第39話「ソラの進化」
六匹に増えた双尾狐が、同時に地面を蹴った。
左右から二匹。正面から三匹。そして一匹だけが小狐へ向かう。
「プル、小狐を守って!」
「ぷる!」
青い身体から六本の触手が伸び、小狐の前に重なる。
レイは正面へ踏み込んだ。
「本物だけ止めればいいんだな」
「そのはず!」
ルークも杖を構える。
幻なら触れられない。
そう考えていた。
一匹目がレイへ飛びかかる。
爪が振られた。
レイは避けずに踏み込む。
爪が身体をすり抜けた。
「幻!」
二匹目。
これも消える。
三匹目。
レイが反応するより先に、その姿が途中で揺らいだ。
「後ろ!」
ルークが叫ぶ。
本物は正面ではなかった。
プルの横。
何もいなかった場所から双尾狐が現れる。
魔力を帯びた爪が振り抜かれた。
「ぷるっ!」
プルの身体が裂けるように歪んだ。
完全には切れていない。
硬化が間に合った。
それでも表面には深い傷が残った。
「プル!」
「前だけ見るな!」
レイが吠える。
双尾狐はすでに消えていた。
再び六匹。
ルークは歯を噛んだ。
読みが甘かった。
ただ姿を増やすだけではない。
幻を見せながら、本体まで気配を消して位置を変えている。
【幻惑 Lv.3】
【気配遮断 Lv.3】
二つを組み合わせているのだ。
「レイ、匂いは?」
「全部同じだ」
「そんな……」
幻にまで匂いがある。
少なくともレイには、そう感じさせている。
双尾狐がもう一度走り出す。
「ソラ、上!」
ソラが急上昇した。
地上から追うのをやめ、戦場全体を見る。
六匹がばらばらに動く。
レイへ二匹。
プルへ一匹。
ルークへ二匹。
小狐へ一匹。
だがソラだけは攻撃しなかった。
旋回する。
見る。
もう一周。
「ピィッ!」
鋭い声が落ちた。
風刃が一枚、何もない地面へ突き刺さる。
一瞬遅れて。
そこから双尾狐が現れた。
「見つけた!?」
ソラが鳴く。
ルークは地面を見る。
泥。
草。
浅い水。
幻の狐たちは確かに走っているように見える。
しかし。
「跡がない」
足跡。
泥の跳ね。
草の沈み。
本物だけが地面へ痕跡を残している。
ルークは思わず息を吐いた。
湿地へ来てから何度も見てきたものだった。
隠れた魔物。
泥の下の敵。
足跡。
水面の揺れ。
「狐を見るな!」
レイの耳が動く。
「地面を見て!」
六匹の影が迫る。
ルークは狐ではなく、その足元だけを見る。
一匹。
草が揺れない。
幻。
二匹目。
泥が跳ねない。
幻。
三匹目。
水溜まりに波紋。
「右!」
レイが方向を変える。
爪を振る。
双尾狐が姿を現し、空中で身体を捻った。
避けた。
速い。
だがそこへソラの風刃が落ちる。
直撃させない。
逃げる方向だけを塞ぐ。
「そっちじゃない!」
さらに一枚。
双尾狐が左へ飛ぶ。
待っていたのはプルだった。
六本の触手が広がる。
網のように。
双尾狐が幻を増やす。
一匹。
三匹。
七匹。
「増えた……!」
視界が狐で埋まる。
だがプルは止まらなかった。
全部まとめて薙ぐ。
触手が幻をすり抜ける。
一匹。
二匹。
三匹。
次々と消える。
五匹目。
手応え。
「ぷる!」
「そこ!」
レイが踏み込む。
爪を振り下ろす。
双尾狐は身を捻った。
レイの爪が肩を掠める。
深くは入れない。
殺さないためだ。
その迷いを、双尾狐は見逃さなかった。
黒く染まった右前脚がレイの胸元へ振られる。
「レイ!」
魔力爪が毛を裂く。
レイが後ろへ跳ぶ。
血が数滴、泥へ落ちた。
深手ではない。
それでも双尾狐は止まらない。
黒い部分が脈打つように広がる。
首。
胸。
二本の尾の根元へ。
【状態:変異進行】
