7/理の中にある過去
どれくらい時間がたったのだろうか。いつの間にか意識が遺跡から夢の中に移動していた。
「いけない。僕は寝ているのか。そんなに疲れていたのかな。」
意識だけが夢の奥底に落ちていくのがわかる。感覚なんて無いはずなのに。
不意になにかの気配を感じる。夢の中で気配なんて感じたことはないし、そもそもこんなにはっきりと自我を持った夢を見たのは久方ぶりだ。
この気配最近感じたことがある。本来気配だけで個人を特定することはほぼ不可能に近いのだが、この人物だけは別のようだ。
「白の魔術師ですね」
短く言葉がふと出る。否、それ以外にこんなにはっきりとした気配を持った人物はいない。
これは断言できることだ。その魔術師が精神だけの存在ならなおさらだ。
「驚きました。あなたは気配だけで個人が特定できるのですね」
「違うんです。気配で人がわかるのはあなただけなんです。あなたの気配は独特で、すぐにわかるんです」
「そうなんですか。では本題に」
魔術師は僕の話などどうでもいいように流して、すっと本題に入った。
「単刀直入に言います。デスフォウルの封印が解ける可能性が出てきました」
本題は僕にとっても重要な話であったが、それ以上にこの世界にとって、崩壊の危機にさらされる問題でもあった。
「それは本当ですか。でもそう簡単に命を柱とした封印が解けるんですか?」
そうでなければ命をかけた魔術など使わないだろう。
「そのことを誰から…あの人の息子。ダレン君が漏らしたのですね。ダレン君の言うとおりです。私は十七年前に命をかけた封印を施した。そのときでは封印を解くことはできないはずだった。でも十七年後の今となっては五大神獣の獣魔力をコントロールするものが現れた。その中にいるんですよ。ありとあらゆる魔術を無効化にする能力を持った神獣が」
「なんだって。それじゃあ、もしあなたほどの魔術師がまた同じ封印をしても、その神獣がいる限りデスフォウルの復活に脅えなければいけないじゃないか」
そうなんですが、こればかりはどうしようもないのです。幸いすぐに復活するというわけではないようですけど。と続ける。
「それはどういう意味ですか。まだ神獣である本人が自覚していないとかですか?それとも、力の制御が利かないとか」
「いえ、そのことに関しては私の力をもってしても知ることができないのです。おそらく私と同格かそれ以上の魔力を持った者に魔術をかけられているのでしょう。もっともそのことは、よほどの能力者でなければ看破することはできないのですけど」
「ではこれから僕たちはどうすればいいんですか。このまま旅…いえアスーラを追いかけても意味は無いでしょう」
「そんなことは無いですよ。あなたたちの旅。すなわちアスーラの影を追うことにはもっと重要な意味がありますから。これからあなた達の身に起こることには、アスーラがとても密接にかかわってきていますから」
「白の魔術師。あなたには『先見』の能力があるのですね。未来を見通す力。その力をつかって僕たちが異世界に飛ばされることを知った。では何故その力を行使して僕たち、いやこの世界に未来を僕たちやこの世界の住人に伝えないんですか」
既に答えを知っていることを聞く。知っているといってもそれはあくまでも推測。確証があっても推測は仮定の領域を超えない。それが解っているからこそ、本人に直接聞くのだ。
「悪い人。答えが知っていても聞かずにはいられない性質なのですね。でも解らなくとも無いですよ。私にとっては十分理解できる範囲ですから。要するにあなたは確定している事柄で無ければ信用できない。仮定や推測で物事を決めるのが性に合わない。あなたの父とそっくりですね。いいでしょう。先の質問、お答えしましょう。私たち魔術師の中で未来を見通せる人物は数少ない。しかしゼロではない。その中の一人でも未来を知らない一般人に先の事を教えてしまったら、世界のバランスが崩れてしまう。数ある異世界達。それらは全てつながっている。つながりの鎖を越えてしまったり、断ち切ってしまうと世界全ての文化や技術が漏れ出し、全ての世界が混沌と暗黒の世界になってしまう。それを防ぐために我々先見をする術者、能力者には呪がかけられる。それは秩序、つまり一定以上の未来を教えると死ぬ。私たちはその教えてはいけない未来の量のことを『干渉値』とよぶ。私はその干渉値を越えないギリギリのことでしか教えれない。だからこれ以上、いえ詳細なことは教えれない。それをすれば死している私でさえ輪廻の輪からはずされ、消滅させられる」
「それは誰に消滅させられるのか。世界か?未来を教えた人物からか?」
何故口調が荒くなる。僕はイライラしているようだ。
「世界でもない。教えた人たちからでもない。この世で人物を輪廻の輪からはずせる力を行使できるものは『空間の支配者』ですよ」
空間の支配者?初めて聞く言葉が白の魔術師の口からでる。
世界に混乱を与えようとするもの。つい口を滑らしてしまったもの。世界を破滅に追いやろうとするもの。それらの力を止める『抑止力』それは絶対なる力。それが空間を統べる者の力。
「未来、先見の話はまた今度ということにしておこう。でもこんなことを何故僕に教える。この夢の中にいるのは僕とあなただけだ。何故ゆえにほかの人物も呼ばない。こんな大切な話は全員揃った場で説明するのが摂理ってもんじゃないのか」
「それは…。いいでしょうお教えしましょう。これはまだ干渉の値からこぼれない程度ですから。はっきり言うと、私と会話ができるのは、貴方と、貴方の妹さんです。彼女は私と同じ起源を持っています。起源とは己が肉体が持つ『〜しなくてはいけない』という衝動。義務。自然の理。つまり、起源に覚醒したものは肉体が持つ衝動に飲まれる。いかに数十年生きた精神でも数万年、数億年の目的には、耐え切れない。すなわち、起源とは覚醒させてはならぬ禁忌でもあり。強くなろうとすると絶対に一度は通る道でもある。起源に飲まれている肉体や起源の力を押さえ込んで普通に暮らす人。この起源には二通りある。人に害を及ぼす起源と人に危害を加えない起源。私や妹さんは後者です。起源というのは厄介なもので占いや魔術では知ることができない。知ったときには起源に精神を持っていかれているという話もあるくらいですから。話が脱線してしまいましたね。つまり私と話せるのは起源覚醒者と貴方という特別な存在だけなのです」
頭が痛い。うちの妹は起源とか言う危険なものを発動させちまってるのか。そのおかげで、霊体であるはずの白の魔術師と会話をすることができる。
では僕は何だ。僕は起源など知らないし魔術的な要素も持たない。刻印も無ければ、魔術印も知らない。僕は何故ここに存在できる?
