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魔物使いの進化論 ~最弱スライムから始める神話級魔物育成~  作者: 庵


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第31話 湿地への道

第三章 湿地都市リューデン編


グランゼルを出て三日目、街道の景色は目に見えて変わり始めていた。


山から離れるにつれて岩肌は減り、代わりに低い草地と細い水路が増えていく。空気も少し湿っていて、朝になると道の脇には薄い霧が残るようになった。


「そろそろ湿地に入るのかな」


ルークは地図を広げ、街道の先を確認した。


目的地の湿地都市リューデンまでは、順調に進めばあと二日ほど。ただし地図には、ここから先の街道について小さく注意書きが添えられている。


雨季には道が水没することがある。


魔物だけではなく、足場そのものにも注意が必要らしい。


「山とは全然違いそうだね」


「ぷる!」


キングスライムへ進化したプルが、いつものように元気よく跳ねる。


身体が以前より大きくなったため、一度跳ねるだけでも存在感が増していた。頭部に浮かぶ半透明の小さな冠にも少しずつ慣れてきたが、道ですれ違う旅人から二度見されることはまだ多い。


その少し前を歩くレイは、朝から落ち着かない様子だった。


何度も鼻先を上げて風の匂いを嗅ぎ、時折街道から外れた草むらへ視線を向けている。


「何かいる?」


ルークが聞くと、レイは立ち止まった。


低く鼻を鳴らし、街道の左側を見る。


そこには腰ほどの高さまで伸びた草が広がり、その向こうには浅い水辺が見えていた。


ソラも上空から戻ってくる。


「キィ」


いつもの高い声ではない。


少し警戒した鳴き方だった。


ルークはスタッフへ手を伸ばした。


「魔物かな」


プルが前へ出る。


レイも身体を低くした。


だが、しばらく待っても何も出てこない。


草が揺れるわけでもない。


水面にも変化はない。


「……いない?」


ルークが一歩進もうとすると、レイが進路を塞いだ。


「レイ?」


レイは地面を見ている。


ルークも視線を下げた。


街道の端。


泥の上に、何かの跡が残っていた。


足跡。


ただし、見慣れたものではない。


三本の指を持つ細長い足跡が、街道から水辺へ向かって続いている。その隣には別の足跡もあり、こちらは四足獣のものに近かった。


「二種類いるのか」


ルークはしゃがみ込んだ。


前世で遊んでいた育成ゲームでも、初めての地域へ入った時は敵そのものより痕跡を見ることが多かった。


どんな種類がいるのか。


どの時間帯に動くのか。


単独か群れか。


ゲームなら何度倒されてもやり直せたが、今はそうはいかない。


だからこそ、分からないものほど先に観察する。


「プル、少し待って」


先へ進もうとしていたプルが止まる。


ルークは足跡の深さを見る。


三本指の方が浅い。


四足の方が深い。


体重の差か。


それとも地面が乾いた時間と濡れた時間の違いか。


「同時に通ったわけじゃないかもしれないな」


立ち上がった時、ソラが急に翼を広げた。


「キィッ!」


上空へ飛び上がる。


ルークもすぐに顔を上げた。


「ソラ?」


ソラは街道の先へ向かった。


数十メートル進んだところで旋回する。


そこから戻ってくるかと思ったが、今度は低く飛びながら何度も鳴いた。


明らかに何かを見つけた反応だった。


「行ってみよう」


ルークたちは街道を進んだ。


少し先で道が緩く下っている。


そこまで来たところで、ルークは足を止めた。


街道の一部が消えていた。


正確には、水に沈んでいる。


幅十五メートルほど。


先の道自体は続いているが、その間を浅い沼のような水が横切っていた。


「地図に書いてあったやつか」


水深は深そうには見えない。


膝より少し下くらいだろうか。


荷車が通った跡も残っているため、普段からここを渡る人はいるらしい。


それでもルークはすぐには入らなかった。


水が濁っている。


底が見えない。


「レイ、匂いは?」


レイが水辺へ近づく。


鼻を動かした直後、僅かに顔を引いた。


嫌がっている。


「何かいるね」


プルが水へ触れようとする。


ルークは慌てて止めた。


「待って。何がいるか分かってから」


「ぷる……」


不満そうに身体が縮む。


ルークは荷物から小石を一つ取り出した。


グランゼルで買った投石紐を使うほどでもない。


手で軽く投げる。


石が水面へ落ちた。


小さな波紋が広がる。


何も起きない。


もう一つ。


今度は少し遠くへ。


落ちる。


やはり何もない。


「気にしすぎかな」


そう言いながら、ルーク自身もまだ納得していなかった。


レイは警戒を解いていない。


ソラも低い位置を飛んでいる。


何かいる。


ただ見えていないだけだ。


その時、プルが触手を一本伸ばした。


水ではなく、岸に生えている草へ絡ませる。


引っ張る。


根元から抜けた。


泥の塊が持ち上がる。


「……あ」


泥の下に何かがいた。


手のひらほどの大きさ。


茶色い甲殻。


