第71話「合図のない連携」
育成を始めてから、ルークたちは街道沿いの砂丘地帯に留まっていた。
ラグナへ急げば、もう少し早く着ける。それでも今は、一日に進む距離をあえて短くし、朝と夕方の涼しい時間を移動に使いながら、日中は周辺にいる魔物を相手に戦い方を試していた。
慣れないのは魔物たちより、むしろルークだった。
戦闘杖を握る右手には薄い豆ができ、投石紐を繰り返し回した肩にも鈍い張りが残っている。怪我と呼ぶほどではないものの、毎日続ければ身体にも疲労が溜まるという当たり前のことを、身をもって理解し始めていた。
「今日は腕を振りすぎるな」
朝食を終えたところで、レイが言った。
ルークは肩を回してみた。痛みはない。ただ、昨日より少し重い。
「分かってる。今日は投石を何十回もやるつもりはないよ」
「昨日も似たことを言っていた」
「昨日はちょっと夢中になっただけ」
岩の上にいたソラが、呆れたように短く鳴く。プルまで身体を左右へ揺らしているのを見て、ルークは味方がいないことを悟った。
少し離れた砂の上では、サーヴァが朝日を浴びていた。
身体の半分だけを砂に埋め、黒い目でこちらを見ている。名前を呼べば振り向くようにはなったが、相変わらず自分から触らせる気はないらしい。
今日は、そのサーヴァと試したいことがあった。
狙う相手は、昨日まで戦っていたデザートビートルではない。
砂丘の裾に点在する小さな穴。その周囲には細かな足跡と、齧られた乾燥植物の欠片が散らばっていた。
少し待っていると、穴の一つから茶色い頭が覗く。
【サンドラット Lv4】
丸みのある身体に対して後脚が長く、砂の上を跳ねるように移動する小型魔物だった。戦闘力そのものは高くないが、危険を感じればすぐ巣穴へ逃げ込むため、捕まえるのは意外に難しいらしい。
ルークは鑑定結果を閉じ、杖を地面へ立てた。
「今日は僕とサーヴァだけでやってみたい」
その言葉に、プルがすぐ反応した。
「ぷる?」
「危なくなったら助けて。でも最初から守らなくて大丈夫」
プルは不満そうに身体を縮めた。
最近、サーヴァが何かに近づくたび、触手を伸ばしかけることが増えている。ロックスコーピオンから助けた時の感覚が残っているのかもしれない。
一方のサーヴァは、ルークの話を理解しているのかいないのか、既にサンドラットの穴へ注意を向けていた。
「サーヴァ。あの穴に潜って、反対側から追い出してくれる?」
名前を呼ばれたことで、頭だけは振り向く。
ルークは穴と、その反対側を指差した。
「こっちから入って、向こうへ――」
説明の途中で。
サーヴァは砂へ消えた。
「……分かってくれた?」
「期待するな」
後ろからレイの声が飛んでくる。
「少しくらい期待してもいいでしょ」
ルークは投石紐へ手を添えながら、穴の出口を見た。
数秒後。
砂が動く。
来る。
そう思って身構えた瞬間、飛び出してきたのはサンドラットだった。
予想していた出口とは反対側から。
「そっち!?」
完全に外した。
慌てて身体を向ける間にも、サンドラットは砂を蹴って走る。ルークは投石紐を一度だけ回したが、横風と焦りが重なり、放った石は獲物の後ろへ落ちた。
サンドラットが進路を変える。
巣穴へ戻る気だ。
そこへサーヴァの頭が砂から出た。
追い出した本人が、逃げてくるサンドラットを見て固まる。
「サーヴァ、右!」
通じるはずもない。
サーヴァは右ではなく、真下へ潜った。
「そりゃ逃げるよね!」
ルークは杖を握って走った。
サンドラットが穴へ飛び込む寸前、杖の先端を砂へ突き立てる。穴そのものを塞ぐのではなく、入口手前の砂を崩して進路をずらした。
突然目の前を塞がれたサンドラットが左へ跳ぶ。
そこは読めた。