文字が赤く揺れた。
「速くなってる……?」
双尾狐が苦しそうに頭を振る。
小狐が鳴いた。
高く。
何度も。
双尾狐の耳が一瞬だけ動く。
だが次には牙を剥いた。
小狐へ向かう。
「駄目!」
ルークが前へ出た。
プルの触手も間に合わない。
投石紐では遅い。
杖を両手で持ち、振り下ろされる爪へ当てる。
衝撃。
腕が痺れた。
「ぐっ……!」
受け止めきれない。
身体ごと押される。
爪先が前腕を掠め、革の防具が裂けた。
それでも小狐には届かなかった。
「早く、離れて!」
小狐は動かない。
ルークの後ろから双尾狐を見ている。
逃げる気はない。
「頑固だなあ……!」
レイが横から体当たりする。
双尾狐が転がった。
すぐに立ち上がる。
だがその時、ルークは見た。
黒く染まった肩。
毛の間から、細いものが突き出ている。
「レイ、待って!」
「何だ!」
「肩!」
ほんの僅か。
黒い棘のようなものが刺さっている。
自然な毛でも傷でもない。
細い。
そして、その周囲から黒い変色が広がっていた。
ルークの頭に、あのダイアウルフの傷が浮かぶ。
細い何かで何度も刺されたような痕。
「もしかして……」
考える時間はない。
双尾狐がまた幻を作る。
今度は八匹。
ソラが上空で旋回した。
一度。
二度。
さらに高く上がる。
全体を見る。
地面。
水。
葦。
仲間。
逃げ道。
そして本物。
「ピィ――ッ!」
これまでより長い声が響いた。
風が一気に落ちてくる。
攻撃ではない。
戦場全体を撫でるような風だった。
葦が倒れる。
水面が揺れる。
泥が飛ぶ。
八匹の狐。
そのうち一匹だけが、風を受けて毛を逆立てた。
「そこだ!」
レイが走る。
同時に表示が浮かぶ。
【広域戦闘下での空域把握を確認しました】
【空域把握:2/2】
【特殊条件を達成しました】
ソラが急降下する。
双尾狐の正面へ風刃。
避けさせる。
次は背後。
もう一度方向を変える。
レイの方へ追い込まない。
プルの方へ。
「プル!」
六本の触手。
脚。
胴。
尾。
一気に巻きつく。
双尾狐が暴れる。
二本が外れた。
三本目も引き剥がされる。
「レイ、押さえて!」
「分かってる!」
レイが背中へ飛び乗った。
牙は使わない。
前脚で肩を押さえる。
双尾狐がなおも立ち上がろうとする。
ルークは走った。
狙うのは黒い棘。
「ソラ、肩の毛だけ!」
ソラが迷う。
「大丈夫、できる!」
翼を振る。
細い風刃が飛ぶ。
肩の毛が切れる。
黒い棘が露出した。
ルークは布を手へ巻きつけ、それを掴む。
熱い。
指先まで痺れる。
「抜けろ……!」
力を込める。
双尾狐が激しく暴れた。
レイが押さえる。
プルの触手が軋む。
小狐が双尾狐の正面へ回り込み、何度も鳴いた。
ルークは手を離さなかった。
黒い棘が少しずつ抜ける。
最後に嫌な音がして、完全に外れた。
その瞬間。
双尾狐の身体から力が抜けた。
「……え?」
倒れる。
レイが慌てて身体をずらす。
呼吸はある。
黒い変色も消えてはいない。
だが。
【状態:変異進行】
文字が揺れる。
【状態:変異進行・緩慢】
止まったわけではない。
それでも勢いは明らかに弱まっていた。
「原因の一つ……なのか?」
ルークは手の中を見る。
針より太く、指より短い黒い棘。
表面には見覚えのある模様が刻まれていた。
中央の円。
そこから伸びる細い線。
『魔物観察録』に描かれていた印と似ている。
「やっぱり繋がってる」
レイが双尾狐から離れる。
「死なないのか」
「今すぐは。でも治ったわけじゃない」
小狐が恐る恐る近づいた。
倒れた双尾狐の鼻先へ、自分の鼻をつける。
