第43話「選んだ道」
リューデンの外壁が見えた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
門の灯りを見つけた瞬間、ルークはようやく肩の力を抜いた。湿地を歩き続けた疲労より、負傷したミストフォックスと捕らえた男を無事に連れ帰れたことへの安堵の方が大きい。
「止まれ! ……って、お前か!」
門番がルークの顔を認める。
その視線がレイ、ソラ、プルと移り、最後に男へ向かった。
「今度は何を連れてきた?」
「人です」
「見れば分かる」
「捕まえました」
「それを先に言え!」
ルークは古い施設で起きたことを簡単に説明した。
捕獲依頼。
狐たち。
黒い棘。
三日後に新しい依頼が置かれる石箱。
門番の表情から、次第に呆れが消えていった。
「分かった。こいつはギルドへ回す。お前も後で説明に来てくれ」
「はい。先にこの子を診てもらってもいいですか?」
プルの背を見る。
衰弱したミストフォックスは、今では目を開けている。
ただし自力で歩くほどの体力は戻っていない。
「また狐か……」
門番が頭を掻く。
小狐がその言葉に反応し、プルの横へ寄った。
「この子たちは悪くありません」
「分かってる。噛むなよ?」
小狐が牙を見せた。
「……今の聞こえた?」
「たぶん」
門番が少し遠ざかった。
レイが横で鼻を鳴らす。
「自分から煽った結果だ」
「レイ、そういう言い方覚えたんだね」
「見たままだ」
最近、少しずつ言葉が増えている気がする。
それが嬉しい反面、言い返される回数も確実に増えていた。
ミストフォックスは、ギルドと提携している治療所へ運ばれた。
捕獲者の男は別室へ連れていかれる。
ルークたちはそのままギルドで報告することになった。
対応したのは、西湿地の調査依頼を出した男性職員だった。
机の上には、今回持ち帰った物を並べている。
捕獲依頼書。
新しい革紐。
古い石板から写した文字。
そして黒い棘。
「……これだけ揃うと、さすがに偶然とは言えんな」
職員は棘を布越しに持ち上げる。
「この印。施設にも?」
「ありました」
ルークは『魔物観察録』を開く。
祖先の文章も見せる。
『檻あり。獣あり。進化とは呼べない』
職員は何度か読み返し、口元を固くした。
「進化誘導、か」
「壁にもそう読める文字がありました」
「専門家に見せる必要があるな。古い文字は俺じゃ判断できん」
ここでも、すぐ答えは出ない。
ただし以前とは違う。
何も分からない状態ではなくなった。
古い施設は進化に関わる場所だった。
そして今、それを知る何者かが、進化しやすい特徴を持つ魔物を集めている。
「三日後の石箱はどうします?」
ルークが尋ねる。
職員はすぐには答えなかった。
指先で机を二度叩く。
「本来なら衛兵にも話して、こちらで張る」
「本来なら?」
「あの男が戻らなければ、相手も警戒する可能性がある」
ルークもそれは考えていた。
捕獲者が帰らない。
依頼された狐も届かない。
施設まで調べられた。
相手が何も気づかないとは思えない。
「それでも、石箱は調べますよね」
「ああ。ただしお前一人で行くな」
「一人じゃないです」
職員の視線がレイへ向く。
レイは座ったまま動かない。
ソラは窓枠。
プルは椅子の横。
そのさらに後ろ。
小狐もいた。
職員が少しだけ眉を上げる。
「そいつ、まだ契約してないんだろ?」
「はい」
「なのに町まで来たのか」
ルークは振り返る。
確かにそうだ。
施設から離れても。
湿地を抜けても。
門を通っても。
小狐は戻らなかった。
ミストフォックスが治療所へ運ばれた時だけはついていこうとしたが、治療が始まると再びルークたちのところへ戻ってきた。
「……どうするつもりなんだろ」
小狐は何も答えない。
職員がため息をついた。
「お前が聞くのか」
「だって、僕にも分からないので」
「魔物使いだろ」
「だからって全部分かるわけじゃありません」
そこだけは譲れない。
理解できないから観察する。
知りたいから向き合う。
最初から何もかも分かるなら、たぶんルークはここまで魔物に惹かれていなかった。
報告を終えた後、ルークは治療所へ向かった。
小狐もついてくる。
プルも当然のように後ろを跳ね、レイとソラも離れなかった。
「全員来るの?」
「ぷる!」
「俺は外で待つ」
そう言いながらレイは入口まで来た。
ソラも屋根へ上がる。
結局、ほとんど全員だった。
治療室では、ミストフォックスが布を敷いた台の上で眠っていた。
足の輪はすでに外されている。
傷口も綺麗に処置されていた。
そして部屋の隅。
もう一匹いる。
変異していた双尾狐だ。
施設の外に残してきたはずの個体だった。
「え?」
治療師が振り返る。
「ああ。お前たちの後をついて来たらしい。夕方、門の近くで倒れていた」
小狐が駆ける。
双尾狐も顔を上げた。
黒い変色はまだ残っている。
だが昨日より広がってはいない。
【状態:変異進行・緩慢】
変化なし。
悪化していない。
それだけでも大きい。
