第69話「強くなるために」
ラグナへ向かう街道は、朝から白く霞んでいた。
夜の間に風が運んだ細かな砂が道の上へ薄く積もり、踏みしめるたびに靴の縁からさらさらと崩れていく。東の空には雲一つなく、日が高くなれば昨日以上に暑くなるのは目に見えていた。
ルークたちは早朝に宿場を発ち、二時間ほど南へ進んだところで街道を外れた。
理由は、道に迷ったからではない。
「今日はラグナまでの距離を稼がなくていい」
岩の多い小高い場所へ上がりながらルークがそう言うと、先頭を歩いていたレイが肩越しに振り返った。
「昨日から考えていた顔だな」
「分かる?」
「分かりやすい」
ルークは苦笑しながら足を止めた。
眼下には、緩やかな砂丘と岩地が交互に広がっている。ところどころに背の低い乾燥植物が生え、風で砂が削られた岩の陰には、小型魔物のものらしい穴も見えた。
空ではソラが大きく旋回し、少し離れた場所ではイズナが姿を現したり消したりしながら周囲を探っている。プルはルークの横で小さく跳ね、サーヴァはさらに数歩先の砂地に半分だけ身体を沈めていた。
その光景を見ながら、ルークは昨夜から頭の中にあった考えを口にした。
「今まで、僕たちは何かが起きるたびに戦って、その中で強くなってきたよね」
湿地で襲われた時も、南水路で魔物を助けた時も、グランドマーシュタートルを止めた時もそうだった。
必要に迫られて戦い、危険の中で出来ることが増えた。
それは間違いなく積み重なっている。
けれど、黒い棘を使う者たちは、主級の魔物すら実験対象にしようとしていた。次に出会う相手が、今回と同じ程度で済む保証などない。
「強い相手が出てきてから、『もっと強くならないと』って考えるんじゃ遅いと思うんだ」
レイは何も言わず、続きを待っている。
「だから、今度は自分たちから強くなりたい。ラグナへ入る前に、数日使って戦い方を鍛える」
それを聞いたプルが、意味を理解したのか身体を一度大きく弾ませた。空を飛んでいたソラも声に反応して高度を落とし、近くの岩へ降りてくる。
イズナは少し離れた場所で腰を下ろしたままだったが、耳だけはこちらへ向いていた。
レイはしばらく眼下の地形を見てから、短く答えた。
「いい。ただし、弱い奴を全員で囲んで倒すだけなら時間の無駄だ」
「僕もそう思う」
「なら何をする?」
その問いに、ルークはすぐには答えなかった。
昨夜までは、仲間ごとに何を鍛えるか細かく決めようとしていた。プルなら拘束、レイなら指揮、ソラなら空中戦――そうやって紙へ書き出しかけたのだが、途中でやめた。
実際の戦いを見ずに、全部ルークが決めても仕方がない。
「まず戦ってみる。それを見てから考えるよ」
レイの口元が、ほんの僅かに上がった。
「その方がましだ」
褒められたのかどうかは分からない。
けれどルークも、今回はそれでいいと思った。
最初の相手は、探すまでもなく見つかった。
砂丘を一つ越えた先、風の当たりにくい窪地に、黒褐色の甲殻がいくつも見える。
人間の膝ほどの高さがある甲虫型の魔物だった。大きな顎で乾いた植物の根を掘り返し、群れで地面を漁っている。
数は二十匹以上。
ルークは砂丘の斜面へ身体を低くし、近くの数匹だけを鑑定した。
【デザートビートル Lv6】
【デザートビートル Lv7】
大きな個体でもLv8程度。
一匹ずつなら、今のルークたちにとって脅威ではない。
ただし。
「あれだけまとまって動くと、別の練習にはなりそうだね」
デザートビートルは強い敵ではないが、殻が硬く、刺激すると一直線に突進する習性があるらしい。地面には何本もの古い突進跡が残り、岩の一部には顎で削られた傷まであった。
ルークは群れを眺めながら考える。
レイなら、速度差だけでほとんど触れさせずに倒せるだろう。
ソラなら上から一方的に攻撃できる。
イズナなら群れの向きをずらすことも出来そうだ。
それでは今日ここへ来た意味が薄い。
視線を横へ移す。
プルが、同じように群れを見ていた。
「プル、ちょっと試してみたいことがあるんだけど」
「ぷる?」
「十匹くらい、僕のところまで来させないように出来る?」
身体が一度揺れた。
次いで、六本の触手が次々と伸びる。
どうやら自信はあるらしい。
