第41話「狐を集める者」
「人間だ」
レイの低い声に、ルークは杖を握ったまま暗い通路を見つめた。
足音はまだ聞こえない。だがレイの鼻は、ルークよりずっと先の気配を捉えている。
「何人?」
「一人。金属と薬の匂いがする」
薬。
その言葉に、ルークは倒れているミストフォックスへ視線を落とした。
足にはまだ金属の輪が残っている。
小狐も同じことを考えたのか、灰白色の身体を低くした。耳を伏せ、暗い通路へ牙を向けている。
明らかに怯えている。
ただ人間だからではない。
ハルトを守っていた時とも違う。
「知ってる相手なの?」
小狐は答えない。
だが尾が腹へ寄った。
十分だった。
「プル、二匹を守って。ソラは上」
「ぷる」
ソラが天井近くの崩れた石梁へ飛び移る。
狭い場所ではゲイルホークの速度を活かしきれない。それでも高い位置を取れるだけで相手の動きを見やすくなる。
レイはルークより半歩前。
小狐だけは動かなかった。
「君もプルの後ろへ」
低く唸られる。
「……嫌なんだね」
自分の仲間を守る場所を譲るつもりはないらしい。
仕方なく、ルークもその横へ立った。
やがて足音が聞こえた。
一定ではない。
時々止まる。
こちらの存在に気づいているのか、それとも何かを確認しながら進んでいるのか。
金属が壁へ擦れる音。
その後、灯りが見えた。
小さな魔法灯。
現れたのは三十代ほどの男だった。
細身。
湿地用の長靴。
腰には短剣。
背中には細い弩。
冒険者に見えなくもない。
ただし、腰の反対側には革紐と小さな鉄輪がいくつもぶら下がっていた。
ルークの目がそこへ止まる。
男も足を止めた。
「……誰だ、お前」
低い声。
驚いてはいる。
だが慌ててはいない。
むしろ最初に見たのはルークではなく、狐たちだった。
小狐の唸り声が強くなる。
男の眉が僅かに動いた。
「一匹逃げたとは聞いていたが、ここに戻ってたのか」
ルークの指に力が入った。
「この子を知ってるんですか」
「質問してるのはこっちだ」
男は魔法灯を少し持ち上げる。
レイ。
プル。
天井のソラ。
最後にルーク。
「魔物使いか。面倒だな」
「この狐たちを捕まえたのは、あなたですか?」
少しの沈黙。
男は否定しなかった。
それだけで答えに近い。
小狐が一歩前へ出る。
男の右手が腰へ動いた。
「動くな」
レイの声。
男の手が止まった。
初めて表情が崩れる。
「……喋った?」
「手を離せ」
レイは繰り返さない。
男はレイと腰の短剣を見比べ、ゆっくり手を上げた。
「分かった。別にここでやり合う気はない」
「だったら説明してください」
「何を」
「この狐たちを、どうして捕まえたんですか」
男が小狐を見る。
その目に怒りはない。
情もない。
品物を確認するような視線だった。
ルークはそれが嫌だった。
「依頼だよ」
「誰から?」
「そこまで話す義理はない」
「じゃあ、何のための依頼だったんですか」
「知らん」
即答だった。
ルークは眉を寄せる。
「知らない?」
「俺は採るだけだ。指定された魔物を、生きたまま捕まえる。理由まで聞いてたら仕事にならん」
男の言葉には、妙な現実味があった。
悪びれていない。
だからこそ厄介だった。
「この施設に連れてきたのも?」
「ここは待ち場所だ」
男は壁を顎で示す。
「昔の施設らしいが、檻と固定具が残ってる。湿地の奥で捕まえた魔物を一晩置くには都合がいい」
ルークは部屋を見回した。
古い檻。
石台。
革紐。
つまり、全てが最近の捕獲のために作られたわけではない。
古代の施設を、誰かが再利用している。
「黒い棘もあなたが?」
男の目が僅かに細くなった。
「何の話だ」
反応した。
知らないふりではない。
少なくとも言葉には心当たりがある。
「変異した魔物に刺さってた。黒い棘です」
「……見たのか」
今度は隠さなかった。
「あなたが刺した?」