杖を大きく振らず、石突き側を低い位置へ滑らせる。後脚へ軽く当てられたサンドラットは体勢を崩し、砂の上を一回転した。
追撃する必要はなかった。
起き上がった小さな魔物はルークから距離を取り、そのまま別の穴へ逃げていく。
ルークは杖を下ろした。
「……倒してないけど、今のは僕の勝ちでいいよね?」
「逃がしたとも言う」
レイの声は容赦がない。
「訓練だからいいんだよ」
そう返しながら、ルーク自身も苦笑していた。
連携するつもりだったのに、実際にはサーヴァが追い出した場所を読み違え、指示も一つとして通じていない。
想像していたものとは、かなり違った。
サーヴァが砂から出てきた。
失敗を気にしている様子はなく、むしろ少し得意げに首を持ち上げている。
「追い出したのは自分だから?」
ルークが聞くと、サーヴァは舌を一度出した。
「たぶん何も考えてないぞ」
「レイはサーヴァに厳しくない?」
「事実を言っただけだ」
それでもルークは、すぐ次のサンドラットを探そうとはしなかった。
今の戦いを思い返す。
サーヴァは、ルークの指示とは違う場所から獲物を追い出した。
違う。
そもそも。
「僕の指示なんて分かるわけないか」
名前を覚えたことと、戦い方の指示を理解することは別だ。
レイなら言葉で伝わる。
プルも長く一緒にいることで、簡単な指示なら身体の動きと合わせて理解するようになった。ソラやイズナにも、それまで積み重ねてきた合図がある。
サーヴァには、まだ何もない。
「契約もしてない相手に、いつもの感覚で指示を出したのが間違いだったな」
レイが立ち上がり、砂を払うように身体を震わせる。
「お前があいつを動かすんじゃなくて、あいつがどう動くかを見ろ」
ルークは少し黙った。
それから頷く。
「うん。そっちからやってみる」
二度目は、何も指示しなかった。
別の巣穴を見つけても、サーヴァへ穴を指差しただけで待つ。
行くかどうか。
それも任せる。
サーヴァはしばらく穴の周囲を這い、三か所ほど地面へ頭を近づけた。やがて一つの場所で止まると、身体をくねらせながら砂へ潜っていく。
ルークも動かずに観察した。
砂の表面。
わずかな盛り上がり。
サーヴァが進んでいる位置。
その先にある穴。
一つ目。
違う。
二つ目。
そこでもない。
やがてルークは、小さな変化に気づいた。
巣穴の右側だけ、砂が僅かに震えている。
「……そっちから出る?」
投石紐には手をかけない。
代わりに、杖を短く持つ。
数秒後。
予想した場所からサンドラットが飛び出した。
今度は焦らなかった。
サーヴァが地下を進む方向を見ていたから、出てくる位置もある程度絞れている。
ルークはサンドラットと巣穴の間へ一歩だけ入った。
逃げ道を塞がれた魔物が右へ曲がる。
そこへ杖を出す。
攻撃ではない。
地面へ突き立てるだけ。
障害物を嫌ったサンドラットが、さらに外側へ膨らむ。
その瞬間だった。
砂からサーヴァが飛び出した。
今度は咬みつかない。
サンドラットの後脚へ細い身体を一度だけ絡ませ、すぐに離れる。
ほんの一瞬。
けれど全力で走っていた相手には十分だった。
足がもつれる。
身体が前へ倒れる。
ルークは既にそこへ入っていた。
杖の先を首筋へ押し当てる。
打ち込まない。
動きを止めるだけ。
サンドラットが暴れるものの、体勢を崩した状態からでは起き上がれなかった。
「……出来た」
ルークは息を整えながら、力を緩めた。
解放されたサンドラットは一目散に逃げていく。
今度は追わない。
倒さなくても。
やりたかったことは出来た。
サーヴァは少し離れた場所から、その姿を見ていた。
「今の、僕の指示じゃないんだよね」
当然ながら返事はない。
ルークも答えを求めず、その場へ腰を下ろした。
最初の失敗では。