『それはとても異常なこと』
違う僕は異常なんかじゃない。異常であるはずが無い。…では何故僕はこうして霊と会話ができる。それは存在自体が異常なのではないのだろうか。
「違いますよ。貴方は正常。異常な箇所なんてどこにも無い。ただ貴方は人を人として認識していない。自分以外の人間が何をしようかなんて自分には関係ない。だから今まで世界という大きな存在を抱えながら普通にいられた。貴方は人や物事に関してとても『無関心』なんですよ。でもそのこと自体を悔やむことはありません。貴方の肉体にはすでにひとつの世界が重くのしかかっている。その在り方ゆえに、無関心でいなければいけなかった。そうでなければ自我が崩壊してしまう世界を背負っていられなくなる」
「でも、今は違いますよ。確かに小学校の時は無関心だといい続けられてきましたけど今や中学時代は違います。人に関心を持ちながら生き、人のために生きてきた。それって矛盾していません?それに僕は世界など背負っていない」
「確かに貴方は小学校卒業と同時に人や物事に対して無関心ではなくなった。でもそれと同時に失ったものもあるのではないですか」
心臓が痛い。思いも寄らないことを言われて。このオンナはナンテイッタンダロウ?
心音がやけにうるさい。黙れ。耳障りだ。
「『父親』という大きな存在を。彼は自らを犠牲にして貴方を『世界を背負う責務』から開放した。しかしそれは世界を放棄したと同じことであって、最大の禁忌である『干渉値』を越えているものだった。『空間の支配者』からしてみれば、どこぞの一般市民に禁忌を犯されたのだろう。それはしかるべき手順をもって輪廻の輪から除外されるはずだった。だが彼は逃げ出した。恐れか、はたまたなすべきことをするためか。しかしそう簡単には空間を統べるものから逃げることなどできない。ゆえに彼は時間を移動し異世界に移り住んだ。これ以上は干渉の値を越えるから話すことはできないですが…彼はまだどこかで生きている」
親父がまだ生きているだと?そんなことは無い。だって葬式だってちゃんと…
意識が過去に戻る。父親の死んだ日のことだ。
誰かが母親と話している。
「奥さん。覇蛾炎尾さんのご遺体は発見できませんでした。こちらも全力を持って捜索中なのですが」
な、に。遺体が無い。それは死んだかどうかなんて確証がないんじゃないのか。もしかしたら行方不明ということも無いわけじゃないだろう。なのにどうして決め付ける。
また夢の中に戻ってく…それが感覚的に理解できた。
「親父は遺体として発見されていなかった。死んだという明確な証拠が無い。これでは異世界にわたっていなくなった。という方がまだ納得がいく。遺体も無いのに葬式をあげようなんて考えないから」
不意に意識が遠くなる。いやこちらが仮想世界だから戻ろうとしているのか
時間が無い。あと数秒もすれば遺跡に意識が戻ってしまう。それではダメだ。まだ聞かなくちゃいけないことがあるっていうのに…
「それともうひとつだけ。貴方の意識が遺跡に戻ってもこのことは言わないように。もしそれをすれば、今度が貴方が空間の支配者から追われる、こと、になります…」
意識がまたリアルな現実に戻ろうとしている。それに逆らうこともできずにただ受け入れた…。
「猟、起きろ。寝すぎだ。…もう一時間近くも眠ってるぞ。コイツ」
「ったく。緊張感の無いやつだ。こんな無防備に爆睡できるなんて…」
「兄さん。おきてください。皆さん困ってらっしゃいます。こんなところでずっと寝ていたら風邪を引いてしまいますよ」
「困ったというか、呆れるな。この小僧には。こんな行動をとっていては殺されても文句は言えないだろう」
皆が僕を呼ぶ。薄っすらと視界が開けていく。
もう慣れたという顔で見る一真。呆れた顔でクラムさん。僕の体の心配をして、起こそうとするユメ。
皮肉を並べてため息をつくのはシドである。
まともに頭の機能が稼動し始める。実に一時間程度意識を失っていたわけだが、瞼が重い。どうやら夢の世界と現実の世界とでは多少の誤差があるようだ。
「あ、わりぃ。思いっきり寝てた。でも意味も無く寝てたわけじゃないぞ。きちんと知りたいこととこれからの事を聞いてきたんだから」
「猟。意識をはっきり持て。ここは夢の世界じゃないぞ。何を教えてもらったのかは知らないが、胸の奥にしまっておけ。どうせ関係の無い話だろ」
「いやそうでもないぞ、一真。僕たちに密接に関係することだから、始末が悪い。なんせ情報提供者は『白の魔術師』だからな」
空気が凍る。というのはこういうことだろう。目線が痛い。そんな「コイツ大丈夫か」なんて目で見ないでくれ。冗談を抜きにして恥ずかしい。
「覇蛾君」
名前を呼んで空気を変えたのはクラムさん。ただ空気の流れは変わることは無く、より一層その冷たさを深めていた。
「その話は本当かな。白の魔術師と会話をしたというのは。それが本当なら、色んな謎も解けるからな」
彼女は話すと貴方まで空間の支配者に追われると言っていたがそんなことは関係ない。
「長くなるから歩きながら話す。簡潔に白の魔術師はデスフォウルが復活する恐れがあるといった。ただそれには条件があるらしい。彼女が命をかけた封印だ。そう簡単は解けないはずなんだが、五大神獣の中にあらゆる魔術を無効化する力を持った神獣がいるらしい。彼女の先見の能力をもってしても発見できなかったほどだ。当然僕たちが見つけることなんて不可能だ。さらにアスーラに何かの魔術をかけられていて、ただでさえ発見が難しいのに、行方をくらまされているらしい」
空気が死んでいる。僕が黙々と話した内容が闇に溶け込んでいく。
