原因と疑惑
コラーロ・デスメフシス
転生した異世界で課せられたルール。最後の一人が決まるまでにしていけないこと。『人殺し、死、自殺』
カニス 正式名称 カニス・アミークス この世界での犬の獣人種の名称
洞穴を出発して一週間が経った。
どれだけ進み、後どれくらいなのか見当もつかない。
みんなが言う、耳鳴りは二日間は治っていたらしいが、また違和感があるとマットやシュウも言っている。
マコトが叩き折った銀の矢。
もしあれが本当に耳鳴りの原因だとしたら、またあれがあるはずだと思い探そうとしたが、今日はあいにくの雨が降ってしまった。
雨が降っている間は、みんなに耳鳴りがする兆候は見られなくて安心したが、雨が上がった次の日、巨馬の足跡は完全に消え、俺たちでは匂いを探すのが困難になるほど薄れてしまった。
みんなに少しずつ焦りが見え始めた中、冷静に行動してくれる人が二人だけいた。
父親であるマットは後何日分の食料があるか、常に考え、足りそうになかったら狩りをして補充している。
数日前、鹿が襲ってきたようにこの森の魔獣は例え草食でも俺たちを襲ってくることがある。
それを「返り討ちにするだけだから楽でいいね」なんて言ってのける冷静さがマットにあって本当に安心できる。
そしてもう一人冷静だったのはアンナだった。
この中で一番鼻が効く。
エリートという肩書きを背負っているが、自分がやるべきことを理解しているのだろう。
最初はただ、鼻をスンスンとするだけで道がわかっていたアンナだが、今は地面に四つん這いになって匂いを追跡している。
女の子が四つん這いになるなんて、本来は好ましくない格好かもしれないが、本人はその方がわかるからとなりふり構わずにその姿勢をとっている。
正直、その姿に驚いた。
いつも洞穴の奥で震えていた少女が、みんなの為になりふり構わない姿勢を見せるなんて、思っても見なかったから。
自分の役目のためならそこまでできる少女の姿に…俺は少し、見惚れていた。
アンナが言うには、匂いとは階層分けできるものらしい。
それはなんとなく俺にもわかった。
ラーメンがあったとしたら、何味かが匂いで分かるというよりも、なんの具材が入っているか、レシピがわかると言った方がわかりやすいかもしれない。
だが、俺にできるのはせいぜいその程度。
アンナには匂いが色の階層に見えるらしい。
足跡追跡だけなく、極めればがん細胞の発見までできるという話を前の世界で聞いたことがある。
おそらく、アンナの嗅覚はその領域に達しているレベルだ。
そして、そのレベルに達しているということは、脳への負担もすごい。
俺以外は耳鳴りがするとまた訴えている。
それはみんなにとって、休息を与えないということ。
そして、アンナにとってそれは致命的なまでのストレスにつながる。
俺にはその音が聞こえない。
それは俺が転生者だから特別なのかと思ったら、マコトは音が聞こえるけどみんなが「動きたくない」というほどのストレスはない模様。
それなら、俺たちにできることは一つだ。
「ごめん。お父さん…逸れないようにするけど、少し離れるね」
リーダーであるマットにそう伝え、マコトと一緒に耳鳴りが強くなる方へと向かう。
子供達だけで離れるのは危険なはずだが、俺たちが何をしようとしているのかマットは勘づいているのか、止めようとはしなかった。
だが、離れたところから見守ってくれている気配は感じる。
そして、ほんの数分歩いたところに…やはりというべきか…また銀色の矢が動物の死骸の上に刺さっていた。
俺たちはその矢を引き抜き破壊するだけ。
そうするだけで、みんなのストレスの原因は絶たれるはずだ。
これで見つけた矢の数は三本目。
リオンがこの矢を意図的に仕掛けたのかはわからないが、ここから先にも矢は何本もあるだろう。
俺以外は耳鳴りがすると訴えている。
ほとんどの者は体調が崩れるほどの嫌悪感を表しているのに、マコトだけが「うるさい」程度で済んでいる理由がわからない。
だから、考えたくはないが…もしかしたらという考えが頭から離れない。
「マコト…」
矢を壊し、二人でみんなの元に戻ろうとした時、ふと口がマコトの名前を呼んでいた。
「?」
振り返るマコトの姿は昔から知っている無邪気な姿。
「なんでマコトだけは耳鳴りが聞こえても大丈夫なの?」
と聞きかけたところで、なんとか口を閉じ我慢する。
「今、その疑問を晴らさなきゃダメなのか?」という俺の中のもう一人の俺が囁きかけたからだ。
ドワーフの村に辿り着けるかまだわからない旅の途中、仮にマコトが転生者だと分かったところで今の俺に何ができる?