平たい身体。


六本の脚。


泥とほとんど同じ色をしている。


【マッドクラブ】


【Lv:4】


ルークが表示を見た瞬間、その個体は泥の中へ潜った。


「蟹……?」


一匹だけではなかった。


泥の表面がいくつも動く。


二匹。


三匹。


五匹。


さらに水辺の奥でも小さな気泡が上がり始めた。


「思ったよりいる」


プルが前へ出ようとする。


「待って」


ルークは止めた。


Lv4なら、今のプルたちにとって脅威ではない。


問題は数だった。


それに、わざわざ戦う必要もない。


「道を渡るだけなら刺激しない方がいい」


レイも同意するように一度鼻を鳴らす。


ルークは浅そうな場所を探した。


街道の右側。


少し遠回りになるが、水の幅が狭い場所がある。


「そっちから行こう」


プルが先に進む。


水に入ってもスライムであるプルは問題なさそうだった。


身体の半分ほどが沈むが、そのままゆっくり進んでいく。


レイは嫌そうだった。


水そのものが苦手というより、底が見えないことを警戒しているらしい。


「僕が先に行こうか」


ルークが水へ足を入れる。


冷たい。


靴が泥へ沈む。


想像していたより深い。


一歩。


さらに一歩。


泥が足を引っ張る。


「これは走れないな……」


レイの【疾走】は、この環境ではほとんど使えない。


そのことに気づいた直後だった。


前を進んでいたプルの身体が突然沈んだ。


「プル?」


一瞬だった。


水面から青い身体が消える。


「プル!」


ルークが走ろうとする。


足が泥にはまった。


動けない。


水面が大きく揺れる。


何かがプルを下から引っ張っている。


「レイ!」


レイが飛び込む。


しかし二歩目で速度が落ちた。


泥。


走れない。


ソラが上空から急降下する。


だが水面の下の敵は見えない。


「くそっ……!」


ルークはスタッフを泥へ突き刺し、それを支えにして足を引き抜いた。


その間にも水が激しく波打つ。


ようやくプルの触手が水面から飛び出した。


一本。


二本。


何かを探すように暴れている。


「プル、岸!」


声が届いたのか、触手の一本が岸へ伸びる。


短い。


届かない。


ルークは腰の投石紐へ触れた。


石を飛ばしても意味がない。


敵が見えない。


何か。


今使えるもの。


ルークは周囲を見る。


ソラ。


レイ。


水。


そして、プルの触手。


「ソラ! プルの触手を引いて!」


ソラが一瞬迷った。


普段なら獲物を攻撃する指示が多い。


触手を引くという意味が通じるか分からない。


ルークは自分の腕を掴む仕草をしながら叫んだ。


「そこ! 掴んで!」


ソラが下降する。


鉤爪でプルの触手を掴む。


羽ばたく。


触手が伸びる。


水面が盛り上がった。


青い身体の一部が見える。


「レイ、こっち!」


ルークはレイを岸側へ呼んだ。


泥の中で敵へ向かわせても力を出せない。


なら地上から引く。


レイが岸へ戻り、ソラが持ち上げた触手へ噛みついた。


二匹が同時に引く。


プルの身体が水面へ浮かんだ。


その下に。


黒い影が見えた。


大きい。


「何だ……?」


プルの身体へ細長いものが巻きついている。


植物の根のようにも見える。


だが動いている。


ルークの視界に表示が浮かんだ。


【種族:スワンプリーチ】


【Lv:12】


【吸血 Lv.2】


【潜伏 Lv.3】


【締め付け Lv.2】


「ヒル!?」


想像していたより遥かに大きい。


長さは二メートル近くある。


濁った水の中で泥と同化し、プルの身体へ巻きついていた。


「プル、硬化!」


「ぷるぅ!」


プルの身体が硬くなる。


スワンプリーチの締め付けが止まった。


だが離れない。


むしろ口らしき部分をプルへ押しつける。


【吸血】。


「スライムから吸えるのか?」


一瞬疑問に思った。


直後。


スワンプリーチが激しく身体を震わせる。


離れた。


自分から。


水面へ落ちる。


「……え?」


ルークが目を瞬く。


プルも分からないというように身体を揺らした。


スワンプリーチは水中で何度も身体をくねらせ、明らかに苦しんでいる。


そして表示が出た。


【吸血に失敗しました】


【対象の体液構造が吸収条件に適合しません】


ルークは思わず口を開けた。


プルはスライムだ。


血液がない。


吸血する魔物にとっては、そもそも獲物として成立しない。


「そういうことか……!」


偶然助かった。


だが、完全に運だけでもなかった。


プルがスライムだからこそ起きた結果だ。


スワンプリーチが逃げようと水底へ潜る。


「逃がさない!」


今度はルークが判断した。


こいつを逃がせば、後から渡ってくる旅人が襲われるかもしれない。


それに。


さっき自分たちは、この場所なら安全だと思って入った。


その判断が間違っていた。


同じ失敗をしたくない。


「ソラ、水面を叩いて!」


「キィ!」


ソラが翼を振る。


【風刃 Lv.1】を直接当てるのではなく、水面へ向けて放つ。


水が弾ける。