「ただし、僕はここから動かない。レイたちも手を出さない」
その条件を聞いたレイが横目でルークを見る。
「随分と増やしたな」
「一匹ずつ捕まえるなら、もう出来るから」
プルは湿地でも複数の触手を同時に使っていた。敵を拘束し、足場を作り、ルークを守るところまで出来る。
なら次に必要なのは、単純に触手を増やすことではない。
複数の敵が、それぞれ別の場所から動いた時。
どこまで同時に止められるのか。
それを知りたかった。
群れを全部刺激する必要はない。
ルークは砂丘の横を回り込み、少し離れた岩の陰へ移動した。
投石紐へ小石を乗せる。
狙うのは魔物ではなく、群れの右端にある乾いた地面。
回転。
放つ。
石は狙った位置へ当たり、砂と小石を派手に弾いた。
音へ反応したデザートビートルが一斉に頭を上げる。
そのうち数匹が動き出した。
「……八。いや、十一来る」
想定より一匹多い。
やり直そうかと思ったが、プルは既に前へ出ていた。
透明な青い身体から六本の触手が伸び、砂の上へ低く広がる。
最初の三匹が来る。
速い。
小型とはいえ、突進そのものはかなり鋭い。
一本目の触手が先頭の脚を取った。
二本目が横の個体へ巻きつく。
三本目は地面へ伸び、砂を掻くようにしてもう一匹の進路をずらした。
「いいよ、そのまま!」
声を上げた直後だった。
左右へ散った残りの個体が、別々の角度からルークへ向かってくる。
プルの触手は、既に三本が塞がっていた。
四本目。
五本目。
それぞれ一匹ずつ捕まえる。
最後の一本が、二匹の間を迷うように揺れた。
その間に。
一匹が抜けた。
硬い甲殻を揺らしながら、ルークへ一直線に突っ込んでくる。
「プル、無理に取らなくていい!」
ルークは杖を構えた。
身体を正面へ置かない。
デザートビートルが顎を開いた瞬間、半歩横へ。
杖の先を甲殻の側面へ当て、突進の方向を外へ流す。
正面から止めれば力負けする。
けれど、向きを少し変えるだけなら出来る。
ビートルはそのままルークの横を通り過ぎ、砂へ前脚を取られて体勢を崩した。
「一匹抜けた!」
プルの身体がびくりと揺れる。
失敗したと思ったらしい。
「大丈夫! 続けて!」
しかし問題は、その直後だった。
一匹ずつ捕まえることへ意識を取られたせいで、最初に拘束した個体が暴れ始める。触手が引っ張られ、その影響で別の一本まで位置がずれた。
さらに二匹が抜ける。
ルークは一匹目を杖で逸らしたが、二匹目へ対応する前に、プルの本体が横から伸びた。
透明な身体が薄い壁のように広がる。
デザートビートルが勢いよくぶつかった。
鈍い音がした。
けれど壁は破れない。
それどころか。
ぶつかった瞬間、表面が窪み、そのまま甲虫の頭部と前脚へ絡みついた。
「ぷるっ!」
硬化。
ビートルの身体が固定される。
ルークは思わず目を見開いた。
「……そっちの方がいい?」
プル自身も。
気づいたらしい。
触手一本で一匹ずつ捕まえる必要はない。
六本しかないなら。
敵を六匹までしか止められない。
でも。
身体そのものを使えば話は違う。
次の瞬間。
プルは拘束していた触手のうち二本を地面へ突き刺した。
残る四本も。
敵ではなく。
左右の砂へ。
身体を横へ広げる。
ルークの前に、弧を描くような青い壁が出来た。
完全に塞ぐのではない。
中央だけを狭く開ける。
「……なるほど」
横から来たデザートビートルが壁へ当たり、弾かれる。
別の一匹も。
また壁。
逃げ道を探し。
開いている中央へ寄ってくる。
そこへ。
空いていた触手が待っていた。
一匹。
二匹。
足を取る。
押さえる。
今度は。
数を数える必要すらなかった。
一匹ずつ追いかけるのではなく。
敵が通れる場所を絞る。
そこだけ捕まえる。
レイが少し離れたところで口を開いた。
「最初から全部取ろうとするから遅い」
ルークも同じことを考えていた。
「うん。敵を止めるんじゃなくて、敵が来る場所を決めた方がいいんだ」
「ぷる?」
褒められたと判断したのか、プルの身体が少し膨らむ。
そのせいで壁も一緒に膨らみ、拘束していたビートルが一匹転がった。
「そこは集中して」
「ぷる……」
まだ完成には遠い。
十数分後。
デザートビートルたちは、ほとんど傷つくことなく砂丘の向こうへ逃げていった。