それはしっかりとこの場にいる全員に頭にインプットされたであろう。衝撃的な事実と紛れも無い真実。その両方が同時に襲い掛かっているのだから仕方が無い。
「兄さん、砕萩君。それとダレンさん。その話はまた後ほど話し合いましょう。今私たちがすべきことはこと。それは、この奥に何があるか調べるということだけです」
モヤモヤになっていた、気持ちを断ち切ったのはユメだった。
すでに出口は近くにある。その証拠に風が吹き込んでくる。それはどこかに出る縦穴があるということだ。
足が自然と速くなる。無理も無いか、このジメジメした所から出れるのだから…。
「出口だ。まだ気を抜くなよ。誰が出てきてもおかしくないから…」
声が光にかき消される。
そんなものは、幻覚でしかない。声が途切れたのは其処にいたのが。
「よう、意外と早かったな。親衛隊を送り込んだから、もっと時間を喰うと思ったんだが、な」
紅い、血で塗りたくったような赤すぎるロングコート。
不吉すぎるその笑み。
その在り方全てが『異常』であるような男。
ロー・ブラットが其処にいる
「貴様、どの面下げてこの場に現れた?それは殺されても良いということか」
ダレンの間の抜けた顔が一変する。
故郷を壊滅寸前に追いやったのはアスーラとはいえ、手を貸したのは紛れも無く、ここにいるロー・ブラット本人なのだから。
出会ってはいけない存在。目があっただけで理解できる。『コイツは躊躇せずに人をコロス』と…
逃げなければ…遠くに、それこそ世界の果てまで。
「覇蛾君。事を後ろ向きに考えるな。コイツは気だけで心を折るんだ。前向きに考えろ。そして『勝つ』ことだけを考えろ」
言われたとおりに体に渇を入れる。そして刃をローに向ける。
構えは正眼。基本かつ、最強の構え。万全の状態で挑まなければ、瞬時に絶命する。
カチャリという音と、ポタリという音。
それは刀を握り直した音と、何かが、何かが地面に落ちた音。
「?何だ。今の音。…いや気にしている場合じゃないか。いくぞ、猟」
「ユメはそこにいてくれ。これから戦いになる。もしものことがあったら、かまわず逃げてくれ」
僕は妹を秘湖の入り口にある、窪みに身を隠せと指示をした。
こくりとうなずいたのを確認して…。
走り出す。白い、川に流れ込む小さな湖にかかった橋の上を。
それが…呪われた道とは、知らずに…。
決戦の場に足を傾けた…
「ハッ!!」
何も考えず、横一文字振られた銀色の軌道。常人には見切ることさえできず、それが真剣であれば、腹部を抉っていく、一真の一撃。
無論、避けられるはずが無く、受ければ腹部内の臓器を、損傷することになる。
故にローは、その軌道に垂直の方向から剣を振り抜いた。
結果として、一真の刀と、ローの剣が十字を描いて激突した。
ガギィン、という鈍い音を立てて、火花が散る。
剣と刀が弾け飛ぶ。それは同じ筋力を持っているため、エネルギーが相殺されたのである。
あまりにも無防備なローと一真。これが一騎打ちであれば、早く体勢を立て直した方が、一撃を入れることができる。否。これは一騎打ちではなく、二対一という戦闘なのである。
その隙に、僕が攻撃を叩き込むのである。これが今できる最大の連係攻撃。
しまった、の一言も与えない。一撃の名の下に息の根を止めてやる。
「もらったッ!」
そう叫び、僕はローの腹部めがけて、渾身の突きを出す。
ローの顔がゆがむ。だがすぐにそれが笑みに変わった。
何かが起こる。そんな感じがする、なにか決定的な違いが…。
変な感じが、僕の体を突き抜ける。だがもうやめられない。刀の速度は既に止められるものにもなくなっている。
グニュリという生々しく臓器を貫いた、感触を手に残して刺された本人は崩れ落ちて…。
赤々としたと血と砂に変わった…。
「な、」
「に。」
声を揃えて口から疑問が漏れる。
確かにあれは本物のローだった。
錬金術を使用したとしても動く身代わりを作るのは、不可能なはずだから…。
「剣が弾かれてその直後に入れ替わった」という仮説が、頭に描かれる。
じゃあ、本体はどこに…。
「覇蛾君!後ろだ!!」
クラムさんの怒号が飛んでくる。
疑問を持って振り返った瞬間、背後には赤い男がいた。
躊躇なく回し蹴りを食らわされ、妹がいる横の壁に叩きつけられた。
「兄さん!」
近寄ろうとするユメを片手で制し。
「来る、な。大丈夫、だ」
口から一筋の鮮血をこぼしながら僕は立ち上がる。ここで倒れるわけにはいかない。
皆、死に物狂いで戦っている。それを黙ってみているわけにはいかない。
渾身の力を足に籠めて、立ち上がり、走り出す。
ただ、それはいつものような疾走ではなく、すでにボロボロの身で行える、最大限の駆け足だった。
そして何気ない刀の振りぬき。ローはいともたやすく回避する。
無理もない。口から一筋の血を流す僕の剣戟など、取るに足らないだろう。
しかしそれでも、僕は引くわけにはいかなかった。
本能が僕に叫ぶ。こいつを生かしておくのは危険だと叫び続ける。
僕は再び刀を振りかぶる。その動作も実に緩慢ではたから見れば隙だらけだ。
それでも刀を握る手から力は抜けない。
振りおろそうと刀に力を入れたら、右手の甲を切られた。赤いマントの男は右手に直刀、左手に二本の短刀を持っている。
なるほど近距離では剣で遠距離では短刀での投擲か。隙がない。
僕は左手のみに力を入れて、力の入らない右手は添えるだけにした。
それでも右手からは赤々とした血が流れ出て、白い橋を穢していく……。
ローは動かない。あくまで『後』を取っている。
そんなこと関係ない。反撃を恐れて戦いができるか!
