冷静な父
コラーロ・デスメフシス 転生した異世界で課せられたルール。最後の一人が決まるまでにしていけないこと。『人殺し、死、自殺』
カニス 正式名称 カニス・アミークス この世界での犬の獣人種の名称
リオンという男と別れた後、俺たちは森を走り続けた。
奥へ、奥へ、人間が追いつけないほどの奥へ。
途中で預かった子はマットが抱え、俺たちはさらに奥に。
だがやがて、一緒に同行していたはずの仲間の数は次第に減り始め…ふと気づけばかなりの数とはぐれてしまった。
俺たちは匂いを探り、進んだ位置がわかる種族。
だから今逸れても、いずれ合流することができると思っていたが、合流する気配はない。
戻るには危険な森。
もし仮に来た道を探しに戻って、襲ってきた人間と合流してしまう可能性も否めない。
どうするべきか考えていたとき…
「多分、自分たちなりのルートを見つけたんだと思う。みんな強いから大丈夫だよ」
合流しない仲間たちにヤキモキして、後ろをチラチラ見ていた俺の行動からマットは察したのか、そう声をかけ、進むように促してくれた。
この森を進もうと勧めたのは俺だ。
俺に責任がある。
だが、そのことを子供が重く受け止めないように気を遣って言ってくれたのだろう。
……こうする他に選択肢がなかったから。
「ごめん。マット…もう無理かも…」
道中突然、根をあげる一人の人物。
カーネが膝をつき、辛そうにしている。
傷を負ったか、それとも病気か。
途中で見つけた休むには丁度よさそうな洞穴を見つけ、一時そこに身を隠す。
マットが大慌てで、カーネの体に異常がないか探ろうとしたとき、カーネの口から
「ごめん。私、もしかしたら妊娠しているかも…」
と、本来なら嬉しいはずの報告を受け、マットは少しだけ頭を抱えた。
だが、すぐに立ち上がり、俺に向かって
「お母さんのそばにいてくれる?」
とだけ頼み、前後にいた仲間たちを集める為に、場を離れた。
カーネは申し訳なさそうな顔をしている。
この緊急事態に自分が足を引っ張ることになったのだ、その気持ちはわかるが何も悪いことをしていない。
村を襲ってきた奴らがいなければ、この報告も家族全員嬉しく受け止めることができたはずだ…。
しばらくすると、マットが戻ってきた。
「しばらくここを拠点にしよう」
山の中腹に、幾つかの洞穴があるだけで何もないこんな場所を拠点にするのか?とも思ったが、都合のいいことに周りには脅威になりそうな魔獣の痕跡がないようだった。
ならば今、無理に走らせカーネとお腹の子供に負担をかけてしまうよりも、ここで安静にした方がいい。
ここで足を止めてはかなりの時間をここで過ごすことになってしまうが、それは仕方のないこと。
マットの説明を聞き、カーネもそれに納得。
俺たちはしばらくここに滞在することが決まった。
マットが集めて来れた家族はたった四組だけ。
他の連中はどうしたのだろうか?
