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推しVTuberの中の人が「僕をいじめていた元ヤン義妹」なんだが  作者: 綾瀬 灯


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第18話「途絶えた現在地と密室の遭遇」

画面の中で陽気なアイドルソングのMVが流れ、カラフルな照明がチカチカと点滅するカラオケの個室。しかしその密室の空気は、北極の氷海よりも冷たく凍りついていた。


「あははっ、天野くん、顔面蒼白じゃない。そんなに怖い?」


テーブルの上に置かれた、真っ暗な画面のまま沈黙する僕のスマートフォン。それを指先で弄りながら、白石みぞれは心底愉快そうに笑い声を上げた。彼女はメロンソーダのストローを咥え、僕の絶望を極上のエンターテインメントとして消費している。


「頼む、白石……今すぐ電源を入れてくれ。お前は結愛のことを何も分かってない! あいつはアプリの電源を切ったら『何をするかわからない』って……!」


「だから『何をするか』見せてよって言ってるの。家で泣き叫んでるのかしら? それとも部屋のものを手当たり次第に壊してる? 想像するだけでゾクゾクするわね。ほら、せっかくのカラオケなんだから、Pくんも一曲歌ったら?」


マイクを差し出してくる白石の手を僕は乱暴に払い除けた。


「ふざけるな! 今すぐ帰る!!」


僕がソファから立ち上がろうとした瞬間、白石の瞳からスッと笑いが消え、絶対零度の冷酷さが顔を出した。


「座りなさい。……言ったわよね? 私の言うことを聞けないなら、有能Pが天野陸だという証拠と推測をネットにばら撒くって。妹さんの精神がどうなってもいいの?」


その言葉は、僕の足に重さ数トンの枷をはめた。


ネットの世界での裏切りによって、結愛の精神はすでにズタズタに引き裂かれている。昨日、僕の部屋に泣きつきに来た彼女の虚ろな瞳を思い出すだけで、心臓が握り潰されそうだった。ここでさらにPの正体が現実の兄だと暴露されれば、結愛は本当に発狂し、二度と戻ってこられない場所まで壊れてしまうだろう。


僕はギリッと奥歯を噛み締め、再びソファに力なく腰を下ろすしかなかった。


(結愛……頼む、家にいてくれ。少しだけ待っててくれ……!)


祈るような思いで両手で顔を覆う。スマートフォンの電源が切られ、現在地の共有が途絶えてからすでに三十分が経過していた。


その時だった。


防音扉の向こう側、廊下を歩くペタペタという異様な足音が、僕たちの個室の前でピタリと止まった。


カラオケのドアには、中の様子が確認できるように縦長のすりガラスが嵌め込まれている。そのすりガラスの向こう側に、ゆらりと黒い人影が張り付いた。


「……え?」


白石が不思議そうにドアの方へ視線を向けた次の瞬間──


ガチャリと重い防音扉が、外側からゆっくりと開かれた。


廊下の薄暗い照明を背に受けてそこに立っていたのは、髪を振り乱しながら肩で荒い息をする天野結愛だった。


「……ゆ、あ……?」


僕の口から、掠《かす》れた声が漏れた。結愛の姿は異様だった。ピンク色のカーディガンは半分肩からずり落ち、足元を見ると、なんと靴を履いていなかった。泥と血で汚れ、擦り切れた白い靴下。彼女はスマホの現在地がロストした直後、靴を履く時間すら惜しんで玄関を飛び出し、最後のGPSピンが指し示していたこの駅前ビルまで、狂気の執念だけで走ってきたのだ。


数十部屋もあるこのフロアを、一部屋ずつ中を覗き込んで回っていたのだろう。結愛の瞳にはハイライトが一切なく、真っ黒に濁った深淵だけがぽっかりと口を開けていた。


「……みーつけたー」


結愛の口元が三日月のように歪に吊り上がる。その異様な風体に、さすがの白石も一瞬言葉を失い、目を見開いていた。


「……あら、本当に自力でここまで辿り着くなんてね。すごい執念じゃない」


白石はすぐにいつもの余裕の笑みを取り戻し、ソファに足を組んだまま結愛に声をかけた。彼女はまだ、目の前のヤンデレがどれほど危険な状態にあるかを、ただのブラコンの延長程度にしか理解していない。