「ハァッ!」
防御しにくい右側を狙う。
勢いに乗る刀。斜めに切りはらっている以上回避手段は後ろに下がるしかない。
そうなれば踏み込んで貫くだけだ。
しかしローは退かなかった。それどころか右手の直刀を振りかざしたのだ。
僕の刀は偽物ではない。しかもこの速度、この位置取り。どれをとっても生き残るには直刀で防御を取るか後ろに下がるしかない。
しかし敵はそれをしなかった。
何故、と思う前に刀が何かと激突した。
それはローの肉体でも振りかざしている直刀でもなかった。
一本の短刀。
先ほどまで二本持っていたものの一本だった。
僕は目を疑った。銀色の軌道を残した刀を一閃をあの細い短刀一本で防いだのだから。
直後右手に持った直刀が飛んでくるように降ってきた。
左肩を狙っていた。それは使えない右手を無視していまだ活動中の左手を使えなくするためなのか、はたまた単に狙いやすかったのかは知らない。
取り合えず自分が死ぬのだとわかっただけだった。
あの速度から放たれた剣の威力は図り知れない。おそらく腕の一本や二本軽く切断してしまうだろう。
そうなればさすがに出血多量で死んでしまうだろう。
力及ばず。手立てはない。避けるすべも、受けるすべもない。
八方ふさがりのまま落ちてくる剣を凝視する。
良き剣だ。一片の曇りもなく、磨き上げられた剣。
一瞬が永遠にまで感じられるこの時間。死ぬ前とはここまで穏やかなのだろうか。
「兄さんっ!!」
そんな声が聞こえたような気がした。
気の迷いか、だって妹は入り口に置いてきたはず。
声なんて……。
「兄さん!避けてっ!」
ハッとなって左に飛んだ。
直刀は僕の右足の肉をそぐ。
それだけだった。出血はしているが肩を切られるのは比べ物にならない程度の出血量だ。
僕は左手一本で刀を握る。
すでに気休め。右手からは毒々しいまでの出血で赤く染まっていた。
もはや力はおろか感覚すらない。
「兄さん!」
すぐ後ろから妹の声がする。
振り返ればそこにいるような気がした。
現にいたのだが。確かに振り返れば今にも泣き出しそうなユメの姿があった。
「馬鹿野、郎。何で出てきた…。早、く逃げろ」
僕は精一杯の声でそういった。
ユメは僕の本気さがわかったのか、何も言わず後ろに引いていく。
「さぁ決着をつけようか。クックックッ」
悪趣味な笑い方をする男が僕に直刀を向ける。
すでに勝機はない。ならばほかの人間ならどうだ?
そういえばさっきから一真たちの姿を見ない。
僕は必死であたりを見渡した。
そこには四人人の姿が確かにあった。
それと同時に赤いマントの男も四人いた。
それぞれ同じ体格、同じ服装、同じ武器。
まさに同一人物のようにそれぞれの敵と対峙していた。
ローは一人のはず。複数いるわけはない。
では誰が本物だ?
この男か?
あの男か?
外見では区別がつかない。
もとよりロー・ブラットという人物を知らない僕にとって本物がどれであるという確証が何一つなかった。
「お、お前はいったい…」
僕は敵に問う。答えなど求めてはいない。
当の本人からの種明かしなど誰も当てにはしていない。
しかし…。
「分らぬだろう。わが分身は決して見破れぬ、最強の盾。貴様などには見分けることすらできぬわ」
意外にもローは認めた。
, , , , , , ,
あれが分身であると。
ならば確かめることはひとつ。
「お前は本物か?」
「………」
無言。何も答えない。
偽物だからか?いや本物だからこそしゃべらないのかもしれない。
「お前は偽物か?」
「………」
再びの無言。
そう簡単にはわからないか。
僕は目の前の敵を無視して、一真のもとへ走った。
追ってはこない。余裕があるのか、はたまたほかの四体のみで応戦できるというのか。
「一真、気づいているか?」
話しかけた相手は渾身の横の振りぬきで赤いマントの男を振り払う。
その姿はあの男を相手にしてもまるで引けを取っていなかったが、一真は焦っているようだった。
相手は先ほどと同じ赤いマントの男。
ただ僕の時とは違うところが一つだけある。
右手には直刀。
左手には短刀ではなく曲刀が握られていた。
接近戦に長けて遠距離戦を捨てたスタイル。
ザッと近くで誰かが着地した音がした。
振り返ればすぐそこにシグルドがいた。目の前には赤いマントの男。
やはり四人全員同じ敵と相手をしているようだ。
シグルドの剣から四つの氷の塊が飛び出す。
大きさは拳ほど。四つはそれぞれ男の四肢を狙っていた。
ローは回避の様子を見せない。
死ぬ気かそれとも、何か手があるのか。
あと一mほどで直撃。
いくら鍛えられたローの肉体でもあの氷晶をまともに食らえば、即死ものだろう。
ズドンと鈍い音をたてて赤い血が橋に飛び散る。
やったと一瞬思ってしまった自分を責める。
あれは恐らく本体ではない。
よけなかったことから、分身であるといえる。
これで四対四。数は同数。でも手は抜けない。
分身する術があるのなら、消滅した分を補うことができてもおかしくない。
「一真。それにシグルドさんも。よく聞いてください。この場には四人のロー・ブラッドがいます。一人を除きすべてが分身で実体があります。シグルドさんのおかげで一人を倒すことができましたがまだあと四人います。そこで考えがあります。と言ってもただの各個撃破になりますがね。とりあえず一真。お前はローの意識を引きつけてくれ。危なくなったら僕が囮になる。そこをシグルドさんあなたが止めをさしてください。それだけです」
