第37話「謎の小狐」
「そこで止まれ! 狼を町へ入れるな!」
門番の声に、ルークは足を止めた。
予想はしていた。
プルとソラだけなら登録済みの従魔として説明できる。進化したレイも多少確認に時間がかかる程度だろう。だが、その後ろに十匹以上の野生の狼と、傷だらけとはいえ巨大なダイアウルフまで連れていれば話は別だった。
「この人の治療を先にお願いします。狼たちは町へ入れません」
背負っていた男を見せると、門番の表情が変わった。
「おい、担架を!」
二人の衛兵が駆け寄り、男を受け取る。
その時、泥で汚れていた木札が胸元から落ちた。
門番が拾い、表面を布で拭う。
「……ハルト?」
ルークの予想が当たった。
「この人が、行方不明になっていた?」
「ああ。十二日前に西へ入ったまま戻らなかった。どこで見つけた?」
「西湿地から戻る途中です。この子が守っていました」
ルークが振り返る。
小狐は門から少し離れた場所にいた。
しかし門番には意味が分からなかったらしい。
「狐?」
「魔物です。たぶん」
「たぶん?」
そこを聞かれると困る。
「僕にも、まだよく分からなくて」
門番は怪訝そうな顔をしたが、ハルトの容体を優先した。担架が町の中へ運ばれていく。
小狐が一歩前へ出る。
だが門に刻まれた紋章を見ると、また止まった。
「ハルトが心配?」
耳だけが動いた。
ルークは少し考えてから、自分も門の外へ戻った。
「僕はこの子と残ります。レイたちもいますし」
「一人で?」
門番が呆れた顔をする。
もっともな反応だった。
ルークは少し困ってからレイを見る。
「一人じゃないよね」
「俺に聞くな」
「こういう時くらい合わせてよ」
門番の顔が固まった。
「……今、その狼が喋ったか?」
「あ」
進化してから、まだギルドへの登録更新をしていなかった。
説明することが増えた。
結局、狼の群れは町の外で待たせることになった。
負傷した黒いダイアウルフも同じだ。傷は応急処置をしてあるため、今すぐ命に関わる状態ではない。
レイが群れのところへ行き、何度か低く唸る。
野生の狼たちは森へ帰らず、黒いダイアウルフを中心に伏せた。
「残るって」
「レイが?」
「こいつらがだ」
「ああ、そっち」
「……喋らない方がよかったかもしれない」
「なんで!?」
レイは答えなかった。
小狐は少し離れた場所から、そのやり取りを見ていた。
ルークが近づくと一歩下がる。
止まれば、小狐も止まる。
試しに一歩下がる。
小狐の耳が立った。
「やっぱり警戒されてるなあ」
「当然だ」
「レイも最初はもっと警戒してたよ」
「俺の話はいい」
その時、プルが小狐へ近づいた。
「ぷる?」
小狐は逃げない。
プルがもう一歩。
「ぷるる?」
長い尾が動いた。
ぺしっ。
プルの顔面を押し返した。
「ぷる!?」
ルークは吹き出しそうになった。
小狐は何事もなかったように座り直している。
「プル、嫌だって」
「ぷるる……」
しょんぼり戻ってきたプルを撫でていると、今度はソラが低く降りた。
小狐が上を見る。
ソラも小狐を見る。
しばらく睨み合った。
ソラが一声鳴く。
小狐の尾が膨らんだ。
「……仲良くできそう?」
「無理だな」
レイの答えは早かった。
ギルド職員が門まで来たのは、それからしばらくしてだった。
西湿地の依頼を受ける時に話した、三十代ほどの男性職員だ。
「本当にハルトだった。まだ意識は戻ってないが、命は助かりそうだ」
「よかった……」
胸の奥に入っていた力が抜ける。
十二日。
何があったのかは本人が目覚めなければ分からない。
それでも、まず生きていた。
「それで、今度は何を連れて帰ってきたんだ?」
職員の視線がルークの後ろへ向く。
「僕が連れてきたわけじゃ……」
レイを見る。
「見るな」
「まだ何も言ってないよ」
職員が額を押さえた。
「狼が喋るようになったことから説明してもらいたいが、後にしよう」