小狐は双尾狐の鼻先へ自分の鼻を寄せる。
次にミストフォックス。
二匹の間を何度か往復する。
「家族なのかな」
ルークが呟く。
レイが入口から匂いを嗅ぐ。
「近い」
「分かるの?」
「同じ群れの匂いだ」
家族かどうかまでは分からない。
それでも、この三匹が一緒に行動していた理由は十分だった。
小狐にとって、守るべき仲間。
だからハルトを助けた後も湿地へ戻った。
だから変異した双尾狐から逃げなかった。
「この二匹は、しばらくここで預かれる」
治療師が言った。
「回復してから外へ戻す。黒い方は……正直、まだ分からんがな」
「お願いします」
「お前の従魔じゃないんだろ?」
「はい」
治療師が苦笑する。
「なのに頭を下げるのか」
ルークは答えに困った。
理由を考えたことがなかった。
助けたいから助ける。
それだけでは駄目なのだろうか。
その時、小狐が振り返った。
ルークを見る。
それから二匹を見る。
もう一度ルーク。
そして。
ミストフォックスの方へ歩いた。
ルークは動かなかった。
小狐がそのまま二匹と一緒に残るなら、それでいい。
むしろ自然だと思う。
仲間がようやく安全になった。
なら、ルークたちと旅をする理由はない。
胸の奥に少しだけ寂しさが浮かんだ。
それでも口にはしなかった。
小狐は眠るミストフォックスへ鼻先を寄せる。
双尾狐とも額を触れ合わせる。
しばらくそのまま。
やがて身体を離した。
治療室の出口へ歩き出す。
ルークの横を通り過ぎた。
「……帰るの?」
小狐が止まる。
振り返らない。
一歩。
もう一歩。
入口にいるレイの前まで行く。
レイが小狐を見る。
「外はそっちだ」
小狐が尾を振る。
レイが退く。
扉が開く。
小狐は外へ出た。
ルークは小さく息を吐いた。
「そっか」
プルが足元へ寄る。
「ぷる……」
「大丈夫だよ」
そう言いながら、少しだけ残念だった。
ただ。
これでいい。
魔物が自分を選ぶ契約なのだから、自分を選ばない自由もある。
ルークは治療師へもう一度礼を言い、部屋を出た。
外は夜だった。
街灯の魔石が道を淡く照らしている。
レイとソラが待っていた。
そして。
もう一匹。
「……え?」
小狐が座っている。
治療所の入口。
ルークを待つように。
「帰ったんじゃなかったの?」
小狐が立つ。
ゆっくり近づいてくる。
ルークが一歩進む。
小狐は逃げない。
二歩。
距離がなくなる。
灰白色の頭が、ルークの脚へ触れた。
視界が揺れる。
【信頼関係:3/3】
その下に、前にも出た表示。
【共生契約の条件を満たしています】
今度はさらに続く。
【対象個体から契約の意思を確認しました】
ルークの呼吸が止まる。
小狐が顔を上げた。
逃げない。
迷わない。
その目を見て、ルークはようやく分かった。
仲間を捨てたわけではない。
安全を確認した。
別れを済ませた。
その上で。
自分で決めた。
「僕と来る?」
小狐はルークの手へ鼻先を押しつけた。
淡い光が二人の間に生まれる。
【共生契約を開始します】
温かい感覚が腕から胸へ流れ込む。
プルの時。
レイの時。
ソラの時。
それぞれ違った。
今回も違う。
薄い霧の中へ入ったように、周囲の気配が一瞬遠ざかる。
なのに不安はなかった。
目の前の小狐の存在だけが、はっきり分かる。
【共生契約が成立しました】
四体目。
ルークはしゃがんだ。
小狐も座る。
「これからよろしくね」
尾が一度、ルークの腕へ触れた。
「ぷる!」
プルが飛び込んでくる。
小狐が素早く避けた。
「ぷる!?」
そのままレイの後ろへ移動する。
レイが迷惑そうに見る。
「俺を盾にするな」
ソラも屋根から降りてくる。
小狐は今度は逃げない。
四匹。
初めて同じ場所へ揃った。
その瞬間。
鑑定表示が変わった。
【種族:ミストフォックス】
【Lv:6】
【幻惑 Lv.1】
【気配遮断 Lv.1】
種族名が安定した。
特別な種族ではない。
普通のミストフォックス。
ルークはそれを見て、むしろ口元を緩めた。
「やっぱり普通の狐だったんだ」
小狐が不満そうに耳を伏せる。
「違う違う。嬉しいんだ」
普通だからいい。
最初から伝説の魔物だったわけではない。
ここから育つ。
何に進化するのか。
どこまで行けるのか。
それを一緒に探せる。
そして表示は、そこで終わらなかった。
【共生契約による特殊進化条件が解放されました】
【進化候補を確認】
【双尾狐】
通常らしい進化先。
その下。
文字が一度揺れる。
【特殊進化候補】
【妖狐】
ルークの目が見開かれた。
さらに条件が現れる。
【Lv:6/20】
【幻惑 Lv.1/3】
【気配遮断 Lv.1/3】
【???】
【???】
最後の二つは見えない。
それでも十分だった。
同じミストフォックスでも。
同じように育てれば、同じ場所へ行くわけではない。
「妖狐……」
小狐が首を傾げる。
ルークは笑った。
「君の次の可能性みたいだよ」
普通のミストフォックスから。
普通ではない進化へ。
ルークが一番見たかったものが、また目の前に現れていた。