僕はそう言って一真の肩を叩いた。
それと同時に一真の体から何かが消し飛んだ。
いつもそうだ。やる気になった一真からは何かが出ている。
『気』とでも言おうか。が、なんにせよ当てにしてるんだ。お前にな…。
「はぁぁああ!!」
敵は残り四人。うち一人はクラムさんと交戦中で、先ほどまで僕と闘っていたローは戦線を離れ、洞窟の一番奥で高みの見物を決め込んでいる。
おそらくあれが本体だろう。それはわかっていたがそこに行くのを妨げるように二人のローが立ちふさがる。
「ぐぅう、はあぁぁ!」
一真がローの直刀を防いで後ろに飛ばされる。直後短刀をもったローに追撃されるが、刀を力任せに振りぬいて距離をとる。
キッと僕を睨む一真。さすがの一真も二人を同時には相手はできなかったか。
ま、二人のローの戦い方はわかった。
一真が押されていた理由は二人がかりだったからではない。
短刀を使っているローが一真には苦手な相手だったからだ。
ならばそちらの相手をするか。
そっちの直刀のやつは任せたぞ、一真。
僕は刀を抜き、一真の前に出た。
「短刀の方は任せろ。お前は直刀の方を頼む。お前向きだろ?力勝負は」
背中を一真に預ける。なんだか懐かしい。
敵は僕たちの周りをまわる。
様子をうかがっているのだろうか。
そんなこと、僕には関係ない。
僕は一真の背中から離れ、短刀のローに向かって走る。
ローは予想外の動きをされたから驚いたのか、自分の得意レンジである七mほど距離をとった。
突如短刀が投擲される。それはとても正確無比で回避した場所にも飛んでくる。
僕は飛来する短刀を身をよじって回避し続ける。
それしか手はない。でも、前進するその足は止めない。
ここで止まったら。そう思うと勝手に前へ、前へと進む。
ズッと一本の短刀が左の太ももをかする。
痛いけど気にしない。それならば、右手の傷の方がずっと痛い。
やっとの思いで間合いを詰めて刀を横に振るった。
ローは何も持っていない。左の太ももを切り裂いた物で最後だったようだ。
回避をする様子はない。それが分身だというのはわかっていたが、いるだけ邪魔だ。
深々と刺さった刀を僕は力任せに押し込んだ。
「が、」
短い苦悶。
が、すぐに余裕などなくなる。
なぜなら、傍観していたはずの本体が切りかかってきたのだ。
振りおろされる直刀。
とっさに左に飛ぶ。空を切るはずの刃が血に濡れる。
目線を右手に移す。見るのも痛々しい。それほど右上腕部はえぐられていた。
僕は刀で右の服の袖を切り裂いて、器用に止血する。
荒いがこれで出血多量で死ぬことはないだろう。
しかし何だ。この出血を見ても逃げ出さない自分が怖い。
もしかしたら僕は自分のことに関しても無関心なのだろうか。
いやそんなことは今関係ない、とりあえずこの状況を打開することが最優先事項だ。
僕は本体を睨む。相変わらず赤いマントをたなびかせて悠然と立つ男を。
「睨むな、餓鬼風情が。目障りだ。消してやる」
何も持っていない左手を突き出す。そして何かをつかむような動作。
直後、左手に右手に持っている直刀と同じものが現れた。
なるほど魔術か、錬金術の類か。ま、そんなこと関係ないね。
僕は刀を持つ。右手には力が入らず、両足は傷を負っている。
それでも、負ける気はしなかった。
僕は刀を構え、距離を詰める。
着実と縮まる距離。僕は何も恐れない。これ以上の意思はない。
勝つ。それだけだ。
相手は二刀使い。かなりの手練れ。
それだけしか僕の頭の中にはない。
けれども、僕にとってそれだけで十分だった。
間合いは七間ほど。敵対するには十分な距離で、攻撃にはまだ遠い。
僕はさらに一歩前に出る。
ローは相変わらず僕を見ていない。あれはもっと先を見ている。
僕など眼中にない。だがその絶対の過信にこそ、つけ込む隙がある。
僕は刀を切りはらった。
攻撃範囲ぎりぎりからの攻撃。油断していたかどうかは知らないが、それでも不意はつけたはずだ。
しかし刀はなにも当たらなかった。ローの体にも。服にすら当たらなかった。
あ、という声も遮られた。
刀に体重をかけすぎたのだ。ローは避けただけで防いではくれなかった。
振り払ったエネルギーは空中で分散することなく、僕を引っ張っていく。
あまりにも無防備。そしてあまりにも無意味な行動。
何もできない。
そのことが体中を電撃のように流れた。
勝てない。いやそもそも対等な場所で戦うこと自体が間違いだったのだ。
たった一度。一度だけ己の刀が避けられただけで絶望した。
ただしこの場で絶望などしてはいけなかったのだ。ここは戦場だ。後悔する時間など与えてはくれない。
ロー
敵は僕という攻撃対象を見つけ、直刀の柄で脇腹あたりを殴りつけた。
空中に浮いた僕の体がその行為によって地面にたたきつけられた。
「が、っは」
短い呻き声。脇腹を殴られたことと地面にたたきつけられたので声が出せない。
体をひねって仰向けになる。この行為すら間違いだったのかもしてない。
「………………」
赤いマントの男は僕を睨みつける。その真紅の瞳がまだやるのかと問う。
僕の体はすでに満身創痍。いやそれ以上だろう。
右手の甲からは出血。すでに出血量としては限界だ。
それよりもまずいのは右の二の腕あたり。乱暴に止血された部分から血が滴り落ちる。
すでに刀すら握れぬ体。
「………殺すか………」
ふとそんな単語がローの口から洩れた。