まず黒いダイアウルフ。
職員は遠くから確認し、顔をしかめた。
「こんな大きなダイアウルフ、この辺りじゃ聞いたことがない。それにその首の跡……」
ルークは金属板を見せる。
職員は裏表を確認した。
「知らない印だな」
「リューデンのものでは?」
「少なくともギルド、領主、商会で使われている印じゃない。俺が知っている範囲では、だが」
答えは得られなかった。
ただ、一つ候補が消えた。
ルークはそれで十分だと思った。
次に職員の視線が小狐へ移る。
「こいつは?」
「分かりません」
「またか」
「鑑定すると、一度だけミストフォックスって出たんです。でもその後は種族不明になって」
職員の眉が上がった。
「ミストフォックス?」
「知ってるんですか?」
「名前だけならな。霧の濃い森なんかにいる小型の狐型魔物だ。幻惑を使う。ただ――」
職員はしゃがみ、小狐を遠くから観察した。
「この辺りにはいない」
ルークは小狐を見る。
「どの辺りにいるんです?」
「もっと北だ。少なくともリューデン周辺で見たって記録は、俺は知らない」
また一つ違和感が増えた。
本来ここにいない魔物。
それが西湿地で、行方不明だったハルトを守っていた。
「ハルトが連れてきた可能性は?」
「ないとは言えない。本人に聞くしかないな」
職員が手を伸ばそうとする。
小狐の姿が揺れた。
「うわっ」
二匹に増える。
左右へ分かれた。
職員が反射的に立ち上がった瞬間、両方が消えた。
「消えた?」
「いや」
レイだけが右を向く。
何もない場所へ歩き、鼻先を近づける。
空間が揺れた。
小狐が現れる。
「幻惑と気配遮断を同時に使ってる……」
ルークは思わず呟いた。
Lv6。
戦闘能力そのものは高くない。
だが使い方が上手い。
ハルトが十二日間も危険な西湿地で生きていられた理由の一つが、この小狐だった可能性もある。
職員は小狐から距離を取った。
「少なくとも普通の野生個体じゃなさそうだな」
その時。
小狐が突然、町とは反対方向を向いた。
レイもほぼ同時だった。
「来る」
「何が?」
「魔物だ」
森の奥から音がする。
狼たちが一斉に立ち上がった。
門番たちが槍を構える。
現れたのはマッドリザードだった。
一匹ではない。
七匹。
その後ろからポイズンフロッグも姿を見せる。
「また……!」
半数以上の身体が黒く変色していた。
西から来ている。
まっすぐこちらへ。
「門を閉めろ!」
衛兵が叫ぶ。
ルークは前へ出た。
「待ってください!」
「何をする気だ!」
「ここで止めます」
数は多い。
だが昨日までとは違う。
プルはキングスライム。
レイはダイアウルフ。
ソラも成長している。
何より、相手の戦い方をもう知っている。
「プル、正面!」
「ぷる!」
「ソラは蛙! レイはトカゲを!」
「分かった」
レイが駆けた。
速い。
マッドリザードが泥へ潜ろうとする。
その前に踏み込んだ。
一撃。
首筋を爪が切り裂く。
二匹目が横から噛みつこうとするが、レイは身体を沈めてかわし、そのまま腹へ潜り込む。
吹き飛ばした。
「強すぎない?」
ルーク自身が一番驚いていた。
進化前なら一匹ずつ慎重に戦っていた相手だ。
今は違う。
ソラも上空から急降下する。
三枚の風刃。
一枚目がポイズンフロッグの跳躍を止め、二枚目が着地点を塞ぎ、三枚目が直撃する。
旋回。
再び三連射。
【風刃 Lv.3 → Lv.4】
「ソラ!」
甲高い声が返る。
さらに速度が上がる。
【ソラのLvが上がりました】
【Lv:14 → 15】
プルは正面から三匹を相手にしていた。
触手を五本。
いや。
六本。
一本で脚を払い、二本で進路を塞ぎ、残りで倒木と泥を利用して敵を追い込む。
噛みつかせない。
触らせない。
それでも相手だけを動かす。
【変形 Lv.4】
キングスライムへ進化した直後とは、動きそのものが違う。
「プル、右!」
