で引いていくのが分かった。頭の中の警報アラートが、鼓膜を破るほどの音量で鳴り響いている。


結愛は気づいていない。動画を撮影する際、デスクの端に無造作に置かれていた(なぜ彼女が、僕の名札を机に置いているのかは今は考えない!)僕の名札を、誤って画角に入れてしまったことに。そして、その動画を「P」である僕に直接送信してしまったことに!


『Pさん? 動画、見てもらえましたか……? 変なところ、ありませんでしたか……?』


チャット欄に、結愛からの無邪気な追い打ちのメッセージが届く。


(思考しろ! 思考しろ天野陸!)


もし、ここで僕が「名札が映ってるよ」と指摘したら?


『え? なんで私の部屋に天野陸の名札があるって知ってるの?』


『……っていうか、Pさん、なんでこの名札の名前を知ってるの……?』


『まさか……Pさんって……天野陸……!?』


──即、詰み(死)


逆に、指摘せずに「問題ないよ、完璧だ」と言って本番の配信に突入させたら?


配信中に数万人のリスナーに僕の名札が特定され、個人情報が爆破され、結愛のVTuber生命が終了する。


──それも、即、詰み(死)


右に行けば即死罠、左に行けば即死トラップ。


完全なる詰み(チェックメイト)の状況が、第一回目のテスト撮影にして訪れてしまった。


「……くっ……ふはっ……www」


あまりの絶望的な状況に、口から引き攣ったような乾いた笑いが漏れた。


目の前のモニターには、僕の正体を暴く決定的な証拠(ネームプレート)と、それを僕に自ら送りつけて、どうですか?と小首を傾げてくる凶悪な義妹。


絶対にバレてはいけない。だが、彼女の配信も守らなければならない。


冷や汗で全身をビショビショに濡らしながら、僕は震える指をキーボードに添えた。


僕と義妹の、命を懸けた超高度情報戦ラブコメ。その本当の地獄は、まだ始まったばかりだった。

絶対に指摘できない「名札」の存在。陸は言葉巧みに結愛を誘導し、彼女自身に名札を隠させるという超難度のミッションに挑む!しかし、予想外の結愛の「ある行動」によって、事態はさらに泥沼化していき……!?次回、第2話「消えた名札と、義妹の秘密の匂い」をどうぞお楽しみに!

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