双尾狐の耳が僅かに動く。
小狐はその場へ伏せた。
ようやく震えが止まった。
その時、成長の表示が続けて現れた。
【プルのLvが上がりました】
【Lv:11 → 12】
【レイのLvが上がりました】
【Lv:6 → 8】
格上を、殺さずに制圧した。
単純な討伐ではない。
それでも三匹にとって大きな戦闘経験になったらしい。
そして最後。
【ソラのLvが上がりました】
【Lv:17 → 20】
「三つ……!」
格上との戦闘。
幻惑への対応。
空から戦場全体を把握し、本物を見つけ続けたこと。
さらに表示が重なる。
【飛翔 Lv.3 → Lv.4】
【進化条件をすべて達成しました】
ルークは顔を上げた。
ソラも空中で止まる。
【種族:ウィンドホーク】
【Lv:20/20】
【進化可能】
【進化候補】
【ゲイルホーク】
ソラがゆっくり降りてきた。
ルークの前へ立つ。
「進化、できるよ」
ソラが胸を張る。
「する?」
返事の代わりに、嘴で手を突かれた。
「痛っ。分かったって」
ソラの身体が淡い光に包まれる。
翼が広がる。
これまでより一回り大きく、長く。
風が周囲を巡り始めた。
泥も草も吹き飛ばさない。
ソラの身体の周囲だけを流れている。
光が消える。
そこに立っていたのは、もうウィンドホークではなかった。
羽毛はより滑らかになり、翼の先端は鋭く伸びている。身体も一回り大きくなったが、重さを感じさせない細身の姿だった。
【進化しました】
【ウィンドホーク → ゲイルホーク】
【Lv:1】
【風刃 Lv.4】
【飛翔 Lv.4】
【急降下 Lv.1】
【新しいスキルを獲得しました】
【風纏 Lv.1】
「ゲイルホーク……」
ソラが翼を開く。
次の瞬間、姿が消えた。
「え?」
風が抜ける。
見上げた時には、すでにソラは石造りの建物より高い場所にいた。
「速すぎる!」
一周。
二周。
そこから一気に降りてくる。
ルークの目の前で風を巻き、ぴたりと止まった。
「ピィ!」
「絶対自慢してるよね?」
レイが鼻を鳴らす。
「しているな」
「レイもそう思う?」
「見れば分かる」
ソラは満足そうだった。
小狐がこちらを見ていた。
ソラではない。
ルークを。
視線が合う。
以前ならすぐ逸らされた。
今は違う。
小狐が双尾狐の傍を離れ、ゆっくり歩いてくる。
一歩。
二歩。
ルークは動かない。
手も伸ばさない。
小狐は足元まで来ると、裂けた前腕の防具を嗅いだ。
それから鼻先で軽く触れる。
【信頼関係が深まりました】
【信頼関係:1/3 → 2/3】
さらに鑑定の表示が一瞬だけ変わる。
【種族:???】
【Lv:6】
【幻惑 Lv.1】
【気配遮断 Lv.1】
【系統適性:妖狐】
「妖狐……?」
そこまでだった。
進化先は見えない。
小狐はすぐに離れ、双尾狐の元へ戻った。
だが今度は、それで終わらなかった。
双尾狐の無事を確認すると、古い石造りの建物へ顔を向ける。
黒い蔦に覆われた入口。
小狐が低く鳴いた。
レイが鼻を動かす。
「もう一匹だ」
「え?」
「狐の匂い。中へ続いている」
ハルトが見た狐は三匹。
ここにいるのは二匹。
小狐が入口へ近づく。
振り返る。
ルークを見る。
「……ついて来いってこと?」
返事はない。
それでも小狐は逃げずに待っていた。
ルークは黒い棘を布で包み、『魔物観察録』と一緒に鞄へしまった。
目の前には、祖先が記した印と繋がる建物。
その奥には、まだ一匹の狐がいる。
「行こう」
今度は小狐が先に歩き出した。
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