「ぷる!」
倒木が横から飛ぶ。
二匹まとめて吹き飛んだ。
ルークも投石紐を回す。
一匹がレイの死角へ回ろうとしている。
狙う。
放つ。
石が目の横へ直撃した。
マッドリザードの顔が逸れる。
次の瞬間、レイの爪が入った。
「助かった」
走りながらレイが言う。
一瞬、ルークの手が止まりそうになった。
「後で!」
「何がだ」
「レイに普通にお礼言われるの、まだ慣れてない!」
「知らん!」
戦闘は長く続かなかった。
最後のポイズンフロッグをソラの風刃が仕留める。
静かになった。
門番たちは槍を構えたまま動いていない。
ルークも少し呆然としていた。
以前なら危険な戦いだった。
今は誰も傷ついていない。
【レイのLvが上がりました】
【Lv:4 → 6】
【ソラのLvが上がりました】
【Lv:15 → 16】
【プルのLvが上がりました】
【Lv:9 → 10】
さらに表示が続く。
【ソラの進化条件が更新されました】
【Lv:16/20】
【飛翔 Lv.3:達成】
【風刃 Lv.4:達成】
【連続空中戦闘:達成】
【特殊条件:???】
あと四レベル。
ただし特殊条件が残っている。
レイの時と同じなら、単に戦い続けるだけでは進化できない。
「次は何を求められるんだろう」
考えかけた時だった。
「ルーク」
レイの声が低い。
小狐を見ていた。
戦闘の間、小狐は一度も参加していない。
姿を消し、離れた場所から見ていた。
それ自体は不思議ではない。
契約もしていない。
戦う理由もない。
だが今、小狐は倒したマッドリザードのそばに立っていた。
黒く変色した部分を嗅いでいる。
「触らないで!」
ルークが近づこうとした瞬間、小狐が振り返った。
そして走り出した。
「え?」
逃げる方向は町ではない。
西。
湿地へ戻ろうとしている。
「待って!」
ルークは追いかけた。
小狐が一度だけ振り返る。
そのまま消えた。
【気配遮断 Lv.1】
「レイ!」
「分かってる」
レイが匂いを追う。
だが数十歩進んだところで止まった。
「どうしたの?」
「匂いが消えた」
「そんなことできるの?」
「普通は無理だ」
小狐のスキルはLv1。
それなのに、ダイアウルフになったレイの嗅覚から逃れている。
ルークは周囲を見た。
いない。
完全に消えた。
その時、ソラが鳴いた。
上空から西を見ている。
ルークもそちらへ視線を向けた。
遠く。
湿地の奥。
黒く変色した森がある方向。
白いものが一瞬だけ見えた。
小狐の尾。
「戻っていく……?」
なぜ。
ハルトは助かった。
なら小狐が西湿地へ戻る理由はないはずだ。
ルークは倒したマッドリザードを見る。
小狐が嗅いでいた個体。
黒く変色した首元に、小さな傷がある。
その横。
泥の上に何かが落ちていた。
白い毛。
小狐のものだ。
拾おうとして、ルークの手が止まった。
毛の先端だけが黒く変色している。
「……あの子の傷も、同じだった」
黒い異変に侵されている。
それでも小狐は正気を保っている。
そして異変のある魔物を見た途端、西へ戻った。
「何かあるんだ」
レイがルークを見る。
「追うのか?」
すぐに頷きそうになった。
だが止めた。
以前の自分なら追っていた。
傷ついた魔物を見れば放っておけない。
それで湿地では一度判断を誤った。
「……今は追わない」
レイの耳が僅かに動く。
「ハルトが目を覚ますのを待つ。あの子がどこから来たのか、知っているかもしれない」
小狐を助けたい。
だが何も知らずに西へ入ることと、助けることは同じではない。
「それに」
ルークは黒いダイアウルフを見る。
この狼もまだ治療が必要だ。
群れもいる。
「先にできることをやる」
レイは何も言わず、町の方へ向き直った。
ハルトが目を覚ましたのは、その日の夕方だった。
知らせを受け、ルークはギルド併設の治療室へ向かった。
ベッドの上のハルトは青白い顔をしていた。
