第九章 想定の外側
俺は走る。マコトの方ではない。むしろ逆方向に向かっている。
「逃げるんかいな!?」
マコトは少々驚いた様子。
――ちゃんとついてきているな。
風恋突の射程距離はだいたい四メートル程度。マコトが俺との距離を三〜四メートルにキープしてくるのは分かっている。ならばそれを逆手に取らせてもらう。
――誘導だ。
事前に調べてある。この草原の近く、大体500メートル先に洞窟がある。
洞窟の中は長い剣を振り回すには窮屈すぎる場だ。それに、洞窟のような入り組んだ地形では、風恋突は使いづらくなるはずだ。
もちろん、それだけでマコトに勝てるとは思っていない。
ただ、アイツの行動を制限できるのはかなり大きい。
先程までの状態であれば、マコトと距離を取った時点で風恋突を受けていたが、マコト自らが風恋突を打てるギリギリの距離をキープして追ってきてくれるのなら話は速い。
位瞬を駆使し、うまく距離を離そうとしてるように見せる。実際は、風恋突を打てないギリギリの距離をキープしながら洞窟へ向かう。そうこうしている内、洞窟が見えてきた。
「……!」
マコトが洞窟に気づき、一瞬足を止めた。
俺はその隙に洞窟に飛び込む。
「誘っとったんか」
マコトが気づいた時にはもう遅い。俺はもうすでに、洞窟の中に入っているのだから。この戦いの短い数十分で、できるだけ相手のこと、マコトのことを理解してきたつもりだ。だから俺には分かる。アイツは強い、それでいて頭もキレる。だが――
――マコトが、この洞窟に入らない選択肢は存在しない。
*******
罠や。分かっとる。分かっとるけど、ワシがこの洞窟に入らへん理由はない。アイツはワシより圧倒的に格下。やけどわざわざワシをこんなところまで誘導したんや。なら、
――その覚悟にゃあ付き合ったらなあかんやろ。
洞窟ん中は、入り組んだ地形になっており、壁面は、苔むしている。
「なんやここ、くっさいのう」
思わず顔が引き攣る。
「はよーでてこやんかい」
虚空に向かって話す。ポタンと水滴の落ちる音がする。
「ほ〜ん。素直に出てきはるんやね」
「まあな」
岩陰からヒョウが姿を表す。
てっきり、罠でも仕掛けて待ち伏せでもしてはるんかと思っとったんに。えらい拍子抜けやな。
「まさか、ここでやるんちゃいますかんな?」
「そりゃあ。ここじゃ【風恋突】は使えんし、剣も振り憎い」
「でもな、その程度でワシを倒せるだなんて、見くびっとん違います?」
ヒョウの表情が変わる。それも、ニヤリと。
「見くびってもいないし、ここで戦うつもりもない」
――なんや? コイツ、何を企んどる?
「ここで戦うつもりがないって、どないするつもりや?」
「……」
ヒョウは黙りこくっている。
「なんとか言ったらどうなんや?」
「ああ。そうだな」
ヒョウは一呼吸おいてから、口を開けた。
「なんとか」
――はぁ?
その瞬間、地面から鎖が伸び、自分の足を捕らえた。鎖の数は一本、また一本とどんどん増えていく。腕、胴、首。全身を鎖でぐるぐるまきにされる。
「なんや。これが目的かいな」
「ああ。そうだ」
ヒョウは、真顔で、一歩一歩こちらに歩みを進める。
こんなもん、普通に引きちぎれるやろ。
――右のおててはまだ動かせるな。
鎖を引き千切ろうとする。しかし、千切れない。それは、初めて、自分の心を揺るがせた。
「なんや。ごれ。千切れん」
身体をねじりながら全身の筋肉、特に腹の筋肉に力を入れる。だが全身に巻き付いている鎖は一向に千切れやしない。
――そうゆうことかい。
「条件の強化……ね。使っとるやろ?」
「ああ。正解だ大正解。プラス一億ポイントやる」
――条件か、めんどいことになったな。
条件。ワシの【風恋突】の踏み込みみたいに、技を成立させるのに必要な行動のこと。その条件が厳しいほど、技っちゅうのは強くなる。
「条件はなんや?」
「……」
流石に教えちゃあくれんか。やけど、条件を強化して技の威力、これで言うと鎖の強度を底上げしとるっちゃうわけやな。
条件を強化した技っちゅうのは、大抵、その条件を見破れれば、解除、少なくとも弱体化はする。やったら、条件を見破るまでや。
「おもろいやないの。この鎖ぃ。ワシがどんだけパワー入れてもビクともしやらん」
「そうか」
ヒョウは鎖で地面に繋ぎ止められた自分の前に立ち、こちらの顔を覗き込んでいる。
「こんな密室で、女の子一人鎖で拘束して、はたから見たら、ただの変態やんな」
「見てるやつはいない。安心しろ」
――ほーん。条件の一つ分かったかもしれん。コイツ、さっきからワシの近くを離れん。もし、コイツが離れても効果が持続するんなら、とっくに離れてワシが空腹で倒れんの待ったらええだけや。それをしないっちゅうことは、条件の一つは、
「距離やろ?」
「……」
「お前さんが離れたらアカンのやろ? この鎖の固さ維持すんのには」
どうやら図星のようで、少し、拘束が緩くなる。
――完全に解けないっちゅうことは、まだなんか条件があんな。
それに、コイツは多分、拘束を解かれるっちゅうこと前提で、これをやってる。なんでなのかは知らんが、さっさとこの拘束解いちゃったほうが良さそうや。
――持続条件のほうはもう洗ったからな、発動条件について考えたほうがええ。
まず、コイツは技を発動する前に、一度ワシの前に姿を表した。だけど、それが発動条件やとは考え憎い。姿を表すだけやと、この洞窟やなくてもできる。やったらとっくにしとるはずや。
次にありうるとしたら、時間。設定した場所に特定の時間居させたら発動する。それやったら狭いこの場所に誘った理由にも最もらしい説明がつく。
やけど、その程度の条件で、この拘束力は成り立たんはずや。まだ他にあるんか?
