銀の矢
コラーロ・デスメフシス
転生した異世界で課せられたルール。最後の一人が決まるまでにしていけないこと。『人殺し、死、自殺』
カニス 正式名称 カニス・アミークス この世界での犬の獣人種の名称
夕暮れに照らされて輝く銀の矢。
あれがあんなに近くにあるということは、また耳鳴りでみんなの足並みを乱されることになる。
放置はできない。
だが、山の上の方から流れる獣臭はより一層濃さを増している。
どうする?
あの矢による耳鳴りが強くなるのは夜。
今の時間を考えると、今壊しておかなければ闇夜に乗じて魔熊に襲われる可能性が非常に高くなる。
ならば今しかない。
「シアン!?」「戻って!!」
後ろからマットとカーネに呼び止められるが、振り返りもせず、山の傾斜を利用し駆け降りる。
あと二層、降りれば矢に届く。
だが、山の上から聞こえてくるのは幹が弾け飛ぶ音。
いくら熊だからといって、それほど大きいわけがないと、後ろを確認したら、俺が想像していた倍は大きい黒い影が、山の上から駆け降りてきていた。
あれと戦う術なんてない。
俺は選択を誤った。
そうと思った時、みんながいた位置から「オラああああ!」と大声を出している二人の親子の姿が少し見えた。
アキ一族のトラさんとシュウが魔熊の意識を逸らすよう大声を出している。
それに魔熊は反応したのか、下る速度がほんのわずかだが乱れた気がした。
だがその時間稼ぎも気休めでしかない。
このままだと追いつかれる。
そう思った時、俺の体がふわりと浮くような感覚が襲う。
「あれを壊すんだよね?」
俺が何をするのか察したマットが俺を抱き上げ、飛ぶように山を降りていく。
なぜ逃げなかったのか、と一瞬頭によぎったが、息子が無茶をしているところを指を咥えて見ている父親なんていない。
彼がやっていることは父として当然のことなのだから、その行為を無駄にしないためにも、一刻も早くあの矢を破壊しなければならない。
目的の矢に辿り着く。
マットが破壊してもいいと思うが、今まで俺とマコト以外、この矢を誰も触ろうとしなかった。
それが不思議で、俺はすぐに破壊するのに躊躇してしまった。
「シアン。それをどうするの?」
俺が即座に破壊しないことに、疑問を抱くのは当然だ。
そんな余裕なんて一切ないから。
だが、なぜみんなはこの矢を触りたくないと思うのだろう?
マットも今、魔熊を意識しつつも、この矢に意識を半分奪われている気がする。
それは…村を襲ってきている敵がもう近くまで迫っているのに、リオンに意識が向いてしまっていたあの夜と同じように…。
魔熊が狙っていたのは、本当に俺らなのか…?
いや、でも小型の草食獣まで俺たちを襲っていた。
ならば俺たちが原因だと思いたいが…。
陽が翳り始める。
夜に飲まれれば、マットは耳鳴りで動けなくなってしまうかもしれない。
だけど、俺の本能が、「今じゃない」と叫び続けている。
俺は駆け降りてくる、魔熊に向かって咄嗟に威嚇するように矢の先を向けた。
刹那、明らかに前足を使って踏みとどまるような動きをする魔熊。
この矢は不快な音波を出すだけじゃなく…他にも何かあるのか…?