それでも意識はある。
「君が……助けてくれたのか?」
「僕だけじゃありません」
ハルトの視線が動く。
何かを探している。
「狐は?」
最初に聞いたのは、それだった。
「西湿地へ戻りました」
ハルトの顔色が変わった。
身体を起こそうとして、傷に顔を歪める。
「駄目だ」
「まだ動かないでください」
「あいつを行かせたら駄目だ!」
声が治療室に響いた。
ルークは息を呑む。
「どういうことです?」
ハルトは荒い呼吸を繰り返した。
「俺があいつを拾ったんじゃない」
「え?」
「逆だ」
ハルトが拳を握る。
「西の奥で毒を受けて、動けなくなった俺を……あいつが見つけた」
十二日。
小狐がハルトを守っていた。
幻惑と気配遮断。
戦う力がなくても、敵から隠すことはできる。
「でも、どうしてあの子は西へ?」
ハルトはしばらく黙った。
言うべきか迷っているようだった。
やがて枕元の水を一口飲み、掠れた声で続ける。
「あいつ、一匹じゃない」
ルークの目が止まった。
「西の奥に、同じ狐がいるんですか?」
「同じじゃない」
ハルトは首を振った。
「あの小さいのは、一番弱いやつだ」
その言葉が引っかかった。
「一番弱い?」
「俺が見たのは三匹。あいつより少し大きいのが二匹いた。だが、そのうち一匹はもう……黒くなってた」
ルークは小狐の前脚を思い出した。
広がり始めていた黒い変色。
「もう一匹は?」
「分からない。俺を逃がす時に残った」
だから戻った。
仲間がいるから。
ルークの中で、小狐の行動が初めて一本に繋がった。
「場所を教えてください」
ハルトがルークを見る。
すぐには答えなかった。
「行く気か?」
「はい」
「やめた方がいい」
その声には迷いがなかった。
「俺も西湿地には慣れてる。五年近く潜ってきた。それでも奥で何が起きてるのか、ほとんど分からなかった」
「それでも行きます」
「死ぬぞ」
ルークは言い返さなかった。
絶対に大丈夫だとは言えない。
今日、低レベルの魔物相手に圧倒できたからといって、西湿地そのものが安全になったわけではない。
ハルトはそんなルークをしばらく見ていた。
「……あの狐に、借りがあるのか?」
「まだ何も返してもらってません」
「じゃあ何でだ」
ルークは少し考えた。
「気になるからです」
ハルトが呆れたように目を細める。
「それだけか?」
「それと、あの子が何なのか知りたい」
そちらの方がルークらしい答えだった。
ハルトは小さく息を吐いた。
「変な魔物使いだな」
枕元に置かれた荷物へ手を伸ばす。
その中から、泥で汚れた紙を取り出した。
簡単な地図だった。
「ここだ」
西湿地。
ルークたちがまだ入っていない奥地。
黒く変色した森のさらに手前に、小さな丸印がついている。
「古い石造りの建物がある。俺はそこであの狐たちを見た」
ルークの指が止まる。
「建物?」
「遺跡なのか何なのかは知らない。入口は半分沈んでた」
ハルトはそこで言葉を切った。
「ただ、壁に妙な印があった」
ルークは鞄から金属板を取り出した。
見せる。
ハルトの目が見開かれた。
「これだ」
即答だった。
ルークの胸が大きく鳴る。
祖先の記録。
ダイアウルフ。
黒い変異。
小狐。
全部が同じ場所へ集まり始めている。
「明日、行きます」
ハルトが何か言おうとしたが、ルークは地図を受け取った。
その時。
視界の端に表示が浮かぶ。
契約相手ではない。
それでも、なぜか小狐の姿が頭に浮かんだ。
【特殊進化個体との接触を確認】
【未知の進化系統を検出しました】
ルークは動きを止める。
表示はもう一行続いた。
【進化系統の解析条件が解放されました】
【対象個体との信頼関係を構築してください】
ルークは地図を握り直した。
小狐の正体。
西湿地の異変。
そして、まだ黒くなっていないもう一匹の狐。
明日向かう場所には、その全てが待っている。