「違う」
「じゃあ誰が?」
「知らん」
「また?」
男が舌打ちする。
「本当に知らん。俺がやるのは捕獲までだ。ここへ運んで、指定場所へ置く。その後は別の奴が来る」
「別の人間?」
「人間かどうかも知らん」
ルークが黙る。
男は苛立ったように続けた。
「顔を合わせたことがないんだよ。依頼書と金だけ置かれる。魔物を置いた翌日にはいなくなってる」
奇妙な仕事だ。
それでも男にとっては、それで成立していた。
「どんな魔物でも?」
「違う」
今度の返答は早い。
「指定がある」
「どんな?」
男が小狐を見る。
「進化しやすい個体」
ルークの胸が強く鳴った。
「どうやって分かるんです?」
「俺が知るか」
「でも捕まえるなら――」
「特徴が書いてあるんだよ」
男は腰袋から折り畳まれた紙を出した。
投げる。
ルークは警戒しながら拾う。
文字。
簡単な絵。
狐。
その下に条件らしい項目が並んでいる。
『幻惑を使用』
『気配を薄くする個体』
『同族を守る行動』
『可能なら若い個体』
ルークの手が止まった。
ただの種族指定ではない。
行動まで見ている。
能力だけでもない。
「同族を守る……?」
小狐を見る。
ハルトを守った。
双尾狐を守った。
今もミストフォックスの前にいる。
この子が狙われた理由が、少しだけ見えた。
「依頼主は、この子の進化条件を知ってる?」
「だから知らんと言ってるだろ」
男の声が荒くなる。
「俺は一匹いくらで捕る。それだけだ」
「でも、この子たちは傷ついた」
「死なせてない」
その言葉に、ルークは顔を上げた。
男は本気でそう思っている。
「死なせなければいいんですか」
「仕事だ」
「黒くなった双尾狐も?」
「それは俺の仕事じゃない」
「でも連れてきたのはあなたですよね」
男の眉間に皺が寄る。
「坊主。魔物に肩入れするのは勝手だが、俺に説教するな。お前だって魔物を戦わせてる」
ルークは言葉に詰まった。
否定できない。
プルも。
レイも。
ソラも。
ルークと一緒に何度も傷ついてきた。
「違う」と即座に言うのは簡単だった。
だが共生契約だから何をしても正しいわけではない。
ルークが判断を誤れば、仲間は傷つく。
「……そうですね」
男が少し意外そうな顔をする。
「でも」
ルークは続けた。
「僕は、この子たちが嫌だと言ったら無理に戦わせない」
隣でレイが僅かに耳を動かした。
「この子たちを強くしたい。でも、本人が何になるかまで僕が決めたくない」
男はしばらくルークを見る。
やがて肩をすくめた。
「変わった魔物使いだ」
「よく言われます」
「褒めてねえよ」
そこは分かっていた。
緊張が少し緩んだ。
その瞬間だった。
小狐が動いた。
男へ飛びかかる。
「待って!」
ルークが手を伸ばす。
男も反応した。
腰から小さな筒を抜く。
吹き矢。
小狐へ向ける。
レイが走った。
間に合わない。
ソラの風が先だった。
狭い部屋に突風が走る。
男の手元がずれる。
吹き矢が壁へ刺さる。
同時にレイが男を押し倒した。
「動くなと言った」
低い声。
男の喉元にはレイの牙。
小狐も、そのすぐ横で牙を剥いている。
「やめて!」
ルークが駆け寄る。
小狐へ手を伸ばしかけ、止めた。
無理に掴めば余計に暴れる。
「この人を好きになる必要はない。でも今殺したら、依頼主のことが分からなくなる」
小狐の耳が動く。
「それに」
ルークは壁へ刺さった吹き矢を見る。
「この人がやったことを、僕が勝手に許すこともできない。だから町へ連れていく」
男が鼻で笑う。
「俺が素直についていくと思うか?」
レイの牙が少し近づく。
「行く」
「……お前の狼、性格悪くないか」
「レイは結構優しいですよ」
「どこがだ」
ルークと男の声が重なった。
一瞬だけ妙な間ができる。
それでも小狐は笑わない。
当然だ。
じっと男を睨み続けている。
やがて。
一歩だけ下がった。