直後直刀を振りかざした。言うまでもないが僕に向けてだ。
当たり前、と言えばそれまでなのだが、やはりなんだがやり切れない思いだ。
僕は自分自身でこいつに戦いを挑んで、そして完膚無きままに叩き潰された。
まるで虫をつぶすかのように簡単に。
そう僕は虫なのだ。みっともなく地面を這って、他人にすがる哀れな生き物。
その虫をまるで鬼神の如くうち滅ぼそうとしている彼は一体何のために僕をコロスのだろうか。
単に自分の欲望を満たすためか。
単に命令されただけなのか。
その真偽はわからない。
ただわかることは、僕はこれで死ぬということだけだ……。
僕は目を閉じた。そのことによって少しでも楽になれるのなら、と。
僕の体は大胆に袈裟切りにあってその幕を………。
閉じることはなかった。
一向に来ない痛み。一向に来ない血が飛び散る音。
目をあける恐怖。もしかしたら死んだことも気づかないように一撃で即死したのだろうか。
眼を開けないといけない。そう己が訴える。
僕は恐れを断ち切り、目を開いた。
目の前には見慣れたジーパン。間違いない。これはあいつだ。
「寝てないで、ちゃっちゃと逃げろ。お前じゃ勝てないだろ!」
僕にむけられた怒号。その言葉は実に的を得ていて同時に僕の体をごっそりと抉っていった。
一真は僕に言葉を投げている間、ずっとローと鍔迫り合いを続けていた。
正直な話、羨ましかった。
自分ではどうすることもできなかった相手と互角に戦っている。
そのことだけで僕の胸の中にぽっかりと穴をあけてしまった。
ただそれだけが僕を支配する。
どうしようもなく僕はその場に座り込んだままじっと目の前で戦う二人の姿をまるで他人事のように傍観していた。
空中に残る銀色の軌道。
それはとても綺麗で、とても残酷だった。
触れればただでは済まない斬撃の打ち合い。
まともに受ければ即死する剣戟のやり合い。
足捌き一つとっても僕にとってはたどり着けない領域。
そう、僕という人間には限界がある。
できることとできないこと。簡単な話だ。僕にはできなくて一真にはできる。
それだけだ。僕はとりあえず後ろに退く。ここでは一真によけいな気を遣わせることになるかもしれない。
横に振るわれる飾り気一つない刀。空虚とはそういう刀なのだ。
空気すら切断する切れ味。それは最強の武器であり、また同時に危険な武器でもある。
骨すら切断する刀というのは間違っても自分の肌を傷つけてはいけない。
ローの直刀が一真の脳天をめがけて振り下ろされる。この位置からみてもその動作はとても遅いように見えるが目の前でその太刀筋を見抜けと言われても不可能だろう。
一真はそれをさも当然のように右に避ける。
右手で振るわれた刀が回避されたローは左手の直刀で横から一真を切りはらう。
ローにしては牽制のつもりなのだろうが、はたから見れば殺意がこもった一撃にしか見えない。
その一撃さえも一真はギリギリのところで回避する。
いや、あえて最小限の動きでよけることで次の攻撃に移るつもりなのかもしれない。
身を引いて回避した直後、大きすぎる一歩を踏み出し、それを必殺の踏込とした。
右上からローの体を袈裟切りにする。銀色の帯が空中に残り、その切っ先はローのマントをわずかに切り裂いた。
瞬間、この空間一帯が何かに包まれた。
圧倒的な殺意。大きすぎる憎しみ。
いったい何があったというのか。今までまるで僕たちになど興味がなかった人物がいきなり僕達にだけ殺意をむき出しにしている。
何かがまずい。逆上している相手こそ最も危険である。
僕は爽雷を鞘におさめ、ローと対峙する一真を突き飛ばした。
これでローとは距離が開いたが半死状態の僕が無茶なことをしたため、押し倒すような形になってしまった。
「っぐ!!」
知らず知らずのうちに限界に来ていた、というかすでに限界を超えている体での運動が自らの体を痛めつける。
口から洩れる苦悶の声すらコントロールできない。
ローは相変わらず動かない。というかまるで自分の感情を制御するように瞳を閉じている。
何をする気なのだろうか。否、何をされても僕たちは殺される。
それくらいわかっていた。だけど対処の方法がない。
対峙して、刀をよけられて、傷を負わされて。
今のアレに立ち向かって勝てるわけなどない。そう今の僕たちでは対峙することですら自殺行為。
勝てない。
かてない。
カテナイ。
「いや」
僕たちが勝てないのなら誰かに頼めばいいじゃないか。
そう。シグルドやクラムさんに。それが無理なら他の人に。
『ミロ。シグルドモクラムサンモ、ローニヒケヲトッテイナイゾ』
何かが叫ぶ。僕でも一真でもクラムさんでもシグルドでもローでもない。
内なるナニかが。僕に叫ぶ。他人に任せろ。自分はただ見ているだけでいい。
傍観することこそが自分の使命。
ことを起こすのは自分ではない。
それぐらいわかっているだろう。できないことは他人になすりつけてしまえ。
他人に迷惑がかかる?そんなものは知らない。
自分だけよければいい。自分だけ納得できたらいい。自分だけ幸せであればいい。
それだけで………。
「いいじゃねぇかぁぁぁぁ!!」
僕は咆哮を上げた。体の痛みなんか知らない。肉体の不備なんて知らない。
ただ。目の前の敵さえ排除できたらそれでいい。
「お前は生きていてはならない」
僕という人間が発した言葉は重く。そしてなんでも切り裂く刃物のようだった。
倒れて僕を見る一真は何も言わない。いや呆気にとられている。