「同じ転生者同士、この困難を乗り越えよう」となるのか?
そうならないための、コラーロ・デスメフシスという縛りが俺にはあるんじゃないのか?
俺がマコトを許容できたとしても、マコトが同じように俺が転生者であることを許容してくれるかわからない。
もしマコトがここで俺の正体に気づき、俺に不信感を持ち始めれば、今の関係性は瓦解する。
そして…その不信感は仲間達を巻き込むことに繋がってしまう可能性がある。
真実を知りたくなる気持ちというのは人間にとって強い性だと思う。
だけど、時と場合を誤れば、人間関係を容易に崩壊させる。
だから今、聞くべきことではない。
この質問をするのはもっと先…。
俺たちがこの森を抜け、本当に安心できた時に確認しようと思った。
「ごめん。なんでもない。戻ろう」
そう言うと、マコトは元気よく頷き、駆け出した。
人を騙すような子じゃない。
きっと俺の思い過ごしだと飲み込んで、俺も後を追う。
「ねえシアン。アンナちゃんがね?お願いがあるんだって」
夜になり、眠ろうとした時カーネからそんなことを言われる。
「…何?」
アンナが直接頼めないようなことなのか?そんなことを俺が叶えられるかわからなかったが、とりあえず聞いてみようと思った。
そしたら…
「シアンの背中を抱きしめながら寝たいんだって?」
……………思考が一瞬停止した。
なぜ?…ナゼ?……一体何故?
停止していた思考は、リズムが狂ったかのように、同じ言葉が頭の中を駆け巡る。
「落ち着く匂いが嗅ぎたいんだって」
言葉を捻り出せない俺を尻目に、カーネは話を続ける。
落ち着く匂いなら、俺なんかよりも…
「お母さんの方が適任じゃないの!?」
とようやく言葉を発することができた。
その慌てように、少し面白がっている表情をしながらも、
「お母さんの匂いは、ソラを育てるために匂いが強すぎて落ち着くとは言い難いんだって」
と、一瞬どういう意味なのかわからないことを言ってきたが、それが何を意味するのかは、少し鼻を啜ったら分かった。
赤ん坊を育てるための母乳の匂い。
俺たちは嗅覚が強すぎるから、その匂いは意識せずとも割と強く感じる。
追跡のために、鼻と脳を酷使した後では落ち着く匂いとは言い難い。
そしてアンナが心を開いている人物もこの中にはまだ少ない。
今、俺たちにとってアンナの嗅覚が生命線になっている。
そのアンナが落ち着くために背中の匂いを嗅がせることはやましいことではない。
ないが…この年端もいかない少女に背中を預けていいものなのか?という倫理的疑問は夜まで拭えなかった。
夜。
矢を破壊したおかげで、耳鳴りはしないとみんなが言っている。
「ごめんね。シアン…」と俺の後ろに回った少女が俺に申し訳なさそうにしているが、一番頑張っているアンナが謝る必要なんてない。
俺は覚悟を決め、背中を預けて眠ることにする。
だが、やはり…人の体温に触れながら寝ることに慣れていないせいで違和感がすごかった。
アンナの鼻息が、首元にかかるたびにくすぐったくて眠れそうになかった。
俺だけ眠れず、みんなの寝息と、虫の声が鳴り響く森の中。
アンナが「お父さん…ごめんなさい」と微かな声で泣いているのを背中で感じた。
それは、俺にしか聞こえないほど小さく、この子がみんなの前で決して漏らすことがなかった過去の断片。
それを耳にした瞬間、背中を貸し匂いを嗅がせることに緊張していた俺の考えが如何にバカらしいか気付かされた。
この子は俺をそういう目で見ていない。
ただ、心の支えとして、少し頼っているだけだ。
なら、黙ってその力になろう。
今何よりも必要なのは、村にみんなが無事にたどり着くことなのだから。




