第56話「止めるための戦い」
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水面が膨らんだ。
次に何が起こるか分からない。それでもルークは、グランドマーシュタートルから目を逸らさなかった。
長い首が上下するたび、喉の奥から低い呼吸音が漏れている。
【グランドマーシュタートル】
【Lv:34】
【状態:興奮/体温上昇/魔力循環異常】
さっきから表示は変わっていない。
だが、身体の異常は明らかに強くなっていた。
甲羅の隙間から流れ落ちる水が、触れてもいないのに細かく震えている。
「来る」
レイが言った。
その直後だった。
グランドマーシュタートルが前脚を踏み込む。
泥が沈むより早く、水面が弾けた。
「プル、前!」
「ぷるっ!」
プルが身体を広げる。
二本の触手を地面へ。
二本を木の根へ。
残る二本を左右へ伸ばした。
正面から来た水流を硬化した身体で受ける。
だが一つではない。
主の周囲から次々と水柱が立ち上がった。
「右も!」
ルークの声に、プルが触手の一本を大きく伸ばす。
横から来た水を受け、軌道を僅かに逸らした。
完全には防げない。
飛沫がルークの頬を叩く。
「ぷるるっ!」
「大丈夫!」
プルがこちらを確認している。
自分が押されながらも、守る相手を見失っていない。
「イズナ、左へ!」
灰白色の姿が走る。
姿が薄れる。
【気配遮断 Lv.3】
主の視線がルークたちから外れた瞬間、イズナが左側の浅瀬へ回り込んだ。
そこで気配遮断を解く。
わざと見せる。
グランドマーシュタートルの眼が動いた。
イズナを追う。
「今!」
レイが反対側へ走る。
一匹を見せ。
一匹を動かす。
主の意識を一方向へ集中させない。
以前のイズナなら、自分が見つからないことだけを考えていた。
今は違う。
見つからない時間と。
見つかる瞬間。
両方を使っている。
ルークはその動きを見ながら後退した。
「攻撃しない! 水を使わせすぎないように動かす!」
「難しい注文だ」
レイが走りながら返す。
「僕もそう思う!」
それでもやるしかない。
主が再び首を上げた。
口の前へ水が集まる。
今度は偶発的な水柱ではない。
明確な攻撃。
「レイ、離れて!」
レイが進路を変える。
水の塊が放たれた。
速い。
避けたレイの後ろで、太い木が折れた。
ルークの背筋が冷える。
あれをまともに受ければ、レイでも危ない。
だが。
「狙えてる……?」
さっきまで無差別だった力が。
少しずつ形になっている。
正常に戻っているのか。
違う。
ルークは主の脚を見る。
一歩踏み込んだ前脚が、小刻みに震えていた。
力を使うたびに。
身体がついていけなくなっている。
「まさか」
ルークは鑑定を重ねた。
表示が揺れた。
一瞬。
文字が乱れる。
そして。
【状態:興奮/魔力循環異常】
【特殊状態:限界刺激・進行】
「……始まった」
棘は刺さっていない。
それなのに。
南水路で見た言葉が出た。
限界刺激。
「レイ!」
「見えてるのか?」
「進行してる!」
レイの表情が変わる。
「棘なしでか」
「分からない。でも今は止める!」
原因を考えるのは後だ。
このまま力を使わせ続ければ。
身体が壊れる。
マッドリザードと同じ道を辿るかもしれない。
「プル!」
「ぷる!」
「主が水を集めたら、撃たせる前に崩せる?」
プルの身体が止まる。
難しいらしい。
「全部じゃなくていい。一方向だけ」
触手が一本上がる。
やってみる。
「お願い」
主が再び口を開く。
周囲の水が動く。
プルの触手が水面へ叩き込まれた。
泥が巻き上がる。
水の流れが乱れる。
主の口元へ集まりかけた水塊が、半分ほど崩れた。
「今度は右へ誘導!」
レイが一瞬止まった。
イズナを見る。
イズナも見る。
言葉はない。
それでも二匹が同時に動いた。
イズナが右へ。
幻惑。
葦の間に、二つの灰白色の影が走る。
主の視線がそちらへ向いた。
その外側へレイが回る。
低い唸り声。
より近い脅威を見せて、視線をさらに右へ押す。
グランドマーシュタートルが身体を捻った。
ルークの前が空く。
「こっちじゃない……そのまま!」
思わず声が出た。
主の巨体が、研究側の誘導地点とは反対側を向く。
戦っている。
でも倒すためではない。
攻撃する方向。
身体を向ける方向。
力を使う回数。
その全部を少しずつずらしている。
ルークは杖を持って走った。
「何してる!」
レイの声が飛ぶ。
「近くで確認する!」
「近すぎる!」
その通りだ。
だが見なければ分からない。
グランドマーシュタートルの後脚。
水流を撃った直後から、動きがおかしい。
ルークは正面には入らない。
後方。
さらに左。
主の首が届きにくい位置を選ぶ。