「グアアウウウウウ!」
傾斜を駆け下りながら、踏みとどまったせいで、魔熊は体勢を崩してしまう。
マットの姿勢が変わる。
その一瞬の隙を見てマットは俺を肩に抱え傾斜を駆け上る。
この場で魔熊に向かって矢を投げてしまう手もあった。
だけどそしたら、また夜に耳鳴りがみんなを襲うことになる。
何が原因なのか知る必要がある。
マットに普段の余裕はなさそうだったが、抱えられながらも確認したいことがあった。
「この矢って何か嫌な感じする…?」
そういうと、マットは冷や汗をかきながら、
「できればすぐにでも捨てて欲しいな」
とだけ答えてくれた。
やはりこの矢は音だけじゃなく、何か嫌悪感を放つ何かがある。
それがリオンがこの森を平然と歩き回れた理由かもしれない。
他にもリオンについてわからないことはあるが今は考えるのはやめる。
それよりも、今は一刻も早くみんなが逃げた崖の亀裂まで行かなければ。
もう陽は残りわずか。
もうすぐ、みんなを縛る旋律がこの森に流れてしまう。
俺は、持っていた矢を口に咥え、マットの顔を見ながら背中を叩く。
マットはそれだけでわかってくれる。
二足歩行は俺たちの本来の走り方ではない。
俺を抱えたままでは、あいつの足からは逃げられない。
マットの肩から降り、俺も四足で走り始める。
正直、四足ではみんなほどうまく走れない。
だが、俺がこの矢を処分しなければと勝手に動いたから、こんな窮地に陥っているのだ。
苦手でも必死に走らねばならない。
「マット!シアン早く!」
カーネの声が暗闇の中から聞こえてくる。
「ガアアアアアア」その声を掻き消すほど、大きな咆哮が後ろから迫ってくる。
あと数メートル。
もう届くというところで…
「ぐぅ…」とマットの速度が下がるのを感じた。
陽が完全に沈んでしまった。
あと少しで亀裂に届くのに、この矢が足を引っ張ってくる。
今壊すしかない。
だけどマットの姿勢はかなり崩れている。
今壊せば、魔熊にそのまま飛びかかられる可能性もある。
ならば、何をすればいい?
何をすればこの場を切り抜けられる…?
何をされたら……この魔熊は一番嫌がる…?
そう思った時、俺の体は自然と動いていた。
口に咥えていた矢を離し、両手で持ち替える。
そうしている間に魔熊はもう目前にまで迫っていた。
俺が思っている以上に口がでかい。
この口に生えている、立派な牙に噛まれたら、一口で俺の上半身は無くなってしまうだろう。
こんなことして助かるのかわからない。
だけど、一か八か賭けに出るしかない。
そうしなければ俺だけじゃなく、マットも巻き込まれてしまうから。
俺は、両手で握った矢をバッドのように後ろに引き、その大きな牙に向かって、思いっきり振り抜いた。
リオンがこの道を通ってから一ヶ月は経つだろう。
雨風に晒さていた銀の矢はべキッと、意図も容易く折れてしまった。
逆に魔熊が誇る最強の牙は欠けてすらいない。
普通なら、なんの意味もない反撃。
だが、嫌な音が鳴り響くというその矢を牙先から受けた魔熊は俺が想像するよりも激しく悶絶していた。
「ガアア!?ガアアア!!」
その神経が通っている部分に、耳を塞ぎたくなるほど嫌な音を流す矢をぶつけられたらどれほど不快か。
音叉で歯を殴られたようなもの。
その獲物を噛み砕く立派な牙は、脳から最も近いところにある、獣が最も信頼する武器。
そこから嫌悪する周波が流れ込むのだ…痛みよりも不快が勝つ。
悶絶しながら後退する魔熊の隙を見て、今度は俺がマットの脇を抱え亀裂の中に飛び込む。
その直後
「グアッ!グアアアア!」とその後を凶暴な爪の生えた手だけが差し込まれたが、ギリギリのところで空を掠める。
しばらくはガリガリと手を動かしていたが、届かないと気付いたのかおとなしくなり、俺たちの前から魔熊は姿を消した。
「危なかった…」
一気に安堵し、力が抜けてしまう。
頼むから、もう俺たちを追うような真似はしないでくれ。
そう願いはしたが、一体なぜ…色んな魔獣が俺たちだけを狙おうとするのか。
俺はその原因がわからないまま、もうすぐ満月になりそうな夜空の月を見上げていた。