僕という人間の人格が破綻した。本質が表面からにじみ出る。
偽の人格で封じられていた本物が僕を支配する。
本物が持つ衝動。それは……。
「破壊だ。俺はお前を破壊する」
すらりと爽雷を引き抜く。鞘なんて必要ない。あるだけ無駄だ。そう無駄。
地面に投げ捨てられた鞘が一真の目の前に落ちた。
右手はとうの昔にイカレている。まともに稼働するのは左手のみ。
左手一本で刀を振るうことにしよう。こんな相手など腕一本で十分だ。
崩壊した人格。瓦礫のように崩れ去ってしまった常識。
此処に在るのはただ壊すことしか知らない殺人鬼でしかない。
ただならぬ殺気に気がついたのかローは目をあける。
そして何のモーションもなく直刀で切りかかってきた。右側からの斬撃。
刀は左手にある。右側はむき出しの腕しかない。手は刀すら握れない。
ならば、盾にしよう。
飛来する直刀の刃を右指すべてで受け止める。白刃取りというやつだろうか。
ぬっ!?と驚く男。何が珍しいのだろうか。ただ受け止めただけだろう。
二歩後ろに後退したローを見逃すはずもなかった。左下から振り払った刀は、ローの胸を浅く切り裂いた。
舞う赤い布きれ。それにまぎれて距離を詰める。そして脳天から切り裂こうとして。
振り下ろした刀を空虚が受け止めた。目の前には一真がいる。
左手には爽雷の鞘。それを僕の腹にたたきつけてきた。
並々ならぬ衝撃。吹き飛ぶ僕のからだ。
そして意識を失いかけた。徐々に抜けていく力。
後ろで誰かに抱えられた。首を回してみれば、頬から血を流したクラムさんだった。
「覇蛾君、君は一体?」
何の事を言っているのだろうか。
記憶が途切れ途切れだ。わけがわからない。僕は一体?
目の前にはローと対峙する二人の姿が。一人は一真もう一人はシグルドだった。
クラムさんは動かない。どこか怪我をしているのだろうか。
自分の体を見直す。右腕からは毒々しいまでの血液が流れ出ている。黄色いパーカーは赤く染め上げられていた。
爽雷の柄も赤を通り越して黒までに変色していた。
とローが大きく跳躍した。逃げるつもりだろうか。はたまた何か仕掛けるつもりだろうか。
着地した場所は僕たちが入ってきた入り口付近。そこから短刀を投擲した。
一本。それも橋を狙って。目標は一滴の血だった。
だれの血かは知らないが何かしようとしている。そう直感した僕は二人に向かって叫んだ。
「戻れっ!!二人ともっ!」
反射的に飛び退く二人。それでよかった。なぜなら短刀が血に当たった瞬間に橋が消し飛んだ。
初めから仕掛けを施していたのだろうか。かなりの規模で爆発が起きた。橋を破壊しこちらと向こうを断絶させた。
これで戻れない。そしてローは向こう岸。追うことすらできなくなってしまった。
いやそれ以前にここから出る手段を失ってしまった。橋の下を流れていた川は荒れて泳げるような流れではない。
ローは僕たちをこちら側に置いたまま向こうに行ってしまう。
待て、そっちにはユメがいるんだ。行くな、いくな、イクナ。
あのローのことだ。女にも容赦がないだろう。殺される。いや殺すな。殺さないでくれ。
コートを翻して撤退するローを僕はただ見るしかできない。
ローのいく先には間違いなくユメがいるのだが、いくらたっても悲鳴ひとつ聞こえていない。
悲鳴を上げさせる前に即死させたのだろうか?いや武道の心得があるユメがただでやられるはずがない。
それこそ走って僕たちに危険を伝えることぐらいするだろう。
それがないということは息を殺してローが退くのを待っているのだろう。
どうする。戦闘の継続は不可能だ。ならば皆と合流してここから出ることを考えねば。
見ればその場で座り込んでいる一真とシグルド。
足を少し引きずってこちらに来るクラムさん。
そして体中から血を流して座り込む僕。
誰をとっても満身創痍。すでにローへの対抗意識など欠片ほども残っていない。
ならばこれからどうする。とりあえず集まろう。
そう思い僕はクラムさんに肩を貸して一真達のほうに向かった。そこでこれからのことを考えることにした。
「無事か?二人とも。いや僕自身が一番深刻か…。でここから脱出する方法を考える必要があるんだが…」
データ
と言って僕は口をつぐんだ。目線は向こう岸。赤いマント姿の男はいない。そこにいた男は僕の脳内に該当するものはない。
だが見覚えはある。僕の家と。あの草原で。
赤いマントと同じ種類の漆黒の鎧。顔を隠すほどの長い黒髪。重くのしかかる狂気の気配。
間違えようがない人物。対峙できない。目すら合わせることができない。
何をいまさら現れたのか。何の目的でここまで来たのだろうか。
わからないことが多すぎる。ローの姿はいまだにない。単独で来たのか。それとも何か別の目的でここに立ち寄ったのか。僕の考えはあくまで『かもしれない』の域を超えない。
黒い男は右手を前に出す。何をする気だ。何をやる気だ。
手のひらから何か圧倒的なものを感じる。憎悪に似た何かを。負のエネルギーがぐるぐると渦巻いている。
飲み込め光を。 どす黒い闇を持って。 黒滔々たる 闇の中へ 消えよ。
「Swallow it light. With dark darkness. Disappear in the darkness that guilt is rapid. 」
不意に呪文の詠唱が始まる。低く地面のそこから響き渡る声。
不吉な気配どこかで感じた気配。最近。どこかで。