身体操作補正があっても、泥は滑る。
踏み込んだ足が沈む。
ルークは杖を横へ突き、倒木に引っかけた。
体勢を戻す。
以前なら転んでいた。
「あと少し……」
後脚の付け根。
黒くはない。
棘もない。
だが鱗の間から、薄い赤色が浮いている。
血ではない。
皮膚の内側から熱を持っているような色。
「全身じゃない?」
異常が強い場所に偏りがある。
前脚。
後脚。
首の根元。
大きな筋肉が集まる部分。
つまり。
力を出す場所。
「使えば使うほど悪化してる……!」
ルークが叫ぶ。
「レイ! 戦わせちゃ駄目だ!」
「最初からそのつもりだ!」
「もっと! 反撃させない!」
無茶を言っている。
それでもレイは走る。
主の攻撃範囲へ入りすぎず。
離れすぎず。
追わせるだけ。
イズナも幻を使い、狙わせる位置をずらす。
プルは主の攻撃を受けるのではなく、水の流れそのものを触手で乱していく。
倒す技を。
倒さないために使っていた。
だが限界は来る。
グランドマーシュタートルが突然動きを止めた。
レイも止まる。
イズナの尾が膨らむ。
ルークは嫌な感覚を覚えた。
主の甲羅の周囲。
水が浮いている。
一滴。
二滴ではない。
水面から無数の水滴が持ち上がり、宙へ留まっていた。
「全員、離れて!」
水滴が一斉に弾けた。
無数の水弾。
逃げ場がない。
「プル!」
「ぷるるるっ!」
プルの身体が広がる。
今までで一番広い。
一枚の盾ではない。
六本の触手がそれぞれ別方向へ伸び、その間を薄い膜のような身体が繋ぐ。
ルーク。
レイ。
イズナ。
三方向。
全部を同時に覆う。
水弾が当たる。
一発。
二発。
十発。
硬化した部分が次々とへこむ。
「プル!」
「ぷるっ……!」
耐えている。
だが。
一発が膜を抜けた。
ルークの肩へ向かう。
避けられない。
杖を上げる。
正面から受ければ折れる。
だから。
横へ。
杖の端で、水弾の側面を叩く。
衝撃。
腕が痺れる。
完全には逸らせず、水が肩を掠めた。
ルークの身体が回る。
それでも倒れなかった。
「……できた」
喜んでいる場合ではない。
だが。
以前なら受けていた。
仲間に守られるしかなかった。
今は。
ほんの一発だけでも、自分で流せた。
「ルーク!」
レイが怒鳴る。
「平気!」
「なら前を見る!」
主が動く。
巨体が水を押し分ける。
こちらへ。
「プル、戻って!」
広がっていた身体が一気に縮む。
ルークは前へ出た。
逃げるためではない。
主の進路を見る。
右は深い水。
左には太い倒木。
正面だけが浅い。
この巨体なら。
「レイ、左から!」
「分かった!」
「イズナは右! 幻を大きく!」
二匹が散る。
主が迷う。
左を見る。
右を見る。
その一瞬。
ルークは投石紐へ石を入れた。
狙うのは主ではない。
正面に半分沈んでいる倒木。
投げる。
石が当たる。
乾いた音。
主の眼が正面へ向く。
そこへプルが触手を伸ばし、倒木を押した。
ずるりと泥の上を滑る。
道が狭くなる。
主が足を止めた。
進めないわけではない。
だが。
一瞬だけ。
考える時間ができた。
その一瞬で。
主の身体から力が抜けた。
前脚が沈む。
首が下がる。
巨大な身体が泥へ伏せた。
「……止まった?」
ルークは動かない。
鑑定。
【グランドマーシュタートル】
【Lv:34】
【状態:高熱/魔力循環異常/筋損傷】
【特殊状態:限界刺激・進行】
止まっていない。
ただ。
力を使いすぎて動けなくなっただけだ。
ルークの奥歯が噛み合う。
棘は刺されなかった。
研究側も追い払った。
それでも守りきれなかった。
最初の刺激は、もう主の身体の中に入っていた。
「ルーク」
レイが隣へ来る。
「まだ死んでない」
「うん」
「なら考えろ」
短い言葉だった。
ルークは主を見る。
呼吸はある。
黒い変色もない。
まだ進行途中。
なら。
今まで救出した魔物たちから得たものがある。
早い段階なら、止められる可能性。
「治療師が来るまで待つだけじゃ駄目だ」
ソラが戻るまでにも時間がかかる。
その間に悪化するかもしれない。
ルークは鞄へ手を入れる。
薬。
包帯。
そして。
回収した黒い棘。
棘の先に残っていた透明な液体。
主へ入った刺激と。
棘へ塗られていたもの。
同じものかは分からない。
それでも比較できる。
「まず、何が身体の中で暴れてるのか確かめる」
プルが横へ来る。
イズナも主を警戒しながら近づいた。
「無理に治すんじゃない。悪化させてるものを一つずつ減らす」
ルークは主の呼吸を見た。
まだ。
間に合う。
そう信じるのではなく。
間に合わせる方法を探す。
そのための時間を。
三匹と一緒に作るしかなかった。
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