攻撃をやめた。
【信頼行動を確認しました】
表示が浮かぶ。
だが数字は変わらない。
【信頼関係:2/3】
ルークは少しだけ安心した。
今の行動一つで、いきなり全てを信じる必要はない。
それでいい。
男の荷物を調べると、吹き矢と眠り薬、革紐、金属輪が見つかった。
黒い棘はない。
代わりに、もう一枚依頼書がある。
狐ではなかった。
粗い絵。
大きな蛙型魔物。
その下に条件が書かれている。
『毒性の高い個体』
『通常より大型』
『可能なら複数個体を率いるもの』
そして右下。
中央の円から枝分かれする線。
同じ印。
「この依頼、いつから受けてるんですか」
男はレイに見張られながら壁へ座っている。
「半年くらいだ」
「半年?」
「最初は月に一度あるかどうかだった。ここ二月くらいは増えた」
湿地の異変が目立ち始めた時期と重なる可能性がある。
「依頼を受け取る場所は?」
男が黙る。
レイが見る。
「言う」
早かった。
「リューデンの西門から半日ほど南。枯れた柳が三本並んでる場所がある。そこに石箱が埋まってる」
ルークは場所を覚える。
「次の依頼は?」
「三日後」
「……まだ来るんだ」
依頼主へ繋がれるかもしれない。
だが相手がこちらに気づいていないとは限らない。
ここへ男が来た理由も確認する必要がある。
「今日は何をしに?」
男がミストフォックスを見る。
小狐の毛が逆立った。
「そいつを回収する予定だった」
やはり。
「依頼主は、この狐がここにいるのを知ってる?」
「捕まえた時に報告はした」
ルークは言葉を失う。
なら。
この施設のことも。
狐のことも。
そして小狐が一匹逃げたことも。
向こうは把握している可能性がある。
「急いでここを出た方がいい」
レイが言った。
「うん」
ルークも同意する。
施設の奥はまだ調べたい。
しかし負傷した狐。
捕獲者。
そして、存在を把握しているかもしれない依頼主。
長居する理由より、離れる理由の方が多くなった。
帰る準備を始める。
プルが衰弱したミストフォックスの下へ身体を滑り込ませ、背中を平らにする。
「ぷる」
ミストフォックスは警戒した。
だが小狐が先にプルへ乗った。
一度。
わざとらしく座る。
「ぷるる!」
プルが嬉しそうに揺れる。
小狐はすぐ降りた。
次にミストフォックスを見る。
少し迷ってから、灰色の狐がプルの背へ身体を預けた。
「乗ってくれたね」
「ぷる!」
動くと落ちるため、ルークが慌てて押さえる。
小狐はその様子を見ていた。
昨日までは近づくことすら嫌がっていたプルへ、自分の仲間を預けた。
小さな変化。
表示は出ない。
それでも十分だった。
男をレイの前へ歩かせ、入口へ向かう。
途中。
小狐が一度だけ立ち止まった。
壁。
進化誘導と刻まれていた場所。
その少し下。
ルークが気づいていなかった細い傷がある。
小狐が前脚で苔を掻いた。
文字が現れる。
古い文字。
その中に、一つだけ読める言葉。
『適合』
さらにその下。
『失敗個体は――』
そこから先は石が崩れていた。
ルークはしばらく壁を見つめた。
進化を誘導する施設。
進化しやすい個体を集める現在の依頼。
黒い棘。
そして適合と失敗。
同じことを、誰かがもう一度始めている。
完全に同じ方法なのかは分からない。
だが偶然ではない。
小狐がルークを見る。
「戻ろう」
今は先へ進む時ではない。
ここで得たものを持ち帰り、整理する。
そして三日後。
依頼書が置かれるという石箱。
そこへ行けば、この異変を起こしている相手へ、初めてこちらから近づけるかもしれない。
ルークは施設の暗い奥を一度だけ振り返り、外へ向かった。
最後までありがとうございます!
今後も個性の違う魔物たちが登場していきます。
「この先も読んでみたい」と思っていただけましたら、ブックマーク・評価をいただけると嬉しいです!