泥が巻き上がる。


逃げようとしていたスワンプリーチの輪郭が一瞬だけ浮かんだ。


「プル!」


プルの触手が伸びる。


今度は敵の身体へ巻きついた。


引き上げる。


水中から黒褐色の巨大なヒルが飛び出した。


岸へ叩きつけられる。


レイはもう待っていた。


【爪撃 Lv.3】。


柔らかい胴体へ深く入る。


スワンプリーチが身体を捻り、レイへ巻きつこうとする。


だが陸上では遅い。


レイがすぐに離れる。


「プル、押さえて!」


二本の触手が敵を地面へ固定する。


ルークも泥から上がり、スタッフを構えた。


狙う場所は分からない。


甲殻も骨もない。


だからこそ、頭部らしき部分へ繰り返し打ち込む。


一撃。


二撃。


三撃目で動きが弱くなる。


最後はレイの爪が深く切り裂いた。


スワンプリーチの身体が止まった。


【スワンプリーチを討伐しました】


ルークは大きく息を吐いた。


「……危なかった」


勝った。


けれど、まったく爽快ではない。


自分が水へ入っていいと判断した。


レイもソラも警戒していたのに。


見える敵だけを気にしていた。


「ごめん、プル」


ルークはしゃがみ込んだ。


「ぷる?」


「僕が先にもっと調べるべきだった」


プルは少し身体を傾けた後、触手を伸ばしてルークの腕へ巻きつけた。


怒ってはいないらしい。


それでもルーク自身は納得できなかった。


山では敵の姿を見てから戦うことが多かった。


ここでは違う。


水の下。


泥の中。


草の陰。


見えない場所に魔物がいる。


今までの感覚のまま進めば、次も同じことになる。


「やり方を変えないと駄目だ」


レイが隣へ来る。


ソラも近くの岩へ降りた。


ルークは三匹を見た。


プルは水に強い。


レイは匂いに強い。


ソラは上から見られる。


そして自分は、その情報をまとめられる。


誰か一匹が万能なわけではない。


だから使い方を考える。


「次から、水場に入る前に僕が石を投げるだけじゃなくて、レイに匂いを見てもらう。ソラには上から水面の変化を探してもらって、プルは最後まで岸から離れないようにしよう」


プルが元気よく跳ねる。


レイも短く鳴いた。


ソラは少し遅れてから翼を一度動かした。


ルークは苦笑した。


「最初からこうすればよかったね」


湿地へ来たばかりなのに、もう山とは違うことを思い知らされた。


それでも嫌ではない。


知らない環境。


知らない魔物。


知らない戦い方。


考えることが増えるほど、前世で育成ゲームに夢中になっていた頃の感覚が少しだけ戻ってくる。


ただし今は、失敗した時に失うものがある。


その違いだけは忘れてはいけない。


ルークは倒したスワンプリーチを確認した。


討伐部位として使えそうなものはないか。


素材になる部分はあるか。


そう考えていた時だった。


プルが突然、死骸へ近づいた。


「プル?」


身体の一部を伸ばす。


スワンプリーチへ触れる。


【吸収】。


ルークは少し驚いた。


プルが自分から魔物の素材を吸収することは珍しくない。


だが今回は、触れた直後に表示が出た。


【特殊素材を吸収しました】


【湿地魔物の体液を吸収】


【毒性:微弱】


「毒……?」


ルークは眉を寄せた。


スワンプリーチの表示には毒のスキルなどなかった。


そのはずだ。


もう一度死骸を見る。


表示は変わらない。


【吸血 Lv.2】


【潜伏 Lv.3】


【締め付け Lv.2】


毒はない。


なのに。


プルが吸収したものには、毒性がある。


「どういうことだろう」


プル自身にも異常はない。


むしろ身体を少し揺らし、不思議そうにしている。


ルークは祖先の『魔物観察録』を思い出した。


旅に出てからも、荷物の奥に入れて持ち歩いている。


夜。


野営地で久しぶりにその本を開いた。


湿地。


沼。


水棲魔物。


該当しそうな記述を探す。


何ページもめくったところで、端に小さな文字が残っていた。


『西の湿地。傷つけられた獣を食べるな。土地そのものが病んでいる場所がある』


それだけだった。


理由も。


場所も。


何を見たのかも書かれていない。


ルークはしばらく、その一文から目を離せなかった。


今日倒したスワンプリーチ。


本来持っていないはずの毒性。


そして、祖先が残した短い警告。


偶然だと切り捨てるには、少しだけ引っかかった。


焚き火の向こうでレイが顔を上げた。


ソラも木の枝から周囲を見ている。


プルだけはルークの隣で丸くなっていた。


「リューデンに着いたら、少し調べてみよう」


ルークは本を閉じた。


ただ魔物を育てるために向かった湿地で、思っていたものとは違う何かを見つけたのかもしれない。


翌朝。


街道を西へ進むと、昼前には湿地帯を見渡せる高台へ出た。


遠くに町が見える。


水路に囲まれたリューデン。


そのさらに奥。


広大な湿地の一角だけ、草木の色が妙に暗かった。


ソラがその方向を見たまま、低く鳴いた。

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