サーヴァを自分の思い通りに動かそうとした。
二回目は。
サーヴァが選んだ動きを見て。
自分が合わせた。
それだけで。
戦いはずっと簡単になった。
「育てるって、こっちのやり方を覚えさせるだけじゃないんだな」
レイが横を通りながら言う。
「今さらか」
「今さらだね」
以前のルークなら、どうすれば効率よく能力を伸ばせるか、そればかり考えていたかもしれない。
でも今は。
仲間の得意な動き。
嫌うこと。
自分から選ぶ行動。
そこを見ずに強くしようとしても。
上手くいかないことを知っている。
三度目。
ルークはさらに欲を出した。
サンドラットではなく、もう少し大きなデザートリザードを相手にする。
こちらはLv5。
サーヴァよりかなり強いが、ルークなら単独でも対処できる程度だ。
「今度は倒すつもりでやってみる」
そう言っても。
サーヴァが理解した様子はない。
それでいい。
ルークは投石紐を握った。
リザードの進路。
後脚。
砂の硬さ。
さっきまでとは違う相手。
サーヴァは早々に砂へ潜った。
戦いが始まる。
ルークは小石を放つ。
敵そのものではなく。
右側の砂。
着弾した音に反応して、リザードが左へ寄る。
その先に。
サーヴァはいなかった。
「……あれ?」
読み違えた。
次の瞬間。
リザードがルークへ走ってくる。
杖で受け流す準備をする。
ところが。
砂の中から現れたサーヴァは。
敵ではなく。
ルークから離れる方向へ走っていた。
「逃げた!?」
思わず声が出る。
後ろでレイが鼻を鳴らした。
「怖くなったんだろ」
「あ、そっか」
これも。
普通だった。
一度上手くいったからといって。
次も戦うとは限らない。
サーヴァに訓練へ付き合う義務などないのだから。
デザートリザードが飛び込んでくる。
ルークは意識を切り替えた。
頭ではなく肩を見る。
前脚が沈む。
噛みつく前の動き。
正面から受けずに半歩外へ入り、杖を顎の下へ滑らせる。勢いを横へ逃がしたところで石突きを後脚へ当てると、リザードは砂の上へ崩れた。
すぐに距離を取る。
相手が起き上がるより早く、投石紐を回す。
一回だけ。
石は前脚のすぐ横へ突き刺さった。
リザードが怯む。
ルークが杖を構えて前へ出ると、魔物は戦うことを諦めたらしい。
背を向け。
逃げていった。
「……今度は一人で出来た」
肩で息はしている。
でも。
助けは入らなかった。
プルも。
レイも。
ソラも。
イズナも。
動いていない。
少し離れた砂丘の陰から。
サーヴァだけが。
こちらを見ていた。
ルークは追わなかった。
呼び戻すこともしない。
水を飲み、杖についた砂を落としていると。
しばらくして。
細い身体が戻ってきた。
いつものように三歩ほどの距離で止まる。
「怖かった?」
サーヴァは頭を低くする。
「別に逃げてもいいよ」
無理をさせたいわけではない。
強くなってほしいとは思う。
けれど。
ルークが決めた訓練へ従わせたいわけではなかった。
「その代わり、やりたくなったらまた一緒にやろう」
サーヴァが頭を上げる。
少し迷うように身体を揺らしたあと。
一歩分だけ。
ルークへ近づいた。
触れられる距離ではない。
それでも。
さっき逃げた方向へは戻らなかった。
ルークはその小さな変化を見ながら、次に何を教えるかではなく。
次はサーヴァが何をするのか。
それを見てみたいと思った。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございます!
皆さまに楽しんでいただける物語を目指して、これからも丁寧に書き続けていきます。
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