この洞窟にやってきたからの会話、行動、位置。それを遡る。そして頭に浮かんだ一つのビジョン。
――ほーん。そうゆうこと
「この鎖の発動条件、分かったで」
「ほう」
今まで、発動条件はどれか一つ、それかいくつかあるなんて考えとった。やけどそう言うことやない。色んな条件、それらを一個にまとめた物が術式。やったら
――思いついた物全部言えばいいんや。
「まず対象の一定距離以内に近づく。次は、対象の前に姿を表す。そのまた次は、特定の場所に、特定の時間対象をいさせる」
「……」
鎖はジャラジャラと音を鳴らして、どんどん緩んでいく。
「ワシが自分の意思で、この洞窟に入る」
また、鎖が緩む。
ヒョウの表情は次第に険しくなっていく。
「ワシと一定上会話すること。或いはワシに質問をさせること」
一方的な会話の最中。鎖は一本、また一本と解けていく。いや、砕けていく。
自分を拘束する鎖は遂に首にかかっている最後の一本だけ。
「おしまいや」
「最後の条件。それは、おまえさんが語ったあの『なんとか』っちゅう言葉や」
「それが、発動の合図になっとったんやろ?」
――どうやら正解やったみたいやね。
最後の鎖に亀裂が入る。――しかし、その瞬間。
「グッ!!」
首にかかっている鎖が締まる。
「残念だったな」
首の締まる。息は荒く、そして浅くなる。
「お前が発動させたんだ。【拘束】は、この術式の発動工程に過ぎない」
「この術式の最終発動条件、それは」
首の筋肉で鎖が首を絞めようとするのになんとか抵抗する。
「お前がこの術式を攻略したと思い込み、それでいて尚且つ、お前が最終条件以外の条件を、すべて言い当てることだ」
――なんやそれ、ここまでのも全部、計画のうちやったんかいな。
ヒョウは目の前に来る。
「安心しろ。気絶させるだけだ。殺しはしない」
格下のくせに、ワシに情をかけるんかいな。そんなの、そんなの、
――最高に面白いやないの!!
マコトは、右袖に隠し持った武器で俺の右肩を貫いた。
「ここまで……、やっても……勝て……ないか」
マコトは不敵な笑みで俺の顔を覗き込む。
「安心しーや。急所は外したさかい。けど動けんやろ?」
「あとはお前さんを、分身でも使って服でもひっぱって遠くまでつれていけばええ」
「そうすりゃこの鎖解けるんやろ?」
ごめん。リオ。俺、負けたよ。でも、きっと、マコトなら、事情を話せばわかってくれる気がするんだ。
この何日にも思えるような数十分の中で、確かに俺とマコトの間には絆が紡がれていた。
「お前の……勝ちだよ」
マコトは満足そうに鼻を鳴らす。
「最初っからそう言っときゃええねん」
――マコトがそう言った瞬間だった。
この洞窟の奥から、ボリボリと、岩を砕くような音が聞こえる。
「んあ……?」
瞬間、振り返ったマコトの顔からは、笑みが完全に消えた。
初めて見る表情だった。
ボリボリというその音は、岩を噛み砕く音だった。
ありえない。
暗闇の中。禍々しい二つの真っ赤な点が浮かび上がる。
それは目だった。
そう気づいた直後……。
「ギギギギギギィィイ!!」
岩壁を擦りながら、巨大な角が姿を表した。
嘘だろ、聞いてない。こんな化け物が出てくるなんて……。
完全に、
――想定の外側だ。