闇の 帝王の 命令に よって。 我はココに 無限の 闇の存在を許可する。
「By the order of the emperor of the darkness. I admit existence of infinite darkness here.」
何かが来る。直感でそれだけがわかる。これは気当たりではない。
純粋な恐怖ゆえだ。何かがまずいと、肉体が告げる。逃げなければ。
一体どこへ。退路はすでにふさがれている。
後は下流へと流れていく、川だけだ。生きている心地がしない。追われる身。追われている肉体。
抵抗もない。圧力と重力に逆らうようなものだ。無駄なことでしかない。
我の 意思に 従い、 力を 振るえ。
「Use power according to the intention of self.」
最後の文が読まれる。そんな気がした。知識もないのだがそう感じた。紡がれる呪文の意味は断片的に頭に入ってくる。
なにかとんでもないモノが現れる、いやすでに契約していたものを召還しようとしている。
逃げ場がない。逃げれられない。防御も回避もできない。
命ずる。
「It orders.」
ついに最後の文節が読まれた。これで魔術が完成する。
その瞬間、そう瞬間だ。一瞬のタイムラグもなく黒い、そのものが闇のような魔術印が押し寄せるようにしてこちらに向かってくる。
大きすぎるそれは半径十メートル以上。どこにいても接触してしまう。
当たってはいけない。それどころか、かすってもアウトだろう。
確証はない、証拠も物証もない。だけどこの背筋を震わせる気配だけで十分だった。
魔術印が橋だったものの先端に触れた。が何の抵抗もないかの如く、速度は衰えない。
あれが物質であることはわかるが他の物質に触れている以上何らかの変化があってもおかしくないのだが、何もないかのように速度を落とさず、こちらに向かってくる。
橋を否、あれは接触したものをすべて飲み込んでいる。
「一真、皆を川へ投げ入れろ。あれはまずい。あれに飲み込まれれば生きては帰れない。だから早く」
納得したのか、一真は僕の手を引いた。クラムさんは横たわっている、シドを手に抱えて、川のほうへ足を引きずりながら歩いていく。幸い、魔術印の速度がかなり遅いため飲み込まれないですんでいる。
ばしゃんとけたたましい音を立てて、クラムさんが川に飛び込む。やはり体に負荷がかかるのか、顔をしかめる。僕も続いて飛び込もうとするが一真に引き止められた。
「本当に大丈夫か?その…その傷で水の中に入ったら…」
目線を僕の右肩に移してそう、一真は言った。そこには剥き出しになり布で乱暴に止血されている刀傷がある。普通に考えて、水に浸るのはその行為だけで自殺だろう。
だが後ろに迫っている魔術は、間違いなく触れれば即死だ。
闇そのものを召還しているものだから、空間が歪み、消滅している。いや、侵食されている
何も残らない。そうあれは存在自体が『虚無』。必要のないものはすべて消す。
でもそれはアスーラ本人の起源ではなく、魔術というか召喚されたあれ自身が持つ起源。あれはただの物質ではない。意志をもった生命体。
そんな感じ、というか単純に気配が漂っていた。禍々しい殺意のせいで詳しくはわからないが生き物であることに間違いはないだろう。
「大丈夫だ。それより早く。あれに飲み込まれれば、何であれアレに当たれば無にかえる。何に一つ逃げ場がない今、確実に逃げる方法を取る。0か1比べるまでもないだろう。わずかな可能性がある以上それに賭けるしかない。頼む」
生き延びる手段を取る。死ぬかもしれない。でも僕はまだ生きていたい。
そう思い、歯を食いしばって飛び込もうとして脳裏に妹の姿が流れた。
いや、今はそれどころではない。僕たちが生き残らなければ、生きていなければ……。
だけど気になってしまった。どうしようもないくらい気になってしまった僕はただでさえ動かない体に鞭を打って振り返った。
美しかった白い橋と湖は既になく、そこにあったのは、黒光りする怪しげな魔術印だけだった。
「猟!巻き込まれるぞ!!くそっ!」
振り返った僕を一真が手を引いて、川へと飛びこんだ。飛び散る水しぶき。その一瞬の思考で僕の意識が飛びかけた。
ザ、ザザザ――――。激痛で一瞬飛んだ意識が戻ってくる。目がチカチカする。まるで眼球が爆竹になって爆発したように、映像がショートする。それと同時に体の各部に伝達される神経が悲鳴を上げる。
「ん…が…ぁ」
悲鳴にも、喘ぎ声にもならない声が口から漏れる。
水が体内に浸入してくる。苦しくはない。その程度の苦しみなど、この引き千切れるような全身の痛みに比べれば、蚊が刺すようだ。
「痛…つっぅ…」
右腕の痛みよりさらに上の痛み。それが、背中で感じた。全身の痛みとは少し違った痛み。焼けるような激痛は全身に回っていく。
いつ怪我を負ったのか、記憶にない。飛び込んだときに、打ち付けたのか、あの魔術の毒に触れたのか。
体はとうにボロボロだ。流れに逆らうことはできる筈がなく、ただ流されている。
急激な眠気に襲われる。恐らく筋肉の疲労が蓄積され、限界を突破したからだろう。
しかし此処で寝てはいけない。何といっても水の中だ。何が起こるか解らない水中で無防備になるのはまずい。必死に眠気と戦うが、肉体が強制終了する力には、抵抗の余地がない。
結局。数秒後には、気を失ってしまったのである。