結愛は僕を一瞥した後、ゆっくりとした足取りで部屋の中へと足を踏み入れた。そして、バタンと背手で防音扉を閉めると、そのままガチャリと内側から鍵をかけた。


「……おい、結愛、何を……」


僕が立ち上がろうとするのを制するように、結愛はスッと手を前に出した。その視線は僕ではなく、真っ直ぐに白石みぞれへと向けられていた。


「……甘くて、ちょっとツンとする匂い」


結愛の低い声が、カラオケのBGMを切り裂いて響く。


「陸の制服についてた香水……陸の胸ポケットに雪の結晶のしおりを入れた泥棒猫……お前だったのね……」


結愛は、僕の現実の同級生(白石)と、ネットの因縁の相手(白雪)が同一人物であることには気づいていない。彼女の目には今、白石みぞれという女が、「現実世界で自分からたった一人の兄を奪い去ろうとする泥棒猫」として映っていた。


白石はクスリと笑い、挑発するように髪をかき上げた。


「そうよ、ワ・タ・シ……天野くん、私と一緒にいるとすごく楽しそうにしてるわよ? 妹さんにGPSで監視されるような息苦しい生活より、私といる方が彼にとっても──」


「黙れぇぇッッ!!!」


鼓膜を突き破るような、結愛の凄まじい絶叫が個室に轟いた。ビクッと白石の肩が跳ね、初めてその表情から余裕が剥がれ落ちた。


結愛はゆらりと前傾姿勢になり、獣のような目で白石を睨みつけた。その右手には、いつの間にか彼女のポケットから取り出された『銀色の雪の結晶のブックマーカー』が、手のひらに血が滲むほど強く握りしめられている。


完全に理性を失った結愛の口から、隠していたはずの秘密までもが狂気と共に溢れ出した。


「陸は私のお兄ちゃんだ! 私だけのものだ! ネットの泥棒猫(白雪)がPさんを奪って、現実の泥棒猫(お前)が陸を奪う……!? 許さない、どいつもこいつも、私の世界から大切なものを奪い去っていくなんて……!!」


結愛の言葉に、白石の顔色が変わった。


『ネットの泥棒猫がPを奪う』その結愛の台詞で白石は気づいたのだ。目の前で狂気に囚われている少女の精神が、自分が仕掛けたネットの裏切りと、現実のマーキングの二つのストレスによって、完全に致死量を超えて崩壊しているという事実に……。


「死ね……私の愛を奪う奴は、みんな死ねばいい……!!」


結愛は鋭利な金属製のブックマーカーを凶器のように握りしめたまま、白石の顔面めがけて凄まじい勢いで飛びかかった。


「きゃあぁぁぁっっ!!!」


「結愛! やめろぉっ!!」


僕はテーブルを飛び越え、間一髪で結愛の細い身体を背後から羽交い締めにし、床へと引き倒した。


「離して!! 離してよ!! そいつを殺さないと、陸が取られちゃう!!」


「結愛、落ち着け! 僕は取られない、どこにも行かないから!!」


もがき暴れる結愛の力は、華奢な少女のものとは思えないほど強かった。火事場の馬鹿力で暴れる彼女を必死に押さえつけながら、僕は恐怖で腰を抜かしそうになっている白石を怒鳴りつけた。


「見ろ、白石!! お前が遊び半分で弄《もてあそ》んだ結果がこれだ!! 結愛はもう限界なんだよ!! これ以上僕たちに関わるな!!」


床に組み伏せられ、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら「殺してやる」と呪詛を吐き続ける結愛。


その常軌を逸した本物の狂気を間近で見せつけられた白石みぞれは、青ざめた顔でソファにへたり込み、ガタガタと震える唇を押さえていた。


鍵をかけられたカラオケの密室──そこは、サディストの悪意がヤンデレの狂気に喰い破られた、完全なる地獄の底だった。

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