プロローグ「最悪の義妹と、最愛の推し」
「あんたと同じ空気吸うの、マジで吐き気がするんだけど。さっさと視界から消えてくれない?」
リビングの空気を凍らせるような、絶対零度の声――
鋭く睨みつけてくる三白眼の主は、親の再婚によって僕の義妹となった女子高生・結愛だ。中学生時代、元ヤンだった彼女にパシリとしてこき使われていた僕にとって、彼女は恐怖の象徴でしかない。親の前では猫を被っているが、二人きりになるとこの態度だ。
「……ごめん。すぐ部屋に戻るよ」
僕は逃げるように階段を駆け上がり、自室のドアをきっちりと施錠した。ため息を一つ吐き出し、重い足取りでパソコンの前に座る。現実は地獄だが、僕には帰るべき『もう一つの居場所』があった。
モニターの電源を入れ、チャットアプリ『Discord』を開く。すると、待っていたかのように一件のダイレクトメッセージが飛んできた。
「Pさぁぁん! 今日もリアルで嫌なことがあって、精神ゲージがゼロですぅ……よしよししてください……」
メッセージの送り主は、今ネットで人気急上昇中の新人VTuber・星降ルナだ。そして僕の裏の顔は、底辺だった彼女を、独自のデータ分析とマーケティング戦略でバズらせた専属の裏プロデューサー・Pだ。
「お疲れ様。ルナは今日もよく頑張ったよ。今日の20時からの配信、新企画の台本も完璧に仕上がってる。僕がずっと裏でサポートしてるから、安心して暴れておいで」
僕がそう返信すると、即座にスタンプの連打と共にメッセージが返ってくる。
「わぁぁぁん! Pさんイケメンすぎます! Pさんがいないと私、絶対に生きていけません! 配信終わったら、また朝まで通話付き合ってくれますか……?」
さっきまで結愛にボロカスに言われていた心が、ルナの甘い言葉で急速に癒されていく。僕にとって星降ルナは、手塩にかけて育てた最高のタレントであり、最愛の推しだった。
そして、運命の20時――
星降ルナの生配信がスタートした。
「こんばんるなー! みんなの星、ルナだよー!」
モニター越しに響く、蕩けるように甘く可愛い声。僕はプロデューサーとしてコメント欄の動向を分析しながら、至福の時間を味わっていた。
その時だった――
一階から、母親の大きな声が響いてきた。
「結愛ー! あんた、洗面所にヘアアイロンつけっぱなしで放置してるわよ! 火事になったらどうすんの!」
やれやれ、また結愛が怒られている……そう思った直後、僕のヘッドホンから流れる星降ルナの配信音声に、全く同じタイミングで、全く同じ声が乗った。
「結愛ー! あんた、洗面所にヘアアイロンつけっぱなしで……」
「…………え?」
配信画面の中で、星降ルナのアバターがピタッと硬直した。数秒の沈黙の後、ルナが裏返った声で叫ぶ。
「あわわわわ! い、今の、外を歩いてる近所の人の声ですっ! マイクが拾っちゃって……ごめんなさいっ!」
リスナーたちは「親フラか!?」「近所の人、声デカすぎ草」と笑っている。しかし、僕の背筋には大量の冷や汗が流れていた。
間違いない、さっきの声はうちの母親だ! ということは、つまり……僕の最愛の推しであり、僕(P)にガチ恋レベルで依存している星降ルナの中の人は、僕をゴミを見るような目で見下している、あの元ヤンの義妹……!?
「Pさんっ! どうしよう、放送事故ですぅ! 助けてくださいぃぃ!」
裏のチャットでは、結愛が僕に泣きついている。
もし……もしも、彼女が世界一見下している義兄の僕が、彼女が世界一依存している『P』だとバレたら……社会的な死はおろか、物理的に殺されるかもしれない。
絶対に、絶対にバレてはいけない。僕と義妹の、命懸けの二重生活が幕を開けた瞬間だった。