みんな無事だといいが、俺たちはもうここから動けない。
だから仲間たちがお互いを探し出し、合流してくれることを祈るしかない。
洞穴の中を奥まで進んでみる。
当然洞穴の中に、俺たちが使えそうなものなんて何もない。
安全…ではあるが、獣人でも快適に住める環境ではない…。
これからどうするのがいいのか…と考えていた矢先
「ごめん。また少し離れるね。シアン…お母さんのこと見ててあげて」
マットはそう言い残し、数人の男を連れまたどこかにいなくなってしまった。
「……ッ」
今までずっと気を失っていた少女がようやく目を醒ます。
『かわいそうな子やねん』とあの男は言っていた。
何がどう、かわいそうなのわからないし、詮索もするなと言われていたことから、どう接すればいいのかが俺にはわからなかった。
「お母さん。ごめん。その子目覚めたみたいだから、状況を説明してあげて」
わからないなら、近寄らない。
同年代ではあるが接し方がわからない俺よりも、同性で大人のカーネが話す方がいいと判断し、俺はその子から距離を置くことにした。
少女は目を覚まし、しばらくは錯乱していた。
カーネがことの顛末の説明をし、しばらくぶつぶつ独り言を言った後、少女は少しだけ落ち着いたように見えた。
だが、時間が経つとまた様子がおかしくなり、壁に向かって座り込み、塞ぎ込む。
まるで自分と会話するように、周りではなく自分と向き合っている。
その姿がやけに痛々しくて、名前すら聞くのを憚られたが、ここから逃げ出すそぶりは見せなかったから、落ち着くまでカーネに様子を見てもらった。
しばらくして、ようやくマットが帰ってきた。
両手には大量の枯れ枝。
「ごめんシアン。少し手伝ってくれる?」
と言われ、マットが何をしようとしているのか俺も理解できた。
おそらく、次に探すのは枯れ草だろう。
最初に持ってきた枯れ枝を地面に敷き詰め、その上に枯れ草を敷く。
寝具で言うところの、すのこをまず手にいれ、その後天然のマットレスを作ろうとしている。
俺はこの知識をグランじいちゃんに教えてもらった。
『いずれシアンも狩りに出るだろうから、覚えておけ』と…。
みんなで森に入り、数日戻らないなんてこともよくあるからと、グランじいちゃんは俺に様々な知識を与えてくれた。
それに枯れ木、枯れ草は火も起こせる。
雨風が防げる洞穴があるなら、まずは体温を奪われないようにするのが生きる道だと、マットも俺と同じように教わってきたのだろう。
これでカーネが腰を一時的に休める場所が完成する。
それが終わったらまたマットは男たちを連れ、外に出ていこうとする。
だがその前に、俺に一つ頼みがあるとマットからあるものを渡される。
普段から狩りに使うために携行している革袋と、長い三本の黒い棒。
それで何をするのかも、じいちゃんの教えのおかげですぐに察することができた。
マットに言われた方角に進むと、すぐそばに湧き水があった。
俺は革袋に水を汲み、三本の黒い棒を三角状になるように立て、革袋を吊るし、先ほどの枯れ草と枯れ木で火を起こし、煮沸する。
これで飲み水だけでなく、次にやることの段取りも済む。
思ったよりも早く、マットたちは帰ってきた。
鹿型の魔獣を二匹。
しかもすでに毛皮は剥がしてある。
「お願いしていい?」とマットに毛皮と小さな刃物を渡される。
皮のなめし作業だ。
本来は村の人間たちがやる作業であったが、じいちゃんに教えられたからすぐに取り掛かることができた。
俺が皮の裏地についた血肉を刃物で削ぎおろしている最中に、マットは隣で先ほどの魔獣をばらし始める。
今の俺たちにとって、この鹿に不要な部分なんてない。
肉が食えるだけでなく、角は武器になり、頭骨は器。
胃すらも、乾かせば、水を汲み取るための容器として使える。
先ほど煮沸しておいた革袋に、マットはぐちゃぐちゃにした脳みそを入れる。
これはなめしのために使う材料。
本来はタンニンなめしが主流だが、タンニンが手に入らない場合は脳漿を使ってなめすことがある。
これを脳漿なめしと呼ぶらしい。
毛皮はすぐになめさないと腐り始める。
だから手際よくやらなければならない。
皮から血肉を剥がしたら、マットに毛皮を渡す。
先ほど煮た、脳みそ入りの液体をマットは素手で塗り始め、ある程度塗り終わったら、俺と二人で徹底的に毛皮を揉み、染み込ませる。
染み込み、乾くまでひたすら揉み込み、引き延ばす。
それが終わったら今度は、先ほどの黒い棒を焚き火の上で組み直し、皮を広げかけて燻す。
これで明日から使える毛皮を作ることができる。
プリムス村の文明レベルは中世ほどはあったはずなのに、今は原始時代にまで遡ったような気がする。
だが、知識と経験があれば生き残ることはできる。
当然、俺一人だったらこんな手際よく行うことはできない。
村を襲われ、父を失い、森の中で妻が妊娠していて足止めを食らっても決して焦ることなく、自分がやるべきことを即座に決め、子供にすらできることを任せることができる。
このマットという精神力と、経験があってこその手際の良さ。
俺は父親というものを知らずに育った。
だからイメージでしか父というものを想像できなかったが、もしかしたらこのマットという人こそ、俺にとって理想の父親像なのかもしれないと、この時少しだけ思い始めていた。