追撃はしない。
ルークたちは討伐に来たわけではない。
プルも身体についた砂を振り落とすと、満足そうにルークの足元へ戻ってきた。
「最初は十匹捕まえてもらおうと思ってたんだけどな」
「無理だったな」
レイの言葉は容赦がない。
プルが僅かに萎む。
「でも、最後は捕まえる必要がなくなった」
ルークはしゃがみ、青い身体を軽く撫でた。
敵を個別に拘束する。
そこから。
敵の動ける範囲そのものを狭める。
能力が増えたわけではない。
スキルのLvが上がったわけでもない。
同じ【変形】と【硬化】。
同じ六本の触手。
それでも。
使い方が違えば。
出来ることは変わる。
ルークが求めていたのは、たぶんこういう成長だった。
「もう一回やる?」
プルが勢いよく跳ねた。
「ぷる!」
「今度は数を増やすんじゃなくて、僕が場所を変える」
ルークは周囲を見る。
砂丘。
岩。
狭い谷間。
平らな砂地。
同じ相手でも。
場所が違えば。
同じ方法では通じないかもしれない。
そこまで考えて。
視界の端で何かが動いた。
サーヴァだった。
さっきまで少し離れた岩陰にいたはずなのに。
いつの間にか。
デザートビートルがいた窪地の方へ降りている。
「サーヴァ?」
蛇は一匹のビートルへ近づいていた。
群れから遅れた小さめの個体。
Lv5。
それでも。
サーヴァはLv2。
正面から戦えば勝負にならない。
「待って」
ルークが立ち上がる。
しかし。
サーヴァは止まらなかった。
砂へ潜る。
小さな身体が消える。
ビートルが触角を動かす。
気づいたらしい。
前脚で砂を掻く。
その真下から。
サーヴァが飛び出した。
首元へ。
咬みつく。
「――っ」
ルークが息を呑む。
だが。
硬い。
咬撃は。
ほとんど通らなかった。
デザートビートルが身体を振る。
サーヴァは簡単に吹き飛ばされ、砂の上を転がった。
「サーヴァ!」
ルークより早く。
プルの触手が伸びかける。
その瞬間。
サーヴァは起き上がった。
逃げない。
もう一度。
砂へ潜る。
「……まだやるの?」
レイが目を細めた。
「止めるか?」
ルークは答えなかった。
止めた方が安全だ。
レイなら一撃。
プルなら簡単に拘束できる。
でも。
サーヴァは。
誰にも命令されていない。
自分から戦おうとしている。
砂の下を進む小さな盛り上がりを、ルークは追った。
ビートルが足元へ意識を向ける。
さっきの攻撃を警戒している。
そして。
サーヴァは。
同じ場所から出なかった。
ビートルの後方。
砂から頭だけを出す。
噛みつかない。
代わりに。
後脚へ身体を巻きつけた。
「そっち?」
ビートルが動く。
一歩。
脚が引かれる。
サーヴァの身体も引きずられる。
止められない。
力が足りない。
それでも。
歩幅が崩れた。
次の一歩で。
ビートルが砂へ脚を取られる。
体勢を崩す。
サーヴァはすぐ離れ。
また砂へ潜った。
レイが小さく鼻を鳴らした。
「噛むよりはましだな」
ルークも。
同じことを思っていた。
サーヴァに必要なのは。
今すぐ強い咬撃を手に入れることではないのかもしれない。
弱い身体のまま。
何が出来るのか。
そこから探した方がいい。
「……予定変更」
ルークは呟く。
今日は。
プルだけを見るつもりだった。
でも。
面白いものを見つけた。
サーヴァが砂から顔を出す。
ルークと目が合う。
「もう一回やる?」
蛇は返事をしない。
ただ。
逃げもしなかった。
少し先では。
別のデザートビートルが二匹。
こちらへ近づいている。
ルークは杖を握り直した。
「今度は僕も入る」
レイが身体を起こす。
「死なせるなよ」
「サーヴァを?」
「お前もだ」
ルークは笑った。
強くなるための戦い。
それは。
敵をたくさん倒すことだと思っていた。
けれど。
始めてみれば。
最初の日から。
予定通りにはいかない。
だからこそ。
面白かった。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございます!
皆さまに楽しんでいただける物語を目指して、これからも丁寧に書き続けていきます。
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